『古事記』神話をもとに、日本神話に登場する神様を分かりやすく解説します。
今回は
「水蛭子(蛭児)」
伊耶那岐命と伊耶那美命による国生みで、女神が男神より先に声をあげたことで生まれた神として「水蛭子」を伝えます。
なお、『日本書紀』では「蛭児」と伝えます。
本エントリでは、「水蛭子」の神名の名義、誕生にまつわる神話を分かりやすく解説します。
- 日本神話全体の流れや構造を解き明かしながら解説。他には無い分かりやすい記事です
- 現代語訳のほか原文も掲載。日本神話編纂当時の雰囲気を感じてもらえます
- 登場する神様や重要ワードへのリンク付き。より深く知りたい方にもオススメです
水蛭子(蛭児)ひるこ|水蛭のような手足の萎えた子!葦船に入れて流し去てられた理由も含めて水蛭子(蛭児)を分かりやすく解説します
目次
水蛭子とは?その名義
「水蛭子」= 水蛭のような手足の萎えた子
『古事記』では、伊耶那岐命と伊耶那美命による国生みで、結婚儀礼のなかで女神が男神より先に声をあげたことで生まれた神として「水蛭子」を伝えます。
「ひる」は、「萎縮する」の意。
用例は、「痿痺、比留無夜末比」(和名抄)、「痿、ヒルム」(名義抄) 。
「水蛭」は、それが虫の名となったもの。
ということで、
「水蛭子」=「萎縮する」+「子」= 水蛭のような手足の萎えた子 |
水蛭子が登場する日本神話
「水蛭子」が登場するのは、『古事記』上巻、国生み神話。
天御柱を廻り終えた時に、伊耶那美命が先に「ほんとうにまあ、いとしいお方ですことよ。」と声をあげてしまうところから、、、
各が言い終えた後、(伊耶那岐命は)その妹に「女人が先に言ったのは良くない。」と告げた。しかし、寝床で事を始め、子の水蛭子を生んだ。この子は葦船に入れて流し去てた。次に、淡嶋を生んだ。これもまた子の例には入れなかった。
各言竟之後、告其妹曰「女人先言、不良。」雖然、久美度邇此四字以音興而生子、水蛭子、此子者入葦船而流去。次生淡嶋、是亦不入子之例。 (引用:『古事記』上巻 国生みより)
ということで。
伊耶那岐命は「女人が先に言ったのは良くない」と分かりつつも、、、我慢できなかったのか、寝床で事を始めてしまい、子の水蛭子が生まれたと伝えてます。
ポイントはまさにココで。
伊耶那岐命と伊耶那美命の結婚という儀式において、女神が男神より先に声をあげることはあってはならないことなんです。すこし難しく言うと「理に反してる」。
そのへんの事情については、コチラで詳しく。
結婚というのは神聖な儀礼です。儀礼なので、踏むべき手順、段取りというものがある。それを間違えるってことは、神聖さが無くなるってこと。理に反したことを行えば当然、理に反した結果が生まれる訳で、その形象として水蛭子が生れたという訳です。
よく、水蛭子を「邪悪なもの」として解説する記事が多いのですが、これは間違いで。決して邪悪な訳ではないんです。理に反した結果として水蛭子が生まれただけで、邪悪とは関係ありません。
葦船に入れたのは、葦は邪気を払う力があるとされていたからですが、だからといって邪悪なわけではありません。くどいか、、、理に反した結果なので自分たちの子として認知する訳にはいかず、「流し去てた」次第。
コレも、単にヒドイ!あり得ない!!ってことじゃなくて、もう少し深く解釈する必要あり。
つまり、コレはこれで、神代における社会の未熟さという側面として解釈すべきです。
神様だって社会を構成します。
天地初発からの国生みの時代はまだ色んなことが未成熟だったんです。だからこそ、二神は流したり認知しなかったりする。現代の感覚からすると違和感があるのは当然で。
社会の成熟度合いは、「個別的に長期生存が不可能な個体(弱者)」を生き延びさせる考え方や仕組みの出来具合に比例します。どれだけの個体が生き延びられるか、どれだけの「弱者」を生かすことが出来るかは、その社会の持つ力に比例する訳ですよね。
神様の織りなす世界も、社会として機能してくるのは岩戸神話あたりから。それまでは、まだまだ未成熟な感じを引きずってたんすね、って私は何様でしょうか?
そんな観点から見てみると、水蛭子の流棄も深みが出てくると思います。
ちなみに、、、
「流し去てた」とありますが、コレ、説のなかには、「水に流してるとは、邪気を払う乗物に乗って水を渡ることによって霊魂の新生を獲得するという信仰に基づい誕生儀礼」とするものもありますが、、それっぽいけど根拠がありません。。
さらに、ちなみに、、、
こうした最初に出来損いの子を生む創成神話は世界に例が多く、それをもって伊耶那岐命と伊耶那美命が兄妹であり兄妹相姦の結果であるとする説があったりするのですが、それは、、勝手な解釈です。他の場所に似た枠組みをもつ話があるからってその影響を受けてるとするのはいかがなものか。。。
文献学的には文献に即して解釈することを重視。『古事記』にも『日本書紀』にも兄妹であったとは記してませんし、また水蛭子の誕生タブーの理由も相姦ではないからです。
一方で、
「蛭子」の文字が「えびす」と読まれるのは、貴種漂流譚の流れとする説もあります。
コレ、貴人の子が諸国を漂流し、艱難辛苦の末、ある国に迎えられて成功する、、という物語の型・パターンのこと。つまり、他国から到来する神としてもてなしたことにより「えびす」と読まれるようになったとするものです。
実際、兵庫県の西宮神社では、水蛭子はその後、西宮に漂着し、「夷三郎殿」と呼ばれ大事に育てられた、といった伝承あり。流されたものの、今では日本に約3500社ある、えびす総本社のご祭神として人々の崇敬を集めています。これはこれで良いお話かも、、ですね。
『日本書紀』が伝える蛭児
「水蛭子」については、『日本書紀』でも何か所か登場しますので、今回は、『日本書紀』バージョンもお届けします。
『日本書紀』では「蛭児」と伝え、全部で3つの伝承があります。
まず、
最初に登場するのが、『日本書紀』巻第一(神代上)第四段〔一書1〕。以下。
さっそく天柱を巡ろうとして約束し、「お前は左から巡れ。私は右から巡ろう。」と言った。さて、二柱の神が分かれて天柱を巡り、半周してあい会すると、陰神は先に唱えて「ああ、なんとすばらしい、いい少男(若者)ではないか。」と言った。陽神は後に和して、「ああ、なんとすばらしい、いい少女ではないか。」と言った。ついに夫婦となり、まず蛭児を産んだ。そこで葦船に載せて流した。次に淡洲を産んだ。これもまた子供の数には入れなかった。 (引用:『日本書紀』巻第一(神代上)第四段〔一書1〕より)
ということで。
コチラ、実は、『古事記』と同じような伝承になってます。どちらが先か、元かといえば、実は『日本書紀』なんですが。。そのあたりはコチラでも解説。
続けて、「蛭児」について、2つ目の伝承をご紹介。
今度は、『日本書紀』巻第一(神代上)第五段〔本伝〕です。以下。
次に蛭児を生んだが、三歳になっても脚が立たなかった。それゆえ天磐櫲樟船に乗せ、風のまにまに捨てた。 (引用:『日本書紀』巻第一(神代上)第五段〔本伝〕より)
ということで。
ここでは、、蛭児の放棄は、共同体の存立を損ないかねない存在を、異物として排除する習俗、あるいは慣行の起源を物語っている(と、見るほかなく、、、)。その意味で、本件は、始原における神様世界の生存原理に根差してる、とも言えて。この時点では、神様ワールドといえど「神聖の保持」に心砕く、、、といった感じで。なかなかな雰囲気です。
なお、
風のままに捨てる用に使用された「天磐櫲樟船」について、「樟」は、防虫剤の樟脳を採る樟で邪気を払うとされる木。やはり、、邪気払い系のアイテムが使用されてます。
最後に3つ目。
ある書はこう伝えている。日と月は既に生まれた。次に蛭児を産んだ。この子は三年経っても足腰が立たなかった。これは初めに、伊奘諾・伊奘冉尊が御柱を巡った時に、陰神が先に喜びの声を発したからである。陰陽の原理に背いてしまったのだ。そのせいで今蛭児が生まれた。 中略 次に鳥磐櫲樟橡船を産んだ。この船に蛭児を乗せ、流れにまかせ棄てた。 (引用:『日本書紀』巻第一(神代上)第五段〔一書2〕より)
ということで。
第五段〔一書2〕では、より明確に「これは初めに、伊奘諾・伊奘冉尊が御柱を巡った時に、陰神が先に喜びの声を発したからである。陰陽の原理に背いてしまったのだ。そのせいで今蛭児が生まれた。」と伝えてます。
改めて、結婚というのは神聖な儀礼としてチェック。儀礼なので、踏むべき手順、段取りというものがある。それを間違えるってことは、神聖さが無くなるってこと。理に反したことを行えば当然、理に反した結果が生まれる訳で、その形象として水蛭子が生れたという訳です。
水蛭子を始祖とする氏族
この神を始祖とする氏族はない。
参考文献:新潮日本古典集成 『古事記』より一部分かりやすく現代風に修正。
水蛭子をお祭りする神社
● 西宮神社 全国に約3,500社あるえびす神社の総本社!地元では「西宮のえべっさん」と呼ばれてます
住所:兵庫県西宮市社家町1−17● 蛭子神社 蛭子大神(えびす様)と大物主大神(大国様)が主祭神!
住所:兵庫県神戸市兵庫区西柳原町5-20
水蛭子が登場する日本神話
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