日本の建国神話である「神武東征神話」。
その事跡を伝える顕彰碑や伝承碑をまとめてご紹介します。
非常にマニアックでどこまでも奥ゆかしい「神武東征神話を踏まえて伝承地を巡るシリーズ」のまとめ。
以下概要と合わせてどうぞ!
神武天皇聖蹟顕彰碑・伝承碑・伝承地まとめ|実際に行ってみて、確かめてみたところを全部まとめてみた!(マニア限定)
目次
- 1 神武天皇聖蹟顕彰碑・伝承碑・伝承地まとめ|実際に行ってみて、確かめてみたところを全部まとめてみた!(マニア限定)
- 1.1 神武東征神話とは?
- 1.2 神武天皇聖蹟顕彰碑・伝承碑/伝承地とは?
- 1.3 神武天皇聖蹟顕彰碑・伝承碑/伝承地 誕生と成長にまつわるスポット
- 1.4 神武天皇聖蹟顕彰碑・伝承碑/伝承地 東征発議、旅立ちにまつわるスポット
- 1.5 神武天皇聖蹟顕彰碑・伝承碑/伝承地 宇佐〜瀬戸内東進にまつわるスポット
- 1.6 神武天皇聖蹟顕彰碑・伝承碑/伝承地 大和上陸、最初の激戦と敗退、、にまつわるスポット
- 1.7 神武天皇聖蹟顕彰碑・伝承碑/伝承地 神策に従い紀伊半島を南下、ぐるっと回って新宮にまつわるスポット
- 1.8 神武天皇聖蹟顕彰碑・伝承碑/伝承地 宇陀攻略からの大和入りにまつわるスポット
- 1.9 神武天皇聖蹟顕彰碑・伝承碑/伝承地 大和最終決戦にまつわるスポット
- 1.10 神武天皇聖蹟顕彰碑・伝承碑/伝承地 橿原即位にまつわるスポット
- 1.11 その他東征神話に関連する神社をご紹介
- 2 まとめ
神武東征神話とは?
先ずは、神武東征神話とは何ぞや?については、コチラでチェック!
⇒『神武東征神話を丸ごと解説!ルートと地図でたどる日本最古の英雄譚。シリーズ形式で分かりやすくまとめ!』
きっと読者の皆さんは、「それってホントにあったの?」「実際どこよ?」的な興味と好奇心が湧いてこられたはず!
ご安心ください。
実は、「多分ココであったんじゃないか!?的なところ」を伝えるスポットが日本各地、特に西日本中心に点在しているのです。
それが、
顕彰碑とか伝承碑/伝承地の皆さんm9( ゚Д゚) ドーン!
コレ、なんといっても、日本建国神話の舞台ですからっ!超絶パワースポットであります。間違いない!
神武天皇聖蹟顕彰碑・伝承碑/伝承地とは?
ということで、ココからは神武天皇聖蹟顕彰碑とは?伝承碑/伝承地とは?について解説。
コレ、実は2種類あって、身も蓋もなく言ってしまうと、「尊さ」とか「格」において違いがあるんです。
「神武天皇聖蹟顕彰碑」とは、正史『日本書紀』をもとに、「きっとココや!」から「多分ココや!」みたいなのを、確度の濃淡はあれ国家レベルでお墨付きを与えたスポット。それこそ、国家予算が投じられて巨大な石碑が立っております。。
一方の、伝承碑/伝承地は、正史『日本書紀』にも載ってないことが多くあり、それこそ民間伝承も含めて「ココや!」というのを伝える石碑やスポット。地域の皆さんや協議会やらが有志で立てたものが多いです。
うん、やはり、、格の違いやね、、、
で、ココでは、特に「神武天皇聖蹟顕彰碑」について少し踏み込んで解説。
コレ、詳しい経緯はコチラで!
⇒『神武天皇聖蹟調査(昭和15年)による「聖蹟顕彰碑」まとめ|大人の事情満載だけど確かなものもきっとある件 (マニア限定)』
ポイントは、
昭和15年(1940年)は、皇紀2600年という100年に一度の節目の年!てことで、当時の日本国政府も、国を挙げてお祝いじゃー!ってことがあったんです。
「皇紀2600年」、、つまり、神武天皇即位から2600年の節目に当たる年!100年に一度、そうそうあるものではありません。てことで、国を挙げて、それこそ、国家プロジェクトとして盛大にお祝いされた次第。
その3年前、
昭和12年(1937年)には、官民一体の「恩賜財団紀元二千六百年奉祝会」(総裁・秩父宮雍仁親王、副総裁・近衛文麿、会長・徳川家達!)が創設され、この「奉祝会」が全国でのお祭りイベントを主導。メンバーがメンバーだけに、とてつもない権限をもっていたものと推察。
この、国を挙げてのお祝いの一環として、神武天皇東征の聖蹟・遺功を讃える「顕彰碑」が建てられた、という訳。
とは言え、、、
神話ですから、実際どこなのよ? なんて誰にも分らない。そこで、調べましょ、定めましょ、てことで、「神武天皇聖蹟調査委員会」なるものが当時の文部省に設置された次第。コレ、「奉祝会」が文部省へ委嘱したプロジェクトであります。
で、この委員会による「神武天皇聖蹟調査」によって「ココが神武天皇の事績があった場所や!」と認定されたのが、以下の皆さん。という訳。
神武天皇聖蹟顕彰碑一覧
1 . | 菟狭顕彰碑 | 丙 | 大分県宇佐市 | 宇佐神宮北参道鳥居近く | |
2 . | 崗水門顕彰碑 | 甲 | 福岡県遠賀郡蘆屋町 | 神武天皇社境内 | |
3 . | 埃宮・多祁理宮顕彰碑 | 乙 | 広島県安芸郡府中町 | 多家神社の山の反対側 | |
4 . | 高嶋宮顕彰碑 | 乙 | 岡山県岡山市 | 高島 | |
5 . | 難波之碕顕彰碑 | 甲 | 大阪府大阪市中央区 | 大阪天満宮境内 | |
6 . | 孔舍衛坂顕彰碑 | 乙 | 大阪府東大阪市 | 大龍禅寺不動院から生駒山奥 | |
7 . | 盾津顕彰碑 | 丙 | 大阪府東大阪市 | 孔舎衙小学校の東 | |
8 . | 雄水門顕彰碑 | 乙 | 大阪府泉南市 | 天神の森公園内 | |
9 . | 男水門顕彰碑 | 乙 | 和歌山県和歌山市 | 水門吹上神社境内 | |
10 . | 名草邑顕彰碑 | 丙 | 和歌山県和歌山市 | 和歌山市消防学校東側の丘の上 | |
11 . | 狭野顕彰碑 | 甲 | 和歌山県新宮市 | 佐野王子碑南西側 | |
12 . | 熊野神邑顕彰碑 | 甲 | 和歌山県新宮市 | 阿須賀神社境内入口 | |
13 . | 菟田穿邑顕彰碑 | 甲 | 奈良県宇陀市 | 宇陀宇賀志の民家の傍 | |
14 . | 菟田高倉山顕彰碑 | 乙 | 奈良県宇陀市 | 宇陀の高倉山の上 | |
15 . | 丹生川上顕彰碑 | 甲 | 奈良県吉野町 | 丹生川上神社中社の橋を渡って北側 | |
16 . | 鵄邑顕彰碑 | 甲 | 奈良県生駒市 | 出垣内バス停東南の丘 | |
17 . | 磐余邑顕彰碑 | 丙 | 奈良県桜井市 | 春日神社北側 | |
18 . | 鳥見山中霊畤顕彰碑 | 乙 | 奈良県桜井市 | 等弥神社の南、民家の裏 | |
19 . | 狭井河之上顕彰碑 | 丙 | 奈良県桜井市 | 狭井神社の北、民家の傍 |
以上、全19か所。
しかも、
上記、表中の右、甲乙丙といった分類がありますが、それがコレ。
甲 | 聖蹟 | 文献等により、地点又は地域の推定できるもの。 |
乙 | 聖蹟伝説地 | 江戸時代以前の口碑伝説をもち、価値ありと認められるもの。 |
丙 | 聖蹟推考地 | 価値ある学説または資料により推考し得るもの。 |
うん、マニアック。
要は、「神武天皇聖蹟調査委員会」の皆さんが、その「多分ココだろう的確度」に応じてランク付けした訳です。
スゴイ、、、(;゚д゚)ゴクリ…
そんな背景があっての顕彰碑。花崗岩でもって総工費25万円(当時の工費。今でいうと約6~7億円くらい、、)かけてつくったから。残ってるんですよ。現代に。
ということで、再度、まとめると、
神武東征神話にまつわる伝承地が西日本中心に点在している。それは、神武天皇聖蹟顕彰碑とか、伝承碑とかいう形で残っている。
身も蓋もなく言ってしまうと、「尊さ」とか「格」において違いがあり、神武天皇聖蹟顕彰碑とは、正史『日本書紀』をもとに、国家レベルでお墨付きを与えたスポット。国家予算が投じられて巨大な石碑が立っている。一方の、伝承碑/伝承地は、それこそ民間伝承も含めて「ココや!」というのを伝える石碑であり、協議会やら地域の皆さんが有志で立てたものが多い。
ということで、そんな細かい種別はさておき、せっかくなので、それを追いかけてみようじゃないか。今となっては、右とかなんだとかじゃなくて、純粋に日本の建国神話、神武東征神話をもって、そのロマンを楽しみながら周遊してみようじゃないか、というのがツウの楽しみ方。
ということで、以下ちょっと長いですが、神話に沿ってご紹介。
神武天皇聖蹟顕彰碑・伝承碑/伝承地 誕生と成長にまつわるスポット
神武天皇は、天孫降臨の地、九州で誕生。幼少のみぎり「狭野尊」という名でした。宮崎県高原町は、今でも神武天皇ゆかりの地として町をあげて神武推し。
絶対に外しちゃいけないのが、神武天皇生誕の地。コレ、間違いなくパワースポット。
⇨「皇子原神社|神武天皇誕生の地!日本建国への道はココから始まった•••そんな神話ロマンに浸りまくって至福の時を過ごせる超絶スポット」
⇒「狭野神社(宮崎神社別宮)御祭神は神武天皇!皇子原神社をルーツに持つ狭野神社は静謐な空気が満ちてます」
● 神武天皇誕生と成長にまつわるスポットとしていくつか
⇨「祓原|神武天皇誕生時に不浄を祓った地!?集落のあいだにひっそりと広がる祓原は夢みたいにステキな場所でした」
⇨「赤池|神武天皇が誕生されたときに不必要なものを洗い清めた所??田園地帯にポツンと伝える赤池の様子をご紹介!」
⇒「御池の皇子港|神武天皇が幼少期に遊んだ場所!?神秘的な景色が広がる皇子港で神話ロマンに想いを馳せてみる」
⇒「祓川|神武天皇がお祓いの儀式でこの川の水を使った!?集落のあいだを流れる祓川を現地レポ!」
⇒「高千穂宮(宮の宇都)|神武天皇が幼少期に父・鵜葺草葺不合命と住んでいた宮跡!?高千穂宮跡は神話ロマンあふれるオススメスポット!」
神武天皇聖蹟顕彰碑・伝承碑/伝承地 東征発議、旅立ちにまつわるスポット
高原の地で生まれ育った神武天皇。その後、宮崎へ宮を移したようで。地元的に。そこで、東征神話の起点となる、東征発議。からの旅立ちへ。とくに、船出の地は、建国ビジョンを胸に大海原へ漕ぎ出すロマンを感じられるオススメスポット。
● 宮崎県宮崎市の皇宮屋跡で東征発議!?
⇒「皇宮神社(皇宮屋・宮崎神宮摂社)東征発議の地!?神武天皇が15歳から宮居してた皇宮屋跡とされる神話ロマン全開スポット!」
● 宮崎県美々津から航海へ旅立つ、、、ロマン全開!
⇒「神武天皇御舟出の地|東征の航海はココから始まった。。。日本建国のロマンに思いを馳せる至福のスポット」
⇒「立磐神社|ご祭神は底筒・中筒・表筒男命の三神!神武天皇が美々津から船出するときに航海の安全を祈念したことにちなむ神社」
神武天皇聖蹟顕彰碑・伝承碑/伝承地 宇佐〜瀬戸内東進にまつわるスポット
美々津から北上。最初に立ち寄ったのが宇佐。そして博多から、東へ。安芸(広島)入りをはたす。「埃宮」に滞在し、翌年春に、吉備(岡山)に到ります。そして、「高嶋宮」を建て3年居住、戦闘準備。ドキドキが止まらない!
● 宇佐神宮内に2か所
⇒『神武天皇聖蹟莵狭顕彰碑|莵狭のヒコヒメから受けた饗宴の地!神の時代のおもてなしはきっとモノスゴかったに違いない件』
補足:一柱騰宮跡|神武一行の饗応用に建設!一本の柱で支える特殊構造の殿舎!?を現地レポ!
● 埃宮は現在の広島県府中市にあります。ココ、その昔、陸地奥深くまで海が迫っていたようで、小島が浮かぶ美しい海岸線が広がっていたそうです。
⇒『神武天皇聖蹟埃宮/多祁理宮顕彰碑|多家神社がある「誰曽廼森」の裏手、閑静な住宅街そばにひっそりと建っていた件』
神武天皇聖蹟顕彰碑・伝承碑/伝承地 大和上陸、最初の激戦と敗退、、にまつわるスポット
岡山で3年準備したあと、いよいよ大和入り。「難波之碕」から遡って「白肩之津」へ。「孔舎衛坂」で敗戦し、「盾津」で雄叫びをあげる。
⇒『難波の碕聖蹟顕彰碑|大阪天満宮敷地内に忘れ去られたように建っている碑が寂しすぎたので、そっとしておく件』
⇒『孔舎衛坂聖蹟顕彰碑|生駒山の奥深くにありすぎて坂どころではなかったので「無理認定」とさせていただいた件 』
⇒『盾津聖蹟顕彰碑|住宅地のなかに忘れ去られたように建っている碑が寂しすぎたので、こちらもそっとしておく件』
最初の戦闘といきなりの敗戦。。。東征神話においても大きな転換点となる地。超重要スポットの皆さんのはずが、、、なんだか全体的に寂しすぎて、もう、そっとしておくしかない。。。というのが正直なところ。。。特に、孔舎衛坂はヤバい。別の意味でおススメです。
神武天皇聖蹟顕彰碑・伝承碑/伝承地 神策に従い紀伊半島を南下、ぐるっと回って新宮にまつわるスポット
西から東へ大和へ入るべく、紀伊半島をぐるっと一周しようと南下。和歌山の竈山では長兄を亡くし、ぐるっとまわった紀伊半島東側の新宮から先では次兄・3兄も亡くしてしまうという試練の連続。
⇒『神武天皇聖蹟男水門顕彰碑|神武の長兄「五瀬命」が傷の痛みと悔しさのあまり雄叫びをあげた地で、あの頃と同じように雨に濡れてみた件』
⇒『竈山神社|神武の長兄「五瀬命」薨去の地!「理想」を追う東征に「報復」が追加された超重要スポット!!』
⇒『神武天皇聖蹟名草邑顕彰碑|発見ほぼ無理!どこから登って良いかわからない小山の上にひっそりと建っていた件|和歌山県和歌山市』
⇒『神武天皇聖蹟熊野神邑顕彰碑|何をしでかすか分からない荒ぶる神々が棲む魔界の入口であり境界の地。なので恐る恐る訪れるべし。』
⇒『神倉神社|眺望最高!唯一無二! 神武天皇が東征途上で登った天磐盾は角度垂直&驚愕の石段538段を上った先にソソリ立っていた件』
⇒『花窟神社|黄泉の国=死を司る伊奘冉尊を祭る!高さ45mの圧倒的な巨岩が必要な理由を日本神話的背景から全部まとめてご紹介!』
孔舎衛坂敗戦からは試練と苦難続きのストーリー展開。このあたりの顕彰碑や神社を巡られるときは、そうした神話的背景をもってGOです。そうするとただの石碑があら不思議、とても奥ゆかしい石碑に早変わり!
神武天皇聖蹟顕彰碑・伝承碑/伝承地 宇陀攻略からの大和入りにまつわるスポット
大泊付近から熊野の険しい山を越えて、ようやくたどり着いた大宇陀一帯。敵ひしめく宇陀の地を一つ一つ攻略していくの巻。
⇒『菟田穿邑顕彰碑|地元農家さんの敷地内?山を穿ってたどり着いた村は榛原街道(166号)から離れてしまった件』
⇒『小字「をどの」「血原」|兄猾を追いこんで自滅させ、引きずり出してさらして斬ったら、その血はくるぶしまで、、、ってなんて恐ろしい場所な件』
⇒『高倉山聖蹟顕彰碑|高倉山山頂は植林が進み過ぎて何も見えないので、心眼で見るしかない件』
⇒『墨坂伝承地|墨坂は敵パワーの源泉、火を象徴する場所だった件』
⇒『聖蹟丹生川上顕彰碑|なぜ?!宇陀から遠く離れた東吉野、、、最初に建てられた1番碑は2つの清流が合流するほとりにひっそりと建っていた件』
⇒『丹生神社(にふじんじゃ)|神武が「うけひ」の儀式を行った超重要パワースポットは地元の皆さんが支える神秘的な神社だった件』
⇒『天香山神社|実は超絶パワースポットの天香久山にひっそりとたたずむ神社だった件』
⇒『忍坂(おっさか)|大室を建てて八十梟帥残党の掃討作戦を実行した地。いろいろ見どころまとめてみた件』
このあたりになると、途端に顕彰碑や伝承地が増え始めます。だって奈良=大和=目的地の近くまで来たし。熊野近辺における自然や神との闘いから、人との戦いへステージが切り替わってきるから。。。に、しても寂しすぎるのは変わらず。。。どこも一緒か。
神武天皇聖蹟顕彰碑・伝承碑/伝承地 大和最終決戦にまつわるスポット
山から平地へ。いよいよ大和平野へ入った神武一行。智と武を巧みに使い分けながら最終決戦へ。そう、先の孔舎衛坂敗戦で立ちはだかった長髄彦へのリベンジマッチ。
⇒『磐余邑顕彰碑|磐余は山から平地への転換スポット!つまり、自然から文明へ、少し頭が良くなった気がする件』
⇒『聖蹟鵄邑顕彰碑|長髄彦との決戦の地はどこ?碑は立てど磐余から30キロ。。。実際問題よく分からない件』
宇陀から大和に入ってきて、最終橿原で即位するわけで、鵄邑顕彰碑が立っているところは結構離れてしまっとりますが。。。
神武天皇聖蹟顕彰碑・伝承碑/伝承地 橿原即位にまつわるスポット
ついに東征完結。ここに世界最古の国、日本が誕生しました。橿原神宮は建国即位をした橿原宮跡と伝えられる場所。そして、神話ファンとして忘れちゃいけない、日本神話的御恩と奉公の実践。鳥見山でのお祭りは現在も続く宮中祭祀の起源となった超絶パワースポットです。
⇒『橿原神宮|初代神武天皇が即位した「日本建国」の地。おごそかな空気漂うパワースポットはやっぱりスゴかった件』
⇒『神武天皇聖蹟 鳥見山中霊畤 顕彰碑|斎場(靈畤)を鳥見山に設けて皇祖天神を祭る!宮中祭祀、大嘗祭発祥の地となった超重要スポット!』
⇒『神武天皇聖跡狭井河之上顕彰碑|伊須気余理比売命の家だったところ!?神武天皇が妻問いしたアレなスポット』
その他東征神話に関連する神社をご紹介
東征神話にちなむ神社の皆さんもご紹介しておきます。
奈良
⇒『八咫烏神社|サッカー日本代表のシンボルを祭るジモトな神社』
⇒『丹生川上神社|水を祭る神社の総本山!古代より祈雨・止雨を祈る神社として朝廷のアツい崇敬を集めてきた超重要パワースポットな件』
⇒『墨坂神社|大和東限の神社は「波動水」が湧き出るパワースポットだった件』
大坂
⇒『磐船神社|饒速日命 降臨の地!?御神体「天の磐船」はじめ巨石・巨岩がゴロゴロしている超穴場&パワースポットな神社』
⇒『石切劔箭神社|「いしきりさん」でお百度参り。腫れ物・病気に効能ご利益で有名な神社は篤い信仰が息づいていた件』
和歌山
⇒『阿須賀神社|新宮発祥の地!日本神話で「熊野神邑」として登場する神社は、航海・延命・生産・発育ご利益で篤い信仰を集めている件』
⇒『熊野那智大社|まるで天空の神社!熊野三山の一つ「熊野信仰の中心地」である神社は、熊野の深く険しい山にあって静謐な空気が漂っている件』
まとめ
日本の建国神話「神武東征神話」
その事跡を伝える顕彰碑や伝承碑をまとめてご紹介してきましたがいかがでしたでしょうか?
これからも少しずつ充実させて参ります。末永くお付き合いくださいませ。。。読者の皆さんの支援が何よりの励みです。いつも読んでいただきありがとうございます。今後ともよろしくお願い申しあげます。
こちらの記事もどうぞ。顕彰碑・伝承地のお供に日本神話がオススメです。
どこよりも分かりやすい日本神話解説シリーズはコチラ!
日本神話編纂の現場!奈良にもカマン!
参考文献:『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)
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