人間モデルの神による新たな展開|理から情による行動へ。これは日本神話的革命だ

人間モデルの神の登場

 

日本神話に登場する、重要ワード、重要エピソードをディープに掘り下げる「日本神話解説シリーズ」。

今回は、

人間モデルの神による新たな展開

をテーマにお届けいたします。

ただ、、、予めお断りしておきますが、
日本神話的には、神をもとに人ができてる、っていうスタンスなので、

これからご紹介する「人間モデルの神」も、
神がそうだから、人間もそうなんだ。というてい(体裁)。

神が先、人が後。

この先後せんご、順番はお間違えなく。以下、全てコレに倣え。

で、

『日本書紀』第五段〔一書6〕から初めて登場する「人間モデルの神」。

コレ、活動するのは「神」として。だが、その実態は「人」っていうニュータイプで。日本神話的には革命的イベント。

みんなの頭に「?」フラグが立ちまくる大事件。なんでだ? てか、なんだこの「パッと見は神、だけど、中身は人」みたいな存在は・・・???

人間モデルの神。その主な特徴は、

ことわり」ではなく「じょう」によって動くこと。

うん、すごい人間っぽい。でも神。

今回は、〔一書6〕で突如発生した「人間モデルの神」の中身とその影響について、それでも神が先で人が後、というスタンスは保ちつつ、現地から生々しくお届けして参ります。

 

人間モデルの神による新たな展開|理から情による行動へ。これは日本神話的革命だ

「人間モデルの神」発生の時代背景

何事も経緯や理由があって。

第五段で革命的に誕生する「人間モデルの神」の発生理由を探るためにも、まずは、日本神話的時代背景をチェックです。

  1. 天地開闢てんちかいびゃく乾道独化けんどうどっかによって純男神じゅんだんしんが誕生(第一段)→革命的
  2. 乾坤道相参けんこんのみちあいさんじによって男女対耦神だんじょたいぐうしんが誕生(第二段)→革命的
  3. これらは神世七代かみよななよという尊い神様カテゴリでした(第三段)
  4. 伊奘諾尊いざなきのみこと伊奘冉尊いざなみのみこと結婚と出産により大八洲国おおやしまぐにが誕生(第四段)→革命的

と。

振り返ってみると、天地開闢てんちかいびゃくから全て、革命的イベントばっかり。激動の創成期。

この大きな時代のうねりを感じろ。

天地が開闢かいびゃく、神が誕生、男女の神が結婚して出産、国の土台ができた! 、、っていう経緯や背景の中で誕生したのが「人間モデル神」。

やっぱ「革命的大事件」として、その重要性を捉えていきたい。

で、その誕生した理由とは、、。

それは、

みち由来神の限界を突破すること。

これだ。

みち由来神とは?

けんみちにより誕生した純男神じゅんだんしんけんこんみちが参じて誕生した男女神。みちから生まれた、みち由来の100%天然オーガニック神。

そして、伊奘諾尊いざなきのみこと伊奘冉尊いざなみのみことも、けんこんみちから化生した神であり、ゆえに、宇宙法則である「尊卑先後そんぴせんごじょ」を内在している。

宇宙法則である「尊卑先後そんぴせんごじょ」を内在しているとは、先後せんご次序じじょに則る、ということ。拘束されるってこと。

例えば、陽神おかみ左旋させん陰神めかみ右旋うせん陽神おかみ先唱せんしょう陰神めかみ後和こうわ、などなど、

決まってるんすよ。全部。

外れたら、おかしいんすよ。

予定調和的神様行動として表現される訳ですね。

これはつまり、

神話的限界に直結するんす。つまり、そのままだと 物語に広がりが生まれない。予定調和のストーリー。簡単に言うと

予想外の展開が生まれない!

つまらん!日本つまらん!

ってなる。

これは、、、マズイ。。。

日本神話、何のために編纂へんさんしてんの? って言えば、日本のスゴさや豊かさを打ち出すためなのに、このままでは真逆の結果に、、、マズい。。

だからこそ、

みち由来の100%天然オーガニック神ではない別の存在の神登場が必要だった訳です。それが「人間モデルの神」!

原理を外れる、情動で動く、何しでかすか分からない、そんな不確実性を内在する存在。コレ、ニュータイプ。でもそこからは新たな展開が見えてくる、、、

ということで、
「人間モデルの神」発生経緯や理由、まとめると

みち由来神の限界を突破すること。

予定調和的神様行動 から 不確実的神様行動へ。大転換。

これにより、

予想外の展開が生まれる!

おもろい!日本おもろいやん!

ってなる。そんな背景や理由があったんですね。

 

「人間モデルの神」ってどんな神?

天地開闢てんちかいびゃくから全て革命的イベントばっかり。激動の創成期に、
さらに大きな展開を生み出そうと誕生した「人間モデルの神」。

ここでは、その中身について簡単に解説。実例は後ほど、現場を見ていただき感じてください。

「人間モデルの神」の特徴は

じょうに基づく行動原理を持つ。

ってこと。

登場したタイミングも絶妙で。〔一書〕というめっちゃ便利な場所。なんか許されてしまう新概念勝手に入れときましたの巻。

今回登場する代表的なじょうの例としては、

うらみ

、、(;゚Д゚)ヒエエー

伊奘諾尊いざなきのみことも、伊奘冉尊いざなみのみことも、素戔嗚尊すさのおのみことも、、、みんな「うらみ」をもとに行動してて、まー人間的。情動。原理原則なんて関係なし。感じるままに。

でもね、、

人間モデルの神。実は突然登場するわけじゃないんです。
しっかりプロセス、段階を踏んでの登場だったりします。

その段階とは、
伊奘諾いざなき伊奘冉いざなみが一緒になった経緯 @第四段

  • 「於是、陰陽始遘合為 夫婦」〔本伝
  • 「遂為 夫婦」〔書一〕、
  • 「二神合為 夫婦」〔書六

といったかんじで、
実は、そもそもの始め、プロセスから「夫婦」になってる。つまり、人間になぞらえてるんですね。

いわば「人間モデル」で「夫婦の役割」を演じてきたうえで、

ココ、第五段〔一書6〕で炸裂。これまでの形式的な人間モデルから、内面的な人間モデルへ。それは例えば、妻を不慮の死によって喪った悲痛。そしてうらみ。。。

再度確認。

内容 モデル種別 行動の拠り所
第四段 夫婦となり洲を生む 形式的人間モデル
第五段 感情によって行動する 内面的人間モデル

って、こうしてみてみると、段階的導入方法であり、納得感がある。

物語として破綻してない。

〔一書6〕から突然人間になったよ、クララが立ったよ、

ではなく、

ステップ踏んでる。

そのうえで、

これまでの「ことわり」を拠りどころにする行動から、
じょう」に駆られた行動へ。変化を際立たせていく。

練りに練られた神話展開。古代日本人の創意工夫度合いがマジでスゴい。全体を俯瞰しながらマネジメント入れてる感じがするよね。

 

「人間モデルの神」を象徴する「うらみフレーム」

さて、そんなに言う「人間モデル神」、実際にどんな感じなのか?

いよいよ現場を、『日本書紀』巻一の第五段〔一書6〕をチェック。いただきたいのですが、その前に、代表的な「枠組み・フレーム」を確認しておきましょう。

「人間モデル神」を象徴する超重要ワードが

うらみ」、ということで。

この、

うらみ」を起点とした展開フレームを是非チェック。

いずれも〔一書6〕に伝えます。コチラ。

  • 于時、伊奘諾尊之曰「唯以一児替 我愛之妹者乎。」則 匍匐頭辺、匍匐脚辺 而哭泣流涕焉。
  • 于時、伊奘冉尊曰「何不 用 要言 、令 吾恥辱。」乃 遣泉津醜女八人、追留之。

おもろくないすか?

同じフレーム、枠組みですよね。

主語+恨曰+「言表げんぴょう」+行動

いわば、「神様コンピテンシー」とも言える行動モデル。

以下3つの要素で構成されてて

  1. 思いがけないタイミングで、受け入れ難いイベントが発生、
  2. その事態を「うら」みとして言表げんぴょうする、言い表す
  3. 受け入れ難いだけに、それが「則」「乃」以降の「次の行動」を引き起こす

といった

いわば、ホップステップジャンプの3段構成。

イベント→情動→行動

フツー?あたりまえ??

いやいや、神様がこうだから人間もそうなんだ、という話で。起源ですよ。起源。コレ。私たちが感情をもち、ともすれば感情をもとに行動するのも、元をたどればココ。神様がそうだから、という話で。そういう重要感をもってチェックやで!

さらにさらに、

もう少し広げて見てみると、こんな枠組みも浮かび上がります。

  • 伊奘諾尊いざなきのみこと:(愛妻を殺され悲痛)うらみ →追(伊奘冉尊いざなみのみこと) →共語
  • 伊奘冉尊いざなみのみこと:(正体を見られ恥辱)うらみ →追(伊奘諾尊いざなきのみこと) →別離

と。

伊奘諾尊いざなきのみことの場合は、火神ひのかみに最愛の妻を殺されうらむ。そして伊奘冉尊いざなみのみことを追いかけていき、黄泉よみで共に語る。
伊奘冉尊いざなみのみことの場合は、最愛の夫に正体を見られてうらむ。そして伊奘諾尊いざなきのみことを追いかけていき、平坂ひらさかで別離する。

どーでもいいかもしれんが、

この重なりは、偶然じゃない。

いずれも「うらみ」に始まり、

  • かたや「共語」をもたらすのに対し、もう一方が「別離」をもたらすという対照性
  • さらに、一方(伊奘諾尊いざなきのみこと)から他方(伊奘冉尊いざなみのみこと)へ継起的につながる

という構造を持ってて、まー良くできてる。神話ファンとしては泣いて喜ぶ局面です。

人間モデル神とはいえ、何でもかんでもやっちゃうのではなく、枠組みを持たせて暴走しないようにしてる。とも言える。

うまく調整されてる、マネジメントが入ってる訳です。

 

人間モデル神の事例たち

と、いうことで、ずいぶん前置きが長くなりました。ここから、いよいよ人間モデル神の「人間っぽい現場」へお連れ致します。

『日本書紀』巻一 第五段〔一書6〕から、
情動発動箇所を重点的にお届け。よく見といてね

まずはこちらから。

①愛する妻を喪失した悲痛と、愛する妻を殺した息子へのうらみの巻

日本神話でも有名なシーン。二神にしんの子である火神ひのかみ軻遇突智尊かぐつちのみことが生まれ、伊奘冉尊いざなみのみことがその火にかれ死んでしまう。。。

母親殺しの重大犯罪をしでかす息子の巻。
伊奘諾いざなきにしてみたら、ざけんなフラグ立ちまくりの案件で。

その現場がコチラ

 その火神ひのかみ軻遇突智かぐつちが生まれるに至って、その母の伊奘冉尊はかれ、化去かむさった。その時、伊奘諾尊いざなきのみことは恨み「このたった一児と、私の愛する妻を引き換えてしまうとは。」と言った。そこで、伊奘冉尊いざなみのみことの頭の辺りを腹ばい、脚の辺りを腹ばいして、いて激しくなみだを流した。 ー中略ー 遂に、帯びていた十握剣とつかのつるぎを抜き、軻遇突智かぐつちを三段にった。

 至於火神軻遇突智之生也 其母伊奘冉尊 見焦而化去 于時 伊奘諾尊恨之曰 唯以一兒 替我愛之妹者乎 則匍匐頭邊 匍匐脚邊 而哭泣流涕焉 ー中略ー 遂抜所帶十握劒 斬軻遇突智爲三段

人間モデルポイントは2つ。

  • 愛する妻を喪失した悲痛
  • 愛する妻を殺した息子へのうら

この情動、まさに人間そのものやね。これを承けて、

  • 悲痛の表現として「腹這う」「く」
  • うらみの表現として「斬殺」

となる。まさに、「情動→行動フレーム」。

特に、悲痛の表現。頭のところで腹這って、脚のところで腹這って、それから大声でくと、まースゴイ。

人間以上に激しい。

ん?それが神か。ま、いいや。

実は、このあたりの表現には類例があって、
古代における喪やもがり。つまり、葬送儀礼、死者を送る特別な儀礼です。

で、

うらみの表現。わが子を斬断、、、3つに、、、壮絶。。。(;゚д゚)ゴクリ…どっかの凶悪殺人事件?ある意味、めっちゃ人間臭い、、?

一方で、うらみの言葉のなかに「私の愛する妻(我愛之妹)」と、妻への「愛情」を強く寄せる言葉も使われてます。

対比が鮮やか。

この愛情ゆえに諦めきれず、
黄泉よみまで追う行動に駆りたてていくんすね。

感情の揺れ動き、
その表現に着目して物語を追いかけていくと、なんだか文学的な雰囲気も漂い始めるこの頃です。

情動→行動の人間モデル。ということで要チェック。

次!

②愛する妻を追いかけて死者の國へ。そこでじょうを交わす二人。。。でもアイツは僕をなじるんだ

無事、息子を三段に切り刻んだところで、伊奘諾尊いざなきのみこと黄泉よみへ向かいます。

伊奘諾尊いざなきのみこと伊奘冉尊いざなみのみことを追って黄泉よもつくにに入り、共に語った。その時、伊奘冉尊が言った。「私の愛しい夫よ、どうして来るのが遅かったのですか。」と。

 然後 伊奘諾尊 追伊奘冉尊 入於黄泉 而及之共語 時伊奘冉尊曰 吾夫君尊 何來之晩也

人間モデルポイントは1つ。

  • 死者とじょうを交わす「共語」。からの、、、遅い旦那をなじる妻(?)

といった対比的な構造。

ここは解釈の翼を広げる局面。伊奘諾いざなきとしては、愛する妻を追いかけていった訳で、実際、訪れた先で「共語」。つまり、生きていたあの頃のように、二神にしんは語り合うわけです。じょうを交わす。いい雰囲気。なのに、このとき妻は旦那を「どうして来るのが遅かったの?」となじる。コレ、なじりとして解釈していいと思います。とすると、、、もしかして、柱巡みはしらめぐりのときのように、伊奘冉いざなみは一人盛りあがってしまい先に声を出しちゃったのかも?

この再会と共語の場面、原則論から言うと、陽神おかみである伊奘諾いざなきから声をかけるべきですが、陰神めかみ伊奘冉いざなみから声をあげてる。これはこれで原理からフツーに逸脱してる、つまり人間モデルならでは。

伊奘冉いざなみの内面を考えると、愛する旦那が追いかけてきてくれた、再会してあの頃のようにじょうを交わせた、、、って経緯からの「なんで遅かったの」発言。このとき、彼女はどのような想いだったのでしょうか?

③神様もご飯食べる

「(伊奘冉尊は)私は黄泉よもつくにで煮炊きした物をすでに食べてしまったのです。」

 吾已泉之竈矣

だって人間モデルだもの。そら、、ご飯だって食べないと。お腹空いちゃうからね。

④気になりだしたら止まらない??見るなの禁を破ってしまうオレ様

「(伊奘冉尊は)私はこれから寝ようと思います。お願いですから、けっして私をご覧にならないでください。」と言った。伊奘諾尊はそれを聴かず、こっそり湯津爪櫛ゆつつまぐしを取り、櫛の端の雄柱をばしらを引き折り松明たいまつとして見ると、うみがわき、蛆虫がたかっていた。

 雖然 吾當寝息 請勿視之 伊奘諾尊不聽 陰取湯津爪櫛 牽折其雄柱 以爲秉炬 而見之者 則膿沸蟲流

人間モデルポイントは3つ。

  • 神様も寝る
  • 見るなの禁を課す異類の女、それを破る男、それにより女の正体が露見する
  • 陽神おかみとしては陰神めかみの頼み事なんて、ハナから「聴かない」スタンス
  • だから見る。もともと聴く気なんてないんだから、当然のように見る

まず、

神様も寝るらしい。だけど、問題は「なぜ伊奘冉いざなみは寝ると言い出したのか?」ということ。唐突な感じしません?共に語って、遅いってなじって、寝るわ、って。。。

なので、まず、なんのために「寝る」のかを考えます。

死者が寝るとは?

そう、それは棺桶かんおけの中。てことは、伊奘冉いざなみ棺桶かんおけに戻ろうとした、ってこと。なぜか?

それは、体の回復を図ろうとしたから。コレ、中国ちゅうごく志怪しかい小説の中に似たような話があって、死んだ女が夜な夜な通ってくるんですが、その通ってる間に墓場の遺体が蘇生していくというお話。

棺桶かんおけに戻って体を蘇生させようと寝に行った、という話。てことは、、、伊奘冉いざなみは元の世界へ戻ろうとしてた、ってことになりますよね。

だけど、蘇生途中の醜い自分の姿を見られたくない。だから見ないでくださいと。

それに対しての伊奘諾尊いざなきのみことの対応がポイント。「不聴」とあり、要は「聴かなかった」ってこと。この聴かないっていうスタンス、結構、上からな感じありません?似たところでは、第四段本伝

ココでの伊奘諾尊いざなきのみことは、伊奘冉いざなみの頼み事を聴かずにこっそりと火を点けた、という感じ。どちらかというと、男の勝手な理論で行動する伊奘諾いざなき像を感じてしまうのは私だけでしょうか?

見るなの禁を破ったのも、伊奘諾尊いざなきのみことの中での理屈による「気になるから見るぜ」といった感じ。共に語った時間はどこへやら、この時点では、かみ合ってない感が結構ありますよね。

次!

⑤恥をかかせたとブチ切れる。手下(お付きの者)を派遣して追いかけさせる

 その時、伊奘諾尊はおおいに驚き、「私は、思いもよらず何と嫌な汚穢きたない国に来てしまったことだ。」と言い、すぐに急いで走り帰った。その時、伊奘冉尊は恨んで「どうして約束を守らず私に恥をかかせたのか。」と言い、泉津醜女よもつしこめ八人を遣わし、追い留めようとした。

 時伊奘諾尊 大驚之曰 吾不意到於不須也凶目汚穢之國矣 乃急走廻歸 于時 伊奘冉尊恨曰 何不用要言 令吾恥辱 乃遣泉津醜女八人追留之

人間モデルポイントは2つ。

  • 伊奘諾尊いざなきのみことは、きたなさに(今更ながら)びっくりする
  • 伊奘冉尊いざなみのみことは、恥をかかせたとうらむ、追いかけさせる

というように、それぞれがそれぞれの人間らしい反応をされてる対照的な雰囲気を感じでね。だって人間だもの。

先にご案内した「うらみ」フレームが登場してます。

  • 于時、伊奘冉尊曰「何不 用 要言 、令 吾恥辱。」乃 遣泉津醜女八人、追留之。

主語+恨曰+「言表げんぴょう」+行動

次!

⑥離婚する=「絶妻の誓い」をたてる

この時には、伊奘諾尊はすでに泉津平坂よもつひらさかに至っていた。 ー中略ー そこで、伊奘諾尊は千人力でやっと引けるくらいの大きないわでその坂路を塞ぎ、伊奘冉尊と向き合って立ち、遂に離縁を誓う言葉を言い渡した。

 是時 伊奘諾尊 已到泉津平坂 ー中略ー 伊奘諾尊 已至泉津平坂 故便以千人所引磐石 塞其坂路 與伊奘冉尊相向而立 遂建絶妻之誓

人間モデルポイントは1つ。

  • 離婚する=「絶妻の誓い」をたてる

一方的なんです。ここでの離婚方法は。「絶妻の誓い」をたてるって、、いかにも男側からの理論と言葉ですよね。現代の社会課題にもなりがちな離婚問題、そもそもはココに起源があるってことなんですね。

最後!

⑦後悔する。あんな嫌なけがらわしいとことに行ったもんだから、、、オレよごれちまったよ・・・

 伊奘諾尊は黄泉から辛うじて逃げ帰り、そこで後悔して「私は今しがた何とも嫌な見る目もひどいけがらわしい所に行ってしまっていたものだ。だから我が身についたけがれを洗い去ろう。」と言い、そこで筑紫つくし日向ひむか小戸をどたちばな檍原あはぎはらに至り、禊祓みそぎはらえをした(身のけがれを祓い除いた)。

 伊奘諾尊既還 乃追悔之曰 吾前到於不須也凶目汚穢之處 故當滌去吾身之濁穢 則往至筑紫日向小戸橘之檍原 而祓除焉

人間モデルポイントは1つ。

  • 後悔する

神様も後悔するんですね。やらなきゃよかった、、、いかなきゃよかった、、、的な。

補足ですが、神様は後悔しても禊祓みそぎはらえをやってキレイさっぱり後腐れ無し。これはこれでいいですよね。ずーと引きずってくよくよするより、はらうことで断ち切る感じ。コレは、一つに、けがれというものが付着する概念だから、というのもあります。体がよごれる=けがれが付着する、だからはらってしまうことによってキレイになるってことだから。そんな考え方も合わせてチェックです。

と、

まとめてみると、、、

  1. 悲しむ、うらむ:愛する妻を喪失した悲痛と、愛する妻を殺した息子へのうらみの巻
  2. 愛する妻を追いかけて死者の國へ。そこでじょうを交わす二人。。。でもアイツは僕をなじるんだ
  3. 神様もご飯食べる
  4. 気になりだしたら止まらない??見るなの禁を破ってしまうオレ様
  5. 恥をかかせたとブチ切れる。手下(お付きの者)を派遣して追いかけさせる
  6. 離婚する=「絶妻の誓い」をたてる
  7. 後悔する。あんな嫌なけがらわしいとことに行ったもんだから、、、オレよごれちまったよ・・・

コレ、ホント人間そのものだよね。。。

 

人間モデル導入が与える日本神話への影響と効果

ということで、チェックしてまいりました「人間モデル神」。

いかがでしたでしょうか?

パッと見は神だけど中身は人間。原理を外れる、情動で動く、何しでかすか分からない、そんな不確実性を内在する存在。コレ、ニュータイプ。そんな神の新登場により、時代は大きく変化していく。

ということで、最後のまとめとして、
ニュータイプ登場による日本神話への影響と効果を考えていきます。

神そのものの、存在としての文脈でいえば、

みち由来神の限界を打破

「予定調和的神様行動」から「不確実的神様行動」へと。

大転換。

そして、このニュータイプの登場により、日本神話に起こった影響とは、、、

予想外の展開が生まれた!

って事。

今までにない展開が生み出された。多様性の創出。であります。

神だとできない、ありえないことが、
人間モデルだとできる、ありえる。

その最たる例であり、
日本神話的に絶対外せないキッカケ伝承が、、

素戔嗚尊すさのおのみこと謀叛むほん

直前の、伊奘諾尊いざなきのみことによる分治ぶんち指令からお届けします。

こういう次第で、伊奘諾尊は三柱の御子に命じて「天照大神は、高天原たかあまのはらを治めよ。月読尊は、青海原の潮が幾重にも重なっているところを治めなさい。素戔嗚尊は天下あまのしたを治めなさい。」と言った。

 この時、素戔嗚尊はすでに年が長じていて、また握りこぶし八つもの長さもあるひげが生えていた。ところが、天下を治めようとせず、常に大声をあげて哭き怒り恨んでいた。そこで伊奘諾尊が「お前はどうしていつもそのように哭いているのだ。」と問うと、素戔嗚尊は「私は根国ねのくにで母に従いたいのです。だから、哭いているだけなのです。」と答えた。伊奘諾尊は不快に思って「気のむくままに行ってしまえ。」と言って、そのまま追放した。

 已而伊奘諾尊 勅任三子曰 天照大神者 可以治高天原也 月讀尊者 可以治滄海原潮 之八百重也 素戔嗚尊者 可以治天下也 是時素戔嗚尊 年已長矣 復生八握鬚髯 雖然不治天下 常以啼泣恚恨 故伊奘諾尊問之曰 汝何故恆啼如此耶 對曰 吾欲從母於根國  只爲泣耳 伊奘諾尊 惡之曰 可以任情行矣 乃逐之

と。

  • 伊奘諾尊いざなきのみこと三貴神さんきしん分治ぶんちの委任命令。天照あまてらす高天原たかあまのはら月読つきよみは青海原、素戔嗚すさのお天下あまのしたを。
  • 天照あまてらす月読つきよみは従順。素戔嗚すさのおは反抗。治めない。
  • 理由を聞くと母=伊奘冉尊いざなみのみことに従いたいと。生と死の断絶を果たした伊奘諾いざなきにとっては謀叛むほんと同様。

といった流れ。

ポイントは、

素戔嗚尊すさのおのみこと謀叛むほん

みち由来神の「限界」を打破した「人間モデル神」。

その実態がココ、って事。

つまり、みち由来の神のままだとできないことをやってのけてる。もう少し具体的に言うと、みち由来神は「尊卑先後そんぴせんごじょ」に拘束される訳で。例えば、息子が父親に反抗する、謀叛むほんを企てる、とか、そんなのあり得ない。

ことわりに基づき行動するのがみち由来神の特徴なので、
親と子、君と臣、男と女、といった次序じじょを崩すなんてあり得ないんすよね。

また、例えハプニング的に事件発生したとしても、例えば第四段で「陰神めかみの間違いと陽神おかみの修正指導」として伝えるように、必ず修正が入るようになっているのです。

ということで、、、

ココで伝えているように、

  • 親である伊奘諾尊いざなきのみことが委任した統治領域を、子である素戔嗚尊すさのおのみことが治めない
  • 根国ねのくに(≒黄泉国よみのくに)にいる母・伊奘冉尊いざなみのみことに従いたい=死に従いたい=謀叛むほん

と、

もともとの神世界では、あり得ないことをやってのける・言ってのける素戔嗚すさのお。による「あり得ない展開」が生まれてるのは、まさに「人間モデル神」だから許されてる、とも言えて。

神なんだけど人。

そんな絶妙な立ち位置の獲得により、
素戔嗚尊すさのおのみことが「狂言回し」的役回りを担い、日本神話を大きく展開させていくことになる。

素戔嗚尊すさのおのみことが反抗するから追放された。素戔嗚尊すさのおのみことが追放されるから高天原たかあまのはらに行くことになった。素戔嗚尊すさのおのみこと高天原たかあまのはらへ行ったから誓約うけい天照あまてらすの子が誕生することになった。誓約うけいから勝ちさびにはいり、田んぼや機織殿はたどのを破壊した、からの岩戸いわと幽居になった。素戔嗚尊すさのおのみこと高天原たかあまのはらから追放されるから出雲いずもが登場した、素戔嗚尊すさのおのみこと出雲いずもに降り立ったから八岐大蛇やまたのおろち退治イベントが発生した、クシナダヒメと結婚した、子供を生んだ、大己貴命おおなむちのみことが生まれた、国造くにづくりされ国譲くにゆずりがされて天孫てんそんが降臨する、、、と

素戔嗚尊すさのおのみことの立ち回り無くして日本神話はあり得ない、

と言ってもいいくらい、超重要キャラクターになっていく。それもこれもすべて、ココ、〔一書6〕の人間モデル神が契機、きっかけになっていて、

その意味で、めっちゃ重要な位置づけだったりするんですよね。

 

まとめ

人間モデルの神による新たな展開についてお届けしてきましたが、いかがでしたでしょうか?

何度もお断りしておきますが、
日本神話的には、神をもとに人ができてる、っていうスタンスなので、

ご紹介してきた「人間モデルの神」をもとに人間が、
神がそうだから、人間もそうなんだ。というてい(体裁)であります。

神が先、人が後。

で、

「人間モデルの神」発生経緯や理由はズバリ

みち由来の神の限界を突破すること。

予定調和的神様行動から不確実的神様行動へ。大転換させること。

これにより、

予想外の展開が生まれる!

おもろい!日本おもろいやん!

ってなる。そんな背景や理由があったってこと、しっかりチェックです。

人間モデルだからこそ、本来の神世界では、あり得ないことをやってのけられる・言ってのけられる。これによる「あり得ない展開」が生まれていくんです。

これが、日本神話に大きな展開を与えていくんですね。

以後の神話世界、上記のような視点で眺めてみると、今まで以上に奥行きのある、オモロー!な神話世界が立ち上がってくると思います。是非。

 

参考文献

『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)



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参考文献:『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)他
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