豊玉姫とは?海神の娘で彦火火出見尊と結婚し盧茲草葺不合尊を生んだ神。日本神話をもとに豊玉姫を分かりやすく解説します。
『日本書紀』第十段 現代語訳
〔本伝〕
そうして彦火火出見尊は海神の娘の豊玉姫を娶り、海の宮に留まり住んで三年が経った。そこは安らかで楽しかったが、やはり故郷を思う心があり、たまにひどく溜息をつくことがあった。豊玉姫はそれを聞いて、その父に、「天孫が悲しんでいて、しばしば嘆くことがあります。もしかすると、陸地を懐かしんで悩んでいるのでしょうか」と語った。海神は彦火火出見尊を招くと、「天孫がもし国に帰りたいと思うのなら、私が送って差し上げよう」と丁寧に語り、すぐに探し出した釣針を渡して、「この釣針をあなたの兄に渡す時、こっそりとこの釣針に『貧鉤』と言ってから渡しなさい」と教えた。また、潮満瓊と潮涸瓊を授けて、「潮満瓊を水に浸すと、潮がたちまち満ちるでしょう。これであなたの兄を溺れさせなさい。もし兄が悔やんで救いを求めたら、潮涸瓊を水に浸せば、潮は自然と引くでしょう。これで救いなさい。このように攻めて悩ませれば、あなたの兄も自ら平伏すでしょう」と教えた。そして帰ろうとする時になり、豊玉姫は天孫に、「私はすでに妊娠していて、もうすぐ産まれます。私は波風の速い日にきっと浜辺を訪れますので、どうか私のために産屋を作って待っていてください」と語った。
彦火火出見尊は元の宮に帰り、まるごと海神の教えに従った。すると兄の火闌降命は困り果てて自ら平伏し、「今より後、私はあなたの俳優之民になりましょう。どうか、情けをかけて生かしてほしい」と言った。そこで、その願いの通りについに許した。その火闌降命は、吾田君小橋等の本祖である。
その後、豊玉姫は前の約束通り、その妹の玉依姫を連れて、波風に逆らって海辺にやって来て、産む時が迫ると、「私が産む時に、どうか見ないでください」と頼んだ。天孫が我慢できず、こっそり訪れて覗くと、豊玉姫は産もうとして龍に姿を変えていた。そして大いに恥じて、「もし私を辱しめることがなかったら、海と陸とは通じていて、永久に隔絶することはなかったでしょう。今すでに辱しめを受けました。どうして睦まじく心を通わせることができるでしょうか」と言って、草で子を包んで海辺に捨て、海への道を閉じてすぐに去った。
そこで、その子の名を彦波瀲武盧茲草葺不合尊と言う。
〔一書1〕
すると海神は出迎えて拝み、招き入れて丁重に慰め、そして娘の豊玉姫を妻とさせた。そして海の宮に留まり住んで三年が経った。
その後、火火出見尊はしばしば溜息をつくことがあった。豊玉姫が、「天孫はもしや故郷に帰りたいとお思いですか」と尋ねると、「そうだ」と答えた。豊玉姫は父の神に、「ここにおられる立派なお客が、地上の国に帰りたいと思っておられます」と申し上げた。海神がそこで、海の魚たちをすべて集め、その釣針を求め尋ねると、一尾の魚がいて、「赤女――あるいは赤鯛と言う――が長いこと口に怪我をしています。もしやこれが呑んだのでしょうか」と答えた。そこで赤女を呼んでその口を見ると、釣針がまだ口の中にあった。すぐにこれを取り、彦火火出見尊に渡して、「釣針をあなたの兄に渡す時に、呪詛をかけて、『貧窮之本・飢饉之始・困苦之根』と言ってから渡しなさい。また、あなたの兄が海に出ようとした時に、私が必ず波風を起こし、それによって溺れさせて苦しめましょう」と教えた。そして火火出見尊を大鰐に乗せて、元の国に送り届けた。
これより前、別れる時になり、豊玉姫は、「私はすでに身籠っています。波風の速い日に海辺を訪れますので、どうか私のために産屋を作って待っていてください」と丁寧に語った。その後、豊玉姫はやはりその言葉通りにやって来て、火火出見尊に、「私は今夜、子を産みます。どうか見ないでください」と申し上げた。火火出見尊はそれを聞かず、櫛に火を灯して覗いた。すると豊玉姫は八尋大熊鰐に姿を変え、もぞもぞと這い回っていた。そこで辱しめを受けたことを恨み、ただちに海の国に帰ったが、その妹の玉依姫を留めて子を育てさせた。
子の名を彦波瀲武盧茲草葺不合尊と呼ぶ理由は、その浜辺の産屋の屋根を、すべて鵜の羽を草のように用いて葺こうとしたのに、それが終わらないうちに子が生まれたため、そう名付けたのである。
〔一書2〕
これより前、豊玉姫は天孫に、「私はすでに妊娠しています。天孫の子を海の中で産むべきではないので、産む時には必ずあなたのところを訪れましょう。私のために海辺に産屋を作って待っていてくれることを願います」と申し上げた。そこで彦火火出見尊は国に帰ると、鵜の羽で屋根を葺いて産屋を作ったが、屋根を未だ葺き終えないうちに、豊玉姫が大亀に乗り、妹の玉依姫を連れ、海を照らしながらやって来た。すでに臨月を迎えていて、出産が目前に迫っていた。そこで葺き終えるのを待たずにただちに入り、天孫に、「私が産むのをどうか見ないでください」と丁寧に語った。天孫が内心その言葉を怪しみ、こっそりと覗くと、八尋熊鰐に姿を変えていた。しかも、天孫が覗いたことに気づいて深く恥じ、恨みを抱いた。
すでに子が生まれた後、天孫が訪れて、「子の名を何と名付ければよいだろうか」と尋ねると、「彦波瀲武盧茲草葺不合尊と名付けてください」と答えたが、そう言い終わると、海を渡ってただちに去ってしまった。そこで彦火火出見尊は歌を詠んだ。
沖つ鳥 鴨著く嶋に 我が率寝し 妹は忘らじ 世の尽も
(鴨の寄り着く島で、私が共寝をした妻のことは、決して忘れないだろう、生きている限り。)
――または、彦火火出見尊は婦人を募り、乳母、湯母、及び飯嚼、湯坐とし、すべて様々に準備をして育てた。その時、母親の代わりに他の婦人の乳によって皇子を育てた。これが世間で乳母を決めて子を育てることの発祥である――と言う。
この後、豊玉姫はその子が端正なことを聞いて、大いに憐れみの心を募らせ、また帰って育てたいと思ったが、道義的にかなわなかった。そこで妹の玉依姫を遣わして、育てに行かせた。その時、豊玉姫は玉依姫に託して返歌を奉った。
赤玉の 光はありと 人は言へど 君が装し 貴くありけり
(赤い玉は輝いていると人は言いますが、あなたの姿はそれ以上に立派に思えます。)
この二首の贈られた歌を挙歌と言う。
〔一書4〕
これより前、豊玉姫がやって来て、産もうとする時に皇孫にお願いを言った――と、云々。皇孫は従わなかった。豊玉姫は大いに恨んで、「私の言葉を聞かず、私に恥をかかせた。なのでこれから先、私の奴婢があなたの元に行っても、返すことはありません。あなたの奴婢が私の元に来ても、返しませんので」と言って、真床覆衾と草でその子を包んで渚に置くと、海に入り去った。これが海と陸とが通じなくなったことの発祥である。――あるいは、子を渚に置いたのではなく、豊玉姫命自身が抱いたまま去った。しばらくして、「天孫の子を海の中に置いておくべきではない」と言って、玉依姫に抱かせて送り出したと言う。
さて、豊玉姫が別れ去る時に、しきりに恨みを口にした。そこで火折尊は、再び会うことはないと知り、歌を贈った。これはすでに上で述べた。
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