鹿葦津姫(神吾田鹿葦津姫・木花開耶姫)とは?大山祇神の娘で瓊瓊杵尊と結婚し彦火火出見尊を生んだ神。日本神話をもとに鹿葦津姫を分かりやすく解説します。

鹿葦津姫  神吾田鹿葦津姫  木花開耶姫

 

鹿葦津姫(神吾田鹿葦津姫・木花開耶姫)とは?大山祇神の娘で瓊瓊杵尊と結婚し彦火火出見尊を生んだ神。日本神話をもとに鹿葦津姫を分かりやすく解説します。

 

『日本書紀』第九段 現代語訳

〔本伝〕

その時、その国に美人たをやめがいた。名を鹿葦津姫かしつひめと言う。<またの名は神吾田津姫かむあたつひめ。またの名は木花之開耶姫このはなのさくやびめ>。皇孫がこの美人に、「おまえは誰の子か」と尋ねると、「私は天神あまつかみ大山祇おほやまつみ神を娶って生んだ子です。」と答えた。そこで皇孫が召すと、この姫は一夜にして懐妊した。皇孫はこれを疑い、「たとえ天神であっても、どうしてたった一晩で身重にさせることができるだろうか。お前が身ごもったのは、きっと私の子ではあるまい。」と言った。これを聞いて、鹿葦津姫かしつひめは怒り恨んで、さっそく戸のない産屋を造り、その中に籠って誓約うけいをして、「私の身ごもった子が、もし天孫の御子でなければ、きっと焼け死ぬでしょう。もし本当に天孫の御子であれば、火もその子を害することはできないでしょう。」と言って、火をつけて産屋を焼いた。初め、燃え上がった煙の先から生まれ出た御子は、火闌降ほのすそり命と言う。<これは隼人はやひと等の始祖である>。次に火の熱を避けて生れ出た御子を彦火火出見ひこほほでみ尊と言う。次に生まれ出た子を火明ほのあかり命と言う。<これは尾張連をはりのむらじ等の始祖である>。併せて三柱の御子である。

 

〔一書2〕

そこで、天津彦火瓊瓊杵尊は日向の串日高千穂峯くしひのたかちほのたけに降り立ち、不毛の地を丘づたいに国を求めて通り、浮島のある平らな土地に立った。そして、國主くにのぬし事勝國勝長狭ことかつくにかつながさを呼んで尋ねると、「ここに国があります。どうぞご自由に」と答えた。そこで皇孫は宮殿を立て、そこで休息した後、海辺に進んで一人の美人をとめを見かけた。皇孫が、「おまえは誰の子か」と尋ねると、「私は大山祇おほやまつみ神の子です。名は神吾田鹿葦津姫かむあたかしつひめ、またの名は木花開耶姫このはなのさくやびめです」と答え、さらに、「また、私には姉の磐長姫いはながひめがいます」と申し上げた。皇孫が、「私はあなたを妻にしようと思うがどうか」と尋ねると、「私には父の大山祇おほやまつみ神がいます。どうかお尋ねください」と答えた。皇孫がそこで大山祇神に、「私はあなたの娘を見かけた。妻としたいと思う」と語ると、大山祇神は二人の娘に多くの飲食物を載せた机を持たせて進呈した。すると皇孫は、姉の方は醜いと思って招くこともなく、妹の方は美人であったので招いて交わった。すると一夜にして身籠った。そこで磐長姫は大いに恥じ、「もし天孫が私を退けずに招いていたら、生まれる子は長寿で、堅い岩のように長久とこしえに繁栄したことでしょう。今そうではなく妹だけを一人招いたので、生まれる子はきっと木の花のように散り落ちることでしょう」と呪詛を述べた。――あるいは、磐長姫は恥じ恨んで、唾を吐いて泣き、「この世の人々は木の花のように儚く移ろい、衰えることでしょう」と言った。これが世の人が短命であることの発祥であると言う。

この後、神吾田鹿葦津姫かむあたかしつひめが皇孫を見て、「私は天孫の子を娠みました。自分だけで生むべきではありません」と言うと、皇孫は、「たとえ天神の子であっても、どうして一夜にして人を娠ませられるのか。もしや我が子ではないのではないか」と言った。木花開耶姫このはなのさくやびめは大いに恥じ恨んで、戸口のない小屋を作り、誓を立てて、「私が娠んだのがもし他の神の子ならば、きっと不幸になるでしょう。本当に天孫の子ならば、きっと無事に生まれるでしょう」と言って、その小屋の中に入り、火をつけて小屋を焼いた。

その時、炎が立ち昇りはじめた時に生まれた子を火酢芹ほすせり命と言う。次に、火の燃え盛る時に生まれた子を火明ほあかり命と言う。次に、生まれた子を彦火火出見ひこほほでみ尊と言う。または火折ほをり尊と言う。

 

〔一書3〕

最初に炎が明るい時に生まれた子が火明ほあかり命である。次に、炎が燃え盛る時に生まれた子が火進ほすすみ命である。――または火酢芹ほすせり命と言う。次に、炎が鎮まった時に生まれた子が火折彦火火出見ほをりひこほほでみ尊である。この併せて三子は火の害を受けることもなく、母もまた少しも害を受けなかった。そして竹の刀でその子の臍の緒を切った。その捨てた竹の刀が後に竹林となった。そこで、その地を竹屋と言う。その時に神吾田鹿葦津姫かむあたかしつひめが占いで定めた田を狭名田と言う。その田の稲で天の美酒を醸してにひなへを催した。また、渟浪田ぬなたの稲を用いて飯を作って嘗を催した。

 

〔一書5〕

天孫は大山祇神の娘の吾田鹿葦津姫あたかしつひめを娶った。一夜にして身籠り、四人の子を生んだ。そこで吾田鹿葦津姫あたかしつひめは子を抱いてやって来て、「天神あまつかみの子をどうして自分だけで育てられるでしょう。なので、そのことを申し上げてお聞かせします」と言った。この時、天孫はその子たちを見て嘲笑い、「なんとまあ、我が子たちがこんなにも生まれたと聞くとは」と言った。そこで吾田鹿葦津姫あたかしつひめが怒って、「どうして私を嘲笑うのですか」と言うと、天孫は、「本心では疑っているから嘲笑ったのだ。なぜなら、たとえ天神の子であっても、どうして一夜の間に人を身籠らせることができるだろうか。本当は私の子ではあるまい」と言った。これを聞いて吾田鹿葦津姫はますます恨み、戸口のない小屋を作ってその中に入り、誓いを立てて、「私が娠んだのがもし天神の子でなければ、きっと亡くなるでしょう。これがもし天神の子であれば、害を受けることはないでしょう」と言って、火をつけて小屋を焼いた。

その火の明るくなりはじめた時に、子が勇ましく進み出て、自ら、「私は天神の子。名は火明ほあかり命。我が父上はどこにおられるか」と名乗った。

次に、火の燃え盛った時に、子が勇ましく進み出て、「私は天神の子。名は火進ほすすみ命。我が父上と兄上はどこにおられるか」とまた名乗った。

次に、炎の衰えた時に、子が勇ましく進み出て、「私は天神の子。名は火折ほをり尊。我が父上と兄上たちはどこにおられるか」とまた名乗った。

  次に、火の熱が鎮まった時に、子が勇ましく進み出て、「私は天神の子。名は彦火火出見ひこほほでみ尊。我が父上と兄上たちはどこにおられるか」とまた名乗った。

 そうした後に、母の吾田鹿葦津姫あたかしつひめが焼け跡の中から出て来て、言葉に出して、「私が生んだ子も私の身も、自ら火に向かったのに少しも害を受けませんでした。天孫あめみまはこれをご覧になりましたか」と言うと、「私は最初から我が子であるとわかっていたのだよ。ただ、一夜にして身籠ったことを疑う者がいるだろうと思ってだな、人々にこれらが我が子であり、また天神が一夜にして娠ませることがあるのだと知らせようと思ったのだ。また、おまえが奇異な威力を持っていてだな、子たちもまた人を超越した気配を持っていることをだな、明らかにしようと思ったのだ。だから先日のように嘲笑う言葉を言ったのだ」と答えた。

 

〔一書8〕

正哉吾勝勝速日天忍穂耳まさかあかつかちはやひあめのおしほみみ尊が高皇産霊たかみむすひ尊の娘の天萬栲幡千幡姫あまよろづたくはたちはたひめを娶って妃とし、子を生んだ。天照國照彦火明あまてるくにてるひこほあかり命と言う。これは尾張連をはりのむらじ等の祖神である。

次に天饒石國饒石天津彦火瓊瓊杵あめにぎしくににぎしあまつひこほのににぎ尊。この神は大山祇神の娘の木花開耶姫このはなのさくやびめ命を娶って妃とし、子を生んだ。火酢芹ほすせり命と言う。次に彦火火出見ひこほほでみ尊。

 

 



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

ABOUT US
アバター画像
さるたひこ

日本神話.comへお越しいただきありがとうございます。
『日本書紀』や『古事記』をもとに、最新の文献学的学術情報を踏まえて、どこよりも分かりやすく&ディープな日本神話の解釈方法をお届けしています。
これまでの「日本神話って分かりにくい。。。」といったイメージを払拭し、「日本神話ってオモシロい!」「こんなスゴイ神話が日本にあったんだ」と感じていただける内容を目指してます。
日本神話研究の第一人者である佛教大学名誉教授の榎本先生の監修もいただいているので情報の確かさは保証付き!文献に即して忠実に読み解きます。
豊かで多彩な日本神話の世界へ。是非一度、足を踏み入れてみてください。
参考文献:『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)他
error: Content is protected !!