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	神武紀｜八咫烏の導きと熊野越え｜山で迷って進退窮まる！？天照による2度目の救援は「天孫降臨」の再現だった件｜分かる！神武東征神話No.9 へのコメント	</title>
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	<description>日本神話を読み解き日本神話に登場する神様や関連神社情報を発信中！</description>
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		<title>
		korokke より		</title>
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		<dc:creator><![CDATA[korokke]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 22 Oct 2017 06:33:13 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[こんにちは
僕が神武東征で一番不自然に感じているのがこの熊野越えの
話なのです。

国道309号線はともかく、169号線は現在でも山また山の地域、
加えて大台ケ原や尾鷲近辺を通るので日本有数の豪雨地帯、
度重なる土砂崩れ、そして冬季には積雪で道が凍結しやすい状態。
何日掛かるか分からないので食料は多めに、夜は電灯も無いので
行軍できず、テントも無いので基本は雨ざらしの野宿。

古代に道があったのかどうか分かりませんが、よほど地理に詳しく
天候が読める人が居ないと簡単に集団遭難してしまいます。

神武が生駒山の戦いから熊野に逃れた辺りは十分再現可能だと思います。
しかし、時代は下って戦国時代、紀伊山地よりも穏やかな伊賀の山越え
ですら、徳川家康は大変難儀したと言っています。まして、熊野越えは
八咫烏という道案内人が居たとしても人口や集落が少なかったこの時代、
無理だったのでは？と僕は考えています。

実際のところはどうだったのか。熊野越えの後で榛原に入って大和を
攻める話になるので、本当は家康がたどった道を逆に、つまり熊野越えを
あきらめ、伊勢まで渡り榛原へ向かったのか？と推理いたします。神話
ですから敗北や挫折の話は、出てこないのかもしれませんね。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>こんにちは<br />
僕が神武東征で一番不自然に感じているのがこの熊野越えの<br />
話なのです。</p>
<p>国道309号線はともかく、169号線は現在でも山また山の地域、<br />
加えて大台ケ原や尾鷲近辺を通るので日本有数の豪雨地帯、<br />
度重なる土砂崩れ、そして冬季には積雪で道が凍結しやすい状態。<br />
何日掛かるか分からないので食料は多めに、夜は電灯も無いので<br />
行軍できず、テントも無いので基本は雨ざらしの野宿。</p>
<p>古代に道があったのかどうか分かりませんが、よほど地理に詳しく<br />
天候が読める人が居ないと簡単に集団遭難してしまいます。</p>
<p>神武が生駒山の戦いから熊野に逃れた辺りは十分再現可能だと思います。<br />
しかし、時代は下って戦国時代、紀伊山地よりも穏やかな伊賀の山越え<br />
ですら、徳川家康は大変難儀したと言っています。まして、熊野越えは<br />
八咫烏という道案内人が居たとしても人口や集落が少なかったこの時代、<br />
無理だったのでは？と僕は考えています。</p>
<p>実際のところはどうだったのか。熊野越えの後で榛原に入って大和を<br />
攻める話になるので、本当は家康がたどった道を逆に、つまり熊野越えを<br />
あきらめ、伊勢まで渡り榛原へ向かったのか？と推理いたします。神話<br />
ですから敗北や挫折の話は、出てこないのかもしれませんね。</p>
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