八咫烏(ヤアタガラス)とはどんな烏(カラス)だったのか?
正史『日本書紀』をもとに、最新の文献学的学術成果も取り入れながら、八咫烏をディープに解説します。
- 日本神話全体の流れや構造を解き明かしながら解説。他には無い分かりやすい記事です
- 現代語訳のほか原文も掲載。日本神話編纂当時の雰囲気を感じてもらえます
- 登場する神様や重要ワードへのリンク付き。より深く知りたい方にもオススメです
八咫烏(ヤタガラス)とは?天照大神の使者として神武天皇を道案内!頭部が八咫=1m、てことは全長10m?の八咫烏を分かりやすく解説!!!
目次
八咫烏(ヤタガラス)とは?
まずは、八咫烏とは?という、根本のところをサラッと解説。
八咫烏とは、日本の建国神話「神武東征神話」で活躍したカラス。天照大神の使者として派遣され、熊野の山で迷った神武天皇一行の道案内をします。
『日本書紀』原文では「頭八咫烏」。「頭」の字は、頭部であることを示すためのものなので、読みません。なので、本エントリでは「八咫烏」と表記。
で、八咫烏の「咫」は約16cm。八咫で、約1mほど。「八咫烏」とは、頭部だけで八咫、つまり1mほどある巨大なカラスってことです。頭部で1mってことは、全長あるいは翼開長10mくらいはあったと推測されて。。かなりデカい。
ちなみに、、『古事記』では「八咫烏」なので全体で八咫、約1m? ま、それなりの大きさか、、。
八咫烏が登場するのは、神武東征神話の中盤。紀伊半島の熊野、その険しい山で道に迷った神武天皇一行に対して、天照大神が救援の手を差し伸べるのですが、その時に使者として派遣されたのが八咫烏。道案内役として神武天皇一行を導き、熊野の山を越え、現在の奈良県宇陀に出てくるのです。
その後、八咫烏は神武天皇一行と行動し、兄磯城・弟磯城に対しては帰順勧告の使者として派遣されております。
また、建国を果たした神武天皇により、恩賞にもあずかっております。八咫烏の子孫は「葛野主殿県主部」であり、現在の京都市北部あたりで、「主殿」、つまり「殿守」として、宮中の清掃・燭火・薪炭などを司るようになります。。カラスは清掃係に任命されたようで、、、
八咫烏(ヤタガラス)の活躍を伝える神武東征神話
続けて、八咫烏が何に、どこに登場するのか?基本的なところをチェック。
八咫烏の活躍を伝えるのは、『日本書紀』と『古事記』。いずれも冒頭部分で日本神話を伝える日本最古の書物、歴史書です。神の時代からそのまま建国神話に流れ込むので、いろいろ神イベントが発生。
今回のエントリでは、日本の正史である『日本書紀』を中心にお届け。理由は、正史であること、多くの事蹟伝承が『日本書紀』をもとにしてること、『古事記』はかなり端折られてるためです。
『日本書紀』、具体的には『日本書紀』巻三をもとに八咫烏を深堀りすることで、八咫烏の全貌が見えてくることは間違いない!安心して読み進めてください。
ということで、八咫烏とはどんなカラスだったのか?以下2つのポイントをまとめます。
- 天照大神の使者!古代の伝説がベースになってる巨大なカラス
- 帰順勧告を行う使者として活躍!巨大なカラスががなりたてるデスメタル!?
尚、『日本書紀』巻三、「神武東征神話」の概要はコチラでまとめてますのでチェックされてください。
八咫烏(ヤタガラス)とは? 天照大神の使者!古代の伝説がベースになってる巨大なカラス
まずは、天照大神の使者として神武天皇一行を道案内する八咫烏からお届け。
マップは以下。
紀伊半島の熊野、その険しい山で道に迷った神武天皇一行に対して、天照大神が救援の手を差し伸べるのですが、その時に使者として派遣されたのが八咫烏。道案内役として神武天皇一行を導き、熊野の山を越え、現在の奈良県宇陀へ。
▲熊野上空から。険しい山々が続きます。こうした地理イメージをもっておくとロマンがさらに広がる。。
東征一行は中洲に向かおうとした。しかし、山中は険しく、進むべき道もなかった。進退窮まり、踏みわたるべきところも分からない。
そのような状況の時、ある夜、彦火火出見(神武天皇)は夢をみた。その中で、天照大神が現れ、「私が、今から八咫烏を遣わそう。それを道案内とするがよい。」と教えた。
果たして、八咫烏が空から飛んできて舞い降りた。彦火火出見は感嘆の声をあげ「この烏の飛来は、めでたい夢のとおりだ。なんと偉大なことよ、輝かしいことよ。我が皇祖の天照大神が、東征の大業を成し遂げようと助けてくれたのだ。」と言った。
そこで、臣下の大伴氏の遠祖「日臣命」が、久米部を率いて、大軍の将として、山を踏みわけ道を通しながら、烏の飛び行く先を尋ね、仰ぎ見ながら追っていった。そうしてついに、菟田の下県にたどり着いた。道を穿ちながら進んだので、その場所を名付けて菟田の穿邑という。(穿邑は、ここでは「うかちのむら」という。) (『日本書紀』巻三(神武紀)より一部抜粋)
ということで、
改めて、「八咫烏」について。「咫」は16cm。八咫で、約1mほど。「八咫烏」とは、頭部だけで八咫、つまり1mほど。頭が1mってことは、、全長あるいは翼開長10mくらいはあったと推測される巨大なカラス。
イメージして!全長10mもある巨大なカラスがバッサバッサと舞い降りてきた。。。スゴイ絵ですよね。。
ポイント2つ。
- 八咫烏の元ネタは「烏菟」の伝説から。天照大神が太陽神なので、太陽神の使者として頭八咫烏が飛来!
- 八咫烏の飛来により、神武天皇が東征の成功を確信。それまで個人レベルの決意だった「東征」に、天照大神による「お墨付き」を与える意味アリ!
1つ目。
①八咫烏の元ネタは「烏菟」の伝説から。天照大神が太陽神なので、太陽神の使者として頭八咫烏が飛来!
実は、八咫烏には元ネタあり。それが「金烏玉兎」。中国古代の伝説。「金烏」は太陽の別名、「玉兎」は月の別名で、要は、日と月。転じて、歳月のことをいいます。太陽の中に3本足のカラス(金烏)が住み、月の中にウサギ(玉兎)がいるとされてました。
月のウサギは、日々慣れ親しんでますよね。実は「月のウサギ」は、「太陽のカラス」とセットだったんです。
そもそも、「八咫烏」自体はこうした伝説がベースになっていて、それが、天照大神が太陽神なので、太陽神の使者として八咫烏が飛来した、という設定になってる。コレしっかりチェック。
次!
②八咫烏の飛来により、神武天皇が東征の成功を確信。それまで個人レベルの決意だった「東征」に、天照大神による「お墨付き」を与える意味アリ!
「しかし、山中は険しく、進むべき道もなかった。進退窮まり、踏みわたるべきところも分からない。」とあるように、神武一行、熊野の険しい山に阻まれてにっちもさっちもいかなくなっていた訳です。そこに天照大神の救援として道案内人たる八咫烏が飛来した、てこと。
天照大神の関与・救援、コレ、激しく重要で。
それまで個人レベルの決意だった「東征」に、天照大神による「お墨付き」を与える意味があるんです。一種のギャランティー。
天上における最高神であり、皇祖でもある天照大神が東征の成就を支援する。これほど大きな後ろ盾はありません。
かといって、ハンパな試練では天照大神も関与できない。誰もが納得、今、ここでヘルプ入らないでどーする天照??状態にならないとダメで。そのためには、人のチカラではどーにもならん絶体絶命の危機ってのを用意する必要があり、それが、今回の「山中進退窮まる」だった訳ですね。
神武天皇のいう、「東征の大業を成し遂げようと助けてくれたのだ」という言葉。夢に天照大神が訓えた内容を、八咫烏の飛来によって確信したってこと。神意の具体的あらわれによって確かめられた訳です。
神武天皇的には、大きな試練中の時だからこそ、助けてもらえることへの気持ち的なありがたさとか、確信を通じて強くなれるところだとか、、東征神話のなかでも、神武のマインド的な部分で大きな転換点として位置づけられる場面です。
尚、ここで活躍するのが臣下の道臣命。これはコレで、天孫降臨と掛け合わせた重要な意味を付与してるのでコチラ↓でチェック。
まとめます。
- 八咫烏の元ネタは「烏菟」の伝説から。天照大神が太陽神なので、太陽神の使者として八咫烏が飛来!
- 八咫烏の飛来により、神武天皇が東征の成功を確信。それまで個人レベルの決意だった「東征」に、天照大神による「お墨付き」を与える意味アリ!
以上2点、しっかりチェックです。
ちなみに、、、『古事記』では同じシーンを以下のように伝えてます。
高木大神の命をもって、覺して、「天つ神御子、此より奧の方に入らないでください。荒ぶる神が、非常に多い。今、天より八咫烏を遣そうと思う。其の八咫烏が、引道てくれるでしょう。其の烏の飛び行く後から行幸するのがよいでしょう。」と申し上げた。
故に、其の教覺った通りに、其の八咫烏が後からいらっしゃると、 ~中略~ 其地より蹈穿て、宇陀に越ていらっしゃった。ゆえに、宇陀の穿と曰ふ。 (『古事記』中巻より一部抜粋)
ということで、
『日本書紀』との違いは2点。
- 熊野の位置づけ:『日本書紀』は険しい山、『古事記』は荒ぶる神が棲む危険な場所
- 八咫烏を派遣した主:『日本書紀』は天照大神、『古事記』は高木大神、つまり高御産巣日神
特に、八咫烏を派遣した主が高木大神、つまり高御産巣日神になってるのがポイントで。これは、日本神話的には、高御産巣日神は天照大神と同じ天祖的天神として位置づけられてるから。詳しくはコチラ↓をチェック。
共通点は、道案内役として登場してる、案内して宇陀に出てきた、ってところですね。
八咫烏(ヤタガラス)とは? 帰順勧告を行う使者として活躍!巨大なカラスががなりたてるデスメタル!?
続けて、我らが八咫烏が活躍するシーン、その2。帰順勧告を行う使者としてがなり立てるの巻。
神武東征神話後半、大和入りを果たすにあたっての最初の敵「磯城彦」を攻撃するシーン。「磯城彦」は、実は兄弟で、兄磯城と弟磯城。この両名に対して、神武天皇は我らが八咫烏を使者として派遣する訳です。
11月7日に、東征軍は大挙して「磯城彦」を攻撃しようとした。
先ず、使者を派遣して「兄磯城」を召したが、兄磯城はその命に従わなかった。そこで、今度は八咫烏を派遣して召した。烏は兄磯城の軍営に到り鳴き声をあげ、「天神子が、お前を召されている。さあ、さあ(招きに応じよ)」と言った。兄磯城はこれを聞いて激怒し、「天圧神がやって来たと聞き、今まさに憤慨している時に、どうして烏めがこんなに嫌なことを鳴くのか。」と言い、弓を引きしぼって烏めがけて射ると、烏はすぐさま逃げ去った。
次に、八咫烏は「弟磯城」の家にやってきて鳴き声をあげて、「天神子が、お前を召されている。さあ、さあ。」と言った。この時、弟磯城は恐れ畏まって居ずまいを正し、「臣である私は、天圧神がやってこられたと聞き、朝に晩に大変かしこまっておりました。まったく素晴らしいことです、烏よ。あなたがこんな風に鳴いてくれたのは。」と言い、さっそく葉盤八枚を作って食べ物を盛り、烏をもてなした。
そして、烏のあとに従って彦火火出見(神武天皇)のもとに参上し、「私の兄の兄磯城が、天神子がいらっしゃったと聞き、八十梟帥を集めて武器を準備し、決戦を挑もうとしております。早急に手だてを講じなさいませ。」と言った。 (『日本書紀』巻三(神武紀)より一部抜粋)
ということで、
「先ず、使者を派遣して「兄磯城」を召したが、兄磯城はその命に従わなかった。そこで、今度は八咫烏を派遣して召した。」とあるように、フツーに使者を派遣しても言うことを聞かない兄磯城に対して、それならと、巨大なカラスを派遣した訳です。
「烏は兄磯城の軍営に到り鳴き声をあげ、「天神子が、お前を召されている。さあ、さあ(招きに応じよ)」と言った。」と、、兄磯城的には、、デカいなオマ、、、てかカラスなのに しゃべるんかーい!
推定、頭部約1m、翼開長約10mのカラスが「軍営に到り鳴き声をあげ」って、相当なデスメタル。。
ポイント1つ。「天神子が、お前を召されている。」とありますが、この「天神子」が超重要。
「天神子」は天照大神直系の子孫(皇孫)にしか用いない特別な言葉なんです。
コレって、つまり、、、
八咫烏は分かってる、わきまえてる
ってことで。。「天神子」という言葉を知ってること、それをきちんと使えることから、相当な知的レベルであることが伺えます。
それに対して、、
兄の兄磯城は、「弓を引きしぼって烏めがけて射る」というとんでもない不敬を働く訳ですが、一方の弟磯城は恭順。「弟磯城は恐れ畏まって居ずまいを正し、」「朝に晩に大変かしこまっておりました。」「さっそく葉盤八枚を作って食べ物を盛り、烏をもてなした」とあり、非常に空気の読める弟です。だって「天神子」が来てるんだから、、兄と弟の対比構造、コントラストが効いた描写になってます。
まとめます。
- フツーの使者ではいうこと聞かない敵に対して、言うこと聞かせるために派遣されるとっておきの飛び道具、それが八咫烏。
- 「天神子」という言葉を知ってること、それをきちんと使えることから、知的レベルが一定程度ある八咫烏。
以上2点、しっかりチェック。
ちなみに、、、『古事記』でも同じ敵方への帰順勧告役として登場するのですが、敵が、宇陀の兄宇迦斯になってます。
爾に、宇陀に兄宇迦斯・弟宇迦斯の二人がいた。故に、先八咫烏を遣して、二人に問うて、「今、天つ神御子がいらっしゃった。汝等は仕へ申し上げるか。」と言ったき。是に、兄宇迦斯、鳴鏑をもって其の使を待ち射て追い返した。 (『古事記』中巻より一部抜粋)
ということで、
ここでも、『日本書紀』でいう「天神子」という言葉が「天つ神御子」として使われてますよね。
八咫烏のその後、、、
神武東征において多大なる功績をあげた我らが八咫烏。建国の翌年、神武天皇より直々に褒賞をいただいておられます。
また、八腿烏も褒賞にあずかった。その子孫は葛野主殿県主部である。(『日本書紀』巻三(神武紀)より一部抜粋)
ということで、
「八腿烏も褒賞にあずかった。その子孫は葛野主殿県主部である。」とあり、なんと巨大なカラスにも恩賞が、、、
「葛野」は、京都府葛野郡(京都市北区の一部、右京区・西京区含む)と愛宕郡(京都市左京区・東山区・北区を含む)の地域。「主殿」は「殿守」のことで、宮中の清掃・燭火・薪炭などを司ります。カラスは清掃係に任命されたようです。。おめでとう。。よかったね。
一方で、地元伝承として、、奈良県宇陀市榛原にある八咫烏神社の伝承では、ご祭神の「建角身命」が「八咫烏大神」、つまり「八咫烏の化身」とされてます。「建角身命」は賀茂氏の祖。八咫烏さんは軍神として崇拝されていたようです。
さらにさらに、、、現代??
サッカー協会が、1931年(昭和6年)に、協会のマークとして八咫烏を選定。一気にメインストリームに躍り出る八咫烏さん。
神話とは関係ありませんが、、、日本にサッカーを広めた中村覚之助さんという方がいまして、、ご出身は和歌山県那智町(現那智勝浦町)。1902年(明治35年)に、東京師範学校4年生の時、フットボール部を創設されたそうで、これが日本サッカーの始まりとされてる次第。この中村さんにあやかって、日本サッカー協会が設定したのが、出身地である和歌山県、熊野、からの八咫烏だったという訳。いやー、ホントによかったよかった。。
八咫烏(ヤタガラス)まとめ
八咫烏とは?
『日本書紀』巻三をもとに八咫烏をディープに解説してきましたが、いかがでしたでしょうか?
改めて、ポイントを列挙すると以下の通り。
- 八咫烏の元ネタは「烏菟」の伝説から。天照大神が太陽神なので、太陽神の使者として八咫烏が飛来!
- 八咫烏の飛来により、神武天皇が東征の成功を確信。それまで個人レベルの決意だった「東征」に、天照大神による「お墨付き」を与える意味アリ!
- フツーの使者ではいうこと聞かない敵に対して、言うこと聞かせるために派遣されるとっておきの飛び道具、それが八咫烏。
- 「天神子」という言葉を知ってること、それをきちんと使えることから、知的レベルが一定程度あるらしい八咫烏。
ということで、
たしかにこう見てくると、なかなかスゴイ烏であります。褒賞にあずかったのも納得の働きっぷりであります。
八咫烏が登場する日本神話はコチラ!
八咫烏をお祭りする神社はコチラ!
●熊野那智大社:先導の役目を終えた八咫烏は熊野の地へ戻り、現在は石に姿を変えて休んでいる??(社伝曰はく!)
●八咫烏神社:いやいや、八咫烏はコチラでお祀りしております
コチラも是非!日本神話の流れに沿って分かりやすくまとめてます!
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参考文献:『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)、他
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