「真床追衾(真床覆衾)」とは、日本神話に登場する皇孫の証明品。「衾」は布団の事。
ある時は、布団のようなものとして皇孫を包み、またある時は、座布団のようなものとして皇孫が座る。包んだり、座ったり、、用途はいくつかありつつ、日本神話的には「皇統を引き継ぐ者としての証明品」としての位置づけ。
歴史の時代になると、御神体をくるむ聖衣として使用されたり、大嘗祭の中心的神殿「悠紀殿」「主基殿」に設置されていたりと、こちらも超重要な位置づけです。
今回は、そんな不思議な布団「真床追衾(真床覆衾)」について、日本神話を踏まえ、たっぷりご紹介します。
- 日本神話研究の第一人者である榎本先生監修。確かな学術成果に基づく記事です
- 日本神話全体の流れや構造を解き明かしながら解説。他には無い分かりやすい記事です
- 現代語訳のほか原文も掲載。日本神話編纂当時の雰囲気を感じてもらえます
- 登場する神様や重要ワードへのリンク付き。より深く知りたい方にもオススメです
真床追衾・真床覆衾とは?天孫の証明品!大嘗祭でも使用?される真床追衾の日本神話的起源をまとめてご紹介!
目次
真床追衾(まことおうふすま)を伝える日本神話
「真床追衾(真床覆衾)」、、、
非常に謎めいた布団。その出所は、日本神話にあり。
まずは日本神話の現場をチェックし、ここでどのように使用され、どのような位置づけになっているのか?を読み解きます。
登場シーンは全部で3つ。
- 天孫降臨
- 海宮訪問
- 豊玉姫との別れ
以下、順にご紹介。
まず1つ目。天孫降臨(『日本書紀』巻二 第九段〔本伝〕)から。
さて、高皇産霊尊は、真床追衾で皇孫の天津彦彦火瓊瓊杵尊を覆って降臨させた。皇孫は天磐座を押し離し、また天の八重雲を押し分けて、威風堂々と良い道を選り分けて、日向の襲の高千穂峯に天降った。 (『日本書紀』巻二(神代下) 第九段〔本伝〕より一部抜粋)
ということで。
ココでは、
「真床追衾」は、地上に降下降臨する皇孫を覆う布団のようなものとして登場。
天孫降臨って、壮大なイメージあるじゃないですか。でも、、、実際は、「真床追衾で皇孫の天津彦彦火瓊瓊杵尊を覆って」とあるように、布団に包まれて威風堂々と降りていらっしゃった、、、次第でござる。
オレたちの天孫、、、大丈夫か?
2つ目の神話は、海宮訪問(『日本書紀』巻二 第十段〔一書3〕)。
山幸が塩筒老翁の計らいにより一尋鰐に乗り「海神の宮」に至ります。お話は、山幸が海神が住む壮大な御殿の前にある木の上に登って中の様子をうかがってるところから。
すると、豊玉姫の侍女がいて、綺麗なお椀に(井戸の)水を汲もうとした。その時、人の姿が(井戸の)水底にあるのを見て、汲み取ることができず、そこで天孫(山幸のこと)を仰ぎ見た。
そして戻ってその王に、「私は、我が王一人が最も美しいと思っていましたが、今一人のお客がいて、遥かに勝っています」と告げた。
海神はこれを聞いて、「ためしに見てみよう」と言って、三つの床を設けて招き入れた。
すると天孫は、端の床でその両足を拭き、中の床でその両手を押さえ、内の床の眞床覆衾の上にゆったりと座った。海神はこれを見て、天神の孫であることを知り、ますます崇めた――と、云々。 (『日本書紀』巻二(神代下) 第十段〔一書3〕より一部抜粋)
ということで。
ココでは「眞床覆衾」と若干、漢字変更。海神のもてなし、饗宴の場に敷かれた座布団のようなものとして登場。
ポイントは、
海神が、「眞床覆衾」に座る山幸彦を見て、天神の孫であることを知った
という所。
山幸彦、ふかふか座布団が好きで座った訳ではございません。
- 3つの床を用意された中で、(わざわざ)内の床を選び取り、
- そこに敷いてあった「眞床覆衾」に(天孫にふさわしく)ゆったりと座った
ということであります。
コレを見た海神が、ガガーン!ってなった。つまり、天神の孫であることを知った。と。
コレって、つまり、
「真床追衾」(眞床覆衾)って、天孫(皇孫)であることを証明するモノ
って事ですよね。
コレを知っているヤツ、コレを選ぶヤツ、これに包まれたり座ったりするヤツこそ、天孫(皇孫)であると。コレ、しっかりチェック。
で、
実際、3つ目にご紹介する神話はそれを証明する内容になってます。
豊玉姫との別れの神話(『日本書紀』第十段〔一書4〕)から。経緯としては、
豊玉姫が陸に上がり、山幸のもとで子を出産。その際、見るなの禁を課すのですが、山幸彦は従わずに見てしまう。豊玉姫はこれを恨み、屈辱を与えたとして交流の断絶を告げ、「真床追衾」で児を包み、波打ち際に置いて海に去ってしまいます。
(豊玉姫が出産に際し見るなと言ったのに)皇孫は従わなかった。豊玉姫は大いに恨んで、「私の言葉を聞かず、私に恥をかかせた。なのでこれから先、私の奴婢があなたの元に行っても、返すことはありません。あなたの奴婢が私の元に来ても、返しませんので」と言って、真床覆衾と草でその子を包んで渚に置くと、海に入り去った。これが海と陸とが通じなくなったことの発祥である。 (『日本書紀』巻二(神代下)第十段〔一書4〕)より一部抜粋)
ということで。
ココでは、「真床覆衾」は、豊玉姫が産んだ子を包む「おくるみ」的なものとして登場。その意味とは、
天孫(皇孫)であることの証明、そのものであります。
実は、子供ができましたと言ってきた豊玉姫に対して、山幸は「それ、ほんとにオレの子か?」と嫌疑をかけた経緯アリ。だからこその「真床覆衾」という訳です。
真床追衾とは?日本神話的には天孫の証明品
以上3つの日本神話、
- 天孫降臨・・・「真床追衾」
- 海宮訪問・・・「眞床覆衾」
- 豊玉姫との別れ・・・「真床覆衾」
から読み解く「真床追衾(真床覆衾)」とは、
やっぱり
天孫(皇孫)であることを証明する布団(座布団)
ってこと。
ある時は包んだり、またある時は座ったり、と、形状は同じ?違う?いずれにしても、役割は天孫(皇孫)であることを証明するもの。
日本神話におけるこの位置づけ、意味、しっかりチェック。
日本神話に登場する「真床追衾(真床覆衾)」については基本的には以上となります。
って、
これで終わればよかったのに、、、
実は、、「真床追衾(真床覆衾)」については後日談がありまして、、、
それが、大嘗祭との関連。
大嘗祭の中核的儀式の中で、なんと「真床追衾(真床覆衾)」らしきモノ、「御衾」が登場するのですが、、、
- この「御衾」は、「真床追衾(真床覆衾)」なのか?
- そして、もしそうだとして、実際、儀式の中でどのように使われているのか?
といった謎が発生。ところが、儀式は基本的には秘儀のため、実際の所よー分からん、、というところから、後代、さまざまな解釈が生まれてきた歴史があったりするんす。
以下、そんな事情を少々マニアックにご紹介。ご興味のある方だけチェックされてください。
大嘗祭における真床追衾(真床覆衾)の謎
ということで、ココからは、
大嘗祭における「真床追衾(真床覆衾)」をめぐるロマン
と題して、「真床追衾(真床覆衾)」が、歴史的にどのように位置づけられ、解釈されてきたのか?について大嘗祭を中心にご紹介します。
まずは、大嘗祭における「真床追衾(真床覆衾)」の謎について、ご紹介。
先ほど述べましたが、
- この「御衾」は「真床追衾(真床覆衾)」なのか?
- そして、もしそうだとして、実際、儀式の中でどのように使われているのか?
という内容。
まずは、大嘗祭の中核儀式、「悠紀殿の儀」「主基殿の儀」の現場をご紹介。
コチラ。
大嘗祭が儀式として完成をみた平安時代の「悠紀殿」「主基殿」の復元図から。
詳細コチラで:大嘗宮の儀【悠紀殿供饌の儀・主基殿供饌の儀】とは?|神に奉る・いただく( 薦・享)がセットの共食!天照大神と繋がる大嘗祭の中心儀式
で、
「悠紀殿の儀」「主基殿の儀」における天皇の動きは図中→の通りで、
- 儀式開始時、主上(新天皇)は、先ず悠紀殿に入御して中戸(中央の仕切り)の外、西南の座に着座、南面。
- 神饌が運ばれてきたタイミングで、主上は中戸を入り、「御座」に着座。
- 神饌が「神座」にお供えされると、「親供・直会の儀( 薦・享)」を開始。
- 儀式が終わると、神饌撤却、天皇は廻立殿に還御。
以上。(参考:昭和53年発表の川出清彦氏の「大嘗祭の祭儀」(皇學館大學神道研究所編『大嘗祭の研究』より)
で、ここで出てくる問題が、
- 復元図中の「御衾」って、「真床追衾(真床覆衾)」なの?
- もしそうだとして、実際、儀式の中で使われてないよね??なんで置いてあるの???
ってことなんす。
古代の儀式書『貞観儀式』『延喜式』をあたって研究ガッツリやって復元した流れのどこにも使われた痕跡がない、、、置いてあるのに使ってない。そんな
不思議事態発生。。
「真床追衾(真床覆衾)」の歴史、その解釈についても、基本は上記2つの疑問に集約されていて。秘儀で分かんないからこそ、さまざまな解釈や説が生まれてきた経緯があるんです。
てことで、まずは、このどんな謎があるのか?をまずチェック。
真床追衾(真床覆衾)の解釈されてきた歴史とか経緯とか
そのうえで、以下、歴史的なところでどのように解釈されてきたかをご紹介。
まずは、平安時代。
この時代に完成した『貞観儀式』『延喜式』に文献記録として残された大嘗祭は、その後、中世以降の『日本書紀』の注釈学の流れとあわさって、さまざまに解釈されるようになっていきます。
『日本書紀』にしろ、大嘗祭にしろ、その成立時の意図や解釈が正確に伝えられてた訳ではなく、失われてしまったもの、断絶してしまったもの、様々な事情により、分からなくなってしまってることも多かったんす。
そんな中で、例えば、卜部氏のような祭祀担当氏族には『日本書紀』の専門家がいて、摂政・関白クラスの方々に対して『日本書紀』の解釈論を講義したり、大嘗祭斎行時のアドバイザーになったりしてました。
で、中世にあっては、『日本書紀』を読むことが大嘗祭の斎行とつながっていて、言い方を変えれば、大嘗祭の由来を天孫降臨神話に求める解釈が広がっていった経緯があります。
本件、斉藤英喜氏の「ミネルヴァ日本評伝選」が詳しいので、是非参考にされてください。今回はそこから分かり易くかみ砕いてお届け。
で、そんな中世、鎌倉時代の後期。
この時代、『日本書紀』注釈学のメインプレーヤーは、卜部氏。
「卜部氏」とは、卜占による吉凶判断を業としていた氏族のことで。その始まりは、平安時代前期の「卜部平麻呂」(神祇権大佑)とされてます。平麻呂以前はよー分かりません。
「神祇権大佑」とは、祭祀を司る「神祇官」の序列No.4。結構な力をもった職位です。
そんななか、「卜部兼方 」によって編述された『釈日本紀』という『日本書紀』の注釈書があるのですが、その中で「真床追衾」について以下内容を伝えてます。
「今の世、大神宮以下、諸社神体、御衾で覆い奉る。是その縁なり」(巻第八、神道体系、194項)
と。
直接の、大嘗祭との関係は書かれてないのですが、当時、「真床追衾(真床覆衾)」がご神体を包む聖衣として位置づけられてることが分かります。
コレ、重要。あとで出てくるのでチェックしておいてください。
で、次は、
時代は下って、江戸時代、
大嘗祭の由来を、天孫降臨神話に求める解釈は、
江戸時代末期の国学者・平田篤胤の『古史成文』につながっていきます。
このなかで、
大嘗祭は、天皇がたんに神饌を神に捧げるだけではなく、神と一体となる儀式
として解釈されるようになります。
中世の、大嘗祭の由来を天孫降臨に求める解釈が
近世になって、神と一体になる儀式として位置づけられるようになる。
さらに、
篤胤の弟子にあたる鈴木重胤の説では、
「八重帖を敷き板枕を置き御衾を覆奉りて、神をも臥させ奉り天皇も臥させ給ふが礼儀にて御在し坐す・・・」(『日本書紀伝』二十九之巻、全集8,534頁)
と、
大嘗宮に設置された「御板枕」「御衣」には、神とともに天皇も「臥した」ことを注記してたりします。
神と一緒に寝る、、、まさに布団や~
師匠の「神と一体になる理論」→弟子の「神と一緒に寝る理論」へ進化(?)
解釈はどんどん広がっていきます。
布団だけに、ソッチ系のことを想像しちゃいますよね。ネタとして面白いから、しかも秘儀だから様々な解釈や憶測が入り混じるの巻。
さらに時代は下って、明治以降、
いよいよ登場、折口信夫。
折口氏は、近世国学者の大嘗祭研究の系譜からさらに進めて、
大嘗祭は、新天皇が「真床追衾(真床覆衾)」に包まることにより、天皇霊を継承する秘儀
という説へ発展。スゴい、、、布団がどんどん神化するの巻。
大嘗宮のなかの「御衾」(第一の神座)に天皇が臥す=真床襲衾に包まる=天皇霊を継承する秘儀
ここまでくると、何でもええじゃないか感。。
実際、戦後の大嘗祭研究では、さらに、天皇が布団で生娘と、、、とかいった説まで飛び出す始末。
以上、代表的なところで「真床追衾(真床覆衾)」の解釈経緯を辿ると、時代時代によって、いろんな説が出てきたことが分かります。
コレも全て、
秘儀ゆえの。。。
実際にどう使われてるのかは結局よく分かりません。そもそもの日本神話的位置づけでは、天孫(皇孫)の証明品として位置づけられてる訳で、
新たに即位した天皇として神と共食する場所に「真床追衾(真床覆衾)」らしき「御衾」が置かれていたとしても不思議ではないですよね。
どこまでも広がる布団ロマン。是非、ご自身なりのロマンを広げていただければと思います。
まとめ
「真床追衾(真床覆衾)」
「真床追衾(真床覆衾)」とは、日本神話に登場する皇孫の証明品。
ある時は、布団のような形状として皇孫を包み、またある時は、座布団のようなものとして皇孫が座る。包んだり、座ったり、いずれにしても、神話的には「皇統を引き継ぐ者としての証明品」として位置づけられています。
歴史的には、時代時代によって、いろんな説、解釈がされてきました。
秘儀ゆえに。。。
実際にどう使われてるのかは、結局一般ピープルにはよく分かりません。その中で、特に「大嘗祭」においては、新たに即位した天皇として神と共食する場所に「真床追衾(真床覆衾)」らしき「御衾」が置かれている訳で、ロマンはどこまでも広がります。
大嘗祭の際には、ぜひそんな点もチェックされてみてください。
参考文献
訓讀註釋儀式践祚大嘗祭儀(皇學館大学神道研究所編、思文閣出版)、日本古代即位儀礼史の研究(加茂正典、思文閣出版)、大嘗祭の研究(皇學館大学神道研究所編、皇學館大学出版部)、大禮と朝儀 付有職故実に関する講話(出雲路通次郎、臨川書店)、日本の祭祀(祭祀学会編、星野輝興先生遺著刊行会)、平安朝儀式書成立史の研究(所功、国書刊行会)、復刻版 卽位禮と大嘗祭(三浦周行、神社新報社)、律令制祭祀論考(菊地康明編、塙書房)、古代祭祀の史的研究(岡田精司、塙書房)、古代伝承と宮廷祭祀(松前健、塙書房)、続大嘗祭の研究(皇學館大学神道研究所編、皇學館大学出版部)、古事記研究(大嘗祭の構造)(西郷信綱、未来社)、記紀神話と王権の祭り(水林彪、岩波書店)
佛教大学名誉教授 日本神話協会理事長 榎本福寿
埼玉県生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程国語学国文学(S53)。佛教大学助教授(S58)。中華人民共和国西安外国語学院(現西安外国語大学)文教専家(H1)。佛教大学教授(H6)。中華人民共和国北京大学高級訪問学者(H13)。東京大学大学院総合文化研究科私学研修員(H21)。主な書籍に『古代神話の文献学 神代を中心とした記紀の成りたち及び相関を読む』がある。『日本書紀』『古事記』を中心に上代文学における文献学的研究成果多数。
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