伊奘諾尊の禊|死の汚穢を水で清める?伊奘諾尊の祓禊はめっちゃ特殊事例だった件

 

豊かで奥ゆかしい日本神話の世界へようこそ!

『日本書紀』をもとに
日本神話を分かりやすく読み解き中ですが、

メイン解説からのスピンオフ
今回は、本解説から更に突っ込んだ内容をお届けです。

題して
「死の汚穢を水によって清める伊奘諾尊の祓禊。その出所について考える。」

日本神話の中でも、特に有名なシーン。

伊奘諾尊の禊。

「禊祓」といえば、日本独自のしきたり、といったイメージがあるかもしれません。

日本の自然信仰に根ざす独自の考え方、日本人らしい儀礼、、、云々

でも、、、

実は、その起源をたどっていくと、イメージを覆す意外な事情が見えてきます。

死の穢れを水で清める、という概念、その儀式
実は国内には類例がなく、めっちゃ特殊事例だったりするんです。

今回は、そんなマジか?なアレコレを徹底的にお届け致します。

 

伊奘諾尊の禊|死の汚穢を水で清める?伊奘諾尊の祓禊はめっちゃ特殊事例だった件

伊奘諾尊の祓禊

伊奘諾尊の祓禊。

その出所は、『日本書紀』神代上 第五段〔一書6〕。

で、

本エントリでは、これを文献学に基づいてお届け致します。

文献学とは、文献をもとに事実ベースで解釈を組み上げていく学問で。

『日本書紀』に伝える日本神話、

その解釈にあたって、

書紀や古事記はもちろん、同時代に編纂された書物、さらに海外から輸入されていた漢籍など、上代と呼ばれる時代に流通していた様々な文献を掘り起こしていきます。

神話で使用されている言葉が、

  • どのような意味をもっているのか?
  • どのような文脈で使われていたのか?
  • 当時の、どのような文化背景、価値観から出てきたのか?

こんな問いをもとに、丹念に文献や用例を探り、解釈を組み上げていくのです。

コレ、何でかというと、

勝手な解釈をしないため。神話をねじ曲げないため。

神話に伝える内容だけで解釈しようとすると、
何でもオッケーになってしまう。勝手な解釈が成立してしまう。

例えば、八岐大蛇、これ、斐伊川の氾濫といった説があるのですが、
ほんとか?って事。それっぽいんだけど、根拠が無い。典型的な勝手解釈事例です。

で、

解釈根拠を提示しようとしたら、
編纂当時存在していたであろう他の文献をあたるしかない。考古学も民族学も宗教学も一部のヒントとはなりますが、神話全般にわたっての解釈を組み上げるには不十分なんす。

ということで、

今回ご紹介する、

死の汚穢を水によって清める伊奘諾尊の祓禊

も、

こうした哲学や理念、そして膨大な学術的積み重ねの上でのお届け。

その上で、その出所について考えてみよう、というお話です。

 

「伊奘諾尊の祓禊」を国内文献で用例を探る

そんな「伊奘諾尊の祓禊」。

まず、
国内の文献をもとに他の類例がないか確認。代表的なところでは、『古事記』や『万葉集』といった書物。

死の汚穢を水によって清める禊祓
死の穢れ、水で清める、といったキーワード。

で、

結論から言うと、、、、

該当用例無し!

という意外な結論。。。

水と禊がセットで登場する事例はあるんですが、
死の穢れを水で清める、というのが無い。

しかも、

国内の他の用例が示す「禊ぎ」は、
これから発生するであろう否定的事態、
ネガティブな未来を回避するための方法として位置づけられてる。

以下、まずは『万葉集』から。代表的なのを2つご紹介。

挽歌「石田王卒之時、丹生王作歌」(3・四二〇)

→「(前略)久かたの天の川原に、出で立ちて潔身てましを、高山の巌の上にいませつるかも」

と、天の川原での禊ぎを。

「(神亀)四年丁卯春正月、勅諸王諸臣子等、散禁於授刀寮時作歌」(6・九四八)

→「(前略)千鳥鳴くその佐保川はらへみそおほきみみことに、岩に生ふる菅の根取りて、しのふ草解除てましを、徃く水に潔ぎてましを、天皇の御命恐み、ももしきの大宮人の、玉桙の道にも出でず、恋ふるこのころ」

と、こちらも水を使用しての禊。

いずれも、

反実仮想の表現例で、
否定的事態を禊ぎによって回避する内容。

これ、結構重要で、
『万葉集』、というか、『日本書紀』編纂当時の価値観としては、

禊祓とは、
身に付いた穢れを除去するため、つまり、過去のネガティブ除去ではなく、
否定的事態の回避手段、つまり、未来のネガティブ除去として行われてたってことなんす。

向かってる意識の方向性が逆

過去ではなく、未来に対して禊祓う意識

オモロー!

てことはつまり、
『日本書紀』第五段〔一書6〕で伝える、
伊奘諾尊の、水の禊ぎによって死の穢れを落とす、
という儀式、その行為というのは「特殊な事例」だった可能性が高いってこと。

まずコレチェック。

他にも見てみます。

『古事記』の場合。

用例を辿ると、、、ありました。

履中天皇条からご紹介。

唆しに乗って主君を殺した隼人の曽婆加理を、水歯別命が斬殺。

この水歯別命をめぐる履中天皇条の一節

爾取出置席下之剣、斬其隼人之頸、乃明日上幸。

故号其地謂近飛鳥也。上到于倭、詔之「今日留此間、為祓禊而明日参出、将拝神宮。」

と。

で、この「祓禊」、
隼人を斬殺した穢れを清めるものとみるのが通例なんですが、。。

でも、
それを行うのは、

隼人を斬殺した当日でも翌日でもなく、石上神宮に参拝する前日。

惨殺した穢れを清める割には結構のんびりしてるよね。

あの伊奘諾尊でさえ、黄泉から帰還してすぐに禊祓をしてるわけで。

てか、

穢れと清めは関係ないくらいの時間的ギャップがありますよね。

どちらかというと、

神宮参拝ということで、
これから神に近づくにあたって、その前に行っておくべきTODOみたいな位置づけ。

てことは、
ここでもやはり、禊祓は未来に対しての意識ですよね。

ま、
殺っちまったんで身を清める必要は感じなくもないけど、

だからといって、
祓禊を「そのためだけに行った」とみるのは短絡すぎ。

ちなみに、
神社参拝前のお清め、
という話であれば、コレはこれで他にも類例あり。

天武天皇二年四月条

「欲遣侍大来皇女于天照太神宮而令居泊瀬斎宮。是先潔身、稍近神之所也。」

と。

こちらも、
神に近づくために欠かせない事前準備、前提行為として
「潔身」という儀礼を伝えています。意識は未来に向いてます。

と、いうことで、実は、

国内の主要な文献を探っても
「伊奘諾尊の禊祓い」の類例として該当するものが見当たらない、、、というのが実際のところ。そんな実情がご理解いただけたかと思います。

意外じゃないですか?

禊祓の文化は古来から続くものと思いきや、、、

なんなら伊奘諾尊の禊祓こそが原初の事例かと思いきや、、、

「死穢を水により清める」については、他に類例を見出せない、、、めっちゃ特殊事例だってこと。このレアな位置づけチェック。

尚、

当時の祭祀界隈の実態、

特に、「ケガレ」「ミソキ」「ハラヘ」については、

西宮一民氏『上代祭祀と言語』(平成二年十月。桜楓社)を是非ご参考にされてください。

かなり詳細に論を展開してますが、
やはり、死の穢れを水で清める関連の類例は、存在確認できなかった事情が述べられております。

 

「伊奘諾尊の祓禊」を国外文献で用例を探る

国内文献に用例がない、ということで漢籍はどうなのか?

で、探してみると、

実は、、、、

あった。。。

それが

三月上巳の禊祓の起源説話。

『荊楚歳時記』から2例ご紹介。

『荊楚歳時記』とは、中国南方の荊楚地方(長江中流域)の年中行事を記した月令の一種。梁の「宗懍(そうりん)」によって書かれ、隋の「杜公瞻(とこうせん)」によって注釈が加えられた書物です。

で、その、三月三日の注文(隋、杜公膽)に

  • 徐肇さん
  • 郭虞さん

のお話があり、ここに

死の穢れを水で祓う内容あり。

超ざっくりダイジェストすると、

  • 徐肇さん
  • 郭虞さん

共に三女が生まれたのですが、三人ともすぐに死んでしまいます。で、この連続死を忌み、水辺に行って災を消去する、といった話

本文は

守屋美都雄氏『中國古歳時記の研究―資料復元を中心として―』(昭和三十八年三月。帝国書院)により、併せて同氏訳注他二名補訂『荊楚歳時記』(東洋文庫三二四。昭和五十三年二月。平凡社)を参照。

まずは、

徐肇さんのお話。

(続斉諧記)漢章帝時、平源徐肇、以三月初生三女、三日倶亡、一村以為怪、乃相与携酒 至東流水辺、洗滌去災。

(中略)周処呉徽注呉地記、則又引郭虞三女、並以元巳日死、故臨水 以消災。

(中略)孔子暮春浴乎沂、則水浜禊祓、由来遠矣。

と。

続けて、

郭虞さんのお話。

後漢書(志第四、礼儀上)の

「是月上巳、官民皆潔於東流水上、曰(自)洗濯祓除、去宿垢、為大潔。」

の注(梁、劉昭)所引の郭虞の伝承には

「後漢有郭虞者、三月上 巳産二女。二日中並不育。俗以為大忌。至此日 諱止家、皆於東流水上 為祈禳、自潔濯。謂之禊祠。」

とあります。

これら2つの例は、
表現の詳細には若干違いがあるんですが、
内容の大筋はほぼ共通。死の穢れを水で祓う。

つまり、

祓う対象は過去において発生し身に帯びてしまった穢れで、
この枠組みは伊奘諾尊の禊祓と同じですよね。

で、

このお話、
実は、『芸文類聚』や『初学記』、『太平御覧』などの類書にも一方または両方をつたえてたりします。

こうした事情、実は結構重要で、
ということはつまり、

当時の中国古典界隈では
この三月上巳、またはその日にちなむ禊祓や曲水に関連して
徐肇や郭虞をめぐる故事は、よく知られてた、ってこと。

だからこそ、

日本神話編纂チームが使った可能性が出てくるわけで。

実際、

共通の枠組であること。
少なくとも、「死」「災い」「穢れ」「水辺」「流す」といったキーワードは共通してる。
禊の対象も過去のことに対して、ということで共通してる。

むしろ、

「三月上巳」の説話をもとに、
黄泉と組み合わせ、生と死をテーマとして導入し、男と女の別離やら何やら
様々なテーマをごちゃっとサラダボウルにしつつ一つの物語として構成したのが黄泉往来譚よみおうらいたんであり伊奘諾尊の禊祓の実態なんじゃないか、

むしろ、現代の私たちが学ぶべきは、その古代日本人が持っていた構想力なんじゃないか、

そう思うわけです。

伝えたいことがあって、そのために、さまざまな知識を総動員して組み合わせて新しい世界観として創り上げる力。

日本人の持つスゴさ、その神髄がここにあるんじゃないかと思います。

ていう結論。

 

まとめ

メインの解説シリーズからのスピンオフ

死の汚穢を水によって清める伊奘諾尊の祓禊。その出所について考える。

いかがでしたでしょうか?

日本神話の中でも、特に有名なシーン。

伊奘諾尊の禊。

禊といえば、日本独自のしきたり、といったイメージがあるかもしれません。

日本の自然信仰に根ざす独自の考え方、日本人らしい儀礼

でも、実は、その起源をたどると、意外にも違うぞっていうのが実際のところで。

日本的な禊の概念は、

否定的事態の回避手段として位置づけられていた。

または、神に近づくために欠かせない事前準備、前提行為としてあった。

これらはいずれも未来に対する意識であること

まずこの点をチェックです。

また、

日本神話で伝えてる

黄泉の穢れを水で清める説話は、

むしろ、めっちゃ特殊なお話で。このレアな位置づけもチェック。

ベースとなるのは漢籍で、

そこから見えてくるのは、古代日本人の創意工夫のスゴさ。構想力だと思います。

 

参考文献

『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)



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参考文献:『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)他
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