正史『日本書紀』をもとに、
最新の文献学的学術成果も取り入れながら、どこよりも分かりやすい解説をお届けします。
今回からは、
「神武東征神話」。
『日本書紀』巻第三、「神武紀」と呼ばれる巻から、シリーズ形式で詳しく解説。
『日本書紀』巻第三では、一巻まるごと使って「神武天皇」による日本の建国譚を伝えてます。
日本の建国神話であり、
日本最古の英雄譚でもある。
単に歴史書としてだけでなく、めっちゃドラマ性あふれる構成になっていて、物語としても充分楽しめる。
多大な試練と苦難を経ての日本建国。一人の英雄がビジョンを実現していく、そのプロセスをたっぷり堪能あれ。
現代の私たちにも多くの学びをもらえる内容。日本神話から学ぶ。日本の神髄が、日本の心がココにあります。
- 日本神話研究の第一人者である榎本先生監修。確かな学術成果に基づく記事です
- 日本神話全体の流れや構造を解き明かしながら解説。他には無い分かりやすい記事です
- 現代語訳のほか原文も掲載。日本神話編纂当時の雰囲気を感じてもらえます
- 登場する神様や重要ワードへのリンク付き。より深く知りたい方にもオススメです
神武天皇の家系図|天照大神の第五世代直系子孫であり高皇産霊神・山神・海神の子孫でもある件
目次
神武天皇の家系図を伝える『日本書紀』巻三「神武紀」
日本神話.comでは、「天地開闢から橿原即位まで」を「日本神話」として位置づけてます。当サイトとしては、政治性とか宗教性とかは排除し、純粋に「神話という物語を楽しむスタンス」でお届け。
で、
これからご紹介していく「神武東征神話」は『日本書紀』の巻三で伝えます。全30巻ある『日本書紀』の三巻目。一般的に「神武紀」と呼ばれる伝承。
東征神話全体のまとめ、目次はコチラ↓で
日本神話全体における「神武紀」の位置付けとしては、
- 「継起性の世界」から「時間の世界」への大転換が発生する
- 神から人へ、時間の導入を通じてブリッジをかける役割を果たしている
ってことで、実は、日本神話を締めくくる上でもめっちゃ重要な伝承なんです。
コレまでの『日本書紀』巻一・二は神代、最大の特徴は継起性で世界が展開し、様々な異伝を併載することで多様な神話世界を構築してました。なお「継起性」とは、物事が次々と起こること、相次いで現れること。コレがあって、アレがあって、こうなって、、と言った形で展開していく。ココには「いつ」といった時間概念は存在しません。
それを承けての『日本書紀』巻三「神武紀」。コレまでと決定的に違うのは、
- 時間の概念が導入されること
- 物語が1本になること
特に、時間については重要で、神代であった異伝が無くなり伝承として一本化されるのも時間導入の影響によるもの。具体的には、神武紀以降、編年体(出来事を年代順に書かれたもの)での記載が開始されます。
まとめると、
- 神話の時代=継起展開
- 歴史の時代=時間展開
てことで、神代から神武紀へは「継起性の世界」から「時間の世界」への大転換が発生するってことまずチェック。
さらに、「神武紀」の最後は橿原即位であり、以降は人の時代が続いていく。その意味で、神から人へ、時間概念の導入を通じてブリッジをかける役割を果たしているとも言えて。日本神話を締めくくって人の時代へ。
しかも、内容としては、
日本の建国神話であり日本最古の英雄譚
これを知らずして日本も神話も語れない!m9( ゚Д゚) メーン!
てことで、今回は、その冒頭から、
神武天皇の家系図
について、生い立ちも含めて解説します。
神武天皇の家系図、生い立ち『日本書紀』巻三「神武紀」のポイント
神武紀は、神武の生い立ちからスタート。
正式名、天皇として即位してからの名称は「神日本磐余彦天皇」。
なんだが、
もともとの名前は「彦火火出見」。天照大神からみて「第五世代の子孫」。
天照→おしほみみ①→ににぎ②→ほほでみ(やまさち)③→ふきあえず④→ほほでみ(神武)⑤、の順。現代では、5番目の孫を「来孫」と呼びますが、コレに相当する訳です。
家系図詳細は、コチラ。
す、スゴイ家系図、、、
神武天皇の家系図をたどると、神武天皇が、天照大神の直系子孫であり、高皇産霊神、山神、海神の子孫でもある!
ってことが分かります。すごくない?コレ、、、この意味は後ほど詳しく解説。
ということで、
以下さっそくお届け。訳出にあたっては、なるべく原文の意味を損なわないように配慮しました。一方で、読みやすさや分かりやすさも重視したつもりです。是非ご参考にされてください。
神武天皇の家系図、生い立ち『日本書紀』巻三「神武紀」
神日本磐余彦天皇は「彦火火出見」を諱とし[1]、彦波激武鸕鷀草葺不合尊の4番目の子である。母は玉依姫で海神の娘である。
彦火火出見は生まれついて聡明で、何事にも屈しない強い心を持っていた。十五歳で皇太子となり、さらに長じて、日向国の吾田邑の吾平津媛を娶って妃とし、手研耳命を生んだ[2]。
注釈
[1] 「諱」とは、生前の名前であり、崩御後はその名を忌むため使われます。
[2] 男が生んだ、という設定。古代における系譜の形式によるもの。神日本磐余彥天皇、諱彥火火出見、彥波瀲武鸕鷀草葺不合尊第四子也。母曰玉依姬、海童之少女也。天皇生而明達、意礭如也、年十五立爲太子。長而娶日向國吾田邑吾平津媛、爲妃、生手硏耳命。 (『日本書紀』巻三 神武紀より)※原文中の「天皇」という言葉は、即位前であるため、生前の名前であり東征の権威付けを狙った名前「彦火火出見」に変換。
▲橿原神宮で公開中の「神武天皇御一代記御絵巻」から。
神武天皇の家系図、生い立ち解説
神武紀の冒頭「神武天皇の家系図、生い立ち」で設定されてる内容は、非常に重要な意味が込められてます。
「なんでそんな設定になってるのか?」を考えていくことは、古代神話のロマンとあわさってスゴい魅力的ですよね。
以下、本文をもとにポイントをチェック。
まとめ
神武天皇の家系図
「神武東征神話」から、冒頭部分、神武天皇の家系図について解説してきましたが、いかがでしたでしょうか?
今回ご紹介したのは、一部なのですが、深堀りすると、いろいろなオモシロ設定があって、しかもそれが神の時代からつながってたりして、非常に奥ゆかしい神話になってることが分かります。
神武の家系図で押さえておきたいポイントは2点。
- 神武はもともと「彦火火出見」という名で、コレは「瓊瓊杵尊」の子であった「彦火火出見尊(山幸彦)」と同じ名前。こうすることで、自らを「瓊瓊杵の子」として位置づけた。
- 神武天皇は、天照大神の直系子孫であり、高皇産霊神、山神、海神の子孫でもある!
ってこと。このヤバさ、スゴさをしっかりチェック。
いずれも、地上の支配者としての神の力と正統性を体現する。まさに東征の主人公としてふさわしい出自設定。
そして、こうした生い立ちの設定が、東征神話の重要イベントにつながっていく、または、神話展開を支える根拠になっていく。コレも、しっかりチェック。
ちなみに、、
冒頭、「神日本磐余彦天皇」から始まるようになってますが、これも、最初はなんだか良く分からなかった「神日本磐余彦天皇」という名の意味が、神武紀を読み進め、その建国プロセスやドラマを理解することで、最後に腹落ちするような仕掛けになってる。
神武紀の最後に行って、もう一度最初に戻った時に、あ~、なるほどな~(、、、深々と噛みしめながら「神日本磐余彦天皇」を理解する)ってなる。ほんと良くできてます。こちらも合わせてチェックされてください。
本シリーズは、こんな感じで、しっかりとした学術成果をもとに「日本神話がオモシロい!」をお届けしてまいります。最後までお読みいただきありがとうございました。
つづきはコチラで!東征発議!さー出発だ!
神武東征神話のまとめ、目次はコチラ!
神話をもって旅に出よう!
神武東征神話のもう一つの楽しみ方、それが伝承地を巡る旅です。以下いくつかご紹介!
● 四皇子峰 神武天皇4兄弟が誕生したとされる地
『日本書紀』第十一段〔一書1〕からの系統か、、高千穂系
●皇子原神社 神武天皇が誕生したとされる地
神社後背の「産婆石」の付近で誕生したという伝承あり。神武の母「玉依姫」が神武天皇を出産した産屋跡とも伝わってます。
●狭野神社 皇子原神社を元宮とする神社
御祭神:神日本磐余彦天皇(神武天皇)を主祭神、吾平津姫命・天津彦火瓊瓊杵尊・木花開耶姫命・彦火々出見尊・豊玉姫尊・鸕鶿草葺不合尊・玉依姫命を配祀。
社名は神武天皇の幼名「狭野尊」にちなみます。コレ『日本書紀』第十一段〔一書1〕から。
●御池「皇子港」 神武天皇が幼少期に水辺で遊んでいたと伝わる地。
●皇宮神社 神武天皇が15歳より宮を営んでいたとされる地。
御祭神:神日本磐余彦天皇・手耳研命・吾平津姫命・渟名川耳命。宮崎の宮の皇居跡とされてます。
佛教大学名誉教授 日本神話協会理事長 榎本福寿
埼玉県生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程国語学国文学(S53)。佛教大学助教授(S58)。中華人民共和国西安外国語学院(現西安外国語大学)文教専家(H1)。佛教大学教授(H6)。中華人民共和国北京大学高級訪問学者(H13)。東京大学大学院総合文化研究科私学研修員(H21)。主な書籍に『古代神話の文献学 神代を中心とした記紀の成りたち及び相関を読む』がある。『日本書紀』『古事記』を中心に上代文学における文献学的研究成果多数。
参考文献:『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)
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日本神話編纂の現場!奈良にカマン!





























→神武天皇は、実は4人兄弟の末っ子として誕生。
ポイント6つ。いきなりですが、大事なので、、
①「神日本磐余彦天皇」は後の事績伝承にちなむ名称。
「神日本磐余彦天皇」を分解すると「神」+「日本」+「磐余彥」+「天皇」。
中核の名前は「磐余彥」。コレ、東征神話後半、大和の磐余という場所で、あふれるほどの敵軍を撃破したことにちなむ名前で。撃破したオレスゲー。
確かに、
「磐余」では敵軍、めっちゃいっぱいいたっけな。。。それを蹴散らしたんだもんな。。そうした事蹟=成し遂げた業績にちなんだ名前をつけることで権威付けを狙ってるんです。
その他のところでチェックしておきたいのは「日本」。
コレ、日本建国したんで「日本」って冠しときましたってこと以上に、神代からの経緯をふまえた重要ワードだったりします。段階としては2つあって、、
まずは、遡ること神代。国生みで伊奘諾尊・伊奘冉尊の二神が生んだ「大八洲国」、その最初は「大日本豊秋津洲(日本、日本では耶麻騰という。以下すべてこれにならえ)」でした。さらに注を施して「日本」を「やまと」と読めと。
つまり、
「日本」という言葉の初出+「やまと」と読ませるのは、神代・国生みで設定されてた訳です。これが第一段階。
さらに、第二段階として、神武的にこれを再解釈し、伊奘諾尊が名付け予祝した「日本」ということにしてるんです。
コレ、東征神話最終、神武天皇が国中を巡幸するシーンがあるのですが、ここで「昔、伊奘諾尊がこの国を名付けて、「日本は浦安の国、細戈の千足る国、磯輪上の秀真国」と仰せられた。」としています。
なので、
意味合いとしては、日本の国土たる「大八洲国」を創った偉大なる伊奘諾尊が名付け、浦安の国~と予祝した「日本」という名前を冠してるのだぞ、ってことで、神話的文脈からしても結構重要ワードなんす。
ちなみに、伊奘冉尊が省かれてる理由は2つあって、天照大神を生み高天原統治を勅任したのが伊奘諾尊であること+伊奘冉は黄泉=死を司る位置付けになってるから。やはり、天照大神を直系先祖として位置づける神武としては、伊奘諾を軸に神話を再構成する必要があったんじゃないかと考えられる訳です。
以上まとめると、「神日本磐余彦天皇」の意味としては、
ということで、、。冒頭からムッキムキのマッチョであります。
そして!
②生前の名前は「彦火火出見」。祖父と同じにすることで権威付けや正統性を狙った
「「彦火火出見」を諱とし」とあります。「諱」とは、生前の名前であり、崩御後はその名を忌むため使われます。
つまり、神武天皇は、生前は、あるいはもともとは「彦火火出見」という名前。「彦」は男に対する美称なので、実際は「火火出見」。
それを踏まえ、改めて神武天皇の家系図を確認。
で、ココで注目して欲しいのは「彦火火出見」という名前。これって、2つありますよね。神武を基準に考えると、祖父「山幸彦」の名前「彦火火出見尊」と同じになってる。。
これ、どういうことかというと、神武は、「瓊瓊杵尊」の子であった「彦火火出見尊(山幸彦)」と同じ名前をつけることで、自らを「瓊瓊杵の子」として位置づけようとした、って事なんです。
瓊瓊杵の子として、自らを位置づけようとした。。。
、、って、なんで?
それがめっちゃ重要なポイントで。
つまり、神武にとって「瓊瓊杵尊」はめちゃめっちゃ重要な神であったということ。
その重要さは、
瓊瓊杵尊が天孫降臨した経緯
に遡ります。少し掘り下げます。
『日本書紀』巻二 第九段 一書第1から重要部分を引用。天孫として降臨する瓊瓊杵尊に対して、天照大神が神勅を下す場面。
と。有名な「天壌無窮の神勅」と呼ばれる箇所ですね。
ココでのポイントは、
の3つ。
つまり、
瓊瓊杵尊は、天照大神より直々に、葦原中国の統治者として任命された
ってことで。コレ、めちゃくちゃ重要なポイントであります。
で、実際に降臨し、西偏の地ではありましたが統治を行い、山の神の娘と結婚し子供をつくった、、いわば、地上世界に初めて足場をつくった、土台をつくった、それが「瓊瓊杵尊」で。
本シリーズ第二回目「東征発議」にお伝えしますが、だからこそ、神武は「瓊瓊杵尊」を「我天祖」として位置づける。
スゴイよね、この瓊瓊杵リスペクト。
神武にとっての理想が瓊瓊杵であり、その瓊瓊杵に「直接つながる形」をつくりたかった。それが、瓊瓊杵の子である「山幸彦」の名「彦火火出見」だった、という訳です。
言い方を変えると、「彦火火出見」という名は、東征や橿原即位(建国)の正当化と権威づけを狙った名前とも言えて。相当考えられてる。ま、誰も成しえなかったことをやろうとする訳で。相応の理由とか根拠を持っとかないと。周りも動かへんしなー。
さらに!
③東征の主人公としてふさわしい出自!父系・母系いずれも辿っていくとモノスゴイ
瓊瓊杵リスペクトもさることながら、そもそも論、神武天皇の家系図が本当にヤバい。。。天照大神から始まり、高皇産霊神、山の神、海の神、はては三輪山の神まで登場。。。(;゚д゚)ゴクリ…
神武天皇の家系図をたどると、、
神武天皇が、天照大神の直系子孫であり、高皇産霊神、山神、海神の子孫でもある!
てことが分かる。
父系を辿っていくと天照大神につながり、母系を辿っていくと高皇産霊神や山の神、海の神につながっていく、、、どんなロイヤルファミリーやねん、、、って、この意味はつまり、
天照大神の末裔にして、高皇産霊神のほか、山と海、双方の支配神の血を引き継ぎ、地上の支配者としての力と正統性とを体現する、まさに東征の主人公としてふさわしい出自(;゚д゚)ゴクリゴクリ…、、ってことで。これ、しっかりチェック。
さらにさらに!
④「天照大神の子孫」という設定は、東征神話中盤以降で重要な意味を持つようになる
天照大神から見ると第5世代子孫(来孫)にあたる神武。で、この「天照大神の子孫」という設定は、東征神話中盤以降で、めっちゃ重要な意味を持つようになります。
など、神武東征神話の展開を大きく左右するイベントの発生理由が、この「生い立ち」に隠されてる。コレもしっかりチェック。
詳細コチラ↓
最後!
⑤忘れちゃいけない「高皇産霊神」。神武的には高皇産霊神も重要天神として位置付けてます
「天照大神」は直系御先祖として大事なんだが、それと同じくらい重要な神として「高皇産霊神」が位置付けられてます。
高皇産霊神については、第二回目でお届けする「東征発議」で、「我が天神の高皇産霊尊」と語るように、かなり重要な位置づけに。
コレも天孫降臨が関連。
特に、第九段〔本伝〕では、高皇産霊神が、豊葦原中国を瓊々杵尊(皇孫)に授け、天降らせたとなってる訳で、瓊瓊杵リスペクトの神武としては超絶重要な神として位置づけていたことが伺えます。
さらに、
大和での戦闘において、周囲が敵ばかり圧倒的不利な状況のとき、これを打破するために『顕斎』という儀式を行うのですが、この祭神が『高皇産霊尊』。これにより加護を得て、敵をぶっ倒し逆境を突破していきます。
いずれにしても、
高皇産霊神については、天照大神と並んで非常に重要な神として位置付けてるってことでチェック。
おまけ!
⑥ぶっ飛びすぎの父の素性!??父は、、、ワニの子だった!??
「彦波激武鸕鷀草葺不合尊の4番目の子である。」とあります。父についても少し触れておきます。
父・鸕鷀草葺不合尊は、山幸が海神の娘である豊玉姫をめとって生まれた子。
神代紀では、鸕鷀草葺不合尊の出産にあたり、以下伝承を伝えてます。
豊玉姫は海神の宮から陸に出て、なぎさに産屋を建ててもらったが、鸕鷀の羽で屋根を葺き終わらないうちに出産が迫り、豊玉姫は出産を見るなと夫に禁を課す(見るなの禁忌)。しかし、夫はそれを破って見ると、豊玉姫は八尋の大鰐となって出産の苦しみに悶えていた。豊玉姫はその姿を見られたことを恥じて、産んだ子を草に包んで海辺に捨て、海に帰ってしまう。。。
つまり、
てことで、、つまり、父・鸕鷀草葺不合尊はワニの子だったという話に、、、コレも神代から設定されてきた異類婚(異類と交わって孕む)であり、一つの話型として、フツーじゃない=神威の強さを表すものとしてチェック。
次!
→ポイント2つ。
①「オカンは海神の娘」=海の支配神の血を引き継いでいる
先ほど解説した豊玉姫ですが、後日談として、自分に代えて妹である玉依姫を遣わし、「鸕鷀草葺不合」の養育に当たらせます。で、なんと、鸕鷀草葺不合尊が成長した後、鸕鷀草葺不合尊は養育してくれた姨の玉依姫と結婚。そして四人の男子が生まれる。、、その末弟が神武という系譜であります。
玉依姫も海神の娘(次女)ですから、当然、その正体は八尋の大鰐と想定され、、、大鰐一家?まー、なんというか、、、
それはさておき、ココでのポイントは、母が海神の娘ってことは、海の支配神の血を引き継いでいるってことで、それはつまり、支配者としての正統性を体現するための設定ってことなんです。ワイには海神の血が流れとんねんぞ、このマウント感をチェック。
そして!
②「オカンは海神の娘」という設定は中盤の重要イベントと繋がってくる
「オカンは海神の娘」ってことは、つまり神武4兄弟は海神の孫。これ、後半で兄さん達がいなくなってしまうところに繋がっていきます。
海中で暴風雨に遭い、次兄の「稲飯命」 三兄の「三毛入野命」を失うイベントの背景に「オカンは海神の娘」=ワイたち海神の子という設定がある。
ということで、コレまでの全部をまとめると、
生い立ち=天照大神・高皇産霊神の子孫&海神の孫であるという設定は、東征神話の重要イベントにつながっていく、または、神話展開を支える根拠になっていく。コレ、しっかりチェック。
次!
→15歳で皇太子となり、地元で奥さんももらって子供もいたようで。。
ポイント2つ。
①末っ子ながら皇太子になるのは「末子成功譚」の話型がベースだから
4人兄弟の末っ子だったのですが、お兄さんたちを差し置いての皇太子。コレ、理由は、生まれながらにして英明、意志堅固だったから。
原文「生而明達、意礭如也」。生まれながらにして英明、聡明。意志が「礭」。「礭」とは、水が石に激しくあたるさま。また、その音の形容。かたくしっかりして揺るがないさま。確かなさま。意志堅固。さらっと言ってるけど、結構スゴイ。
このように、末弟が活躍し後継者となる物語を「末子成功譚」と言い、古い伝承のパターン、話型であります。
たとえば、八十神と大国主神、海幸と山幸、天皇時代では、景行天皇の皇子大和武尊とその兄、允恭天皇の第五皇子、雄略天皇が対立候補を一掃して即位した例などあり。また、昔話にも「梨とり兄弟」や「三匹の子豚」もその例だったりします。
似たところで、
「兄の邪悪・劣弱、弟の善良・優強」という古代兄弟譚の話型もあり。東征神話の後半でも、「兄猾」と「弟猾」、「兄磯城」と「弟磯城」など典型的な兄弟譚の話型が登場。
こちらもご参考に。
そして!
②奥さんをもらったのは、日向の支配者の娘を娶ることで支配権の正当性を打ち出すねらい
「日向の国の「吾田邑」の「吾平津媛」を娶って妃とし、「手研耳命」を生んだ。」とあり、東征前に地元で奥さんをもらってたようで。
神武が最初に妃とした「吾平津媛」について。
実はコレ、神代の2つの伝承を再構成して設定されてる名前だったりします。以下。
ということで、これら2つの伝承から「吾田」と「吾平」をとって「吾田邑の吾平津媛」とした次第。
なんでこんなことしてるのか?というと、こうすることで、この土地の支配者の娘を娶ったものとするため。一帯をカバーしてる感。これも、地元支配権の正当性を打ち出す狙いから。であります。
ちなみに、、、吾平津媛ですが、、身分は「妃」にとどまっておりまして。。正妃ではございません。
一方で、神武は東征成就後、広く貴族たちの女子を求め、大変な美人と評判の大三輪神(又曰はく事代主神)の娘、媛蹈鞴五十鈴媛命を娶って「正妃」とし、即位後は「皇后」に立てております。。そのさい、東征以前から長い間、苦楽を共にしてきた吾平津媛については一切語らず、、。対応格差がスゴい、、
最後に、「手研耳命を生んだ。」とあります。
これ、男が生んだみたいな言い方になってますが、古代における系譜の形式によるものです。ちなみに神武崩御後、「手研耳命」は謀反をおこし、討伐されることに、、、これはこれで歴史の時代の人間ドラマ。。。