正史『日本書紀』をもとに、神武東征神話を丸ごと解説!
『日本書紀』巻三は「神武紀」と呼ばれ、日本の建国神話、通称「神武東征神話」を伝えます。
本企画では、文献学をもとにした最新の学術成果もふまえ、どこよりも深く、どこよりも詳しく、分かりやすく解説。
神武東征の神話とは何か?
何がポイントなのか?
まるっと解説し、少しでもスッキリしていただければと思います。そうは言っても「日本の建国神話」ですから、覚悟をもって挑まれたし!
- 日本神話研究の第一人者である榎本先生監修。確かな学術成果に基づく記事です
- 日本神話全体の流れや構造を解き明かしながら解説。他には無い分かりやすい記事です
- 現代語訳のほか原文も掲載。日本神話編纂当時の雰囲気を感じてもらえます
- 登場する神様や重要ワードへのリンク付き。より深く知りたい方にもオススメです
【保存版】神武東征神話を丸ごと解説!東征ルートと地図でたどる日本最古の英雄譚。シリーズ形式で分かりやすくまとめ!
目次
神武東征神話とは
まずは、神武東征神話って何?ってところから。
一言でいうと、、、
神武天皇による日本の建国神話
大業を広め天下を統治するために、世界の中心を目指して東征する神話です。
世界の中心=中洲
この目的地、めっちゃ大事。
日本建国の地ですね。神武天皇が日向を出発し、中洲をめざし東へ。幾多の困難を経て、最終的に橿原の地を選び、初代天皇として即位する。
目的と目標を理解しておけば大丈夫。あとは、全体の構造さえ分かればとても簡単に読み解けます。
全体の構造は
「旅立→試練→凱旋(達成・成就)」の3部作。
第1部:旅立 | 約束の地へ向けて旅立ち | 神武誕生、東征発議と出発、岡山「高嶋宮」まで |
第2部:試練 | 幾多の困難・犠牲を乗り越え、天神の助力を得ながら成長 | 孔舎衛坂の戦いから丹生川上儀式、国見丘の戦いまで |
第3部:凱旋 | 不屈の精神、臣下の活躍、天の加護により念願達成 | 兄磯城討伐から橿原即位まで |
ポイントは、
多大な試練と苦難を乗り越えて建国した
ってこと。すべて上手くいきました的な話ではありません。しっかりどん底も用意されていてドラマ性たっぷり。
さらに、
当サイトならではの分かりやすいまとめがこちら!
神武東征神話の概要。
主人公 | 彦火火出見:のち神武天皇 |
目指した土地 | 葦原中國の中心地=中洲=(最終的に)橿原 |
何故目指したか? | 大業をひらき広め、天下を統治するため |
どこから出発したか? | 日向(宮崎) 西から東を目指したので「東征」 |
どのような経路? | 日向(宮崎) →宇佐(大分) →筑紫(福岡) →安芸(広島) →吉備(岡山) →浪速(大阪) →紀(和歌山) →熊野(和歌山・三重) →宇陀(奈良) →橿原(奈良) |
所要年月 | 約6年 |
兄弟構成 | 4人兄弟。神武は末っ子。 長兄:五瀬命 次兄:稲飯命 3兄:三毛入野命 |
主な臣下 | 椎根津彦 ←旧:珍彦 道臣命 ←旧:日臣命 |
主な敵 | 長髄彦 八十梟帥(敵戦士集団) 兄猾 兄磯城 |
支援者 | 天照大神、高皇産霊尊、武甕雷神、頭八咫烏、金色の霊鵄、塩土老翁 |
うん、分かりやすい。
これだけ把握できれば十分。目指したものと、目指した理由を理解しておけば大丈夫ですね。
ということで、
以下、神武東征神話の詳細を見て行きましょう。シリーズ化して詳細をまとめてます。
●必読→ 『日本書紀』神武東征神話 現代語訳
Ⅰ.神武東征~旅立~
1.神武の生い立ちと東征開始
神武天皇(即位前は「彦火火出見」)は、天照大神の「第五世代 直系子孫」として誕生。母は海神の娘。4人兄弟の末っ子。生まれながら英明にして意志強固。15歳で皇太子。
第1回目:『神武天皇の家系図|天照大神の第五世代直系子孫(来孫)であり、海神、山神、高皇産霊神の子孫でもある件』
45歳になると、兄たちや子、臣下に「東に、理想の政治を行うのにふさわしい地がある。その国の中心めざし東征しよう!都をつくろう!」とアツく語る。これが東征発議。みんな激しく同意。そこで、さっそく「東征」の旅に出る。この年、太歳・甲寅(紀元前667年)。
第2回目:『東征発議と旅立ち|東征の動機とか意義とか建国の決意とかを神武がアツく語った件』
2.東征途上(速吸之門~安芸)
東征一行が「速吸之門」に到ると、国神の「珍彦」が出迎える。神武は「椎根津彦」の名を与え、海路の先導者とします。さらに北上し、「莬狭」(大分)へ。そこでは、国神夫婦が宮を造って、神武一行に饗宴を奉ります。その後、筑紫の「岡水門」を経て、安芸(広島)の「埃宮」に滞在。
翌年、乙卯の年(紀元前666年)春に、吉備(岡山)に到る。そして、「高嶋宮」を建て3年居住する間に、軍船を整備し食糧を備蓄。一挙に天下平定しようと目論みます。
第3回目:『東征順風・戦闘準備(日向~高嶋の宮)|半年かけて岡山まで移動して3年じっくり準備した件』
Ⅱ.神武東征~試練~
3.上陸、中洲を目指す
戊午の年(紀元前663年)春、東征軍は遂に東に向かいます。船団を連ねて「難波の碕」に到り、更に遡って「白肩津」に上陸。
第4回目:『難波碕から白肩の津へ|生駒山の白い崖を目印にドキドキしながら進軍した件』
4.激戦、五瀬命負傷、撤退
最初、龍田を通って中洲(大和平野・奈良盆地)へ抜けようとしますが、狭くて険しくて通れず。。。戻って、胆駒山を越えて入ろうとします。
ところが、そこに大和最大の敵「長髄彦」が立ちはだかる。孔舎衛坂で激戦となり、「五瀬命」(長兄)が敵の矢をうけて重傷を負う。神武は憂慮。「神策」をめぐらして「神祇を祭り、日を背に負う戦法」を採るべく撤退を決断。「草香津」に到り、盾を植てて雄叫びをあげます。
第5回:『孔舎衛坂激戦、敗退|スネの長い関西人に初戦敗退。神策めぐらし紀伊半島を迂回することにした件』
ココ、超重要ポイント。敗戦理由と対策は以下。
敗戦理由は、
天照大神(高天原の最高神であり太陽神)の末裔である神武が「天神子」を自認・自称しているにも関わらず、
- 天神を祭りもせず、
- 東征=西から東へ向かって敵と戦う=昇る太陽に向かって矢を向ける=勝てない
なので、対策として、
- 天神や地祇のを礼祭し、加護や援助を得る。
- 東から西に向かって敵と戦う=昇る太陽を背に受けて日神の霊威を負う=勝てる!
という事。これが「神策」!
そのために、紀伊半島をぐるっと一周し、熊野を越えて宇陀から大和へ入るルートを選択する訳です。東征の旅は新たな局面へ!
5.長兄「五瀬命」の死
深手を負った長兄「五瀬命」は、「山城の水門」に到って瘡痛が激しくなり「まだ戦える身ながら、報復もせずに死ぬ無念」を口にし、ついに「竈山」に到ったとき薨去。その地に葬ります。
第6回目:『長兄「五瀬命」の死|「ますらお」なのに復讐できず無念すぎたので、東征に復讐を追加した件』
6.熊野入りと海難による兄の喪失
紀伊半島を南下、ぐるっと一周し、熊野「神邑」に到る。ここで「天磐楯」に登り、異界の地に踏み入れようとしてることを実感。軍を引き、注意深く進みますが、暴風雨に遭い、船は漂蕩。
この時、「稲飯命」(次兄)は、海神を母にもつ身なのに海に苦しめられる理不尽を口にして海に入り「鋤持神」となる。「三毛入野命」(3兄)もまた、海神を母や姨にもつのにどうして溺らせるのかと恨み、常世の郷へ去ってしまいます。。なんてこった。
第7回目:『熊野灘海難と兄の喪失|なぜ!?兄達は暴風雨の中で歎き恨み逝ってしまった件』
7.陸難と2度の天照大神救助
「熊野荒坂津」、現在の三重県熊野市大泊付近に到る。ココで、海路から陸路へ転換。
その時、突然、熊野の荒ぶる神が毒気を吐いて襲いかかる!神武はじめ全軍が気力を喪って昏倒、突然ですが絶体絶命の危機!!その時、天照大神が「武甕雷神」に救援を命じ、葦原中國を平定した「神剣」で全軍が正気回復。危機を脱出します。
第8回目:『熊野荒坂で全軍昏倒|神の毒気にヤラレて意識不明の重体に!?天照による危機救援は「葦原中國平定」再現の意味があった件』
さらに、熊野の山を越えて中洲を目指しますが、山中の道が険しく行く手を阻まれ、進退窮まる。この時、再び、天照大神が救援。神武の夢に立ち、「『八咫烏』を遣わすから引率者にせよ」と訓します。果たして、飛来した八咫烏を「日臣命」が追いつつ道を拓いて先導。ようやく宇陀宇賀志に到ります。神武天皇は日臣命に「道臣」の名を賜う。
第9回目:『八咫烏の導きと熊野越え|山で迷って進退窮まる!?天照による2度目の救援は「天孫降臨」の再現だった件』
8.道臣の武勇と兄猾誅殺
宇陀宇賀志の「兄猾」「弟猾」兄弟を召し出すと、兄は抵抗、弟は恭順。兄の謀計を弟が密告し、将軍「道臣」がそれを逆手に取り、激怒大喝して「兄猾」を圧死させる。さらに斬る。
「弟猾」が饗宴を設けて慰労すると、「彦火火出見(神武)」は兵士たちに酒肉を賜い、来目歌をうたう。
第10回目:『兄猾と弟猾|弟は聡く帰順したが、兄は謀(はかりごと)を企んだのでさらして斬った件』
9.吉野巡察
宇陀から軽装の兵を連れて吉野を省察し、各地で国神と出会う。皆、オモシロい方々で従順。
第11回目:『吉野巡幸|先は敵ばっかりなので、まずは南の境界を固めようと思い立った件』
10.天香具山の埴土採取と祈(うけひ)
宇陀の「高倉山」に登り、敵だらけの現状認識。敵は大きく二つ。
- 国見丘を中心とした八十梟帥・・・山の敵
- 磐余を中心とした八十梟帥と首領の「磯城彦」・・・平地の敵
その夜、見た夢で天神が必勝の方法を伝授。弟猾も同じ内容を奏上。そこで、夢の通りに作戦実行し、丹生川上で賊虜呪詛の祭祀を行う。さらに、道臣を斎主とし「顕斎」の儀式を行い、祭りの場に「高皇産霊尊」を現前させて祭神とする。
第12回目:『香具土採取と顕斎|天神憑依!スーパーサイヤ人状態になって敵を撃破しようとした件』
11.国見丘の戦いと忍坂での残党掃討作戦
「顕斎」の儀式で供えられた神饌を口にし、「高皇産霊尊」の加護を受けた神武。
まず「八十梟帥=敵」を国見山で破る。残党掃討は将軍「道臣」が担当。「忍阪邑」に大きな家を作らせて饗宴に誘い、そのたけなわ油断した時に全て殲滅。
第13回目:『国見丘の戦いと忍坂掃討作戦|すごいぞスーパー彦火火出見!敵軍撃破!残党掃討!そのパワーほんと流石な件』
Ⅲ.神武東征~凱旋~
12.椎根津彦の謀計と兄磯城誅殺
磐余の磯城彦=「兄磯城」「弟磯城」兄弟を攻撃しようとし、まずは「八咫烏」を遣わして帰順勧告。兄の「兄磯城」は反抗。弟の「弟磯城」は恭順をもって迎え、饗を設けもてなした上で、東征軍のもとに参じて兄を告発。
椎根津彦が策略を建議。敢えて弱い軍隊を出して敵を誘い出し、一方で精鋭部隊を墨坂に派遣、敵の「焃炭(盛んにおこった炭火)」を莬田川の水をかけて消したあと、墨坂を越えて挟み討ちにし兄磯城を誅殺。
第14回目:『兄磯城討伐・磐余制圧|戦う前に意思確認?臣下献策まま実行?それはきっと神武の成長と分かってきた感覚の件』
13.最終決戦!金鵄飛来し敵軍眩惑
遂に最終決戦へ。「長髄彦」を猛攻撃。しかし、なかなか勝を得られない。その折も折、突然曇り氷が降るなか金色の「霊鵄」が飛来して天皇の弓弭に止まる。流雷の光り輝きにより、長髄彦軍は眩惑して力戦不能に陥る。
たまらず長髄彦は使者を派遣。以後、交渉開始。長髄彦の不信に対して、神武は「天表」を示し天神世界のロジックを諭すも、自分の理屈に固執する長髄彦。そんな長髄彦を見限って、饒速日命は長髄彦を殺し、、神武へ帰順。神武はそんな饒速日を「でかした!」と寵愛する。
第15回目:『長髄彦最終決戦|分からんちんども とっちめちん!手前勝手な理屈ばかりで道理無しのスネ長男をイテこました件』
14.大和平定成就
翌年(己未の年(紀元前662年)春、軍事教練し中洲に進軍。波哆丘岬、和珥坂下、長柄丘岬各地に勢力を張って帰服しない「土蜘蛛」=反抗する敵を殺す。そして、高尾張邑(御所市)の「土蜘蛛」を「葛の網」で襲って殺す。遂に、東征による天下平定事業がここに完結。
さらに、東征の事蹟にちなむ地名起源設定。「磐余」と「埴安」は超重要スポット。
第16回目:『中洲平定と事蹟伝承|大和平野各地の土蜘蛛さんを叩いて平定完了!あとは東征の事蹟を伝えておきたい件』
15.橿原宮造営
橿原の地を国の中心とみなし、ここに宮都を造営。さらに現妻をさしおき、新たに正妃「媛蹈韛五十鈴媛命」をお迎えする。曰くつきの麗しいお姫様。。
第17回目:『宮殿造営発議|東征開始から6年が経過した今、天照から始まる神々の系譜や政治を踏まえ素晴らしい国をつくろうとした件』
第18回目:『正妃蹈韛五十鈴媛命|現妻さしおき新たに正妃をお迎えす。イヤ、これには深~い理由(ワケ)があって、、、の件』
16.橿原即位
辛酉の年(紀元前661年)春、正月1日、彦火火出見は橿原宮で即位。この年を天皇の元年とし、正妃を尊んで皇后とした。
第19回目:『橿原宮即位と東征完結|歴史はココから始まる。橿原宮で即位し世界最古の国「日本」をつくった件』
おまけ
第20回目:『論功行賞と国見|エピローグ!論功行賞を行い、国見をして五穀豊饒の国「秋津洲(あきづしま)」を望み見た件』
以上、
あしかけ6年以上の歳月を経て建国を果たしたという訳です。
いかがでしょうか?「旅立→試練→凱旋」の構造で見ると分かりやすいと思います。
まとめ:神武東征は「日本最古の英雄譚」
東征の物語自体は、『日本書紀』巻三「神武紀」に伝えます。『古事記』は中巻。
日本最古の英雄譚、サクセス・ストーリー。
これほどドラマチックな展開と、練りに練られたツボを持つ神話は、世界を見渡してもなかなかありません。古代日本人がそうした物語を紡いでいた事にビックリ。
冒頭でもお伝えしましたが、決して平たんな道のりではなかった所がポイント。
旅立ちから孔舎衛坂直前までは順風満帆。支援者の登場、入念な準備。「建国」という夢と野心にあふれていました。
ところが、大和の地に入り「長随彦」という最大の敵に蹴散らされて以降、苦難の連続です。兄の全てを失い、道に迷い、気力喪失昏倒し、、、しかしあきらめずに、勝利する方法を思考し、臣下の協力と天照大神の助力を得ながら進軍。最終的に、一度戦って敗れた最大のライバルを撃破。
その上で、橿原の地に宮殿を建設し初代「天皇」として即位する訳です。
まさに「旅立→試練→帰還(凱旋)」という流れ。よくできていますよね。
こうしたストーリー展開の中で分かるのは、
大業(志・ビジョン)は一人で成し遂げるものではない。
臣下(あるいは仲間)の協力や天神(私たちで言えば先祖様的な守護者)の力を得て、はじめて大業は成し遂げられる!
という事かと。このメッセージ性は現代でも十分通用するものだと思います。
その他、細かいところでは、いろいろな裏設定があって、飽きさせないところ。練りに練られた奥ゆかしい神話になっています。こうしたポイントをもとに神武東征神話を読むと、よりオモシロくなるはず!激しく推させていただきます!
▲こちらは橿原神宮。東征の果てに神武が即位した地。合わせてチェックされてください。
⇒「橿原神宮|初代神武天皇が即位した「日本建国」の地!おごそかな空気漂うパワースポットで東征神話に思いを馳せる至福を是非。」
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佛教大学名誉教授 日本神話協会理事長 榎本福寿
埼玉県生まれ(S23)。京都大学大学院文学研究科博士課程国語学国文学(S53)。佛教大学助教授(S58)。中華人民共和国西安外国語学院(現西安外国語大学)文教専家(H1)。佛教大学教授(H6)。中華人民共和国北京大学高級訪問学者(H13)。東京大学大学院総合文化研究科私学研修員(H21)。主な書籍に『古代神話の文献学 神代を中心とした記紀の成りたち及び相関を読む』がある。『日本書紀』『古事記』を中心に上代文学における文献学的研究成果多数。
参考文献:『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)
どこよりも分かりやすい日本神話解説シリーズはコチラ!
日本神話編纂の現場!奈良にカマン!
神武天皇の神話(おとぎ話)は数人のモデルを一つにした物語。
即位年代は、日本列島初の国家、古代出雲国が王制を始めた(王国/帝国)年代を横領。
天皇系譜の神武~いわゆる欠史八代は神武=天村雲命(丹波勢)の大王家の系譜。
天村雲命(渡来人某が号したホアカリ=ニギハヤヒ(ニニギ)の孫。両親は同父(渡来人某)異母の兄妹(母は市杵島媛の娘!))が大和入りして
先住の葛城族(=出雲王国の分家、登美(トビ/トミ)家と高賀茂家)=鴨族(王族を神族と言って、神をカモと発音していたのを後に鴨の文字が充てられた)らと連衡合従して
勢力、人品を認められて大王に推戴され初代大王に即位。
后には三輪山の初代祭主で葛城の登美家創始者、天日方奇日方命の妹君の媛タタラ五十鈴姫が政略結婚で嫁ぐ事で
大倭国(丹波葛城連合王国/長(中)の国)が成立。
お二方の間に生まれた二代目には、葛城の登美家から母親の妹の実の叔母の五十鈴依媛が嫁ぎ、三代目も登美家の天日方奇日方と(出雲の東王家、富家出身)神度美良媛(出雲の西王家、神門臣家の出身)との姫が嫁ぎ、、、
葛城の登美家(、、、金鵄)は外戚として隠然と権威(出雲王国由来)と権力を高めて行く事になります。
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