志賀の海人(万葉集)|志賀島を舞台に海人の心情や生活を風情豊かに歌っています

志賀の海人『万葉集』より

 

志賀の海人あま

志賀とは、志賀島しかのしまの事。

志賀島しかのしま」は、
福岡県福岡市にある島で、博多湾の北部に位置。海の中道と陸続きの小さな島。面積約6k㎡弱。

古代日本(九州)の大陸・半島への海上交易の拠点として、
歴史的に重要な位置を占めていました。ここを中心として活躍したのが安曇氏。海人あまの総元締めであります。

海人あま」とは、海に潜って貝類や海藻を採集する漁を職業とする人。

最古の記録は『魏志倭人伝』にあり、

 また、一海を渡る。千余里ほど行くと末盧国に至る。四千余の家があり、山と海に沿って住んでいる。草木が盛んに茂りっていて、前の人が(草木に隠されて)見えない。魚やアワビを捕ることが好きで、水の深浅に関係なく、みな水に潜ってこれを取っている。

 又渡一海 千餘里 至末盧國 有四千餘戸 濱山海居 草木茂盛行不見前人 好捕魚鰒 水無深淺皆沉没取之

『魏志倭人伝』普平陽侯相 陳寿 撰

と、

魚やアワビを採って生活していたことを伝えます。

志賀島の歴史は、海人の文化と共にあって、
中央で編纂された『万葉集』でも数々の歌が詠まれるほど、かなり知られた島だった模様。

志賀の海人、とくに志賀島を拠点として活躍する海人たちを歌った歌では
海人(あま)の生活や心情が歌われていて、風情豊か。

歌われている内容を通じて
海人のもつ文化、生活、心情などを感じていただければと思います。

まずは、
こちらから。信仰の部分、根本なので。

万葉集 7巻
原文:千磐破 金之三埼乎 過鞆 吾者不忘 壮鹿之須賣神
よみ: ちはやぶる、鐘の岬を、過ぎぬとも、我れは忘れじ、志賀の皇神すめかみ

意味: 荒れ狂う鐘の岬を過ぎても、私は忘れません、(海の神である)志賀の神を。

※「鐘の岬」は今の福岡県宗像郡玄海町とされてます。

志賀島を拠点として活躍した安曇氏。

その祖神は、綿津見神、つまり海神であります。「志賀の皇神」はその意味で、海人の信仰の中核を担う神として位置づけられていました。

ここから番号順にご紹介。

0278
石川少郎の歌一首
原文:然之海人者 軍布刈塩焼 無暇 髪梳乃小櫛 取毛不見久尓
よみ:志賀の海人は 布刈塩焼き 暇なみ くしげの小櫛 取りもなくに

意味:志賀の海人は、藻を刈ったり塩を焼いたりで暇が無いので、櫛笥くしげの櫛を手にとって見ることもない

毎日いそがしく立ち働いている当時の女性の様子が分かります。櫛笥は、櫛や鏡を入れる箱のこと。

1245
原文:四可能白水郎乃 釣船之紼 不堪 情念而 出而来家里
よみ:志賀の海人の 釣舟の綱 堪へかてに 心思ひて 出て来にけり

意味:志賀の漁師の釣船の綱のようには この気持ち耐えることができなくて 表に出てきてしまったよ(※恋の歌)

 

1246
原文:之加乃白水郎之 焼塩煙 風乎疾 立者不上 山尓軽引
よみ:志賀の海人の 塩焼く煙 風を疾み 立ちは上らず 山にたなびく

意味:志賀の漁師の塩を焼く煙は風が強いので 立ち昇ることできなくて 山の方へとたなびくよ

※志賀は製塩が有名でした。「風を疾み」=風がひどいので。

 

2622
原文:志賀乃白水郎之 塩焼衣 雖穢 恋云物者 忘金津毛  
よみ:志賀の海人の 塩焼き衣  なれぬれど 恋といふものは 忘れかねつも

意味:〈志賀の漁師が塩を焼く衣のように〉よく馴れた仲ではあるが恋しいと思う気持ちは変わらない

※「志賀の海人の塩焼き衣」→「なれ」を導く枕詞。※「塩焼き衣」潮を焼くときに着る作業衣。※「なれ」〈萎れ=着古してよれよれになる〉と〈馴れ=馴れ親しむ〉を掛ける表現。※「忘れかねつも」忘れられないことだ。

 

2742
原文:壮鹿海部乃 火気焼立而 燎塩乃 辛恋毛 吾為鴨
よみ:志賀の海人の 火気焼きたてて 焼く塩の 辛き恋をも 我はするかも

意味:志賀の漁師が火を燃やし煙を上げて焼く塩のように辛い恋なのに それでも私は恋をする

※「火気」火の気。転じて、けむり。※人に知られることを厭わない真剣勝負の恋。

 

3170
原文:思香乃白水郎乃 釣為燭有 射去火之 髣髴 妹乎 将見因毛欲得 
よみ:志賀の海人の 釣し燈せる いざり火の ほのかに妹を 見むよしがも

意味:志賀の漁師が釣りをしてほのかに灯る漁火(いさりび)のようにあなたに少しでも逢う方法があればなあ

※「志賀の海人の釣し灯せるいざり火の」〈ほのかに〉を導く枕詞。※「いざり火」魚を誘い集めるために、夜、漁船でたくかがり火。※「もがも」願望。あればなあ。

 

3177
原文:然海部之 磯尓苅干 名告藻之 名者告手師手 如何相難寸
よみ:志賀の海人の 磯に刈り乾す なのり藻の 名は告りてしを なにか逢ひ難き

意味:志賀の漁師が磯に出て刈り干しているナノリソのその名のようにわたくしは名を告げたのになにゆえにあなたに逢えないのだろうか

※「志賀の海人の磯に刈り乾すなのりその」〈名は告り〉を導く枕詞。※「なのりそ」ホンダワラの古名。「な告(の)りそ=人に告げるな」に掛ける表現。

 

3652
至筑紫館遥望本郷悽愴作歌四首
原文:之賀能安麻能 一日毛於知受 也久之保能 可良伎孤悲乎母 安礼波須流香母
よみ:志賀の海人の 一日も落ちず 焼く塩の 辛き恋をも 我はするかも

意味:志賀島の海人が一日も欠かさず焼く塩のような そんな辛い恋を 私はするのでしょうか

 

3653
原文:思可能宇良尓 伊射里須流安麻 伊敝妣等能 麻知古府良牟尓 安可思都流宇乎
よみ:志賀の浦に いざりする海人 家人の 待ち恋ふらむに 明し釣る魚

意味:志賀の浦で漁りする海人よ家族が待っているだろうに夜が明けるまで魚を釣っているのか

 

3664
原文:之可能宇良尓 伊射里須流安麻 安気久礼婆 宇良未許具良之 可治能於等伎許由
よみ:志賀の浦に いざりする海人 明け来れば 浦廻漕ぐらし 梶の音聞こゆ
意味:志賀の浦で漁をする海人が夜が明けて来ると湊に帰るために舟を漕ぐらしい楫の音が聞こえる

 

3862
原文:志賀之山 痛勿伐 荒雄良我 余須可乃山跡 見菅将偲 
よみ:志賀の山 いたくな伐りそ 荒雄らが よすかの山と 見つつ偲はむ
意味:志賀の山の木をそんなに伐らないでください荒雄たちのゆかりの山として眺めて彼らを偲びましょう

 

―筑前国の志賀の白水郎歌十首―

3863
原文:荒雄良我 去尓之日従 志賀乃安麻乃 大浦田沼者 不楽有哉
よみ:荒雄らが 行きにし日より 志賀の海人の 大浦田沼は さぶしくもあるか  

意味:荒雄たちが出かけて行った日から志賀の海人の住む大浦田沼は寂しさに火が消えたようです

 

3869
原文:大船尓 小船引副 可豆久登毛 志賀乃荒雄尓 潜将相八万
よみ:大舟に 小舟引き添へ 潜くとも 志賀の荒雄に 潜き逢はめやも

意味:大船に小船を引き添えて漕ぎだし海に潜って捜そうとも志賀の荒雄に海中で逢うことができようかいやできはしない

 

ということで、
いかがでしたでしょうか?

結構、心情豊かで時に激しさをもって歌われている感じですよね。
当時の「海人」が持っていたであろう感受性が生き生きと歌われています。



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