祓川は、祓原から流れている川で、神武天皇がお祓いの儀式の際に、この川の水を使ったとされてます。
宮崎県西諸県郡高原町にあり、集落のあいだを流れてます。
いずれも、『日本書紀』や『古事記』にはその記載はなく地元の伝承として受け継がれてる川。
今回は、それでも日本神話ファンとしては気になってしまうスポット「祓川」の様子を現地レポします。
祓川|神武天皇がお祓いの儀式でこの川の水を使った!?集落のあいだを流れる祓川を現地レポ!た
目次
祓川に関連する日本神話
「祓川」は、神武天皇がお祓いの儀式の際に、この川の水を使ったとされてるのですが、『日本書紀』や『古事記』にはそのことを伝える記述はありません。
参考として、『日本書紀』巻三、通称「神武紀」から冒頭の箇所を抜粋してみます。
彦火火出見(神武天皇)は生まれついて聡明で、何事にも屈しない強い心を持っていた。十五歳で皇太子となり、さらに長じて、日向国の吾田邑の吾平津媛を娶って妃とし、手研耳命を生んだ。 (『日本書紀』巻三 神武紀より一部抜粋)
ということで、
『日本書紀』では、儀式でどこの川の水を使ったとか細かいところは伝えてないんですね。コレ、『古事記』も同様で。「祓川」は地元で語り継がれてる神話伝承地ということでチェックです。
祓川の場所
宮崎県西諸県郡高原町にあります。
祓川は、ひむか神話街道から、少し入った集落の間を流れてます。
ちなみに、、
高原町は「神武の里」として、町をあげて神武推しを展開中。個人的に、激しく応援しております。
▲こちら、ひむか神話街道入り口付近の様子。「ようこそ神武の里 たかはる」ということでウェルカム感満載です。
祓川とは、神武天皇がお祓いの儀式にこの川の水を使ったとされる
祓川は、「ひむか神話街道」から少し入った、集落の間にひっそりと流れてます。
▲コチラ、祓川伝承地の様子。立て看板に休憩スペースもあり、至れり尽くせり感でお出迎え中。
祓川
祓原より流れ出る水は清く美しい川で狭野尊(神武天皇)はお祓いをされる時、この川で水を汲み使用されたと伝えられこの地名がある。
とのことです。
この川の上流に、祓原がありまして、ココから徒歩5分くらいのところ。合わせてチェック。
▲とても綺麗な水。お祓いにはもってこいだったのかもね。
祓原の方へ向かう場合は、川に沿って上流へ。
ということで、現場からは以上です。
まとめ
祓川
祓原から流れている川で、神武天皇がお祓いの儀式の際に、この川の水を使ったとされてます。
宮崎県西諸県郡高原町にあり、集落のあいだを流れてます。
いずれも、『日本書紀』や『古事記』にはその記載はなく地元の伝承として受け継がれてる川。
●祓川伝承地
住所 | 宮崎県西諸県郡高原町の集落の中 |
駐車場 | なし |
トイレ | なし |
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