「葬送儀礼」とは、死者を葬る一連の儀礼のこと。
「葬儀」という言葉。これは「葬送儀礼」の略ですよね。
現代における「葬送儀礼」は、宗教や地域ごとによって様々ですが、多いのは、臨終を迎える人を看取り、亡くなった人の遺体を清めて通夜を行い、葬儀や告別式を行い、火葬にする、といった流れ。そして四十九日、一周忌を行いますよね。
時代の流れをうけて、ますます簡略化される現代の葬送儀礼ですが、古代においてはどうだったのでしょうか?
今回は、日本神話で伝える葬送儀礼から、古代における風習を読み解いてみたいと思います。
葬送儀礼|葬送儀礼の起源は日本神話にあり!?これが古代の葬儀、喪や殯だ!
日本神話で伝える葬送儀礼
まずは日本神話で伝える葬送儀礼をお届け。いくつかあるのですが、まずはコチラ。
『日本書紀』巻一(神代上)第五段〔一書6〕。神生み神話の中で、火神「軻遇突智」を生んだ伊奘冉尊が、火神の火によって焼(焦)かれ死んでしまうシーン。
突然、愛する妻を亡くしてしまった伊奘諾尊の行動に注目です。
その火神の軻遇突智が生まれるに至って、その母の伊奘冉尊は焦かれ、化去った。その時、伊奘諾尊は恨み「このたった一児と、私の愛する妻を引き換えてしまうとは。」と言った。そこで伊奘冉尊の頭の辺りを腹ばい、脚の辺りを腹ばいして、哭いて激しく涕を流した。 ー中略ー 遂に、帯びていた十握剣を抜き、軻遇突智を三段に斬った。
至於火神軻遇突智之生也 其母伊奘冉尊 見焦而化去 于時 伊奘諾尊恨之曰 唯以一兒 替我愛之妹者乎 則匍匐頭邊 匍匐脚邊 而哭泣流涕焉 ー中略ー 遂抜所帶十握劒 斬軻遇突智爲三段
このシーンのポイントは2つ。
- 愛する妻を喪失した悲痛
- 愛する妻を殺した息子への恨み
この「情動」をまずはチェックです。神様ですが、まさに人間そのもの。
これを承けて、
- 悲痛の表現として「腹這う」「哭く」
- 恨みの表現として「斬殺」
となってます。
悲痛の表現。頭のところで腹這って、脚のところで腹這って、それから大声で哭くと、まースゴイ。
神の感情表現の仕方、方法、しっかりチェック。
古代における葬送儀礼
古代における葬送儀礼は非常に独特。
日本神話的には、神がそうするから人間もそうする、といったスタンスですが、実際のところは、当時の風習や習俗が神話に色濃く反映されてる、という見方。
死者を送る特別な儀礼として、喪や殯の儀礼があります。
類例として以下。
『古事記』の景行天皇条。
倭建命の死に参じた后や御子らが、喪失の悲しみを表現するシーン。
「(倭建命のお后と御子たちが)御陵を作り、その地の水田を這い回って大声で泣きわめき歌を歌った。(作 御陵、即匍匐廻 其地之那豆岐田 而哭為歌。)」『古事記』
と、伝えます。
- 這いまわる(腹這になって)、大声で泣きわめく(哭く)
先ほどの伊奘諾尊の悲痛表現と同じですよね。
なぜこんなに大騒ぎするのか?過剰なのか?
それは、
大げさであればあるほど手厚いとされる価値観だったから。大げさであることは「喪失の悲痛」とその大きさを表すことだったと、、、
亡くなったあとの一定期間、哭く(泣き叫ぶ)、歌い舞う、といった儀礼のあと葬送するといった事が風習としてあった模様。
ちなみに、葬送においては、参列者は白装束で、屋敷も白く飾り、流れ幡を数百本、葬送の列が持ち歩く または道に立てる、そして挽歌を歌い百余りの鉦鼓を奏しながら、墓所である山(または墳墓)まで運んでいく、、、といった感じだったようです。
日本神話的には、神がそうするから人間もそうする、といったスタンスですが、実際のところは、こうした当時の風習や習俗が神話に色濃く反映されてる訳で。そう考えると、神話と歴史、神話と習俗、といったロマン交錯地帯なんじゃないかと思います。
まとめ
「葬送儀礼」とは、死者を葬る一連の儀礼のこと。
古代における「葬送儀礼」の最初は、実は日本神話から。
『日本書紀』巻一(神代上)第五段〔一書6〕。神生み神話の中で、火神「軻遇突智」を生んだ伊奘冉尊が、火神の火によって焼(焦)かれ死んでしまうシーンで、愛する妻を亡くしてしまった伊奘諾尊が行うのが日本初の葬送儀礼。
古代においては、
- 這いまわる(腹這になって)、大声で泣きわめく(哭く)
といった感じで、大げさであればあるほど手厚いとされる価値観でした。それだけ深い喪失の悲しみだったと、、、
悲しみの表出、死者への弔意。時代の流れをうけて、ますます簡略化される現代の葬送儀礼トレンドだからこそ、現代の私たちに何かしらの示唆をもらえる内容なのではないでしょうか?
参考文献
『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)
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