「等彌神社」は、奈良県桜井市桜井にある神社。
ココ、大嘗祭発祥の地とされ、
初代天皇である「神武天皇」が、東征ミッション達成後、
途上でいただいた神助に対する「孝(孝行)」として、つまり、日本神話版「御恩と奉公」の位置づけで、皇祖神・天神を祀った場所(霊畤)がある超絶パワースポット。
鳥見山の山頂付近にある霊畤場(斎場)は、日本神話ファンとしては鉄板のビジットスポットであります。
今回は、そんな神代と歴史の転換点に由来する超重要神話スポット「等彌神社」をご紹介します。
等彌神社|大嘗祭発祥の地!鳥見山霊畤を背後に鎮座する等彌神社は日本神話的超絶パワースポット!
目次
等彌神社に関わる日本神話
まずは、当サイトならではの、「等彌神社」に関連する日本神話からご紹介。
これをチェックすれば、「等彌神社」の超絶な重要性がご理解いただけるはず!マジヤバいすよ、ココ。
で、
「等彌神社」、より正確に言うと、「等彌神社」が擁する背後の鳥見山の斎場は、なんと、、
大嘗祭発祥の地
とされてます。神話的に。いや、即位後だから歴史的にか。。。ま、それはともかく。もう、コレだけでその凄さがご理解いただけるはず。
歴代の天皇が、天照大神はじめ天神地祇を祭っている理由、宮中祭祀の起源がココにあって。
今でこそ、なんだか寂しい感じになってますが、重要感をもってチェックいただきたい!
関連する神話は、日本の建国神話である「神武東征神話」にあり。まずは、コレ↓で全体の流れをチェック。
この壮大な建国神話の最後、
東征を果たし、日本を建国、初代天皇として即位したところで、神武天皇が、これまでのことを振り返って、総括するシーンがあります。
その中で、東征の途上でいただいた「神助(天照の救援、天神の支援)」に対する孝行を宣言し実行。コチラ。
四年春月の二十二日、(天皇は)勅して仰せられた。「我が皇祖の御霊が天から降りご覧になって、我が身を照らし助けてくださった。今、すでに諸々の賊を平定し、天下は何事もなく統治されている。そこで天神を郊祀って、大孝の志を申しあげよう。」
そこで、斎場(靈畤)を鳥見山に設けて、その地を名付けて上小野の榛原・下小野の榛原といい、もって皇祖である天神を祭られた。 (『日本書紀』巻三〔神代紀〕より一部抜粋)
ということで。
日本神話版御恩と奉公。
助けてもらったおかげで、日本を建国できました。なので、親孝行ならぬ「天神孝行」を実践します
という内容。
まず、ご恩の具体的内容としては、、
「我が皇祖の御霊が天から降りご覧になって、我が身を照らし助けてくださった。」とあるように、東征過程でこんなに↓神助いただきました。
さらに、天神そのものではありませんが、こちらも天の支援ということで。おまけ。
ほんとありがたい。。。
で、
チェックいただきたいのは、
日本の建国は、神武天皇というリーダー一人のチカラで成し遂げられた訳じゃない。
って事。
そこには、優秀な部下の貢献や、天照や天神の支援があって。皆様の貢献や支援をいただいてようやく建国を果たすことができました。ありがとうございます。一同礼!
だからこその奉公。「天神を郊祀って、大孝の志を申しあげよう。」(天神を郊祀し、用ちて大孝を申すべし。(原文:可以郊祀天神、用申大孝者也。)という内容。
「郊祀=郊外で天を祭る儀礼」による「大孝(最大の孝行)」の実践。
具体的には、
靈畤を鳥見山に立てて天神を祭る
というもので。「靈畤」とは、斎場のこと。
鳥見山に、お祭り用の祭壇を立て皇祖である天神を祀った。コレが大嘗祭の起源とされてるのです。
ポイントは、この祭祀が
「恩」に対する「孝」としてお祭りした
という事。「孝」とは親孝行の「孝」。
これはまさに、
「即位した天皇のありかた」を物語っている
って事であり。
神武天皇が即位し「孝」を実践したように、歴代の天皇が即位にあたっては大嘗の場で、五穀豊穣、国民国家の安寧とあわせて、皇祖である天神へのお祭りを実践する、という事になるのです。
天皇が祭祀を継承している根拠がココにあり。
ということで、超重要事項であります。まさに、その場所が、「等彌神社」の背後にある鳥見山、という訳。
スゴイでしょ?「靈畤」。激しくチェックです。
等彌神社の場所
そんな、「靈畤」を擁する「等彌神社」。場所は、奈良県桜井市大字桜井字能登1178番地。
スゴイよね、神話と歴史が交差するロマン発生地帯、それが奈良にある。
直ぐ近くには、これまた神代から続く大神神社があって。地理的にも、山地と平地の境界の所で。まさに、神武が山から下りて来て平地の敵を蹴散らした重要スポットであります。
場所については後ほど再度解説しますので、チェックしといてくださいね。
▲宇陀—桜井—橿原を結ぶ大動脈166号線から、薬師町交差点を南へ。37号沿いにあります。
キタでー!!こちらが「等彌神社」の入り口です!
駐車場が、右手にあります。
が、狭いのでご注意を。
等彌神社の創建経緯
神社自体の創建経緯は不詳。
まず、鳥見山での祭祀、並びに祭祀場があって、その後、神社として成立していった経緯。なお、『延喜式神名帳』には「大和国城上郡等彌神社」の名があり、これに比定されております。
天永3年(1112年)、山崩れがあり、これにより社殿を現在の地に移したようで。また、明治時代までは「能登宮」と呼ばれていたそうな。この住所が「桜井字能登」だけに。
最近の「等彌神社」的一大イベントは、昭和15年(1940年)。これは神話ファンなら鉄板チェック年で、つまり、神武天皇即位2600年記念の年。
必読:神武天皇聖蹟調査(昭和15年)による「聖蹟顕彰碑」まとめ|大人の事情満載だけど確かなものもきっとある件 (マニア限定)
この年、旧村社から県社に昇格!
しかも!
直ぐ近くに、聖蹟顕彰碑が建てられるという名誉に、、、
必読:神武天皇聖蹟 鳥見山中霊畤 顕彰碑|斎場(靈畤)を鳥見山に設けて皇祖天神を祭る!宮中祭祀、大嘗祭発祥の地となった超重要スポット!
ありがとうございます。ようやっと光が、、、(この時は)
等彌神社の境内
「等彌神社」については、いわゆる「境内」という概念ではなくて、背後の「鳥見山」も含めた全体を含めてチェックをいただきたい!
コチラ!
つまり、
一番左上の、「靈畤」まで含めて等彌神社の境内ですから! 参拝に当たっては登山覚悟で参られたし!!!
山頂、最重要スポットまで約30分ちょっと!
絶対登ってや
ということで、
さっそくリアルな現場をチェックです。
▲こちら、等彌神社入り口の様子。ほんわりした雰囲気。
▲こちらが等彌神社の社務所。入り口はいってすぐ左。
▲等彌神社の手水舎。登山用の棒まで用意されております。登ってや、絶対やで
さーここからです!
等彌神社境内には、160余基の石燈篭が並立。これも特徴的。
参道を進んで、左へ上社「上津尾社」に至り、右へ「下津尾社」に至ります。
等彌神社 下社「下津尾社」
石段を上がって奥です。2社あり、右殿が八幡社、左殿が春日社です。
御祭神
八幡社(右殿):磐余明神(神武天皇)・品陀和気命(応神天皇)
春日社(左殿):高皇産霊神・天児屋根命
ポイントは、磐余明神(神武天皇)。
日本神話をチェックされた後なら、なんで神武天皇がお祭りされているかお分かりいただけるはず。そして、「磐余」の由来はコチラでチェック。
必読:中洲平定と事蹟伝承|大和平野各地の土蜘蛛さんを叩いて平定完了!あとは東征の事蹟を伝えておきたい件|分かる!神武東征神話 No.20
ポイントは、
- 敵を打ち破った東征軍の兵卒があふれて「満めり」と、
- 逆に、東征軍に打ち滅ぼされた八十梟帥の「屯聚居たり」
という、異なる地名起源伝承から。
あふれるぐらい多くの強大な敵をやっつけた=オレ様スゴイぜ、ってことですね。
こちらも是非:神武天皇聖蹟 磐余邑 顕彰碑|磐余は山から平地への転換スポット!つまり、自然から文明へ、少し頭が良くなった気がする件
そして、
さらに左奥へ進むと、、、
緑が美しい静寂なる境内。秋には紅葉がめっちゃ美しくなります。是非。
等彌神社 上社「上津尾社」
コチラが、本社にあたる上社「上津尾社」です。
御祭神:大日霊貴尊(天照皇大神)
本殿はもともと鳥見山中にあり、天永3年(1112)に現在地に遷移。こちらも、神話をチェックしたあとであれば、なんで天照大神がお祭りされてるのか、ご理解いただけるはず!
ということで、
等彌神社のメインとなる2社。「上津尾社」に天照大神が、「下津尾社」に神武天皇が、それぞれお祭りされてる訳で。まさに、日本神話で伝える「靈畤」祭祀が根拠。しっかりチェック。
他、
境内社八社は以下。「靈畤」へのルートは八社紹介のあとで!
①弓張社
ご祭神:櫻井弓張皇女
実は地元的には超重要な神。
この神の名が、「櫻井(現:桜井)」の地名発祥の一つとされてます。
「櫻井弓張皇女」は、第三十代敏達天皇の第七皇女。もともと、磐余山東光寺の鎮守の神だったのが、この寺が廃寺となり、ここに遷座した経緯。
「夜泣きの神様」として信仰をあつめていたようで、子供、にわとりを描いた絵馬が掲げられてます。
②恵比須社
御祭神:事代主大神
古来、「磐余の市場守護神」として信仰をあつめ、「磐余市立の宮」として独立したお宮さんでした。時代の変遷により転々とし、明治7年に当地に鎮座。
いまでも、市場守護の大神として市内商工の繁栄を祈願されてます。
③金毘羅社
④黒龍社
上津尾社から山手右へ少し上ったところにあります。季節はずれの大蛇を見たことからお祭り。昭和32年のこと。
⑤稲荷社
上津尾社から山手左へ少し上ったところにあります。
⑥猿田彦大神社
昭和55年に、伊勢市鎮座の猿田彦神社より勧請。猿田彦大神は、みちひらき、交通安全の神。
⑦愛宕社
⑧桃神社(桃神池)
社務所東側に桃神池とよばれる小さい池があり、この中島にある祠。ご祭神は「意富加牟豆美命」。『古事記』で、黄泉国から逃げるときに、伊耶那岐神が投げた「桃」の名前、それにちなむ神。
以上、境内社八社。
ともう一社。
桜井市護国神社
桜井市より出征し、戦没された1860余柱の御英霊を奉斎。昭和30年代に創建。
ということで、
以上が、狭い意味での境内の様子でした。
ここから、お待ちかね、鳥見山中「靈畤」へのルートをご紹介!!
等彌神社 鳥見山靈畤へのルート
鳥見山中「靈畤」へは、上津尾社の左手に登山道口があります。ココから登っていきます。
鳥見山は標高245m、面積約50ha余りのなだらかな山容で、登るにつれ北に三輪山、南に音羽山系、東に外鎌山や初瀬谷などを眺めながら山頂へと至ります。途中、靈畤拝所(是より160m、庭殿(同650m)、白庭(同890m)等を通り、山頂(同1000m)に至ります。
古より多くの方々が登下山された道で、広葉樹林では春の新緑や秋の紅葉など四季折々の自然を満喫していただくことができる散策路です。また、万葉歌碑などを楽しみながら、古代のロマンを味わっていただけます。
植林された中を通過しますので、火の用心、ごみの持ち帰りなど、入山者は十分に気をつけてください。 (鳥見山中靈畤顕彰会)
とのことで、
ココからは神聖な場所になりますので、ゴミとか喫煙とかご法度でお願いしますね。
登山道口の様子。早速、看板が豪快に倒れてますが気にせずGO!
- 靈畤拝所 110m
- 庭殿 560m
- 白庭山 835m
- 靈畤 990m
ということで、
最終ゴールの「靈畤」へはおよそ1㎞。途中に、拝所、庭殿(祭りの饗宴に供された場所)、白庭山頂があります。
登山道はこんな感じ。ハイキングな感じで♪
▲途中、左手に三輪山が見えます。ほんとすぐ近くな感じ。これも何か意味があるのでしょうか。
登り始めて10分ちょっと、最初のポイント、靈畤拝所があります。
靈畤拝所
ココより靈畤を拝す。靈畤は見えないが。
万葉歌碑もあり。
うかねらふ 跡見山雪の いちしろく 恋ひば妹が名 人しらむかも(『万葉集』巻10-2346 作者不詳)
鳥見山に降り積もった白雪のようにはっきりと人目につくような恋の態度を示したら、人々は私の恋人の名を知ってしまうだろうか。
ということで。
拝したあとは、先へずんずん進みましょう。
さらに深くなっていく山。、。
案内板があると安心しますよね。。。
庭殿
登り始めて15分ちょっと。ようやく庭殿へ到着。この場所は、祭りの饗宴に供された場所として伝えられてます。
この広場で、、、饗宴が、、、???
歌碑も立ってます。
この饗宴について、桜井町の歌人がその心境を歌につづったものだそうで。
「見わたせば 大和國原ひとめにて 鳥見のゆ庭の跡ぞしるけき」と。そうですか。
さーどんどん行きましょう。
登ったり、下ったり、、、
って、やってるうちに、、、
お?!人工物!!来たか!?白庭山!
白庭山
うん、ここは特に説明なし。ちょっと休んだらとっととGO!
ここまでくればあともう少し!
そして、、、
お!あれか!?靈畤!!!
おおお!これだ!!!
『日本書紀』によると、この鳥見山付近は、神武天皇が「橿原宮で即位後四年、皇祖天つ神を祭られた」と「靈畤」の由来を記しています。(巻第三)
「靈畤」とは、「まつりのにわ」を意味し大嘗祭を行う場所をいいます。
また、鳥見山頂付近は、南北朝時代に戒重西阿氏が築いた鳥見山城の跡と云われています。 (鳥見山中靈畤顕彰会)
からの、、、、
靈畤キタ――(゚∀゚)――!!!
ここが、、、
ここが、、かの、、、ワナワナ(;゚Д゚)、、
大嘗祭発祥の地!
天神を郊祀って、大孝の志を申しあげた地!!
斎場(靈畤)を設けて、皇祖である天神を祭られた超絶パワースポット!!!
草木うっそう、、、タラーリ( ゚Д゚)
、、、ま、
いいんだけどさ、、、
涙
仕方ないので、ポイント確認
- ココは、山と平地の境目に位置。山(未開)VS平地(文明)のちょうど境。を、見渡せる絶好の地。
- 神武は、宇陀から166号線を通って山から降りてきた。で、磐余で大量の賊軍を打ち滅ぼした(と、東征を振り返って事績を伝えてる)。
マップはこんな感じ。
と。
神武が何故、この地を選んで斎場(靈畤)を設け皇祖天神を祭ったのか?
なんとなくですが、その理由が分かるような気がして。ようやっとたどり着いた大和の地。初めて踏んだ中洲、夢にまでみた中洲。。。
磐余という地名が物語るようにあふれんばかりの賊軍を蹴散らした武勇伝もさることながら、この地にたどり着けたことへの感慨とか感謝とかがこのエリアの持つ意味だったのでしょう。
おりしも、すぐ北には超絶パワーを持つ三輪山もあり。これにより、北に三輪の神、南に靈畤、という防衛線的なラインもできる訳で。いろんな意味とかロマンとかが感じられて、、、
最高♡
▲靈畤から忍阪を望む。嗚呼、神話ロマン。
参考:忍坂|大室を建てて八十梟帥残党の掃討作戦を実行した地。忍阪街道と合わせて見どころまとめてみた件
そして、帰りの道、、、
まとめ
「等彌神社」は、奈良県桜井市桜井にある神社。
大嘗祭発祥の地とされ、初代天皇である「神武天皇」が東征ミッション達成後、
途上でいただいた神助に対する孝として、皇祖神を祀った場所(霊畤)がある超絶パワースポットです。
霊畤のある鳥見山山頂までは、およそ30分ちょっと。山道で若干大変ですが、是非登っていただきたい、そして、ご自身なりの神話ロマンの翼を広げていただければと思います。
最高やで。ほんまに。
等彌神社
住所 | 奈良県桜井市大字桜井字能登1178番地 |
営業時間 | 無し |
駐車場 | あり |
トイレ | あり |
等彌神社に関連する日本神話はコチラ!
どこよりも分かりやすい日本神話解説シリーズはコチラ!
日本神話編纂の現場!奈良にカマン!
こんにちは。興味深く拝見しました。健脚でいらっしゃるんですね…。素晴らしいです。地元生まれですが、鳥見山の上まで登ったのは割と最近でした。途中であきらめてもう帰ろうかと思うほどしんどかったです…。私が子供の頃は、神武天皇が狩りをなさったと聞きました。それに関し、鳶?について書いた石碑が、目の前の桜井市図書館?から1分くらい歩いた道際にあったのですが、昨日久しぶりに帰ったところ、見当たりませんでした。私の母の子供の頃は、このあたり群衆古墳が多くて、土器や剣などがふつうに出てきたそうですよ。桜井市南小学校の横の道を通って、聖徳太子が飛鳥の宮まで通勤されていたと小学校の授業で先生が説明されてたそうです。上之宮は斑鳩に移られる前、お若い時に住んでおられた場所と地元で伝わっています。遺跡として整備されたのはごく最近ですが、昔から伝承のあった場所が発掘してみるとまさにそうでした。長々と失礼しました。懐かしい桜井のお話有難うございました。