「志怪小説」とは、
中国の六朝時代(222年 – 589年)に書かれた「奇怪なお話」のこと。
「志」は「誌」と同じ。なので、「志怪」とは「怪を記す」という意味。
小説の一ジャンルとして、
六朝から清にいたるまで、ものすごい量の怪談奇談が書かれました。中国の人ってこういうの大好き。文化であり、伝統みたいな感じ。
で、
今回ご紹介する『捜神記』は
4世紀ごろ、東晋の干宝が著した志怪小説集。
神仙から始まり、魑魅、妖怪、人間や動植物の怪異など
470余の怪談奇談を、説話の型で収録。
ここから、巻二の45をご紹介。
内容は、
道人、つまり仙人みたいなお方の力を借りて
亡き妻のいる冥界に行く男の話。
こちら、
当サイト「日本神話.com」としては、
黄泉往来譚と比較しながらチェックいただきたい!
なぜなら、あの黄泉の話のベースがココにあるから!!!
ということで早速どうぞ!
『捜神記』巻二45 亡き妻に会いに冥界へ行く男の話
漢の北海郡の営陵県(山東省)道士がいて、死んだ人間に会わせる力を持っていた。
その同じ北海郡出身の者に、数年前に妻を亡くした人がいて、その噂を聞いて訪ねて来た。「お願いします、一目だけでも亡き妻に会わせてください。それで死んでも恨みはしません」
道士は「そなたは会いに行ける。ただし、もし時を知らせる太鼓の音が聞こえたら、すぐに出なくてはならぬ。とどまっては駄目じゃ。」そう語って、妻に会うための術を教えてくれた。
すぐに亡き妻と会うことができ、そこで妻と言葉を交わし、悲しみや喜びなど、生前と変わらぬ夫婦の情を分かち合った。
やがて、鼓の音が聞こえた。この場に留まれないことを、とても無念に思いながら、外に出て戸を閉めた時、うっかり着物の裾を挟んでしまった。そこで引きちぎってその場を去った。
それから年月が経ち、この人は亡くなってしまった。家族が葬ろうと、墓を開くと、妻の棺の蓋に千切れた着物の裾がはさまっていた。
漢北海營陵有道人、能令人與已死人相見。 其同郡人婦死已數年、聞而往見之、曰「願令我一見亡婦,死不恨矣。」 道人曰「卿可往見之。若聞鼓聲、即出、勿留。」乃語其相見之術。 俄而得見之、於是與婦言語、悲喜恩情如生。良久、聞鼓聲、恨恨不能得住、當出戶時、忽掩其衣裾戶間、掣絕而去。 至後歲餘、此人身亡。家葬之、開冢、見婦棺蓋下有衣裾。 (『捜神記』巻二45より)
初めての志怪小説、いかがでしたか?
結構さくっと読めちゃう感じ。ショートショート。超ライトノベル。
道人(仙人みたいな人)に、亡き妻に会うための術を教えてもらい、実際に会いに行ったと。「亡き妻」と言ってますが、「亡き妻=鬼」だからね。
すこし解説。ポイントは4つ。
- 死者のいる異界(冥界)がある
- 異界との往復ができる
- 異界で死者と再会する
- 異界には「掟(タブー)」がある
以下詳細。
①死者のいる異界(冥界)がある
「道人」に、死んだ妻に会うための術を教えてもらい、実際に会いに行ったと。
ココでは明確に「冥界に行った」とは書いてないのですが、亡き妻がいるところはどこか? それは、棺桶の中であり、死者の世界であります。
また、太鼓の音が鳴って出てくるとき、「當出戶時、忽掩其衣裾戶間」というように「戸」から出てきたと。これは、建物の戸、扉のこと。つまり、死者の世界にも同じように住むところがあるって事。一つの世界がある訳ですね。
②異界との往復ができる
術を使えば異界(冥界)に行くことができる。しかも、また還ってこれる。生者として死者の住む世界へ行き還ってこれる訳ですよ。すごい考え方ですよね。
③異界で死者と再会する
異界では死者と再会し語り合うことができます。
亡妻(鬼)と再会し、語りあう。生前と変わらぬ夫婦の情を分かち合った、といった下り。
冥界で死者(鬼)と情を交す。。。
スゴい世界観や、、、よく考えるよね。ホント。
でも、、、
実際は、「生人(男)」と「鬼(女)」では、所詮は「死者と生者は道が異なる(死生 異路)」(『捜神記』巻十六・394)ので、ほどなく別離を迎える展開になる訳です。
死者と生者は、もともと道が違うから。そら当然だ。
④異界には「掟(タブー)」がある
「もし太鼓の音を聞いたらすぐに出てこい、留まるな(若聞 鼓声 、即出 勿留)」と、道人は前もって「戒め(タブー)」を課します。
これは、そもそも論として、生者と死者では住む世界が違う前提がありますし、長くは留まれないルールなんだ、ってことを意味してる訳ですね。
ということで、
- 死者のいる異界(冥界)がある
- 異界との往復ができる
- 異界で死者と再会する
- 異界には「掟(タブー)」がある
って感じで、物語の枠組み、設定があることが分かります。
ね、
この設定、
まさに日本神話の黄泉往来譚の設定そのもの!
日本神話っぽく修正してみると、、、
- 死者のいる異界(黄泉)がある
- 黄泉との往復ができる。実際、生者(伊奘諾尊)は死者(伊奘冉尊)を追いかけて黄泉へ行く
- 異界で死者と再会する。伊奘諾尊と伊奘冉尊は共に語り合う。あのころのように、、、
- 異界には「掟(タブー)」がある。見るなの禁を科す。ところが見てしまう。。。
と。
志怪小説の「冥界往復譚」の枠組みをもとに男と女のドラマや、生と死の断絶やらを盛り込んでつくられたのが日本神話の「黄泉往来譚」というわけです。
スゴくないすか?この構想力。
しかも日本神話のほうがよっぽどドラマチック!
単に真似て終わりではなく、組み合わせて展開させて新しい世界として再構成してる。古代日本人の創意工夫と智恵の結晶。それが日本神話なんですよね。
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