多賀大社(たがたいしゃ)は、滋賀県犬上郡多賀町にある「お多賀さん」の愛称で親しまれる滋賀県第一の大社です。
もともとは「神代にイザナギノミコトが終の棲家(隠居地)とした地」という信仰に基づき、古代豪族や朝廷によって大切に護られてきた古社です。
その後、室町時代から江戸時代にかけて「修験道(神仏習合)」と結びついたことで、「伊勢神宮の親神様であるから、延命長寿や縁結びに絶大なご利益がある」という信仰が「多賀講(たがこう)」と呼ばれる信者組織を通じて全国の庶民へ爆発的に広がり、今日のような大社へと発展していきました。
多賀大社の創建には、日本神話の神々が地上へ降り立ったという壮大な社伝(伝承)と、古代日本の歴史書『古事記』の記述、そして中世以降の発展という3つの側面が絡み合っています。
- 社伝が語る「神代の創祀」:イザナギ大神の隠居
社伝によると、多賀大社の歴史は「神代(かみよ)」、つまり日本の神話の時代にまで遡ります。
- 神々の降臨: 日本の国土や八百万の神々を生み終えた伊邪那岐命(イザナギノミコト)は、天上の「高天原(たかまのはら)」から地上へ降り立ちました。
- 杉坂山への降臨: 最初は多賀大社から東にある「杉坂山(すぎさかやま)」に降り立ったとされています。この時、イザナギが体調を崩し「苦しい」と言ったことからその地が「栗栖(くるす)」と呼ばれるようになり、体調を調(ととの)えるために一休みした場所が現在の「調宮(ととのみや)神社」になったという地名伝説が残っています。
- 現在の地へ: その後、体調の戻ったイザナギが最終的に落ち着き、静まり赴いた場所が現在の多賀大社の境内地であるとされています。これが多賀大社の始まり(創祀)とされています
- 歴史書に見る「最古の記録」:『古事記』の記述
文献上の確かな記録として、奈良時代(712年)に撰上された日本最古の歴史書『古事記』にその名が登場します。
- 古事記の記述: 『古事記』の上巻(神代の終わり)に、「故、其の伊邪那岐大神は、淡海(あふみ=近江・滋賀県)の多賀に坐すなり」と明記されています。これにより、少なくとも奈良時代初期にはすでにこの地にイザナギ大神を祀る「多賀の社」が存在していたことが証明されています。
- 『日本書紀』との違い: ちなみに、720年に完成した『日本書紀』では、イザナギの隠居地を「淡路(あわじ=兵庫県淡路島)」と記しており(現在の伊弉諾神宮)、古代から二つの異伝が存在していました。しかし、多賀大社は『古事記』の「淡海(おうみ)」の記述を拠り所として、その正統性を伝えています。
- 歴史時代の社殿造営と犬上氏(いぬかみうじ)
神話の世界から歴史時代に入ると、地元の有力豪族や国家による整備が進みます。
- 犬上氏の関与: 古代、この地域を治めていたのは「犬上氏」という有力な豪族でした(日本初の遣隋使である犬上御田鍬などを輩出)。多賀大社はこの犬上氏の氏神、または地域一帯の総鎮守として祭祀が引き継がれていったと考えられています。
- 最初の社殿造営(738年): 聖武天皇の時代である天平10年(738年)に、国家的な事業として初めて本格的な社殿が造営されたという記録が残っています。さらに765年〜771年にかけては奈良朝廷から「神封(神社を維持するための田地や領民)」が寄せられ、国家から非常に重んじられる神社となりました。
- 延喜式神名帳への記載: 平安時代中期の927年にまとめられた『延喜式神名帳』には、「近江国犬上郡 多何神社二座」として記載され、国が認める式内社となりました。
- 武将からの崇敬: 武田信玄が厄除けを祈願し、豊臣秀吉が母(大政所)の病気平癒を祈願して米1万石などを寄進した歴史があります。
- 「お伊勢参らばお多賀へ参れ」: 伊勢神宮の親神を祀ることから、伊勢神宮とあわせてお参りする風習が広く親しまれてきました。
太閤橋(たいこうばし): 豊臣秀吉の寄進によると伝わる石造りの太鼓橋。急勾配で美しい景観を作り出しています。
歩くのが困難なほどの「急勾配(そり)」。横から見るとほぼ半円を描くような、極端に激しい傾斜(反り)。
橋の上には、足が滑らないように足場となる横木(段差)が細かく設けられています。
神様と人間の世界を分ける「石造りの太鼓橋」
- 神社における太鼓橋は、単なる通路ではなく「神様が渡る橋」、あるいは「人間の世界(俗界)と神様の境地(聖域)を区切る境界」という意味を持っています。
- 参拝者はこの急な橋を一生懸命に上り下りすることで、一種の修行のように身を清めてから神前に向かうことになります。
お多賀杓子(おたがしゃくし): 元正天皇の病気平癒に由来する縁起物で、調理用具の「お玉杓子」の語源になったといわれています。
多賀大社の本殿および中心となる社殿群は、大正から昭和初期にかけて完成した「昭和の大造営」による、近代神社建築の最高峰と評される建築美が最大の特徴です。
建築様式は「三間社流造(さんげんしゃながれづくり)」
本殿の構造は、日本の神社建築で最もポピュラーな「流造」の一種である三間社流造です。
- 屋根の前面が滑らかな曲線を描きながら、前方に長く伸びて「向拝(参拝するスペース)」を覆う、優美なシルエットをしています。
- 正面の柱と柱の間(間口)が3つある、大型で堂々とした規模感を持っています。
主祭神
- 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
- 伊邪那美命(いざなみのみこと)
日本神話で国土と神々を産んだ「夫婦の神様」であり、伊勢神宮の祭神・天照大神の親神です)
主なご利益: 延命長寿、病気平癒、縁結び、厄除け
寿命石(じゅみょういし): 僧・重源が20年の寿命を授かったと伝わる霊石。白石に願いを書いて奉納できます。
金咲稲荷神社: 商売繁盛・金運アップのパワースポット。
社務所
多賀大社庭園(奥書院庭園): 秀吉の寄進による安土桃山時代の池泉観賞式庭園で、国の名勝に指定されています(拝観料300円)。
- 所在地: 滋賀県犬上郡多賀町多賀604
- 公式情報: 多賀大社公式サイト (https://www.tagataisya.or.jp/)
アクセス
- 電車: 近江鉄道多賀線「多賀大社前駅」から徒歩約10分(JR彦根駅乗り換え)
- 車: 名神高速道路「彦根IC」から約10分、または「湖東三山スマートIC」から約15分(無料・有料の参拝者駐車場あり)










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