『日本書紀』巻第一(神代上)第五段 一書第6 ~人間モデル神登場による新たな展開~

 

多彩で豊かな日本神話の世界へようこそ!

正史『日本書紀』をもとに、
最新の文献学的学術成果を取り入れながら、どこよりも分かりやすい解説をお届けします。

今回は、
『日本書紀』巻第一(神代上)第五段の一書の第6。

日本神話の中でも、特に有名な
黄泉よみ訪問、みそぎによる三貴神誕生など、話題性たっぷりの〔一書6〕。

少々長いのですが、頑張って読み進めていただければと思います。

概要で全体像をつかみ、ポイント把握してから本文へ。最後に、解説をお届けしてまとめ。

現代の私たちにも多くの学びをもらえる内容。日本神話から学ぶ。日本の神髄がここにあります。それでは行ってみましょう!

 

『日本書紀』巻第一(神代上)第五段 一書第6 ~人間モデル神登場による新たな展開~

『日本書紀』巻第一(神代上)第五段 一書第6の位置づけ

前回、『日本書紀』巻第一(神代上)第五段の〔書2,3,4,5〕

からの続き。

下図、赤枠部分。第五段〔一書6〕。

上図を見てのとおり、
第五段は、『日本書紀』神代の中で、最も異伝が多い段。こんな伝承もある、あんな伝承もある、と計11パターン。

『日本書紀』最大の特徴である、一書の存在。本伝と一書の関係についてはコチラ↓をチェック。

日本書紀の一書とは?『日本書紀』本伝と一書の読み解き方法を徹底解説!

04/28/2019
  • 本伝の内容をもとに多角的、多面的に展開する異伝、それが一書。
  • 本伝があっての一書であり、一書あっての本伝というように、お互いにつながり合って、関連し合って、踏まえ合って、多様で豊かな日本神話世界を構築している。

でだ、

第五段は異伝である〔一書〕が11個もあるって話。

それもそのはず。
第五段は超重要テーマが目白押し。

特に、天下之主者あめしたのしゅしゃ生み、生と死の断絶、そして三貴神の誕生と分治など。。語り尽くせぬこの想い、身体中に感じて。

神々ならではのミステリアス・ワールド。一歩間違うと意味不明。

ま、でも、ご安心を。
当サイトならではのガイドがあれば迷うことはございません!

ということでコチラ

第五段一書の概要

全11もある異伝も、大別すれば2通り。整理しながら読み進めるのが〇。

  • 本伝踏襲 差違化型・・・〔一書1~5〕
  • 書6踏襲 差違化型・・・〔一書6~11〕

※踏襲・・・踏まえるってこと。前段の内容、枠組みを
差違化・・・(踏まえながら)変えていくこと、違いを生んでいくこと。神話に新たな展開をもたらし、多彩で豊かな世界観を創出する仕組み。

で、今回お届けする〔一書6〕は、
「書6踏襲 差違化型」における最初。基本となる伝承

そーなんす。〔一書7~11〕の一書群は、
〔一書6〕をベースに作られてるんす。〔本伝〕系統とは違う伝承。

しかも、第五段にある全11の一書のなかでも

最も長い伝承。

いや、神代のなかでも最も長い伝承になっとります。

日本神話全体での位置づけとして
チェックすべきポイントは3つあって、

  1. 新しい世界観や概念をしれっと導入
  2. それによって新たな展開が生まれる
  3. それが後の段へつながっていく

と。以下概要。

①新しい世界観や概念をしれっと導入

例えば、黄泉よみ。コレ、今までに無い全く新しい世界。なんの断りなしに、さも当たり前みたいな顔してストーリーの中にさらっと入れ込んでる。他にも、人間モデルの神とか、リアルワールドとの接続とか、結構やりたい放題?

②それによって新たな展開が生まれる

新たな世界や概念が導入されることで、今までになかった新たな展開が生まれてます。黄泉よみ世界の導入によって「生と死の断絶」が、人間モデル神の導入によって「情動による行動と結果」が、、、等々。神話世界の新たな地平線を切り拓く。そうか、これが狙いだったのか!

③それが後の段へつながっていく

新たな展開は、〔一書6〕で完結するものではなく、後の段へと繋がっていく。このNEW展開がなかったら、、、後の展開も無かったんじゃないか、くらいのインパクト。非常に重要な位置づけになってます。

ということで、

新しい世界観や概念が導入され、それによって新たな展開が生まれ、それが後の段へつながっていくダイナミズムを感じつつ、日本神話史上最長にして最大の〔一書6〕を、神話全体の流れのなかで読み解いていきましょう。

 

『日本書紀』巻第一(神代上)第五段 一書6の概要とポイント

第五段〔一書6〕の、全体としての大きなテーマは、引き続き

天下之主者あめしたのしゅしゃ生み。

大八洲国おおやしまぐにが誕生したことを承けて、地上世界(天下)の統治者(主者しゅしゃ)を生もうぜ、という話。
ちなみに、〔一書6〕では

  • 「生み」が「みそぎを通じた化生」に、
  • 主者しゅしゃ」が「勅命による任命」に、

それぞれ差違化。

内容的には、大きく4部構成。

  1. 神生み、火神殺し
  2. 黄泉よみ往来、生死断絶
  3. 禊  みそぎと三貴神誕生
  4. 三貴神の分治

と。

ホント、今までの経緯とか展開には無かった話がポーンと出現。初めての人にとっては意味不明。でも、構造や意図が分かっていれば、途端に!面白くて奥ゆかしい話になってくるのでご安心を。

●必読→ 日本書紀の一書とは?『日本書紀』本伝と一書の読み解き方法を徹底解説!

という事で、

〔一書6〕のポイントは全部で10個。
だってさ、、、日本神話の中でも最長・最大の一書だから。。。少し長いけど頑張って。

  1. 第五段本伝踏襲の冒頭と締めくくり。物語の破綻はたんリスクをヘッジする秀逸な仕掛け
  2. 新登場「人間モデルの神」!理ではなく情に駆られた言動に注目せよ!
  3. 伊奘冉を失った悲しみ表現、母親殺しの息子「火神」への報復がヤバすぎる!
  4. あの世ってどんなところ?死んでも続くよ黄泉よみライフ♪
  5. 見るなと言われれば見たくなる。見るなの禁は破るからこそ意味がある?
  6. やっぱり恐ろしい黄泉よみ。逃げる伊奘諾を追いかける化け物たち!?
  7. 生と死の断絶起源譚。死に対して生が優位に立つ日本神話的ロジック
  8. 死の穢れは徹底的に洗い落とす!みそぎにみる日本神話的穢れの概念
  9. 三貴神の誕生と分治。理にそぐわないけどドラマが生まれるから良しとする
  10. 父へのあてこすり!?敢えて親父を怒らせる素戔嗚的なんでやねん

以下詳細。気合入れてどうぞ!

①第五段本伝踏襲の冒頭と締めくくり。物語の破綻リスクをヘッジする秀逸な仕掛け

第五段〔一書6〕は、独自展開パターンなんですが、冒頭と末尾(締めくくり)は第五段本伝を踏襲。

コレ、かなり重要な仕掛けで。

独自進化する物語の、スタート地点とゴール地点に、基本となる〔本伝〕の内容が設定されてるので、真ん中でどんだけぶっ飛んでも破綻はたんしないようになってる。

  • 新しい世界観や概念は導入したい、
  • 多様で奥行きのある神話世界を構築したい。

だけど、

それを欲張りなまま、そのまんまやってしまうと、「物語り」として破綻はたんしてしまうわけです。

でも、

破綻はたん防止の仕掛けがあれば大丈夫。
好きなだけ、創造性の翼を広げることができる、、、

めっちゃよくできてる!

枠の外へ踏み出すんだけど、勝手にやらない。ちゃんと基本を踏まえたうえで踏み出す。はちゃめちゃストーリーが突発的に挿入されながら、日本神話が全体として破綻はたんしてないのは、こういう細やかな設定があるおかげ、なんすね。

1つめ。第五段本伝踏襲の冒頭と締めくくり。物語の破綻はたんリスクをヘッジする秀逸な仕掛け、要チェック。

次!

②新登場「人間モデルの神」!理ではなく情に駆られた言動に注目せよ!

破綻はたん防止の仕掛けがキマってる中で、次のポイントがコチラ。

第五段〔一書6〕最大の特徴、

人間モデル神!

なんじゃあああああ?!こ、この人間なんだか神なんだか、、的な存在は。。。?

しかも、

【最初にお断り】

日本神話的には、神をモデルに人ができてる、という非常に奥ゆかしいスタンスですから。

人間モデルの神、っていうと、人間ありきかい?

って感じですが、

違います!

神が先、人が後。この先後はお間違えなく。

ココではあくまで、分かり易く表現してるだけなので、そのつもりで。神先人後。

で、

〔一書6〕では、これまでの

理に基づく行動原理から
情に基づく行動原理へと

劇的な転換を果たします。

もう、コレ、

天地がひっくり返るくらいの革命的イベント

日本神話的に、尊貴レベル最上位にカテゴライズされる神世七代

これらの神々は、乾や坤の「道」から化成したスペシャルゴッドで。伊奘諾尊、伊奘冉尊もその最後の世代。

道から化成した神々は、(原則的に)原理に基づいて行動する訳です。(一部外れてるケースあり)

  • に対して先行する
  • に対して先行主導する

等、これら、

尊卑先後の序」は原理であり、神世七代の神々もこの原理を内在し、かつ原理に規定される存在でした。

分かりやすく言うと

順番をちゃんと守る。外れたことはしない。原則どおりの行動。

そこには、人間的な「情」に突き動かされた、よー分からん行動なんてあり得ない訳。

ところが!

この〔一書6〕からは「情」によって行動するようになる。

天地がひっくり返る革命的出来事

とは、そういうことで。ありえへーん!

マジで。

〔一書〕という超便利な場所だからこそ許される「新概念勝手に入れときましたけど( ゚Д゚)ナニカ? の巻」。

●必読→ :人間モデルの神による新たな展開|理から情による行動へ。これは日本神話的革命だ

てことで、

ともかく、理から情へ。人間モデル神の感情表現とそれに基づく(かなり突飛な)行動に注目して読み進めましょう。

次!

③伊奘冉を失った悲しみ表現、母親殺しの息子「火神」への報復がヤバすぎる!

ついに火神「軻遇突智かぐつち」が誕生。からの、伊奘冉いざなみ尊が軻遇突智かぐつちの火に焦かれ死んでしまう。。。って。

いわば、

母親殺しの重大犯罪をしでかす息子の巻。

オヤジたる伊奘諾いざなきにしてみたら、ざけんなフラグ立ちまくりの案件で。

人間モデルなんで、夫・伊奘諾尊の心の動きに注目してみましょう。

ポイントは2つ。

  • 愛する妻を喪失した悲痛
  • 愛する妻を殺した息子への恨み

うん

これ、まさに人間そのもの。人間モデル神

その具体的な行動表現として、

  • 悲痛→「腹這う」「哭く」
  • 恨み→「斬殺」

と、

情動→行動の人間モデル。もはや人間だね。クララが立ったね。要チェックです。

次!

④あの世ってどんなところ?死んでも続くよ黄泉ライフ♪

死んだ伊奘冉いざなみ追いかけて、伊奘諾が行ったとこ。それが黄泉よみ。死者の住む所、あの世です。

しっかりチェックして、以下。

『日本書紀』における「黄泉よみ」の特徴は

  1. 死んだら行くし、生者も追いかけていける
  2. 死者が、さながら現世と同じように活動してる
  3. きたなくて穢れてる
  4. タブー・掟がある
  5. 泉津平坂よもつひらさかでこの世界とつながってる

と言った感じ。

特に、神話世界では死んだら終わりではなく、死んだら黄泉よみへ。なんなら、その後も死者ライフGoes Onって、コレ要チェック。

次!

⑤見るなと言われれば見たくなる。見るなの禁は、破るからこそ意味がある?

死んだ伊奘冉いざなみを追ってきた伊奘諾尊いざなきのみこと。そんな旦那に対して、伊奘冉尊が課した「見るなの禁」。

ところが、

伊奘諾尊は、伊奘冉の見るなの要請を聴かず、明かりをつけて見てしまう。

すると、

そこには腐乱しうじがたかった愛する妻の姿が、、、(i|!゜Д゚i|!)ヒィィィ

日本神話の中でも特に有名なシーン。

やるなと言われれば やりたくなる、見るなと言われれば 見たくなる、まさに、人間モデル神ならではの禁破り。ドキドキ展開♪

コレ、実は、

神話世界における
物語りの一型式

異類の女が禁を課し、人間の男がそれを破る。
破ることで、異類の女の正体が暴露される、想定外イベントが発生する

といったパターン。後ほど詳しく。

次!

⑥やっぱり恐ろしい黄泉。逃げる伊奘諾を追いかける化け物たち!?

女として決して見られたくない姿を見られた伊奘冉尊。

恥をかかせた
激オコの巻。

黄泉よみにいる恐ろしい魔物?泉津醜女よもつしこめを派遣し、追いかけさせます。

この泉津醜女よもつしこめ、結構食いしん坊で、お腹すいてたのかな。伊奘諾が繰り出す食べ物につられて食べ始める。その間に逃げる、そんなドタバタ劇をお楽しみあれ。

醜女しこめ」ってスゴイ言葉だけど、、、字面じづら通りに理解してはいけません。

しこと言う言葉、防人さきもりの歌にも歌われており、簡単に言うと「威力が強い、屈強な」といった意味。ホントは深い言葉なんす。詳細後ほど。

また、

この逃避劇も、神話世界における物語りの一型式。としてチェック。

異界から逃げる、異類に追われる、所持品を投げ異類が気に取られてるうちにさらに逃げる、、、あるあるなパターンです。

次!

⑦生と死の断絶起源。死に対して生が優位に立つ日本神話的ロジック

この世とあの世の境界。それが「泉津平坂よもつひらさか」。

ココで最後の「泥沼夫婦めおとドラマ」展開。

伊奘諾尊は千人所引ちびき磐石いはでその坂路をふさぐ。その、巨石ごしに伊奘冉尊と向き合って立ち、絶縁宣言。スゴイ展開や、、、

ここでの二神の掛け合いは

死に対する生の優位

が、枠組みとして設定されてて、それは数字の大小で明確に表現されます。

  • :伊奘冉尊:伊奘諾の世界の国民を1日1,000人くびり殺す
  • :伊奘諾尊:自分の世界の国民を1日1,500人産ませる

これにより

生が死よりも優位にあることを伝えてます。

生と死の別離、人口増、男女の離婚(離縁)の起源譚でもあって。

ちなみに、こうした伊奘冉の怒りを鎮めるために第五段〔一書5〕であるような祭祀を行ってる、という形になってます。合わせてチェック。

次!

⑧死のけがれは徹底的に洗い落とす!みそぎにみる日本神話的けがれの概念

黄泉よみから帰還した伊奘諾尊いざなきのみことは、ここで激しく後悔。とんでもなく汚く穢れたとこへ行っちゃったよ、俺も汚れちまったよ、と。

筑紫日向小戸橘之檍原へゴー!みそぎを実行。ココでいきなり登場、リアルワールドとの接続。特定スポット突然登場。

●必読→ 筑紫日向小戸橘之檍原とは?伊奘諾尊が三貴神を生んだ聖地「筑紫日向小戸橘之檍原」を徹底解説!

それだけ大事だってことね。

で、ポイントは

穢れの概念。

日本神話的な「穢れ」とは「付着するもの」。内面の穢れとかは一切関係なし。外部に付着する性質なので、洗い流せば落ちる。徹底的に洗えばキレーに落ちるらしい。

ということで、いや、だからこそ

濯ぐ

という行為、

みそぎ

という儀式が登場。

伊奘諾尊が体を徹底的にキレイにしようとしてる姿、そのプロセスを是非チェック。

  • まずは、川で。それも上流、中流、下流を慎重に選び、濯ぐのに最適な中流で。
  • 次いで、海で。それも水面近くと、海の底近くと、中ぐらいで徹底的に。

そうすると、あら不思議。キレーに穢れは落ちました。

その結果、そう、そうやってめちゃくちゃキレ-になったあとで、最後の仕上げ、一番大事な洗顔時に三貴神(天照大神、月讀尊、素戔嗚尊)が誕生する訳です。

しかし、、、いい年したオッサンが、体が汚れちゃったから、、とか言って、めっちゃキレ-に体を濯いでる姿。フェイシャル・ウォッシュしてる地獄絵図。。。胸が熱くなります。

もう少しだ!

⑨三貴神の誕生と分治。理にそぐわないけどドラマが生まれるから良しとする

第五段のテーマの一つである「子の処遇と分治」。

〔一書6〕での対応は以下の通り。

天照大神 左目を濯いだ時 資質不明 高天原
月讀尊 右目を濯いだ時 資質不明 滄海原 潮之八百重
素戔嗚尊 鼻を濯いだ時 資質不明 天下

尊と卑の対比がダブルで重層的に設定。

注意事項として

よく「左目から天照大神が、右目から月讀尊が、鼻から素戔嗚尊が生まれた」といった説明がありますが、これは正しくありません。

左目から生まれたわけではなく、左目を濯いだ時に生まれたのです。コレ、全然意味が違うのでご注意を。

ココでの、三貴神誕生のポイントは、

資質不明で統治領域を任命してる、って事。

今までは、ちゃんと理由、つまり子の持つ特性や資質(例えば、めっちゃ輝いて世界を照らした、とか)をちゃんと伝えてました。(参考:第五段本伝

それに対して、

〔一書6〕は、めっちゃ不明確。

なんか分からんけど、三貴神に統治領域を設定する伊奘諾。しかも「勅任」という絶対服従の命令で。

ここ、めちゃくちゃ重要なポイントで。

すでに設定されてる「人間モデル神」と相まって、
素戔嗚の反抗を支える根拠になっていくんです。

次のポイントへ続く。。。

⑩父へのあてこすり!?敢えて親父を怒らせる素戔嗚的なんでやねん

オヤジによる三神の分治。任命された統治領域。

天照、月讀は親父の任命を受け容れます。一応、両目という、尊い箇所の洗浄中に誕生したからね。尊貴な神は理をわきまえてる、ある意味従順。空気読む。

ですが、、、

約一名、従わない者がおりまして、、、大人になっても治めようとしない。

それが素戔嗚尊であります。

ポイントは、素戔嗚尊が従わない理由

結構スゴイ理由を述べるんです。

根国で母に従いたい、、、

って。。。

これを聞いた伊奘諾は

激オコ。。。

出ていけ!とばかりに追放します。

実は、、、

素戔嗚尊は、〔一書6〕を読む限り、母のことは知らないはず。。。だって伊奘諾単独のみそぎの中で生まれたからね。

なのに、母に従いたい、って言ってる、、、ってココがミソ。

逆の立場で人間的に考えてみよう。

素戔嗚としては、、、

確たる根拠も無しに、世界の統治領域を決定するオヤジ。それ、めっちゃ重要事項。しかも、姉ちゃんだけど女の天照に高天原という尊貴な場所を任命するなんて、、、理に反してるじゃねえかと。

男のオレ様からしたら

ふざけんな!

、、、って事。

だから反抗する。

任命された場所を統治しない、哭いてばかりいるのはそういう事で。挙句の果てに、オヤジに統治しない理由を聞かれたから、強烈な当てこすりで反抗(だって、分かれよって感じだし)。

詳細は後ほど解説。とにかく、人間モデル神・新型「素戔嗚尊」なんで、人間的に読み解きましょう。

以上、ポイント10個。

まとめます。

マジか、こんなにあるよ事前チェックポイント

  1. 第五段本伝踏襲の冒頭と締めくくり。物語の破綻はたんリスクをヘッジする秀逸な仕掛け
  2. 新登場「人間モデルの神」!理ではなく情に駆られた言動に注目せよ!
  3. 伊奘冉を失った悲しみ表現、母親殺しの火神への容赦ない報復がヤバすぎる!
  4. あの世ってどんなところ?死んでも続く黄泉国よみのくにライフ♪
  5. 見るなと言われれば見たくなる。見るなの禁は破るからこそ意味がある?
  6. やっぱり恐ろしい黄泉国よみのくに。逃げる伊奘諾を追いかける化け物たち!
  7. 生と死の断絶起源譚。死に対して生が優位に立つ日本神話的ロジック
  8. 死の穢れは徹底的に洗い落とす!みそぎにみる日本神話的穢れの概念
  9. 三貴神の誕生と分治。理にそぐわないけどドラマが生まれるから良しとする
  10. 父へのあてこすり!?敢えて親父を怒らせる素戔嗚的なんでやねん

ということで、

よーやっと、本文です。本番はココからやで

 

『日本書紀』巻第一(神代上)第五段 一書6の本文

 ある書はこう伝えている。伊奘諾尊いざなきのみこと伊奘冉尊いざなみのみことは共に大八洲国おほやしまぐにを産んだ。

 その後に、伊奘諾尊は、「私が生んだ国は朝霧だけがかすんで立ちこめ満ちてていることよ。」と言った。そこで吹き払った気が化して神となった。名を級長戸辺命しなとべのみことと言う。また級長津彦命しなつひこのみことと言う。これが、風の神である。また飢えた時に子を生んだ。名を倉稲魂命うかのみたまのみことと言う。また、海神わたのかみ等を生んだ。名を少童命わたつみのみことと言う。山神やまのかみ等は名を山祇やまつみと言い、水門神みなとのかみ等は名を速秋津日命はやあきつひのみことと言い、木神きのかみ等は名を句句迺馳くくのちと言い、土神つちのかみは名を埴安神はにやすのかみと言う。その後に、ことごとくありとあらゆるものを生んだ。

 その火神ひのかみ軻遇突智かぐつちが生まれるに至って、その母の伊奘冉尊はかれ、化去かむさった。その時、伊奘諾尊いざなきのみことは恨み「このたった一児と、私の愛する妻を引き換えてしまうとは。」と言った。そこで伊奘冉尊いざなみのみことの頭の辺りを腹ばい、脚の辺りを腹ばいして、いて激しくなみだを流した。その涕が落ちて神と成る。これが畝丘うねを樹下このもとす神である。名を啼沢女命なきさわめのみことと言う。

 遂に、帯びていた十握剣とつかのつるぎを抜き、軻遇突智かぐつちを三段にった。それぞれ化してその各部分が神と成った。また剣の刃からしたたる血は、天安河辺あまのやすのかはらにある五百箇磐石いほついはむらと成った。これが経津主神ふつぬしのかみおやである。また、剣のつばから滴る血がほとばしって神と成った。名付けて甕速日神みかはやひのかみと言う。次に熯速日神ひのはやひのかみ。その甕速日神は武甕槌神たけみかづちのかみおやである。(または、甕速日命みかはやひのかみ、次に熯速日命ひのはやひのみこと、次に武甕槌神たけみかづちのかみと言う。)また、剣の先から滴る血がほとばしって神と成った。名付けて磐裂神いはさくのかみと言う。次に根裂神ねさくのかみ。次に磐筒男命いはつつのをのみこと(一説には磐筒男命いはつつのをのみこと磐筒女命いはつつのめのみことと言う。)また、剣のつかから滴る血がほとばしって神と成った。名付けて闇龗くらおかみと言う。次ぎに闇山祇くらやまつみ。次に闇罔象くらみつは

 こうした後に、伊奘諾尊いざなきのみこと伊奘冉尊いざなみのみことを追って黄泉よもつくにに入り及びいたって共に語った。その時、伊奘冉尊は「私の愛しい夫よ、どうして来るのがこんなに遅かったのですか。私は黄泉よもつくにで煮炊きした物をすでに食べてしまったのです。でも、私はこれから寝ようと思います。お願いですから、けっして私をご覧にならないでください。」と言った。伊奘諾尊はそれを聴かず、こっそり湯津爪櫛ゆつつまぐしを取り、櫛の端の雄柱をばしらを引き折り松明たいまつとして見ると、うみがわき、蛆虫がたかっていた。今、世の人が夜に一つを灯すことをみ、また夜に投げ櫛をすることを忌むのは、これが由縁ゆえんである。

 その時、伊奘諾尊はおおいに驚き、「私は、思いもよらず何と嫌な汚穢きたない国に来てしまったことだ。」と言い、すぐに急いで走り帰った。その時、伊奘冉尊は恨んで「どうして約束を守らず私に恥をかかせたのか。」と言い、泉津醜女よもつしこめ(一説では泉津日狭女よもつひさめと言う)八人を遣わし、追い留めようとした。ゆえに、伊奘諾尊は剣を抜き、後ろ手に振りながら逃げた。さらに、黒い蔓草つるくさの頭飾りを投げた。これがたちまち葡萄ぶどうと成った。醜女しこめはこれを見て採って食べた。食べ終えると、更に追った。伊奘諾尊はまた湯津爪櫛ゆつつまぐしを投げた。たちまち竹の子に成った。醜女はまたも、これを抜いて食べた。食べ終えるやまた追ってきた。最後には、伊奘冉尊もまた自ら来て追ってきた。この時には、伊奘諾尊はすでに泉津平坂よもつひらさかに至っていた。(一説では、伊奘諾尊が大樹に向かって小便をした。するとこれがすぐに大河と成った。泉津日狭女がその川を渡ろうとしている間に、伊奘諾尊はすでに泉津平坂に至った、という。)そこで、伊奘諾尊は千人力でやっと引けるくらいの大きないわでその坂路を塞ぎ、伊奘冉尊と向き合って立ち、遂に離縁を誓う言葉を言い渡した。

 その時、伊奘冉尊は「愛しい我が夫よ、そのように言うなら、私はあなたが治める国の民を、一日に千人くびり殺しましょう。」と言った。伊奘諾尊は、これに答えて「愛しい我が妻よ、そのように言うならば、私は一日に千五百人生むとしよう。」と言った。そこで「これよりは出て来るな。」と言って、さっと杖を投げた。これを岐神ふなとのかみと言う。また帯を投げた。これを長道磐神ながちわのかみと言う。また、衣を投げた。これを煩神わずらいのかみと言う。また、はかまを投げた。これを開齧神あきぐひのかみと言う。また、くつを投げた。これを道敷神ちしきのかみと言う。その泉津平坂よもつひらさか、あるいは、いわゆる泉津平坂はまた別に場所があるのではなく、ただ死に臨んで息の絶える間際、これではないか、とも言う。

 伊奘諾尊は黄泉から辛うじて逃げ帰り、そこで後悔して「私は今しがた何とも嫌な見る目もひどいけがらわしい所に行ってしまっていたものだ。だから我が身についたけがれを洗い去ろう。」と言い、そこで筑紫つくし日向ひむか小戸をどたちばな檍原あはぎはらに至り、禊祓みそぎはらえをした(身のけがれを祓い除いた)。

 こういう次第で、身の穢れをすすごうとして、否定的な言いたてをきっぱりとして「上の瀬は流れが速すぎる。下の瀬はゆるやかすぎる。」と言い、そこで中の瀬ですすいだ。これによって神を生んだ。名を八十枉津日神やそまがつひのかみと言う。次にその神のまがっているのを直そうとして神を生んだ。名を神直日神かむなおひのかみと言う。次に大直日神おほなほひのかみ

 また海の底に沈んで濯いだ。これによって神を生んだ。名を底津少童命そこつわたつみのみことと言う。次に底筒男命そこつつのおのみこと。また潮の中に潜ってすすいだ。これに因って神を生んだ。名を中津少童命なかつわたつみのみことと言う。次に中筒男命なかつつのおのみこと。また潮の上に浮いて濯いだ。これに因って神を生んだ。名を表津少童命うわつわたつみのみことと言う。次に表筒男命うわつつのおのみこと。これらを合わせて九柱の神である。その中の底筒男命・中筒男命・表筒男命は、これが住吉大神すみのえのおおかみである。底津少童命そこつわたつみのみこと中津少童命なかつわたつみのみこと表津少童命うわつわたつみのみことは、安曇連あずみのむらじらが祭る神である。

 そうして後に左の眼を洗った。これによって神を生んだ。名を天照大神あまてらすおおみかみと言う。また右の眼を洗った。これに因って神を生んだ。名を月読尊つくよみのみことと言う。また鼻を洗った。これに因って神を生んだ。名を素戔嗚尊すさのおのみことと言う。合わせて三柱の神である。

 こういう次第で、伊奘諾尊は三柱の御子に命じて「天照大神は、高天原たかあまのはらを治めよ。月読尊は、青海原の潮が幾重にも重なっているところを治めなさい。素戔嗚尊は天下あまのしたを治めなさい。」と言った。

 この時、素戔嗚尊はすでに年が長じていて、また握りこぶし八つもの長さもあるひげが生えていた。ところが、天下を治めようとせず、常に大声をあげて哭き怒り恨んでいた。そこで伊奘諾尊が「お前はどうしていつもそのように哭いているのだ。」と問うと、素戔嗚尊は「私は根国ねのくにで母に従いたいのです。だから、哭いているだけなのです。」と答えた。伊奘諾尊は不快に思って「気のむくままに行ってしまえ。」と言って、そのまま追放した。

 一書曰 伊奘諾尊與伊奘冉尊 共生大八洲國 然後 伊奘諾尊曰 我所生之國 唯有朝霧而 薫滿之哉 乃吹撥之氣 化爲神 號曰 級長戸邊命 亦曰級長津彦命 是風神也 又飢時生兒 號倉稻魂命 又生海神等 號少童命 山神等號山祇 水門神等號速秋津日命 木神等號句句廼馳 土神號埴安神 然後 悉生萬物焉

  至於火神軻遇突智之生也 其母伊奘冉尊 見焦而化去 于時 伊奘諾尊恨之曰 唯以一兒 替我愛之妹者乎 則匍匐頭邊 匍匐脚邊 而哭泣流涕焉 其涙墮而爲神 是即畝丘樹下所居之神 號啼澤女命矣

 遂抜所帶十握劒 斬軻遇突智爲三段 此各化成神也 復劒刃垂血 是爲天安河邊所在五百箇磐石也 即此經津主神之祖矣 復劒鐔垂血 激越爲神 號曰甕速日神 次熯速日神 其甕速日神 是武甕槌神之祖也 亦曰甕速日命 次熯速日命 次武甕槌神 復劒鋒垂血 激越爲神 號曰磐裂神 次根裂神 次磐筒男命 一云 磐筒男命及磐筒女命 復劒頭垂血 激越爲神 號曰闇龗 次闇山祇 次闇罔象

  然後 伊奘諾尊 追伊奘冉尊 入於黄泉 而及之共語 時伊奘冉尊曰 吾夫君尊 何來之晩也 吾已泉之竈矣 雖然 吾當寝息 請勿視之 伊奘諾尊不聽 陰取湯津爪櫛 牽折其雄柱 以爲秉炬 而見之者 則膿沸蟲流 今世人夜忌一片之火 又夜忌擲櫛 此其縁也 時伊奘諾尊 大驚之曰 吾不意到於不須也凶目汚穢之國矣 乃急走廻歸 于時 伊奘冉尊恨曰 何不用要言 令吾恥辱 乃遣泉津醜女八人 一云 泉津日狹女 追留之 故伊奘諾尊 抜劒背揮以逃矣 因投黑鬘 此即化成蒲陶 醜女見而採之 了則更追 伊奘諾尊 又投湯津爪櫛 此即化成筍 醜女亦以抜之 了則更追 後則伊奘冉尊 亦自來追 是時 伊奘諾尊 已到泉津平坂 一云 伊奘諾尊 乃向大樹放尿 此即化成巨川 泉津日狹女 將渡其水之間 伊奘諾尊 已至泉津平坂 故便以千人所引磐石 塞其坂路 與伊奘冉尊相向而立 遂建絶妻之誓

  時伊奘冉尊曰 愛也吾夫君 言如此者 吾當縊殺汝所治國民日將千頭 伊奘諾尊 乃報之曰 愛也吾妹 言如此者 吾則當産日將千五百頭 因曰 自此莫過 即投其杖 是謂岐神也 又投其帶 是謂長道磐神 又投其衣 是謂煩神 又投其褌 是謂開囓神 又投其履 是謂道敷神 其於泉津平坂 或所謂泉津平坂者 不復別有處所 但臨死氣絶之際 是之謂歟 所塞磐石 是謂泉門塞之大神也 亦名道坂大神矣

  伊奘諾尊既還 乃追悔之曰 吾前到於不須也凶目汚穢之處 故當滌去吾身之濁穢 則往至筑紫日向小戸橘之檍原 而祓除焉 遂將盪滌身之所汚 乃興言曰 上瀬是太疾 下瀬是太弱 便濯之於中瀬也 因以生神 號曰八十枉津日神 次將矯其枉而生神 號曰神直日神 次大直日神 又沈濯於海底 因以生神 號曰底津少童命 次底筒男命 又潜濯於潮中 因以生神 號曰中津少童命 次中筒男命 又浮濯於潮上 因以生神 號曰表津少童命 次表筒男命 凡有九神矣 其底筒男命中筒男命表筒男命 是即住吉大神矣 底津少童命中津少童命表津少童命 是阿曇連等所祭神矣

  然後 洗左眼 因以生神 號曰天照大神 復洗右眼 因以生神 號曰月讀尊 復洗鼻 因以生神 號曰素戔嗚尊 凡三神矣 已而伊奘諾尊 勅任三子曰 天照大神者 可以治高天原也 月讀尊者 可以治滄海原潮 之八百重也 素戔嗚尊者 可以治天下也 是時素戔嗚尊 年已長矣 復生八握鬚髯 雖然不治天下 常以啼泣恚恨 故伊奘諾尊問之曰 汝何故恆啼如此耶 對曰 吾欲從母於根國  只爲泣耳 伊奘諾尊 惡之曰 可以任情行矣 乃逐之 (『日本書紀』巻第一(神代上)第五段 一書6より)

 

『日本書紀』巻第一(神代上)第五段 一書6の解説

第五段、全11の〔一書〕のなかで最も長い伝承、、、

いかがでしたでしょうか?

長かったよね。。。これだけで独立した「一つの段」にしてもいいくらいのボリューム。

まずは、

〔一書6〕における大枠のポイント確認。

  1. 黄泉よみみそぎなど、新しい世界観や概念の導入により、日本神話の多様な展開が生み出されてる。そこからは、日本の豊かさやスゴさが伝わってくる。
  2. 多様な伝承は互いに関連し合い、つながって行くようになってて、物語として破綻はたんしないように調整されている。

 

まず1つ目。

黄泉よみや人間モデル神など、新しい世界観や概念の導入によって生み出された

日本神話の多様な展開。

そこからは、

日本の豊かさやスゴさが伝わってくる。。。よね。

こんな伝承もある、あんな伝承もある、、、と。多様さや神秘さ、さらには奥ゆかしさが満ちていて。

日本てそんな国、

唯一無二の素晴らしい国なんです。

そして、

更にスゴいのは、、、

あんな伝承やこんな伝承は、うまく関連させてある、ってこと。

重なるように、繋がるように設定してあって、バラバラじゃない。

物語として破綻はたんしないように調整されてて、でも、多様さを生み出す大きな仕掛けを持っている。

ほんとスゴイんす。。

例えば、黄泉譚よみたん

は、生を代表する伊奘諾尊、死を代表する伊奘冉尊という形で終わるのですが、この設定は後の伝承へ繋がっていきます。

系統イメージは以下。

  • 生: 伊奘諾尊 - 天照大神 - 瓊瓊杵尊 - 神武天皇
  •    ⇕ 対立
  • 死: 伊奘冉尊 - 素戔嗚尊 - 大己貴命 - (暴風雨

なので、

黄泉譚よみたんは一度登場して終わりではなく、生と死の対立構造、伊奘諾尊と伊奘冉尊の対立構造、諾冉各神に連なる神々の対比構造へと繋がっていく。

黄泉よみ神話があるからこそ、その後の神話に深みや奥行きが出てくる。非常に豊かで多彩でオモロー!な世界観です。

その上で、、、

改めて、全体の構成をチェック。

全4部構成。

  1. 神生み、火神殺し
  2. 黄泉よみ往来、生死断絶
  3. 禊祓みそぎはらえと三貴神誕生
  4. 三貴神の分治

以下、詳細の解説も、大きく4つのパートに分けてお届け。ココから、長い長い解説の旅が始まります。

第一部 神生み、火神殺し解説

 ある書はこう伝えている。伊奘諾尊いざなきのみこと伊奘冉尊いざなみのみことは共に大八洲国おほやしまぐにを産んだ。

 その後に、伊奘諾尊は、「私が生んだ国は朝霧だけがかすんで立ちこめ満ちてていることよ。」と言った。そこで吹き払った気が化して神となった。名を級長戸辺命しなとべのみことと言う。また級長津彦命しなつひこのみことと言う。これが、風の神である。また飢えた時に子を生んだ。名を倉稲魂命うかのみたまのみことと言う。また、海神わたのかみ等を生んだ。名を少童命わたつみのみことと言う。山神やまのかみ等は名を山祇やまつみと言い、水門神みなとのかみ等は名を速秋津日命はやあきつひのみことと言い、木神きのかみ等は名を句句迺馳くくのちと言い、土神つちのかみは名を埴安神はにやすのかみと言う。その後に、ことごとくありとあらゆるものを生んだ。

  •  ある書はこう伝えている。伊奘諾尊いざなきのみこと伊奘冉尊いざなみのみことは共に大八洲国おほやしまぐにを産んだ。(原文:一書曰 伊奘諾尊與伊奘冉尊 共生大八洲國)

概要でもお伝えした通り、

今回お届け中の〔一書6〕は、
「書6踏襲 差違化型シリーズ」における最初。基本となる伝承

全く新しい世界観、概念が導入され

ちょ、、、マジ? そんな展開・・・?

て感じのビックリワールド。

でも、

破綻はたんしないようになってる。物語として。工夫が入ってる。

それが、

第五段本伝を踏まえた、冒頭と末尾。

最初と最後を本伝ベースで設計することで破綻はたんを防いでる、ってこと。

検証

まず導入部分。2つを比較。

  • 〔本 伝〕「伊奘諾尊・伊奘冉尊議曰、吾已生 大八洲国及山川草木」
  • 〔一書6〕「伊奘諾尊與伊奘冉尊 共生 大八洲國

伊奘諾尊、伊奘冉尊が「共に」「大八洲国おほやしまぐに」を生んだ~ という表現。

明らかに重なってますよね。間違いないよね!?

次、末尾。

  • 〔本伝〕「其父母二神 勅素戔嗚尊、(中略)固当 遠適之於根国矣。遂逐之。」
  • 〔一書6〕「伊奘諾尊 悪之曰、可以任情 行矣。乃逐之。」

こちらも、素戔嗚尊の追放で対応。

明らかに重なってる。うん、間違いない!

以上の、2点。冒頭と末尾を本伝と対応させることで、

真ん中が、どんだけ突飛であっても、違っていても、
破綻はたんしないようになってる。スゴくない?この仕掛け。

で、

破綻はたんリスクをヘッジしながら
真ん中で存分にニューワールド展開。新しい概念をどどーんと埋め込んでる。

めっちゃ考えられてる。

スゴイすよ、ほんとに。編纂チームの、古代日本人の創意工夫の痕跡こんせきがココに。

その意味で、

『日本書紀』って、めっちゃ野心的で実験的な取組みだったりする訳です。その豊かな創造性にウットリ(*´台`*)*・゚☆

  • 「私が生んだ国は、ただ朝霧だけがかすんで立ちこめてる。」(原文:我所生之國 唯 有朝霧 而 薫滿之哉)

ポイントは「朝霧」。

コレ、

私が生んだ国=「大八洲国おおやしまぐに」が
「豊葦原千五百秋瑞穂の地(第四段一書1)」となっていく事を、
象徴的に予告・約束する言葉
だって事。

朝霧が立つってことは、湿地帯があるって事。湿地帯があるってことは、そこに水田を作れるってこと。水田は豊かな秋の実りへ、つまり千五百秋瑞穂ちいほのあきのみずほへ繋がっていく。。。って、なんて奥ゆかしい!

ちなみに、「唯」という言葉。

朝霧だけがかすんでる、朝霧だけしかない

といった意味になりますが、

これは、つまり「予祝はあるが、ほかには何もない。。。」ってこと。だからこそ、これからたくさん生まないといけない。さー、生もう、というところへ繋がります。

  • そこで吹き払った気が化して神となった。名を級長戸辺命しなとべのみことと言う。また級長津彦命しなつひこのみことと言う。これが、風の神である。また飢えた時に子を生んだ。名を倉稲魂命うかのみたまのみことと言う。また、海神わたのかみ等を生んだ。名を少童命わたつみのみことと言う。山神やまのかみ等は名を山祇やまつみと言い、水門神みなとのかみ等は名を速秋津日命はやあきつひのみことと言い、木神きのかみ等は名を句句迺馳くくのちと言い、土神つちのかみは名を埴安神はにやすのかみと言う。その後に、ことごとくありとあらゆるものを生んだ。

大八洲国おおやしまぐにが誕生し、朝霧が深く立ちこめる幻想的でおごそかな世界。「薫滿」とあるので、香りも満ちていたのでしょうか。これから始まる感じを全身で感じて。

ココで誕生する神は、以下の通り。

級長戸辺命しなとべのみこと級長津彦命しなつひこのみこと 風の神 吹き払った気が化す
倉稲魂命うかのみたまのみこと 稲の神。稲や穀物の神霊。 飢えたときに生む
少童命わたつみのみこと 海の神 海神わたのかみ
山祇やまつみ 山の神 山神やまのかみ
速秋津日命はやあきつひのみこと 河、河口の神 水門神みなとのかみ
句句迺馳くくのち 木の神 木神きのかみ
埴安神 土の神 土神
ことごとくあらゆるもの

と、いうことで、

大枠は、万物を生む、という中で、
トピックとして切り出してるのが、風、稲、海、山、河口、木、土の神。

中でもチェックしておきたいのは、稲の神「倉稲魂命うかのみたまのみこと

先ほどの「豊葦原千五百秋瑞穂とよあしはらのちいほのあきのみずほ」の予祝と繋がってて、
たくさんの収穫された稲、を保管する。まさに、豊葦原千五百秋瑞穂の国。これは、同じ第五段の〔一書11〕、天照大神による稲作開始のお話へ繋がっていきます。「わたり」としての埋め込みがココに。

ちなみに、

稲の行方を追いかけていくと神話全体の流れが非常に分かりやすく読み解けます。別稿にて特集します。

●参考 →皇居に水田が?!その場所は?天皇が自ら稲を育てる「親耕」を、日本神話から紐解いてみる

 その火神ひのかみ軻遇突智かぐつちが生まれるに至って、その母の伊奘冉尊はかれ、化去かむさった。その時、伊奘諾尊いざなきのみことは恨み「このたった一児と、私の愛する妻を引き換えてしまうとは。」と言った。そこで伊奘冉尊いざなみのみことの頭の辺りを腹ばい、脚の辺りを腹ばいして、いて激しくなみだを流した。その涕が落ちて神と成る。これが畝丘うねを樹下このもとす神である。名を啼沢女命なきさわめのみことと言う。

  • その火神ひのかみ軻遇突智かぐつちが生まれるに至って、その母の伊奘冉尊はかれ、化去かむさった。(原文:至於火神軻遇突智之生也 其母伊奘冉尊 見焦而化去)

第五段〔一書2〕で誕生し、以後の〔一書〕で母親殺しを続ける軻遇突智かぐつち関連イベント。これまでの描かれ方は、

  • 一書2〕:「卑」に当たる子の誕生。最後に火神生み、伊奘冉尊焼死。臨終に神生み
  • 一書3〕:伊奘冉尊の死をめぐる展開に特化。臨終に神生み
  • 一書4〕:伊奘冉尊の死に際に焦点、その排泄物からの神化成
  • 一書5〕:伊奘冉尊の死後、葬と祭により鎮魂、幕引き

と、陰の極みと「神生み」にフォーカスがあたってました。

●必読→ 『日本書紀』巻第一(神代上)第五段 一書第2,3,4,5 ~卑の極まりと祭祀による鎮魂~

ところが、

ココ、〔一書6〕からは、母親殺しと旦那の復讐、といった「人間ドラマ」にフォーカス・チェンジ

コレ、この後で解説する、人間モデル神登場によるもの。

ココでしっかりチェックいただきたいのは、

伊奘諾尊の感情。

  • その時、伊奘諾尊いざなきのみことは恨み「このたった一児と、私の愛する妻を引き換えてしまうとは。」と言った。(原文:于時 伊奘諾尊恨之曰 唯以一兒 替我愛之妹者乎)

→伊奘諾尊が、、、妻を殺した我が子を恨み憎んでいる。。。

ポイント2つ。

1つ目。

さらっと流してはいけません。コレ、、

日本神話史上初!神が感情を持ち始めた!って瞬間だ。

この感情表現が登場した意味はかなりデカくて。

以後、本来こうなのに、とか、原理的には、、、といったところから外れた展開、想定外のイベントが発生していくようになります。

そしてそれは、神話全体に複雑さとか、多様性を与えていくようになるのです。ココがポイント。

母体が犠牲になって子が誕生する状況で、神は子を恨む、で、その後、殺す、、、というちょっと何やってんのか良く分からない、、、的な行動。人間っぽい雰囲気がグッと出てきてます。

たった一言「恨」という文字なんですが、とてつもなく重要な意味を持ってること、しっかりチェックされてください。

2つ目。

新登場!人間モデル神。実はしっかりプロセスを踏んでの登場でした

神が感情を持ち始めたのですよ。神が。これは革命です。革命。それ、人間臭い神様。人間モデル神。

うーん、何度言っても違和感ある。。。

人間モデル神

でも、日本神話的には、
神がそうだから人間がそう、って事で。

神先人後

コレ、お間違えなく。詳しくはコチラ↓で。

でもコレ、

実は突然登場するわけじゃないんです。しっかりプロセス、段階を踏んでの登場だったりします。

その段階とは、

伊奘諾と伊奘冉が夫婦になった経緯、過程。

先立つ第四段

  • 「於是、陰陽始遘合為 夫婦」〔本伝〕
  • 「遂為 夫婦」〔書一〕、
  • 「二神合為 夫婦」〔書六〕

といったかんじで、実は、
そもそもの始め、プロセスから人間になぞらえてる。ココがポイント。

第四段で、儀礼上の人間モデル夫婦を演じたうえで、

ココ、第五段〔一書6〕で開花&炸裂。

って、こうしてみてみると、納得感はありますよね。物語として破綻はたんしてない。

〔一書6〕から突然、人間になったよ、クララが立ったよ、ではなく、

段階を踏んでる。

そのうえで、

これまでの「理」をもとにした行動から、
「情」に駆られた行動へ。変化を際立たせていく。

素晴らしい神話構造になってます。ほんとよく考えてある。

そういう意味でも、〔一書6〕の随所に登場する、伊奘諾の感情の揺れ動き、その表現に着目して物語を追いかけていくといろんな発見があったりする訳です。

  • 伊奘諾尊いざなきのみことは)恨み「このたった一児と、私の愛する妻を引き換えてしまうとは。」と言った。(原文:恨曰、唯以 一児替 我愛之妹者乎)」

→最初に断っておきますが、
神の感情表現は、かなりの激情型。

そこまでやる???の連続であります。

伊奘冉尊がかれて化去かむさるところから人間モデル炸裂開始。

伊奘諾尊が発する「恨み」の言葉に注目。

で、この直後に、「腹這いになる(原文:匍匐)」や「激しく泣き涙を流す(原文:哭泣流涕)」といった行動が続きます。

腹ばいになって、涙をぼろぼろ流して哭く。ってこと。「泣く」レベルではなく「哭く」。慟哭。声をあげて激しく嘆き泣く。

スゴクナイすか??

「哭く」という表現のみならず、 腹ばいなんて、頭のところで腹這って、脚のところで腹這って、と、まースゴイ。徹底的に腹這い。

人間以上に激しい。

ん? それが神か。ま、いいや。

尚、このあたりの表現は類例があって、

それが、古代におけるもがりの儀礼。

要は、葬送儀礼死者を送る特別な儀礼です。

例えば、『古事記』の景行天皇条。

倭建命の崩に参じた后や御子らが

「陵(墓)をつくって、腹這いになって廻り哭いて歌う(原文:作 御陵、即匍匐廻 其地之那豆岐田 而哭為歌)。」

と、腹這い&哭く儀礼を伝えます。

古代には、こういう儀礼・風俗があったんすね。

儀礼として行ってるわけですが、そこで表現されるのが

「喪失の悲痛」

大げさであればあるほど手厚いとされる文化・価値観。

今回、

伊奘諾尊は、枕元と足元で行ったとあり、
それだけ手厚い葬送儀礼だったと、それだけ深い喪失の悲しみだったと、いう意味になります。

しかも、恨みの言葉のなかに「我愛之妹」と、
妻に対する「愛情」を強く寄せる言葉も使われていて、喪失の悲しみを悲痛なものへとドラマチックに昇華させてます。

で、

この愛情ゆえに諦めきれず、黄泉よみまで追う行動に駆りたてていく、という展開へ。

感情の揺れ動き、

その表現に着目して物語を追いかけていくと、なんだか文学的な雰囲気も漂い始めるこの頃です。ココ、激しくチェック。

  • その涕が落ちて神と成る。これが畝丘うねを樹下このもとす神である。名を啼沢女命なきさわめのみことと言う。(原文:其涙墮而爲神 是即畝丘樹下所居之神 號啼澤女命矣)

→突然ですが、いきなり、登場。「畝丘うねおの樹下に居す神」。それ、「啼沢女命なきさわめのみこと」。

沢に流れる水のように音を立てて泣く神、といった意味。喪失の悲痛、その涙より生まれた神です。

古代、葬送の際には「泣女なきめ」という、大声で泣き叫ぶ女性がいたことから、こうした神名と思われます。

で、この「畝丘うねお」こそ、現在の奈良県橿原市!天香具山のすぐ近くの場所なんです!

神話とリアルが交錯する超絶ロマン発生地帯。詳細コチラ!

●必読→ 畝尾都多本神社|最愛の人へ寄せる涙から生まれた愛の女神「啼沢女命」を祭る!畝尾都多本神社の全貌を日本神話的背景も含めてまとめてご紹介!

ここ一帯は、神武東征神話でも登場する激しく重要な場所。神話ファンとしては鉄板でチェックすべきスポットであります。

なお、「啼沢女命」は、日本神話が編纂されていた藤原京の歴史にも登場する重要な神。コチラも合わせてチェックされてください。

●必読→ 【保存版】藤原宮跡|藤原京の中心施設「藤原宮」の跡地!周辺施設や跡地も含めて藤原宮跡の全貌まとめ!

藤原宮跡

 遂に、帯びていた十握剣とつかのつるぎを抜き、軻遇突智かぐつちを三段にった。それぞれ化してその各部分が神と成った。また剣の刃からしたたる血は、天安河辺あまのやすのかはらにある五百箇磐石いほついはむらと成った。これが経津主神ふつぬしのかみおやである。また、剣のつばから滴る血がほとばしって神と成った。名付けて甕速日神みかはやひのかみと言う。次に熯速日神ひのはやひのかみ。その甕速日神は武甕槌神たけみかづちのかみおやである。(または、甕速日命みかはやひのかみ、次に熯速日命ひのはやひのみこと、次に武甕槌神たけみかづちのかみと言う。)また、剣の先から滴る血がほとばしって神と成った。名付けて磐裂神いはさくのかみと言う。次に根裂神ねさくのかみ。次に磐筒男命いはつつのをのみこと(一説には磐筒男命いはつつのをのみこと磐筒女命いはつつのめのみことと言う。)また、剣のつかから滴る血がほとばしって神と成った。名付けて闇龗くらおかみと言う。次ぎに闇山祇くらやまつみ。次に闇罔象くらみつは

  • 遂に、帯びていた十握剣とつかのつるぎを抜き、軻遇突智かぐつちを三段にった。(原文:遂抜 所帯十握剣、斬 軻遇突智、為 三段)」

伊奘諾尊の激情発露はさらに続きます。

恨みの報復。

それで、わが子を斬断、、、3つに、、、

壮絶。。。(;゚д゚)ゴクリ…

昼ドラか?いや、それ以上か、めっちゃ人間臭い。

なぜ3つに斬断したか、それは古代の聖数観念があるから。奇数は陽数、偶数は陰数。

ところが、、、

ここで「それぞれ(三段に切った部分)化してその各部分が神と成った。」とありますが、どんな神と成ったは不明。

一方、同じ第五段〔一書7〕では、三段に為したそれぞれから、雷神、大山祇神、高龗が誕生すると伝えてます。なので、恐らく、ココ〔一書6〕でいう神もこの三神と同様、結構スゴイ神が誕生したと考えるのが○。

いずれにしても、ポイントは、

この激しい悲痛やら恨みやら復讐やらの中から生まれる神は、その強烈さ劇的さ故に、超強力な神威を持つということ。そうしたスーパーゴッドが誕生。ココ、要チェック。

続いて誕生する神も、まー激しい。

  1. 刃から滴る血 五百箇磐石(経津主神の祖)
  2. 鐔から滴る血がほとばしって→ 甕速日神、熯速日神(武甕槌神の祖)
  3. 剣先から滴る血がほとばしって→ 磐裂神、根裂神、磐筒男命
  4. 柄から滴る血がほとばしって→ 闇龗、闇山祇、闇罔象

「激越爲神」という表現。つまり、血がほとばしって飛び散って神と為る。

しっかりイメージして!

強烈な火神の血が、強烈な恨みや悲痛を背景に、劇的にほとばしる訳です!

  • 母親殺しをしてしまうほどの強力な「火神」の血
  • 伊奘諾尊の激しい恨みと悲痛が背景にあり
  • 血がほとばしって飛び散るという非常に勢いのある状態から生まれた神

なんか、、、スゲー強そうですよね。

特に、經津主神、武甕槌神は、あとで国譲りや葦原中国平定でも活躍する超重要神。その神威は、こうした「誕生プロセス」にあったってこと。激しくチェックです。       

なお、

「十握剣」は、主人公が重要な斬殺を行う時に登場する神剣。

「握(ツカ)」は長さの単位。一ツカは約10㎝。握りこぶし一つ分くらい。なので、「十握」で約100㎝(1m)。

次は第二部。黄泉よみ往来、生死断絶」です。いよいよ黄泉よみが登場!

第二部 黄泉往来・生死断絶 解説

 こうした後に、伊奘諾尊いざなきのみこと伊奘冉尊いざなみのみことを追って黄泉よもつくにに入り及びいたって共に語った。その時、伊奘冉尊は「私の愛しい夫よ、どうして来るのがこんなに遅かったのですか。私は黄泉よもつくにで煮炊きした物をすでに食べてしまったのです。でも、私はこれから寝ようと思います。お願いですから、けっして私をご覧にならないでください。」と言った。伊奘諾尊はそれを聴かず、こっそり湯津爪櫛ゆつつまぐしを取り、櫛の端の雄柱をばしらを引き折り松明たいまつとして見ると、うみがわき、蛆虫がたかっていた。今、世の人が夜に一つを灯すことをみ、また夜に投げ櫛をすることを忌むのは、これが由縁ゆえんである。

と。いよいよ登場しました。黄泉よみ

詳細解説に入る前に、

日本神話全体の流れの中で、黄泉よみ登場の意味とは?

というところをチェック。位置付けや目的が明確になってれば迷うことはありません!

大きく3つ。

  1. 生と死の対立構造。そして死に対する生の優位を明確にすること
  2. 穢れと清浄の対立構造。そして浄化プロセスからの高天原統治者の誕生
  3. 起源伝承として。天皇ですら免れない死とその後の世界を説明

まず1つ目。

①生と死の対立構造。そして、死に対する生の優位を明確にすること

黄泉譚よみたんの結末。それは、伊奘諾尊と伊奘冉尊の絶縁です。

神話的には、

  • 伊奘諾尊・・・生であり陽
  • 伊奘冉尊・・・死であり陰

という対立構造があるため、

これを踏襲した黄泉譚よみたんは、生(伊奘諾)と死(伊奘冉)の断絶を伝える神話として位置づけられます。

さらに、

泉津平坂での絶縁宣言には、

  • 伊奘諾尊・・・1500人産む
  • 伊奘冉尊・・・1000人殺す

という対立構造があり、その意味は、生(1500)>死(1000)、つまり、生は死より優位であることを伝える神話でもあるってこと。

これなら安心だね。

死は断絶されているものであり、簡単にはやってこない。しかも、生の方が優位であるというマウンティング感がサイコーの眠りをお約束します。

②穢れと清浄の対立構造。そして浄化プロセスからの高天原統治者の誕生

黄泉よみは穢れてるところ。その穢れ度合いと言ったら、、もうサイテーです。とにかく汚くて穢れてる。

伊奘諾尊の「何とも嫌な見る目もひどいけがらわしい所に行ってしまっていたものだ(原文:吾前到於不須也凶目汚穢之處)」に、それは表れています。

この汚れっぷりがサイテーであればあるほど、キレイになったときのコントラスト、その清浄さはイヤでも引き立ちます。これが狙い。

真逆・対極のものを置くことで、コントラストが冴えわたり、その清浄な浄化プロセスの中で誕生する神は物凄い神威を体現する、

黄泉譚よみたんはその意味で、高天原統治者誕生のための壮大な前フリだったとも言える訳です。

③起源伝承として。天皇ですら免れない死とその後の世界を説明

補足としての③。神話自体が持つ重要な機能として、起源譚があります。

人はなぜ死ぬのか、死んだらどうなるのか、それはいつの時代も重要な問いな訳で。

それに答えるのが神話。

日本神話風に言えば、伊奘冉尊が殺すから。死んだら伊奘冉尊のいる黄泉よみに行って、黄泉よみの生活が続くんだよ、ということになります。

以上、3点。しっかりチェックです。

ということで以下詳細を。

  • 伊奘諾尊いざなきのみこと伊奘冉尊いざなみのみことを追って黄泉よもつくにに入り及びいたって(原文:伊奘諾尊 追伊奘冉尊 入於黄泉)

黄泉よもつくにに入り、って結構サラって書いてあるが、、、

つまり、

伊奘冉尊いざなみのみこと焼死時は、この世界とあの世はつながってた、という事。なので、死者を追いかけていくと黄泉よみに行くことができる。これ、そういう世界構造として。

そもそもの、日本神話版「黄泉よみ」の世界観の凄さ、ディープなところはコチラでまとめてますのでしっかりチェック。語源や成立経緯、記紀比較もしてござい。

●必読→ 黄泉の国ってどんなとこ?死んだら向かう「あの世」の世界。日本神話的黄泉の国を分かりやすくまとめ!

『日本書紀』版「黄泉よみ」の特徴は5つ。

  1. 死んだら行くし、生者も追いかけていける
  2. 死者が、さながら現世と同じように活動してる
  3. きたなくて穢れてる
  4. タブー・掟がある
  5. 泉津平坂よもつひらさかでこの世界とつながってる

と。いうことで、神話世界では、死んだら終わりではなく、死んだら黄泉よみへ。そのままGO!ということでチェック。

  • 共に語った。(原文:而及之共語)

→「共に語る」。そう、二神は語り合ったわけです。

と、ここで発生する重要テーマが「黄泉よみは真っ暗なのかどうか?」。

何故って、語り合った訳ですから。真っ暗でできるの?って疑問。

実はコレ、冗談でもなんでもなくて、学術的にも議論されてるテーマだったりするんです。

ココで、ちょっと飛びますが、比較的分かりやすい『古事記』をチェック。従来の見解は以下2つ。

  1. 黄泉よみだけに、真っ暗。二神は真っ暗な中で語り合った。(本居宣長『古事記伝』。現在の通説)
  2. 俗世と変わらない明るさの世界。お互いに姿を確認しながら語り合った。真っ暗なのは伊奘冉が寝る宮殿の内だけ。(佐藤正英『黄泉国の在りか『古事記』の神話をめぐって」。少数意見)

といった感じ。

これ、マジで学術的議論があるテーマなんす。

で、本エントリで採用するのは②の説。

理由は、

黄泉譚よみたんは、志怪小説を踏まえているから(志怪小説については、後ほど解説)。元ネタでは、あの世でもフツーに生活しているから。

黄泉よみ入りした伊奘諾尊が、戸惑ってる様子がないから。異界である黄泉よみに来たのに、フツーに会話し始めてる。コレは、そんな大きな環境変化はなかった、つまり、この世と同様の「物を見分けることができる明るさがあった」と推測されるから。

物語的に、「見るなの禁破り」で正体露見のコントラストが設定されてるから。「共語る」時点では、ある意味、伊奘冉は化けていて生前と同じ姿で語り合った。(そのほうが、あとで正体露見したときのコントラストがデカくなって劇的度がアップする)

・伊奘諾尊は、この後「泉津平坂」を明確に目指して逃走。途中の逃走劇は暗黒世界では無理な展開だから。

ということで、
黄泉よみ世界は真っ暗ではなく、お互いの容姿が確認できるくらいの明るさはあった、という結論。

ここでの黄泉よみも同様の世界観で描かれていると考えられる訳です。

  • どうして来るのがこんなに遅かったのですか。(原文:時伊奘冉尊曰 吾夫君尊 何來之晩也)

→この世とあの世(黄泉よみ)の非対称性、その違いがポイント。

伊奘諾いざなき伊奘冉いざなみ焼死後、「匍匐」「哭泣」などもがりに先立つ服喪ふくも儀礼を思わせる行動に続き、火神「軻遇突智かぐつち」を斬断していたものの、直ぐに黄泉よみ入りしました。ところが、愛する妻は遅いと言う。

コレ、つまり、この世とあの世では時間の流れ方が違う。黄泉よみの時間の流れ方が速い。ということです。

そこに、伊奘冉尊の「待ち望む気持ち」が入っていたので余計に遅く感じられた、、、ということで整理しておきましょう。

  • 黄泉よもつくにで煮炊きした物をすでに食べてしまった(原文:吾已泉之竈矣)

→原文「已湌泉之竈」。「湌」は底本「飡」。「飡」は「飧」の俗字。「食」と「夕」との会意字で、夕方の食事の意味。動詞として、夕方の食事を摂ることを言います。で、「泉之竈=黄泉よみのかまど」。

なので、「已湌泉之竈」は「黄泉よみのかまどでつくった夕食をもう食べちゃったぜ」という意味。

ポイント2つ。

「同じ釜の飯を食う」という言葉があるように、ある共同体への帰属、一員になるかどうかは、その共同体で食されてる物を食べるかどうかだったりする訳です。ということは、伊奘冉尊が「もう食べちゃったよ」と言ってるのは、私ってば黄泉よみの世界の一員になった、つまり元には戻れない、、、といった意味も含むようになってくるのです。

「竈(かまど)」があるって事は、生活があるってこと。つまり「死者の、死者としての生活がある」ってこと。コレ、結構重要で。

死んだら終わりではなく、死んでも死者としての生活が続いていくんですよね。これは、古代における世界観として理解。『古事記』では、この「死後の生活感」がさらに拡大し、国レベルの広がりを見せるようになります。

  • 私はこれから寝ようと思います。(原文:雖然 吾當寝息)

→突然の「私寝る宣言」。伊奘冉よ、意外に自由奔放なところあるよね。

でもこれ、前述のとおり、すでに夕食を食べ終わってる。食べ終わったら、あとは寝るだけなので、突飛でもなんでもなくて自然な展開として読み解くのが○

で、そこで問題なのが、死者が寝るって、、、どこで? っていう件。

それは、、、

そう、棺桶です。つまり、伊奘冉尊いざなみのみことは棺桶に戻ろうとしてたって事。

古代、死者は棺桶に入れて、専用の建物で一定期間安置するという習慣がありました。これをもがりと言います。伊奘冉尊の寝る宣言はこのような習俗的な背景が踏まえられていると考えられるのです。これは〔一書9〕でも登場。

そして、なんで寝るのか?

それは、志怪小説のコチラがベース。

●必読→ :志怪小説:墓のなかの王女。漢の談生のお話 『捜神記』より

要は、情を交わしている間、体が蘇生・復活するのを待っていたというお話((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

これ、結構マジのやつ。

日本神話では、これをベースに、棺桶で寝ることによって体を蘇生・復活させようとしていた、そしてもちろん、伊奘冉尊としては、元の世界に戻ることを願っていた、という展開として構成されてます。

むしろ伊奘冉尊の、あの頃を想う切なさの部分に着目。うん、やっぱり文学的だよね。

志怪小説の「冥界往復譚」を一つの型として使用し、そこに、男と女のドラマや、生と死の断絶やらを盛り込んで、

つまり、日本独自の創意工夫を入れて超絶オモロー!な世界観としてつくられたのが、〔一書6〕の「黄泉よみ往復譚」というわけです。ココ、激しくチェック。

単なる借り物ではない、独自の世界観への昇華、そして、読み物としても圧倒的にオモロー!なクオリティへ。古代日本人の創意工夫の結晶がココに。

にしても、、冥界で死者と情を交す。。。ホント、おどろおどろしくて、、怖っ

  • けっして私を見てはなりません。(原文:請勿視之) 

→伊奘冉尊が課す「見るなの禁」。日本神話では他にも、

  • 鹿葦津姫の出産(第九段)
  • 豊玉姫の出産(第十段)

でも同様に、見るなの禁が登場。いずれも、男が見てしまうことで女の正体が露見するパターンであります。ひとつの話型、お決まりのヤツとして。ポイント4つ。

  1. 男(人間)に対して女(異類)が見るなと禁を課す。
  2. それは女にとって見られたくないものであり、通常は、異類の本質・本性である。
  3. また、それだけに、男としては余計に見たくなるという心理が働く仕掛けになっている。
  4. その結果、異類とは別れるほかないという必然を物語に織り込んでいる

コレ、古今東西の物語・伝承に共通した型なんです。

異界の女性とこの世界の男性が出会い、情を交わした後、女が課した「見てはならない」という禁忌・タブーを男が破ってしまい、女の正体を見たことにより破局を迎えるという展開。

ギリシャ神話には、オルフェウスが死んだ妻を取り戻すため冥界に行ったものの、地上に帰り着くまで彼女を振り向いてはならないというタブーを破り、結局は失敗するという類似した神話あり。このほかにも、「見るなの禁・タブー」のパターンを踏まえた神話があります。

日本の伝承でも、この「見るなのタブー」を中心的な話型とする多くの例があります。

能の「黒塚」では、安達ケ原の老婆が課した「この奥の部屋をみてはならない」というタブーを、宿を借りた僧が破り、見ると白骨死体が山のようにあり、恐怖のあまり逃げ出した僧を、老婆(人喰い鬼)が追いかけるという展開あり。このほか、「鶴の恩返し」「浦島太郎」「見るなの座敷」とかもそうですよね。

てか、そういうのをしっかり神話の物語として盛り込んでるのがスゴイよね。

  • 伊奘諾尊はそれを聴かず、こっそり湯津爪櫛ゆつつまぐしを取り、櫛の端の雄柱をばしらを引き折り松明たいまつとして見ると、、うみがわき、蛆虫が流れていた。(原文:伊奘諾尊不聽 陰取湯津爪櫛 牽折其雄柱 以爲秉炬 而見之者 則膿沸蟲流)

→3つポイントを。

①尊卑先後の序をもとに読み解く

伊奘冉尊のお願い、要請に対して、伊奘諾尊は聞く耳持たず(不聽)。って、聞けよ伊奘諾。わざわざ追いかけてきたんだからさ。。。

コレ、陽主導の態度・スタイルとしてチェック。背景にあるのは「尊卑先後の序」。

陰のお願い事なんか聞かないんすよ、陽としては。なんなら不当なものとして認識してる。この尊卑先後の関係が〔一書6〕で設定されてる。中盤以降の伊奘諾が逃げ帰るシーンも、伊奘冉が怖くて逃げるのではなくて、あくまで汚いところから離れる意味合いの方が強い。また、最終的に三貴神を生み、統治領域を任命する権限者としての根拠づけにもなっていきます。〔一書6〕は基調として陽主導で描かれていることチェックしておいてください。

②聖なるグッズ「櫛」

湯津爪櫛ゆつつまぐし」。「ゆつ」は「斎つ」という連体助詞で「神聖な」。コレ、古代、櫛を聖なるものとしてみる価値観があったところから。男女の別なく櫛は挿してるし、例えば、第八段、八岐大蛇退治の際、素戔嗚尊は奇稲田姫を櫛に変えてたりします。櫛の雄柱とは、櫛の両端の太い歯の部分のこと。コレを折って松明とした。

③場所はもがりの場が想定されている

黄泉よみ世界には、この現世と変わりない明かりがあった事は先ほど触れました。一方で、伊奘冉尊が寝る場所は暗闇に閉ざされています。殯の場=死体安置所は暗いんすよ。だから松明を付けた。安置所なんで、当然、死体自体は腐乱してる。そんなイメージで読み解きましょう。

  • 今、世の人が夜に一つを灯すことをみ、また夜に投げ櫛をすることを忌むのは、これが由縁ゆえんである。(原文:今世人夜忌一片之火 又夜忌擲櫛 此其縁也)

夜、一つだけ灯りをつけるのは葬送の儀礼だったようで、縁起が悪いとされていたとかいなかったとか。。また、夜は魔物が跋扈跳梁する時なので、櫛を投げ捨てて魔物に拾われると病気になると信じられていたとかいなかったとか、、、要は起源譚としての神話の片鱗。

  • 何と嫌な汚穢きたない国に来てしまったことだ。」と言い、すぐに急いで走り帰った。(原文:時伊奘諾尊 大驚之曰 吾不意到於不須也凶目汚穢之國矣 乃急走廻歸)

→ポイントは、コントラスト技法における「前振り」的な位置付けってこと。

それまでは分からなかったんですが、櫛の明かりによって初めてわかった。目視で確認。「黄泉よみ」は生理的に嫌〜な感じで汚れて穢れてる国だった!なんてこった。このどうしようもない汚れっぷりが超重要。

ここでとことん汚れ・穢れへ振り切ることが、逆に、この後に続く禊祓みそぎはらえの清浄さと、そこから誕生する神の神威・スゴさを支える根拠になっているのです。このコントラスト技法、激しくチェック。

怒りとか憎しみとか恨みとかは、その激しさ表現は比較的簡単で。でも、そこから誕生する神は主役にはなり得ない。だって、そもそもの出所がマイナスなエネルギーだから。

主役となる神、なんなら高天原の統治者たる神は、清浄さとか浄化といったプラスの、キラキラしたエネルギーを根拠とすべきで。神話的には、それが禊祓みそぎはらえとして位置付けられてるわけです。そして、その禊祓みそぎはらえのスゴさ、清浄さのスゴさを最大に引き出すには、対極にある落差としての半端ない汚れっぷりが必要なのです。それが見事に物語の中で組み立てられている。本当にスゴイ神話です。しっかりチェック。

あとは、「国」として認識されてるってこと。それまでは「黄泉よみ」といったふわっとした表現だったのが、ココで初めて「国」レベルの世界だったってことが判明。この国的な概念をより豊かに広げたのが『古事記』の黄泉よみです。

  • その時、伊奘冉尊は恨んで「どうして約束を守らず私に恥をかかせたのか。」と言い、泉津醜女よもつしこめを八人を遣わし、追い留めようとした。(原文:于時 伊奘冉尊恨曰 何不用要言 令吾恥辱 乃遣泉津醜女八人 一云 泉津日狹女 追留之)

→ポイント2つ。

①人間モデル神炸裂。伊奘冉も恥じて恨んで追いかける

またも登場「恨」の文字。人間モデル神ならではの感情表現。神が恨みます。

なんでかというと、正体が露見したことにより恥をかいたから。神が恥る。スゴイ世界や、、、(;゚д゚)ゴクリ… 

②「醜女」は醜いという意味ではありません!

「醜女」、、、スゴイ漢字です。「醜い女」て。でも、字面だけで判断してはいけません。「醜」という文字、実は、古代ではスゲー強いといった意味で使われていたんす。

当時の考えでは、例えば防人さきもりのうたう「しこ御楯みたて」がわかりやすい。

今日けふよりは 顧みなくて 大君おほきみの しこ御楯みたてと で立つ我は」(万葉集 4373番)

しこ」は「威力が強い、屈強な」」という意味。ここでいう「しこ御楯みたて」とは「天皇の楯となって外敵を防ぐ者(スゴイ強いヤツ)」という意味。武人が自分を卑下して表現。

なので、「醜女」。単に、醜い女だね、キモいよね、じゃなくて、、非常に強い女=伊奘冉を守る女兵士的な意味としてチェック。

で、「八」は「多い」という意味、八人がどうのではなく、たくさんの猛女、といったイメージで理解。

伊奘冉尊、そうは言っても「神世七代」ジェネレーションですから。尊い神。スゲー猛女をどんだけ多く従えててもなんら不思議ではございません。

  • ゆえに、伊奘諾尊は剣を抜き、後ろ手に振りながら逃げた。さらに、黒い蔓草つるくさの頭飾りを投げた。これがたちまち葡萄ぶどうと成った。醜女しこめはこれを見て採って食べた。食べ終えると、更に追った。伊奘諾尊はまた湯津爪櫛ゆつつまぐしを投げた。たちまち竹の子に成った。醜女はまたも、これを抜いて食べた。食べ終えるやまた追ってきた。最後には、伊奘冉尊もまた自ら来て追ってきた。(原文:故伊奘諾尊 抜劒背揮以逃矣 因投黑鬘 此即化成蒲陶 醜女見而採之 了則更追 伊奘諾尊 又投湯津爪櫛 此即化成筍 醜女亦以抜之 了則更追 後則伊奘冉尊 亦自來追)

→この逃避劇も、神話世界における物語りの一型式・話型。としてチェック。

異界から逃げる、異類に追われる、所持品を投げ異類が気に取られてるうちにさらに逃げる、、、日本でも「あおい玉あかい玉しろい玉」とかはその典型。海外でも「おこった月」とか。。。

投げるものと生えるものも、しっかり対応。

投げるもの 成るもの
みずら(つる草の頭飾り) 葡萄(古名:エビカズラの実)
くし  たけのこ

よくできてます。

で、最終的には大将登場。伊奘冉尊が自ら追いかけてキター!

  • 伊奘諾尊はすでに泉津平坂よもつひらさかに至っていた。(原文:是時 伊奘諾尊 已到泉津平坂)

この世とあの世(黄泉よみ)との境界が「泉津平坂よもつひらさか

要は、さかであり、さかいこの坂(境)を隔てて、こちらがこの世、向こうがあの世(黄泉よみ)。

原型は、横穴式古墳が一つの参考に。

古墳の入り口から、羨道(=平坂)を抜けて、遺体の置いてある玄室へ。

この辺りを原型としてか、古代においては、死ぬと黄泉よみへつづく道「冥道よみぢ」を行く、といった考えがありました。『万葉集』山上憶良の歌に、そうした世界観が歌われています。詳細はコチラで。

●必読→ 黄泉の国ってどんなとこ?死んだら向かう「あの世」の世界。日本神話的黄泉の国を分かりやすくまとめ!

  • そこで、伊奘諾尊は千人力でやっと引けるくらいの大きないわでその坂路を塞ぎ、伊奘冉尊と向き合って立ち、遂に離縁を誓う言葉を言い渡した。(原文:故便以千人所引磐石 塞其坂路 與伊奘冉尊相向而立 遂建絶妻之誓)

→1000人がかりでやっと動かせるくらいの巨大な岩。それで平坂を塞いだと。

コレ、直前の〔一書5〕で、伊奘冉尊を花の祭りで鎮魂する伝承がありますが、それと相まって、花窟神社の巨大な岩がイメージにぴったり。神話ロマンがどこまでも広がるスポットです。

●必読→ 花窟神社|伊奘冉尊の鎮魂祭祀の場!高さ45mの圧倒的な巨岩と神代から続く花の祭りが神話ロマンすぎる件

そして、「遂に離縁を誓う言葉を言い渡した。」と。。。

原文「建絶妻之誓」。妻との断絶の誓を建てる。つまり、絶縁宣言であります。

一応、通例では、「絶妻之誓」と読みますが、この「こと」は「言・事」のこと。神様特有の言表行為としてチェック。

背景にある言霊の力。言い立てる(今回の場合であれば、言い建てる)ことで言葉にした内容が実現されるという考え方。

  • その時、伊奘冉尊は「愛しい我が夫よ、そのように言うなら、私はあなたが治める国の民を、一日に千人くびり殺しましょう。」と言った。伊奘諾尊は、これに答えて「愛しい我が妻よ、そのように言うならば、私は一日に千五百人生むとしよう。」と言った。(原文:時伊奘冉尊曰 愛也吾夫君 言如此者 吾當縊殺汝所治國民日將千頭 伊奘諾尊 乃報之曰 愛也吾妹 言如此者 吾則當産日將千五百頭)

→ポイント3つ。

①お互いの呼びかけ方に注目。第四段〔一書1〕の愛し合う二神がベース

  • 伊奘冉尊:愛しい我が夫よ(愛也吾夫君
  • 伊奘諾尊:愛しい我が妻よ(愛也吾妹

なんて

第四段〔一書1〕でも同じように、「可愛少男」「可愛少女」と呼びかけあってました。

今まさに離縁しようとしている二神が、この後に及んでも尚、愛し合う形で呼びかけあってるところに胸キュンせよ。離縁することがあれば、こうありたいものです。。。?

②伊奘冉尊が1000人殺すと言った理由に注目

伊奘冉の立場に立って考えてみましょう。コレも人間モデルならでは。

まず、伊奘冉尊は、伊奘諾尊に直接攻撃を加えてる訳ではありません。追いかけただけ。なのに、夫が「絶妻之誓」を一方的に宣告してきた。それって、伊奘冉としては、自身が抱く愛情を無造作に踏みにじられたと感じてもおかしくない訳で。むしろ、そう受けとめたからこそ許し難く、だからこそ対抗手段に訴え出たと考えられるのです。

その意味では、人を殺したくて殺す訳ではないとも考えられて。。むしろ、「愛しい我が夫よ(愛也吾夫君)」と呼びかけながらも、「1000人殺す」と恨みをぶつけざるを得ない伊奘冉の張り裂けんばかりの想いに、私たちは思いを致すべきでしょう。

そして、そうした対極の情動を一つのセリフの中にとても自然な形で同居させてる編纂チームの知恵と創意工夫に今更ながら圧倒される訳です。古代日本人はすでに、神話世界で文学の地平を切り拓いていた。スゴイよホント。

③生と死の断絶起源。死に対して生が優位に立つ日本神話的ロジック

3つ目のポイントが一番重要で。ここでの二神の掛け合いは

死に対する生の優位

が、枠組みとして設定されています。で、それは数字の大小で明確に表現されてる。

  • :伊奘冉尊:伊奘諾の世界の国民を1日1,000人縊り殺す
  • :伊奘諾尊:自分の世界の国民を1日1,500人産ませる

つまり、死<生であり、

生が死よりも優位にあることを伝えているのです。ここ激しく重要なのでしっかりチェック。

この離縁の泥仕合いは、男女の離婚(離縁)の起源譚のみならず、人口増や、生と死の別離の起源譚でもある訳です。

  • そこで「これよりは出て来るな。」と言って、さっと杖を投げた。これを岐神ふなとのかみと言う。また帯を投げた。これを長道磐神ながちわのかみと言う。また、衣を投げた。これを煩神わずらいのかみと言う。また、はかまを投げた。これを開齧神あきぐひのかみと言う。また、くつを投げた。これを道敷神ちしきのかみと言う。(原文:因曰 自此莫過 即投其杖 是謂岐神也 又投其帶 是謂長道磐神 又投其衣 是謂煩神 又投其褌 是謂開囓神 又投其履 是謂道敷神)

→一方的な絶縁宣言と別離だけでなく、儀式的な側面からも生と死の断絶を明確にしてます。徹底的にやってる感を感じて。

岐神ふなとのかみ
長道磐神ながちわのかみ
煩神わずらいのかみ
開齧神あきぐひのかみ
道敷神ちしきのかみ

大体着てるもの全部的な感じね。

そんなに投げちゃったら裸に近い感じになるだろう伊奘諾尊。。残ってるのはふんどしだけ?大丈夫か。。。

  • その泉津平坂よもつひらさか、あるいは、いわゆる泉津平坂はまた別に場所があるのではなく、ただ死に臨んで息の絶える間際、これではないか、とも言う。(原文:或所謂泉津平坂者 不復別有處所 但臨死氣絶之際 是之謂歟 所塞磐石 是謂泉門塞之大神也 亦名道坂大神矣)

→ま、コレはコレで、、置いとこ。そういうことらしいです。

最後に、

〔一書6〕の中盤を総括する意味で、チェックしておきたいポイントを。

神の変化に応じて、自然哲学から人倫へ。使用テキストも変化してます

これまでの日本神話は、例えば『淮南子』(天文訓)等、自然哲学や易といった普遍的原理を解くほぐす書物をベースにしてました。

が、ここへきて、

志怪小説という、怪談奇談をもとに構築し始めてます。

この理由は、

これまで:道から化成した神による原理に基づく行動と展開

これから:人間モデルの神による情動に基づく行動と展開

といった

天地がひっくり返るくらいの大転換があるから。当然、使用するテキストも、自然哲学系から怪談奇談系(人倫系)へと変えていく必要があるわけですね。

結果的に、神様をぐっと身近に、人間臭さをもった存在として描くことに成功、

さらに、

これまでになかったドラマチックなストーリー展開が可能となってます。ココ、しっかりチェックしておいてください。神話なのに文学の香りが漂い始めたのもそういう理由からなんですよね。

次は、いよいよ禊祓みそぎはらえからの三貴神誕生です!

 

第三部 禊祓と三貴神誕生 解説

 伊奘諾尊は黄泉から辛うじて逃げ帰り、そこで後悔して「私は今しがた何とも嫌な見る目もひどいけがらわしい所に行ってしまっていたものだ。だから我が身についたけがれを洗い去ろう。」と言い、そこで筑紫つくし日向ひむか小戸をどたちばな檍原あはぎはらに至り、禊祓みそぎはらえをした(身のけがれを祓い除いた)。

  • 伊奘諾尊は黄泉から辛うじて逃げ帰り、そこで後悔して「私は今しがた何とも嫌な見る目もひどいけがらわしい所に行ってしまっていたものだ。」(原文:伊奘諾尊既還 乃追悔之曰 吾前到於不須也凶目汚穢之處 )

黄泉よみがどんな場所だったのか、ココで判明。その汚れっぷり、穢れっぷりをしっかりチェック。

黄泉よみから帰還した伊奘諾尊いざなきのみこと的には、、、黄泉よみを視覚的にも嫌悪すべき、汚く穢れた場所として表現しています。また、本来そこには到るべきではなかったことを「不意」によって示唆。コレを受けて「追悔」、つまり到ったこと自体を不本意とする、あるいは後悔しています。

まさに、人間モデル神としての表れ。〔一書6〕全体を通して人間モデルが基調となって神が描かれています。

そして、黄泉よみがとんでもない場所だったということを強く印象付けようとしています。ココで、汚れ穢れ方面にとことん振り切ることで、次に展開する禊祓みそぎはらえの清浄さ、浄化度合いが引き立つという仕掛けです。

  • 「我が身についたけがれを洗い去ろう。」と言い、そこで筑紫つくし日向ひむか小戸をどたちばな檍原あはぎはらに至り、禊祓みそぎはらえをした(身のけがれを祓い除いた)。(原文:故當滌去吾身之濁穢 則往至筑紫日向小戸橘之檍原 而祓除焉 遂將盪滌身之所汚)

→直前の、黄泉よみ(死)の汚れ・穢れが極まってる状態をしっかり確認。からの、禊祓みそぎはらえ。洗い去る儀式。汚穢と浄化のコントラストがポイントです。

神様的には、汚れや穢れは付着するタイプのようで、洗い流せばキレイになる。という考え方。内面とか一切関係無し。

コレはコレで、とってもオープンで後腐れがない。どんな汚れも、どんな穢れも、もっというと罪的なものも、禊祓みそぎはらえでキレイになる。洗い流すことができる訳なので。

でも、一面、そうですよね。多分に気分とか気持ちの比重が大きくて。いつまでもくよくよしてたり、ずっと引きずってるよりも、禊祓みそぎはらえで気分一新。リセットして前向いて進んだほうがいい時だってある。

この後腐れない神様的スタンス、汚れ・穢れへの考え方、要チェックです。

で、問題は、

筑紫つくし日向ひむか小戸をどたちばな檍原あはぎはら

どんだけ修飾語が付いてるの、、①筑紫の②日向の③小戸の④橘の檍原。

穢れを洗い去るための「特別な儀式」が「禊祓みそぎはらえ」であり、そのための「特別な場所」が「檍原」。あはぎの原っぱ。

で、「あはぎ」とはどんなんか?というと、

実は、「橿かし」の別名で、万年木。その「強くしなる性質」から、古来、弓・の材料として使われてました。

ポイント4つ。

  1. 弓は、武器として威力を発揮=軍事力の象徴である一方で、破魔矢・魔除けのように、邪や魔を撃退する(祓う)意味あり。つまり、黄泉よみの穢れを除去する(撃退する)禊祓みそぎはらいに相応ふさわしい場所としての意味を持たせてる。そのためのあはぎ
  2. あはぎは、万年木。万年=永遠性(永遠の命、不死にもつながる)の意味を持つ木。つまり、魔や邪を撃退するパワーの永続性、未来永劫この地は魔除けパワースポットである意。
  3. 原は、平らで広大な土地のこと。天子の住む宮都を造営できる広大な原っぱ。天武天皇即位の「飛鳥浄御原宮」、その後の「藤原宮」など、古代、原には宮を造営。「高天原」も同様の考え方。非常に尊い場所、それが原。
  4. 「檍原」は「橿原」に繋がる聖地である。天照大神誕生の地=檍原、神武天皇即位の地=橿原。つまり橿原での日本建国、天皇即位のルーツが「檍原」である。

ということで、

永遠なる魔除けパワーエリア、それが「檍原あはぎはら」で。これは、後の日本建国&天皇即位の地「橿原」へ繋がる聖地として位置づけられてる、、、ってことで、しっかりチェック。

こちらで詳しく解説してるので是非チェック!

●必読→ 筑紫日向小戸橘之檍原とは?伊奘諾尊が三貴神を生んだ聖地「筑紫日向小戸橘之檍原」を徹底解説!

ということで、

ここからは特別な儀式「禊祓みそぎはらえ」の詳細。

  • こういう次第で、身の穢れをすすごうとして、否定的な言いたてをきっぱりとして「上の瀬は流れが速すぎる。下の瀬はゆるやかすぎる。」と言い、そこで中の瀬ですすいだ。これによって神を生んだ。名を八十枉津日神やそまがつひのかみと言う。次にその神のまがっているのを直そうとして神を生んだ。名を神直日神かむなおひのかみと言う。次に大直日神おほなほひのかみ
  • また海の底に沈んで濯いだ。これによって神を生んだ。名を底津少童命そこつわたつみのみことと言う。次に底筒男命そこつつのおのみこと。また潮の中に潜ってすすいだ。これに因って神を生んだ。名を中津少童命なかつわたつみのみことと言う。次に中筒男命なかつつのおのみこと。また潮の上に浮いて濯いだ。これに因って神を生んだ。名を表津少童命うわつわたつみのみことと言う。次に表筒男命うわつつのおのみこと。これらを合わせて九柱の神である。

→ポイント5つ。

①神様特有の言表行為

否定的な言いたてをきっぱりとして「上の瀬は流れが速すぎる。下の瀬はゆるやかすぎる。」と言い、

コレは神様特有の言表行為。

②死の穢れを水で流す・浄化するというのは意外にも特殊事例

古代の文献を探しても、死と穢れと水と祓をセットにしてる例って実はなくて。。。日本神話オリジナルだったりします。そのあたりの詳細はコチラでまとめてますのでまずはチェック。

●必読→ 伊奘諾尊の禊|死の汚穢を水で清める?伊奘諾尊の祓禊はめっちゃ特殊事例だった件

要は、「三月上巳」の説話をもとに、黄泉よみと組み合わせ、生と死をテーマとして導入し、男と女の別離やら何やら
様々なテーマをごちゃっとサラダボウルにしつつ、一つの物語として構成したのが黄泉よみ譚であり伊奘諾尊の禊祓みそぎはらえの実態。

ということで。

③汚れ・穢れの概念。付着するものだから洗えば落ちる

先ほどもチェックした通り、日本神話的な「穢れ」とは「付着するもの」。内面の穢れとかは一切関係なし。外部に付着する性質なので、洗い流せば落ちる。徹底的に洗えばキレーに落ちるらしい。

ということで、いや、だからこそ

「濯ぐ」という行為やみそぎという儀式が登場してます。ココ、しっかりチェック。

④徹底的にキレイにしようとしてる

伊奘諾尊が、体についた汚れをキレイにするプロセスは以下

  • まずは、川で。それも上流、中流、下流を慎重に選び、濯ぐのに最適な中流で。
  • 次いで、海で。それも水面近くと、海の底近くと、中ぐらいで徹底的に。

この意味は、

徹底的に濯いだ、キレイにした。

ってこと。なので、川と海と、それぞれの全部を表す場所(上中下・上中底)になってるんです。おっさんが、、、どんだけキレイ好きやねん、、、ま、それはいいか。

⑤コントラストを効かせることにより、誕生する神の神威を爆上げ

直前の「黄泉よみ(死)の穢れ」とのコントラストがめちゃくちゃ効いてることをまずチェック。

対極のものを持ってきてるからこそ、非常に劇的な場面となり、それを根拠・背景として、非常に強力な神威を持つ神が誕生した、という建て付けになってます。

誕生神は以下の通り。

中の瀬  八十枉津日神やそまがつひのかみ 中の瀬ですすいだ
 神直日神かむなおひのかみ その神のまがっているのを直そうとして生んだ
 大直日神おほなほひのかみ
海の底  底津少童命そこつわたつみのみこと 海の底に沈んで濯いだ
 底筒男命そこつつのおのみこと
潮の中  中津少童命なかつわたつみのみこと 潮の中に潜って濯いだ
 中筒男命なかつつのおのみこと
潮の上  表津少童命うわつわたつみのみこと 潮の上に浮いて濯いだ
 表筒男命うわつつのおのみこと

最初の、3神(中の瀬)は、まだ付着してる穢れの影響を受けてる感じですよね。「」や「」にそのあたりの事情が表れてます。

ですが、次の、3神(海の底・中・上)+3神(海の底・中・上)は、超絶神威を持つ神々。浄化が進み、極まって行く雰囲気を感じてください。

で、全9神誕生。陽数である奇数を組み合わせてます。コレも神威を強化するための設定。

  • その中の底筒男命・中筒男命・表筒男命は、これが住吉大神すみのえのおおかみである。底津少童命そこつわたつみのみこと中津少童命なかつわたつみのみこと表津少童命うわつわたつみのみことは、安曇連あずみのむらじらが祭る神である。

→住吉大神、安曇連らが祭る神を、特記して伝えてます。

住吉大神は、神功皇后の新羅討伐に従軍して先導を務めたことから、「航海の守護神」としての位置付け。また、安曇連は、瀬戸内海を中心として海人の騒乱を勅命によって平定したことから、「海人の総元締め」としての位置付け。コレ歴史の話ですが、、、いずれも、海を背景として持つ力を取り込もうとした設定がココに。

住吉大神についてはコチラで詳しく。

●必読→ 住吉三神|海での禊祓で誕生し、後に航海安全の神威を獲得。住吉大社の御祭神「住吉三神」をまとめて解説!

また、住吉大神を祭る神社がコチラ!

●必読→  住吉大社|住吉三神+神功皇后を祭る摂津国一之宮!祓い&航海安全御利益の住吉大社まとめ!

安曇連についてはコチラで詳しく。

●必読→ 安曇氏(阿曇氏)|海神「小童/綿津見命」を祖神とし海人を束ねた宗主!大陸交易に力を発揮した超有力氏族

この辺りは、神話と歴史が交錯する超絶ロマン発生地帯。是非深堀りしていって頂ければと思います。サイコーやで。

さー、次はいよいよ日本神話のメインプレイヤー、高天原を統治する最高神の誕生です!

  • そうして後に左の眼を洗った。これによって神を生んだ。名を天照大神あまてらすおおみかみと言う。また右の眼を洗った。これに因って神を生んだ。名を月読尊つくよみのみことと言う。また鼻を洗った。これに因って神を生んだ。名を素戔嗚尊すさのおのみことと言う。合わせて三柱の神である。(原文:然後 洗左眼 因以生神 號曰天照大神 復洗右眼 因以生神 號曰月讀尊 復洗鼻 因以生神 號曰素戔嗚尊 凡三神矣)

→死の穢れを濯ぐことで浄化が進む、最初は「」や「」だったものから、住吉や安曇連の祭る神々も誕生し浄化が極まって行く、その最終形、極みに極まったところで誕生するのが、天照大神あまてらすおおみかみ月読尊つくよみのみこと素戔嗚尊すさのおのみことの三神。

その神威たるや、、、もう、何ていうか、、、筆舌尽しがたし。とにかく超絶。爆誕。

ポイント2つ。

①「盤古説話」との関連説が多いですが、、、

この三神の誕生を巡っては、枚挙にいとまが無いほど数多くの説があります。中でも主要な説が、中国古代神話の一つとして名高い「盤古説話」との関連。

※オススメは、廣畑輔雄氏の『記紀神話の研究ーその成立における中国思想の役割』(昭和52年11月。風間書房)学術書ですが、、、ご参考まで。

で、ここでは要点を。

「盤古」とは古代中国の神で、天地開闢の創世神とされてます。中国古典や民間伝承、あるいは道教とかいろいろなところに見ることができます。

特に、三国時代、呉の徐整という方が記した『五運歴年紀』で、「盤古」さんのことが記載されてます。

「盤古」は、死の間際に人に化身し、その気息が風雲となり、人身と化した盤古の各部分が、それに対応する自然界の各構成要素となる。 例えば、声は雷に、左目は日に、右目は月に、四肢五体は四極五岳に、血液は江河、筋脈は地理に、肌肉は田土、髪髭は星辰に、皮毛は草木になる。。。

といった具合。 コレ、言い方変えると、自然界のあらゆるものは元はと言えば盤古にあり、ということで、日や月も盤古の左眼や右眼だったりする訳です。

で、要はコレがベースになってるっていう説。確かに、「左目為日、右目為月」というところは、天照、月読の誕生とそっくりやん!

ですが、、、どっちかというと、この三神誕生は第五段〔一書1〕がベースになってるって方が強い。

以下。

〔一書1〕 持白銅鏡 左手 大日孁尊
右手 月弓尊
廻首顧眄之間   素戔嗚尊
〔一書6〕 洗眼 左眼 天照大神
右眼 月読尊
洗鼻   素戔嗚尊

ほぼ重ね合わせに近い相似形。〔一書1〕に即して〔一書6〕が成り立ってます。

コレを基に2つ目のポイント。

②〔一書1〕と同様、「尊卑先後の序」をもとにした設定になってる

一書1〕では、大日孁尊と月弓尊は共に「質性明麗」なので「使照臨天地」と。一方、素戔嗚尊は「性好殘害」なので「令下治根國」と、明確に尊卑を分けてました。

一書1〕に即して〔一書6〕が成り立ってる訳で、てことは、ココ〔一書6〕でも同様に「尊卑先後の序」を基にした関係が設定されていると言えます。

左優位に対して右劣位、両目優位に対して鼻劣位。

最も崇高な存在として天照大神、次いで月読尊、次いで素戔嗚尊。生まれ方や順番からして、この三神の尊卑先後は確定されているのです。

なお、よく天照大神は左目から生まれた、といった記述がありますが、違いますから。左目からではなく、左目を濯いだ時に生まれたのです。全然意味合いが違うので、左目からとか書いてある書籍は捨てていただいて大丈夫です。文献に忠実に。それは編纂チームへの敬意、古代日本人へのリスペクトとして、現代の私たちがきちんと忠実に読み解くべき責任があるから!

次はいよいよ最終部分!もう少し、がんばろう。

 

第四部 三貴神の分治 解説

こういう次第で、伊奘諾尊は三柱の御子に命じて「天照大神は、高天原たかあまのはらを治めよ。月読尊は、青海原の潮が幾重にも重なっているところを治めなさい。素戔嗚尊は天下あまのしたを治めなさい。」と言った。

 この時、素戔嗚尊はすでに年が長じていて、また握りこぶし八つもの長さもあるひげが生えていた。ところが、天下を治めようとせず、常に大声をあげて哭き怒り恨んでいた。そこで伊奘諾尊が「お前はどうしていつもそのように哭いているのだ。」と問うと、素戔嗚尊は「私は根国ねのくにで母に従いたいのです。だから、哭いているだけなのです。」と答えた。伊奘諾尊は不快に思って「気のむくままに行ってしまえ。」と言って、そのまま追放した。

  • こういう次第で、伊奘諾尊は三柱の御子に命じて「天照大神は、高天原たかあまのはらを治めよ。月読尊は、青海原の潮が幾重にも重なっているところを治めなさい。素戔嗚尊は天下あまのしたを治めなさい。」と言った。(原文:已而伊奘諾尊 勅任三子曰 天照大神者 可以治高天原也 月讀尊者 可以治滄海原潮 之八百重也 素戔嗚尊者 可以治天下也 )

→第五段の重要テーマの一つ「子の処遇と分治」。ポイント3つ。

①勅任=国家意志の発動になぞらえて超重要命令として使われてます

まずは、「命じて(原文:勅任)」について、その重要度をチェック。勅任という言葉が使われている意味を理解。

参考となるのは、令の規定。令とは、刑法以外の国家組織の基本的な諸制度(行政法,訴訟法, 民法,商法など)に相当するものを網羅的に規定したものであります。

「凡任官、大納言以上、左右大弁、八省卿、五衛府督、弾正尹、大宰帥勅任。」(選叙令第十二の3。日本思想大系『律令』269頁)

任官にあたっては、大納言以上を〜として勅任する、と言う内容。

つまり、国家の枢要な官職を任官するときに「勅任」という特別な言葉が使用されるんです。勅任、非常に重たい言葉。まずこの重さをチェック。

で、ココ、「伊奘諾尊は三柱の御子に命じて」とあるのはつまり、「本朝」の権威を前提とした、いわば国家意志の発動になぞらえる形で、超重要命令として任じてるってこと。

ある意味、絶対命令、NO無し。全員起立!

そして、この問答無用感に、次の②で解説する理由不明が相まって、この後に展開する素戔嗚尊の反抗を誘発していく仕掛けになってます。

②理にそぐわないけど、ドラマが生まれるから良しとする??

〔一書6〕における統治領域設定、その対応関係は以下。

天照大神 左目を濯いだ時 資質不明 高天原
月讀尊 右目を濯いだ時 資質不明 滄海原 潮之八百重
素戔嗚尊 鼻を濯いだ時 資質不明 天下

ココでのポイントは、

資質不明で統治領域を任命してる、って事。

第五段本伝では、ちゃんと理由、つまり子の持つ特性や資質(めっちゃ輝いて世界を照らしたから、とか)をちゃんと伝えてました。

それに対して、〔一書6〕は、めっちゃ不明確。なんか分からんけど統治領域を設定する伊奘諾がいます。ここ、めちゃくちゃ重要なポイントで。

すでに設定されてる「人間モデル神」と相まって、素戔嗚の反抗を支える根拠になっていくんです。

後ほど詳細解説。

③第五段のメインテーマ「天下之主者あめしたのしゅしゃ生み」だったけど、、、?

第五段は「天下之主者あめしたのしゅしゃ生み」がメインテーマ。第四段で、大八洲国おおやしまぐにが誕生したことを承け、地上世界(天下)の統治者(主者しゅしゃ)を生もうぜ、という話でした。

そして、今回、初めて、「素戔嗚尊は天下あまのしたを治めなさい。」ということで、「天下」を治める者が任命された訳です!キタ━(゚∀゚)━! 

と言いたいところなんだが、、、後半へ続く!

  • この時、素戔嗚尊はすでに年が長じていて、また握りこぶし八つもの長さもあるひげが生えていた。ところが、天下を治めようとせず、常に大声をあげて哭き怒り恨んでいた。(原文:是時素戔嗚尊 年已長矣 復生八握鬚髯 雖然不治天下 常以啼泣恚恨)

→ポイント3つ。

①素戔嗚尊の異常性は「神威の強さ」

誕生したばかりの素戔嗚尊、、既に年が長じていて、80センチほどの長い髭が生えていたと。。。

って、おっさん!?

いや、おっさんです。ナチュラルボーンおっさん。

この異常性は「神威の強さ」として整理。強い神と言うのは何かしらの異常性や狂気的なものを持っているものなんです。と言うことで、素戔嗚尊、ものすごい強いおっさんであった、もとい、神であったと。

コチラ↓も合わせてチェック

●必読→ 素戔嗚尊の残忍さの意味。根国へ追放処分になった理由をまとめて解説!

②理由なき反抗??いえいえ、素戔嗚的なる反抗理由あり

オヤジによる、勅任による、三神の分治。任命された統治領域。

天照、月讀は親父の任命を受け容れます。一応、両目という尊い箇所の洗浄中に誕生したからね。尊貴な神は理をわきまえてる、ある意味従順。空気読む?

ですが、、、素戔嗚尊おっさんは反抗。任命された場所を統治しない、哭いてばかり。完全に困ったちゃんです。

コレ、理由がない感じに見えますが、そんなことはありません。素戔嗚おっさんとしては、、、彼なりにちゃんと理由があるんです。大きく2つ。

1つ目。まずは、確たる根拠も無しに世界の統治領域を決定するオヤジの存在。統治領域ってめっちゃ重要事項。なのに、理由を示さずに一方的に決めてしまうなんて許せん!コレが一つ目の反抗理由(参考として、第五段〔本伝〕では理由が明示されてたことを確認されたし)。

2つ目。理に反してるオヤジの存在。天照大神、ここでは姉ちゃん、つまり女という設定になってます(姉ちゃんというのは第七段〔一書3〕で判明)が、男の素戔嗚尊としては、女の天照に高天原という尊貴な場所を任命するなんて、完全に理(尊卑先後の序)に反してるじゃねえかと。男のオレ様からしたら、ざけんなフラグ立ちまくりの案件、って事。だから反抗。

なので、素戔嗚尊からすると、強権発動の意味不明オヤジとしか見えてなかったんではなかろうか。。。

③「天下之主者あめしたのしゅしゃ生み」は、、、持ち越し!!

素戔嗚尊は天下を治めようとしなかった訳です。つまり、第五段のメインテーマである「天下之主者あめしたのしゅしゃ生み」は、、、失敗!または今後に持ち越し!で終わった。ここ超重要事項。

天下は引き続き主者しゅしゃ不在の状態が継続。そしてコレは、後段の国造り、国譲り神話へと繋がる壮大な前振りとして設定されています。

ここで覚えておいていただきたいのは、主者しゅしゃ不在の状態が続くと、悪ーい奴らが跋扈するようになるってこと。家でもなんでもそうですよね。ほったらかしにすると真っ黒くろすけが発生するようになるんです。この設定が、第九段の伝承につながっていきます。ちなみに、、、

なぜここで主者しゅしゃを誕生させなかったのか?

もチェックしておきましょう。その理由は、

天下は天照の直系が治めるという形にしたかったから。天皇家の由来とつなげて正統性を出したかったから。素戔嗚尊を主者しゅしゃとする訳にはいかなかった。要は、血がつながってても弟ではあかんのです。

  • そこで伊奘諾尊が「お前はどうしていつもそのように哭いているのだ。」と問うと、素戔嗚尊は「私は根国ねのくにで母に従いたいのです。だから、泣いているだけなのです。」と答えた。(原文:故伊奘諾尊問之曰 汝何故恆啼如此耶 對曰 吾欲從母於根國 只爲泣耳)

→父の疑問。。。息子はなぜ???早速聞いてみたところ、驚きの回答。

「根国で母に従いたい、、、」

って。。。

はい? 根国で母に従うですと???

まず疑問なのが、おっさん、根国っていつ知ったん?母っておらんやん?

●必読→ 根の国/根之堅州国ってどんなところ?極遠の地、根の国を分かりやすくまとめ!

従来の学説では、この部分を「思い違い」とか「後に付加されたもの」として断じるのが大半なのですが、そうではありません。きちんと文献に忠実に読み解けばちゃんと意味がある。そんなこと言い出したら、一見辻褄が合わないところは全部、思い違いとか後で付加されたとかってなってしまう。それ、学術研究の破綻はたん。思考放棄です。

ポイントは「従母」の文字。以下2つチェック。

①「従母」のベースは「従偽」から。「従偽」とは、現王朝から敵側へ寝返る重大犯罪を意味

「従母」。実はコレ、唐律がベースになってます。「律」とは、刑罰規定のことで、唐代にまとめられた膨大な刑罰体系が「唐律」。コチラ、語り出すととんでもないことになるので、詳細は別エントリでお届け。今回は、「従母」に関連するところをピックアップ。

唐律の中で、特に、凶悪犯罪として規定されてる「十悪」というのがあるのですが、この10の最低最悪犯罪の3つ目に「謀反」があります。で、この「謀反」の罪状説明の注に「従偽」という言葉が登場。

三曰謀反。謂謀背国従偽 (第三に言うには、謀反である。謀反とは、国に背き偽に従うことである。) 出典:唐律 十悪より

注釈書である疏議も含めて要約すると、「従偽」とは、「外奔」に通じることであり、現王朝から偽政権、つまり敵側へ寝返ることを意味するのです。まずコレ、チェック。

●必読→ 素戔嗚尊の残忍さの意味。根国へ追放処分になった理由をまとめて解説!

そもそもが「勅任」という国家、あるいは本朝の権威を前提とした統治領域の任命があるわけで、その伊奘諾尊の勅任に対して、国家的重大犯罪である「謀反」、その「従偽」をよりどころにした「従母」が使われてるってことなんすね。

②権威を否定し寝返る、その寝返り先は「母」、つまり伊奘冉尊

〔一書6〕が伝える伊奘冉尊については、物語の展開上、素戔嗚尊の「母」には当たらないという指摘がつきまといます。確かに、血統上の実母ではないし、また、父の妻とはいえ、離別後に誕生したわけで義母という関係も当てはまりません。

ですが、素戔嗚尊にとっての「母」といえば、その実態がどうあれやっぱり伊奘冉尊なんです。父・伊奘諾尊は伊奘冉尊以外の誰も妻としたことがない訳で。さらに、日本神話の重層的入子構造、つまり、前段の伝承を承けて後段が展開する、という仕組みも踏まえると、伊奘諾尊がかつて妻としていた伊奘冉尊を「母」とすることに違和感はありません。

また、伊奘冉尊と言えば、死の象徴であり、伊奘諾側の生の人間を毎日大量に殺すと宣告した敵対的な存在。つまり、伊奘諾からすると「偽」にあたります。

こうした構図・構造に即して考えると、素戔嗚尊は、伊奘諾尊にとって「偽」にあたる伊奘冉尊をあえて「母」とみなした上で、その敵たる母への寝返りを口にしたと考えるべきなのです。

ここでは、明確な「謀反」にあたる凶悪を口にしているわけで、要は、確信犯として素戔嗚尊は「従母」という言葉を使ってる。むしろ、伊奘諾尊にとって一番言われたくない言葉だったとも言えて、だからこそ、なんの躊躇もなく放逐するという流れになるんですね。

意味不明な強権発動するオヤジに納得がいかない状態だったところへ、なんでやることやらないんだ的なこと聞かれたからブチギレ。親父にとって一番言われたくない言葉を、強烈な当てこすりとして反抗した素戔嗚尊。コレはコレで、とても人間的な、それこそ人間モデル神としての本領発揮。そんなふうに見てみるとドラマ性はグッと深まると思います。

  • 伊奘諾尊は不快に思って「気のむくままに行ってしまえ。」と言って、そのまま追放した。(原文:伊奘諾尊 惡之曰 可以任情行矣 乃逐之)

→伊奘諾尊は不快に思った訳です。この表現も、上記内容、「従母」が伊奘諾尊にとって一番言われたくない言葉だったことを補完します。

だからこそ、「気のむくままに行ってしまえ」と追放。なんの躊躇も無し。息子のブチギレに逆ギレするオヤジの巻。なんか、、、ドラマとかであるあるな感じですよね。。伊奘諾家の皆さん、、大丈夫か。。

ということで、いやー長かった。。。〔一書6〕解説。総文字数約4万。本当にお疲れ様でした。

この〔一書6〕を基に、後の7、8、9、10 、11が展開していくのでしっかりチェックしておいてください。

 

まとめ

『日本書紀』巻第一(神代上)第五段 一書第6 ~人間モデル神登場による新たな展開~

今回お届けした〔一書6〕は、「書6踏襲 差違化型」における最初。基本となる伝承

そして、第五段にある全11の一書のなかでも最も長い伝承。いや、神代のなかでも最も長い伝承でした。

全体としての大きなテーマは、引き続き

天下之主者あめしたのしゅしゃ生み。

大八洲国おおやしまぐにが誕生したことを承けて、地上世界(天下)の統治者(主者しゅしゃ)を生もうぜ、という話。

大きく4部構成で、

  1. 神生み、火神殺し
  2. 黄泉よみ往来、生死断絶
  3. みそぎと三貴神誕生
  4. 三貴神の分治

という内容でした。

今まで以上に、新しい世界観や概念をしれっと導入し、それによって新たな展開が生まれ、それが後の段へつながっていく。黄泉よみ人間モデル神リアルワールドとの接続とかが代表例。

主なポイントは以下の通り。

  1. 第五段本伝踏襲の冒頭と締めくくり。物語の破綻はたんリスクをヘッジする秀逸な仕掛け
  2. 新登場「人間モデルの神」!理ではなく情に駆られた言動に注目せよ!
  3. 伊奘冉を失った悲しみ表現、母親殺しの息子「火神」への報復がヤバすぎる!
  4. あの世ってどんなところ?死んでも続くよ黄泉よみライフ♪
  5. 見るなと言われれば見たくなる。見るなの禁は破るからこそ意味がある?
  6. やっぱり恐ろしい黄泉よみ。逃げる伊奘諾を追いかける化け物たち!?
  7. 生と死の断絶起源譚。死に対して生が優位に立つ日本神話的ロジック
  8. 死の穢れは徹底的に洗い落とす!みそぎにみる日本神話的穢れの概念
  9. 三貴神の誕生と分治。理にそぐわないけどドラマが生まれるから良しとする
  10. 父へのあてこすり!?敢えて親父を怒らせる素戔嗚的なんでやねん

しっかりチェックされてください。

 

〔一書6〕で誕生する神々

級長戸辺命しなとべのみこと級長津彦命しなつひこのみこと倉稲魂命うかのみたまのみこと少童命わたつみのみこと山祇やまつみ速秋津日命はやあきつひのみこと句句迺馳くくのち埴安神はにやすのかみ経津主神ふつぬしのかみ甕速日神みかはやひのかみ熯速日神ひのはやひのかみ武甕槌神たけみかづちのかみ磐裂神いわさくのかみ根裂神ねさくのかみ磐筒男命いわつつのをのこのみこと闇龗くらおかみ闇山祇くらやまつみ闇罔象くらみつは泉津醜女よもつしこめ岐神ふなとのかみ長道磐神ながちわのかみ煩神わずらいのかみ開齧神あきぐいのかみ道敷神ちしきのかみ八十枉津日神やそまがつひのかみ神直日神かむなおいのかみ大直日神おおなおいのかみ底津少童命そこつわたつみのみこと底筒男命そこつつのおのみこと中津少童命なかつわたつみのみこと中筒男命なかつつのおのみこと表津少童命うわつわたつみのみこと表筒男命うわつつのおのみこと

 

ということで、次回は〔一書7〕〔一書8〕強烈なシーンで誕生する強烈な神神です。

続きはコチラ↓で!

第五段〔一書7、8〕

『日本書紀』巻第一(神代上)第五段 一書第7,8 ~激烈なシーンで化成する激烈な神~

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参考文献

本記事監修:(一社)日本神話協会理事長、佛教大学名誉教授 榎本福寿氏

『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)

【中古】 日本書紀 史注(巻第1) /山田宗睦(著者) 【中古】afb

 

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