志賀海神社は、志賀島に鎮座する神社。
伊耶那岐命の禊祓によって出現した綿津見三神を祭ります。
ココ、神代より「海神の総本社」「龍の都」と称えられ、玄界灘に臨む海上交通の要地、博多湾の総鎮守として篤く信仰されてきた歴史があります。
その中心的役割を果たしたのが安曇氏(阿曇氏)であります。
安曇氏(阿曇氏)の祖神とされる阿曇磯良は、神功皇后の新羅出兵において舵取りを務めたと伝わります。「神功皇后が三韓出兵の際に海路の安全を願って阿曇磯良に協力を求め、磯良は熟考のうえで承諾して皇后を庇護した」志賀海神社社伝より。
- 左殿・仲津綿津見神
- 中殿・底津綿津見神
- 右殿・表津綿津見神
伊弉諾尊の禊祓によって誕生した神なので、人々の穢れを取り払い、また海の安全や海産物の豊漁(ほうりょう)、水や塩をもたらす神徳があるとされてます。
『古事記』によると、これら三柱の神は阿曇連などが祖先の神として仕えている神とし、阿曇連などが綿津見神の御子の宇都志日金析命(うつしひがなさくのみこと)の子孫にあたるとしている。
住民の多くは安曇連の後裔と伝えられてます。昭和46年に福岡市と合併するまでは志賀島町で、その前は村でした。合併前の村の時代から村長・町長は代々、志賀海神社の宮司を務める阿曇氏だった。
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