多彩で豊かな日本神話の世界へようこそ!
『日本書紀』『古事記』をもとに、日本神話のディープなところを突っ込んで解説。最新の学術成果をもとに本格的神話講義。
今回は、
根の国/根之堅州国ってどんなとこ?
素戔嗚尊の追放先、根の国について考える
です。
素戔嗚尊、乱暴狼藉により追放処分を受けます。その追放先が「根の国/根之堅州国」。なんですが、この「根の国/根之堅州国」、実はどこにあるのか、いまいちよく分からないミステリアススポット。
今回は『日本書紀』や『古事記』といった文献をもとに、「根の国/根之堅州国」について必要以上に掘り下げてお届けします。
- 日本神話研究の第一人者である榎本先生監修。確かな学術成果に基づく記事です
- 日本神話全体の流れや構造を解き明かしながら解説。他には無い分かりやすい記事です
- 現代語訳のほか原文も掲載。日本神話編纂当時の雰囲気を感じてもらえます
- 登場する神様や重要ワードへのリンク付き。より深く知りたい方にもオススメです
根の国/根之堅州国ってどんなとこ?日本神話をもとに極遠の地「根の国/根之堅州国」を分かりやすくまとめ! !
目次
「根の国/根之堅州国」は全部で5つのパターンあり
「根の国/根之堅州国」の現場をご紹介する前に、まずは前提となるお話を。
実は、
「根の国/根之堅州国」は、5つのパターンがあるんです。
『日本書紀』で4つ、『古事記』で1つ。合計5。
5つもパターンがあるので、どれが本当なんすか?的な「問い」を立ててしまうと沼。そもそも『日本書紀』編纂チームはそんなこと目指してないので、、。日本神話を通じて伝えたいのは、日本という国の多彩さとか豊かさとかです。もっというと、スゴさ的なもの。
コレ、なんでかというと、『日本書紀』や『古事記』が編纂された当時の政治や社会情勢が絡んでくるお話で。このあたりの事情はコチラ↓で詳しく。
●必読→ 『日本書紀』と『古事記』の違いに見る「日本神話」の豊かさとか奥ゆかしさとか
●必読→ 『日本書紀』とは?神話から歴史へつなげる唯一無二の編纂スタイル!『日本書紀』を分かりやすく解説!
「根の国/根之堅州国」を語るとき、前提として「5つもパターンがある」ってこと理解しておく必要あり。むしろ、そのことを神話世界の多彩さとか豊かさとして整理しておくのが良いと思います。
てことで、
5つもある「根の国/根之堅州国」。多彩で豊かで、謎に満ちた世界をたっぷりとご堪能ください。
以下、まずは日本の正史『日本書紀』から、そして『古事記』の順でお届けいたします。
『日本書紀』で伝える「根の国」
まずは『日本書紀』で伝える「根の国/根之堅州国」をご紹介。『日本書紀』では「根国」で登場、全部で4パターン。
初の「根の国」登場は、『日本書紀』巻一(神代上)第五段本伝。
ココでは、
生みの親(伊奘諾尊と伊奘冉尊)が、無道な息子(素戔嗚尊)に命じた放逐の行き先として「根国」が登場。
それゆえ父母の二神は素戔嗚尊に勅して、「お前は、全く道に外れて乱暴だ。この世界に君臨してはならない。遠く根国へ行かなければならない。」と命じ、遂に放逐したのである。
故其父母二神 勅素戔嗚尊 汝甚無道 不可以君臨宇宙 固当遠適之於根國矣 遂逐之 (『日本書紀』第五段〔本伝〕より)
ということで。
ポイントは、
- 素戔嗚尊の「無道っぷり」を根拠に、この世界に君臨してはならぬと、だから追放だと
- 「遠く根国へ」とあるように、水平方向の「遠い所」として根の国がある
地上世界(この当時は、海と大八洲国)での横、水平方向の遠いところに根国が位置づけられてると思われます。
無道な奴はこの世界にいちゃいけない。
水平方向の遠いところ=根の国
コレが基本形。
次は、基本をもとにした応用形。
同じく第五段の〔一書1〕から。
素戔嗚尊は、生まれつき残酷で害悪なことを好む性格であった。ゆえに、根の国に下し治めさせた。
素戔嗚尊 是性好殘害 故令下治根國 (『日本書紀』第五段〔一書1〕より)
ということで。
ココでのポイントは、
- 「下し治めさせた」とあるように、下方向、つまり「地下世界」が意識される位置づけになってる
この〔一書1〕の段階では、まだ「黄泉」という地下世界は登場していない体(体裁)。
なので、ここで言う「下」というのは、この後〔一書6〕で登場する「黄泉」の「前フリ」として位置づけられます。
基本形が水平方向なら、応用形(差異化)は下方向。ま、言葉の設定自体が「根」の国ってことで、やっぱ根っこは地面の下、、、
続けて、応用形の2つ目。
第五段〔一書2〕から。
そのため父母は、「もしお前がこの国を治めたならば、必ず多くの人々を殺し傷つけるだろう。だからお前は遙か遠く離れた根国を治めよ。」と命じた。
故其父母勅曰。仮使汝治此国 必多所残傷。故汝可以馭極遠之根国。 (『日本書紀』第五段〔一書2〕より)
ということで。
ココでのポイントは、
- 「遙か遠く離れた根国を治めよ」とあるように、水平方向で遥か遠い国として設定されてる
- 「極遠」とあるように、これまでの「遠い所」から「遙か彼方の世界の端っこくらいの勢いのめちゃくちゃ遠い所」として位置づけられてる。
基本形が「遠く」根の国を、、だったのが、〔一書2〕では「極遠」。
「極遠」ですから。遥か彼方の世界の端っこくらいの勢いでめちゃめちゃ遠いところくらいのイメージで。いやー、遠くなったなー 遠すぎて見えませーん!
違いを生んでバリエーションつくるの巻。多様で豊かな神話世界ですね。
最後、応用形の3つめ。
同じく第五段〔一書6〕からです。
素戔嗚尊は「私は根国で母に従いたいのです。だから、哭いているだけなのです。」と答えた。伊奘諾尊は不快に思って「気のむくままに行ってしまえ。」と言って、そのまま追放した。
對曰 吾欲從母於根國 只爲泣耳 伊奘諾尊 惡之曰 可以任情行矣 乃逐之 (『日本書紀』巻第一(神代上)第五段 一書第6より)
ということで。
ココでのポイントは、
- 黄泉にいる伊奘冉尊を「母」として、母に従いたいとしてる
- 母のいる世界=黄泉と同様に、根国は地下にある世界として設定されてる
〔一書6〕は有名な黄泉往来の神話を伝える箇所。
伊奘冉尊が黄泉へいってしまったあと、伊奘諾尊が黄泉を訪問、逃げ帰ってきたところで、檍原で禊を通じて三神を生む、その場面で「根国」が登場。
ポイントは「従母」。母に従う、ということで、イヤ、、おま、母いないよね?素戔嗚尊さん。生んだのは伊奘諾尊であって、母はいないはずなんですが、、、
でも、前後の文脈を踏まえると、素戔嗚尊がココで言う「従母」は、どう考えても伊奘冉尊のことになり、そう考えると、黄泉にいる伊奘冉尊を母として、そこに従いたい、と申しておる、ということになるのです。
「従母」の詳細はコチラで↓
なので、〔一書6〕の根国は、
母のいる世界=黄泉と同様に、根国は地下にある世界として設定されてる
てことでチェック。
以上4つの「根の国」。
『日本書紀』で伝える「根の国」関連トピックまとめると、、、
本伝 | 遠適之於根國 | 水平方向+遠い |
一書1 | 令下治根國 | 下方向 |
一書2 | 馭極遠之根国 | 水平方向+極遠・世界の果て |
一書6 | 從母於根國 | 下方向+母:伊奘冉に従う |
といった感じに整理されます。
「根の国」を極遠の地と考えていたことは間違いないのですが、その方角をどのように考えるかは意見の分かれるところ、、、というのが実際なんです。定まらねー!
ただ、大きな方向感でいうと、やはり、
極遠の地下世界
といったニュアンスは確実にありそうです。
さらに、この後の段で登場する、根の国関連伝承は以下の通り、、、
第六段〔本伝〕:親の勅教に従って素戔嗚尊みずから就くと言表する、その行く先
第七段〔書三〕:素戔嗚尊の悪業に天石窟に閉じこもった日神を神事によって外に出したのち、衆神がこの無頼な素戔嗚尊を嘖めて放逐したその先
第八段〔本伝〕〔書五〕:出雲国に降ったのち、八岐大蛇退治や奇稲田姫との結婚、大己貴神の誕生などを経た後に素戔嗚尊が就った先〔本伝〕。杉や桧などの用途を指定したのち、三子による木種の分布、熊成峯居住などを経たあとに素戔嗚尊が入った先〔書五〕
なんですが、いずれも、
場所感や方向感については決定打に繋がらない。。。
むしろ、
『日本書紀』は特定するのを避けてる感じ。特定化すると謎めいた感じが無くなっちゃうし。パワーの源泉であり、根拠として使われていたのが、まさに「神秘性」とか「不確定さ」で。。。要は「分からないこと」が大事ってこと。
神秘的で謎めいていて奥ゆかしい神話世界、そんな日本。これこそ『日本書紀』編纂チームが目指していた世界感。今の私たちはむしろ、思いっきり妄想を膨らませて自分なりの根の国観を創っていくのが◎なんじゃないかと。
ということで、『日本書紀』が伝える「根の国」をお届け致しました。続いて『古事記』です。『古事記』は一変、場所がかなり明確になってます。
『古事記』で伝える根之堅州国(根の国)
ということで、ココからは『古事記』が伝える「根の国」を探っていきます。
最初に結論を。
『古事記』では
- 「根の国」=根之堅州国という名称になり、黄泉国と同じ地下世界になる。
- そして、黄泉国と同様に、黄泉比良坂でこの世界とつながっている。
図示するとこんな感じ。
こんなイメージをもとに、以下。
『古事記』で、初めて「根の国」が登場するのは、『日本書紀』と同様の場面。
つまり、伊奘諾尊、改め「伊耶那岐大御神」が黄泉国から帰還し禊祓によって三貴神が誕生、世界の分担統治を委任するシーン。
そこで、各が委任され授けられた命のとおりに治めるなかで、速須佐之男命は委任された国を治めずにいて、長い髭が胸先までとどくまで泣きわめいていた。その泣くさまは、青山を枯山のように泣き枯らし、河や海は悉く泣き干上がった。このため悪しき神の音はところ狭しとうるさく騒ぐ蝿のように満ちあふれ、あらゆる物の妖がことごとく発った。
ゆえに、伊邪那岐大御神は速須佐之男命に「どうしてお前は委任された国を治ずに、哭きわめいているのだ」と言った。これに答へて「私は妣の国、根之堅州国に罷りたいとおもっているのです。故に哭いているのです」と申し上げた。そこで、伊邪那岐大御神は大く忿怒って「それならばお前は此の国に住んではならない」と言って、そのままどこまでもどこまでも追放した。 (引用:『古事記』上巻より)
と。
ポイントは、
- 黄泉国にいる伊耶那美命を「母」として、母の国である「根之堅州国」に行きたい
- 黄泉国と根之堅州国は重ねあわされている。同じ場所であるかのような「表現上の仕掛け」が入ってる
- 黄泉国と同様に、根之堅州国は地下にある。
って事。
コチラ、基本は、先ほどご紹介した『日本書紀』第五段〔一書6〕を踏襲した内容。「根国」の名前は少し変わってますが、枠組みは同じ。母に従う、って所も同じ。
やっぱ、
黄泉国と根之堅州国は重ねあわされている。同じ場所であるかのような「表現上の仕掛け」が入ってる
って所、めっちゃ重要で。『古事記』が明確に狙ってる「根の国」の位置づけがありますよね。
てことは、
「生(この世)」と「死(あの世・黄泉国)」の対立構造に組み込んである、って事でもあって。
二項対立フレーム | 世界 | 坐す神 |
生(この世) | 葦原中国 | 伊耶那岐大神 |
死(あの世) | 黄泉国、根之堅州国 | 伊耶那美大神、素戔嗚尊 |
といった枠組みで読み解く必要あり。
素戔嗚尊が言う「僕は妣の国、根之堅州国に罷りたいと欲ふが故に哭いているのです。」という内容、結構大きな問題、生と死の対立構造を含んでるんですね。
続いて、
黄泉国と根之堅州国は黄泉比良坂で繋がってる、って話がコチラ。
時代は下り、素戔嗚尊の子孫である大穴牟遲神(後に大国主神)登場のころ。
この大穴牟遲神、かなりのイケメンで、女性関係でお兄さんたち(八十神)の嫉妬と怒りを買い、散々な目に遭わされます。以下、八十神が大穴牟遲神を木の割れ目に挟んで殺してしまう(←意味不明)シーン。
ここにまた、その御祖(刺国若比売)が哭きながら探し求めたところ、(大穴牟遲神を)見つけ出し、其の木を拆いて取り出し蘇生させて、其の子に告げて「汝はここにいるならば、しまいには八十神の爲に殺されてしまうでしょう。」と言った。
乃ち、木國の大屋毘古神の御所に人目を避けてお遣わしになった。ここに八十神が捜し追い至って、矢をつがえ(大穴牟遲神を出せと)乞うた時に、(大屋毘古神は)木の俣より漏き逃がして、「須佐能男命の坐せる根堅州國に參向ふべし。必ず其の大神が議ってくださるでしょう。」告げた(『古事記』上巻より)
と。
ポイントは、
- 木国の大屋毘古神の所に逃げていき救援を求めたところ、須佐之男命のいる根堅州國に行けとアドバイスもらう
- 実際の行き方は、木国に生えている木の俣(根と根のあいだ)から地下へ漏れ逃がすことによって、根堅州國に行った。
- ちなみに、根堅州國に行ったら行ったで美しい女(須勢理毘賣)と出会い一目惚れしてしまう、、、
ということで、
木国に生えてる木、の根っこの間から、いや、根っこだけに!「根堅州国」へ行く道が通じている。根っこが生えてるのは地下!ということで、やっぱり黄泉国と同様、根の国=地下世界、という話。
そして、この後、いろいろあって、大穴牟遲神は、須佐之男命の女 須勢理毘賣を連れて根堅州国から愛の逃避行を敢行するんですが、そのシーンがコチラ。
(大穴牟遲神は須勢理毘賣を連れて)が遠くお逃げになった。ゆえに、(須佐之男命は)ここに黄泉比良坂に追い至って、(逃げていく二神を)遙に望け呼んで、大穴牟遲神に謂りて、(以下略) (『古事記』上巻より)
ポイントは、
- 根堅州国から逃げ戻ってくるときに、黄泉比良坂を通る。つまり、この世界と根堅州国は坂で通じている。
- (須佐之男命は)比良坂よりこちらには来ない、ということは、坂が境界の地になっている。
- つまり、黄泉国も根堅州国も黄泉比良坂でこの世と繋がっている。
という事になります。
坂(さか)=境(さかい)
といった伝承をくみ上げると、、、
こうなる。
あとは、含む・含まれないといったところが論点かなと思います。
- 黄泉国の一部に根堅州国があるのかないのか?
- 黄泉国と根堅州国は別々の国で重なることはないのか?
この辺りは是非ご自身でイメージしてみていただければと思います。
まとめます。
- 「根の国」=根之堅州国という名称になり、黄泉国と同じ地下世界になる。
- そして、黄泉国と同様に、黄泉比良坂でこの世界とつながっている。
- 場所の話以上に、「生(この世)」と「死(あの世・黄泉国)」の対立構造とあわせて読み解くのが〇
二項対立フレーム | 世界 | 坐す神 |
生(この世) | 葦原中国 | 伊耶那岐大神 |
死(あの世) | 黄泉国、根之堅州国 | 伊耶那美大神、素戔嗚尊 |
以上、『古事記』版「根の国」論でした。
「根の国」はモデルあり!それが「四裔」鬼の住む場所
日本神話をもとに「根の国/根之堅州国」像を探ってきましたが、ココからは、そもそも論、こういったことが背景にあるんでないかい?といった内容をお届け。
題して、
根の国に実はモデルがあった!?
の巻。
それが、、、
四裔=鬼の住む場所
であります。
「四裔」とは、国の四方のはてのこと。ココには、疫鬼が棲んでいて、こいつらが人間に悪さをする、という考え方。
分かり易いところでいうと、節分や追儺といった伝統行事に繋がっていく信仰とか考え方とか。
追儺とは、大晦日に行われる元・宮中の年中行事。鬼(疫鬼や疫神)を払う儀式のこと。節分と同じ意味合いの行事です。これはこれで、節分とあわせて語りだすと長大になってしまうので別エントリで。
今回は、中国古典、『漢籍』が伝える「追儺」の伝統行事の一部をご紹介。
疫鬼を逐いやると。彼らを本来居住すべきところ「四裔」に戻す、という考え方のところ。
追儺で疫鬼を送るたいまつの火は流れ星のように流れはせて行き、疫鬼のなかでも特に悪い赤鬼を四海の果て(地の果て)に駆逐する。(煌火馳而星流、逐 赤疫 於四裔 。)張平子「東京賦」(『文選』巻三)
春秋左氏伝に言う、諸(疫鬼)を四海の果てに投げ捨て、魑魅(山沢の神)から防禦する。(左氏伝曰、投 諸四裔 以禦 魑魅 。)李善注
※禦:防ぐ、おさえてとめる
(※具体的内容については『荊楚歳時記』東洋文庫324の「十二月、八日臘祭」の項の守屋美都雄氏の解説を参照)
疫鬼、赤疫、魑魅、、、いずれも人間に害悪をもたらす鬼たち。彼らを「四裔」に逐いやる、彼らを「四裔」に投げやり防ぐ、という考え方。
他にも、『論衡』「訂鬼第六十五」に、あい通じる一節があります。
鬼は物(人や社会に害悪をもたらす存在)である。人間と異なるものではない。天地の間には、この鬼である物が世界の四隅の外に常にいる。それが、時に中国(中央にある国。中国人が自国を呼ぶ語。人間社会)に往ったり来たりする。人間にまじって存在する、凶悪な類である。
鬼者、物也。与人無異。天地之間、有鬼之物、常在四辺之外。時往来中国、与人雑則、凶悪之類也。 (『論衡』「訂鬼第六十五」)
ココでは、「四裔」は「四辺之外」という言葉で伝えています。
「四裔」鬼の住む場所
で、
ここからが大事なんだけど、
素戔嗚を、鬼として、つまり人間に害悪を与える存在として考えてみると、
この「四裔」(「四辺之外」)こそ、まさしく「極遠の地」であり、素戔嗚尊に対して父母二神が追放した根の国そのもの、ということになるんです。
つまり、
- 中央:葦原中国=天子の宮があり、人の住むところ
- 四裔:極遠の地・根の国=鬼の住むところ、素戔嗚の坐すところ
という構図。
つまり、
「四裔」などのいわば中国古典の伝統思想をもとに、「根の国」という場所を創ったということなんすね。良く考えられてる。そう考えると、素戔嗚がなぜ生まれながらに哭きわめくのか、それによって、青山を枯らせ人を若死にさせるのか、理解できてきますよね。
要は、
鬼だから。
人々に疫病や災禍をもたらす鬼としての設定があるからこそ、生まれつきの無道な神性を持ってるって事なんすね。根の国とあわせてチェックです。
まとめ
根の国ってどんなとこ?
というテーマで、素戔嗚尊の追放先、根の国について考えてきましたが、いかがでしたでしょうか?
要は、『日本書紀』『古事記』では細かいところは違いがあるものの、全体的な方向感としては、極遠の地下世界、といったニュアンス。
その中で、
『日本書紀』第五段の「根の国」関連トピックまとめると、、、
本伝 | 遠適之於根國 | 水平方向+遠い |
一書1 | 令下治根國 | 下方向 |
一書2 | 馭極遠之根国 | 水平方向+極遠・世界の果て |
一書6 | 從母於根國 | 下方向+母:伊奘冉に従う |
といった感じに整理されます。
『古事記』でいうと、
- 「根の国」=根之堅州国という名称になり、黄泉国と同じ地下世界になる。
- そして、黄泉国と同様に、黄泉比良坂でこの世界とつながっている。
- 場所の話以上に、「生(この世)」と「死(あの世・黄泉国)」の対立構造とあわせて読み解くのが〇
二項対立フレーム | 世界 | 統治者 |
生(この世) | 葦原中国 | 伊耶那岐大神 |
死(あの世) | 黄泉国、根之堅州国 | 伊耶那美大神、素戔嗚尊 |
といった感じになります。
いずれも、
現代でも、節分や追儺といった伝統行事で継承されているように
「四裔」鬼の住む場所
といった思想あり。「四裔」とは、国の四方のはてのこと。ココには、疫鬼が棲んでいて、こいつらが人間に悪さをする、という考え方です。
この「四裔」(「四辺之外」)こそ、まさしく「極遠の地」であり、素戔嗚尊に対して父母二神が追放した根の国そのもの。
- 中央:葦原中国=天子の宮があり、人の住むところ
- 四裔:極遠の地・根の国=鬼の住むところ、素戔嗚の坐すところ
という構図があり、
「四裔」などの中国古典の伝統思想をもとに、根の国という場所を創ったということ。
そう考えると、素戔嗚がなぜ生まれながらに哭きわめくのか、それによって、青山を枯らせ人を若死にさせるのか、理解できます。
人々に疫病や災禍をもたらす鬼としての設定があるからこそ、生まれつきの無道な神性を持ってるって事、合わせてチェックされてください。
根の国/根之堅州国が登場する日本神話はコチラ!
佛教大学名誉教授 日本神話協会理事長 榎本福寿
埼玉県生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程国語学国文学(S53)。佛教大学助教授(S58)。中華人民共和国西安外国語学院(現西安外国語大学)文教専家(H1)。佛教大学教授(H6)。中華人民共和国北京大学高級訪問学者(H13)。東京大学大学院総合文化研究科私学研修員(H21)。主な書籍に『古代神話の文献学 神代を中心とした記紀の成りたち及び相関を読む』がある。『日本書紀』『古事記』を中心に上代文学における文献学的研究成果多数。
参考文献:『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)
どこよりも分かりやすい日本神話解説シリーズはコチラ!
ついでに日本の建国神話もチェック!
島根県安来市辺りでしょう?スサノオを祭る古社、広瀬の須賀神社(富田八幡宮 境内社)もあるし。そこの近くのかわらけ谷
というところでは1400年間錆びずに黄金の輝きをもつ大刀が発見され。出雲の奇跡と話題になったところですね。
東部古代出雲王権のあった安来あたりでしょう。