少彦名命とは?大己貴命との国造りの途中で常世郷へいってしまう神話界一のかぶき者。日本神話をもとに少彦名命を分かりやすく解説します。
〔一書6〕
ある書はこうつたえている。大国主神は、また大物主神と名付け、また国作大己貴命と号し、また葦原醜男と言い、また八千戈神と言い、また大国玉神と言い、また顕国玉神と言う。その子は、全部で百八十神いる。
そもそも大己貴命は、少彦名命と力を合わせ心を一つにして天下を経営した。また顕見蒼生および家畜のためには、その病を治療する方法を定め、また鳥獣や昆虫の災害(わざわい、害悪、変異現象)を払い除くためには、その災難やたぶらかしを押さえとどめる(呪禁)方法を定めた。これにより、人民は今に至るまでみなこの恩恵を蒙っている。
かつて大己貴命が少彦名命に向かって「われらの造った国は、どうして善くできたといえるだろうか。」と言った。少彦名命はこれに対して「あるいはできたところがある。またあるいはできていないところもある」と答えた。この両者の談は、思うに深遠な趣がある。その後、少彦名命は熊野の岬まで行き至ったところで、遂に常世郷に適ってしまった。またこれとは別に、淡嶋に至って、粟の茎をよじ登れば、弾かれて常世郷に渡り至ったという。
はじめ大己貴神が国を平定するに際して、行き巡り出雲国五十狹狹の小汀に到って飲食しようとした。この時、海上に忽然と人の声がした。そこで驚いて探し求めたけれども、全くなにも見当たらない。しばらくすると、一人の小男が白薟(カガイモまたヤブカラシ)の皮を舟として、鷦鷯(ミソサザイ)の羽を着衣とし、潮流に乗って浮かび到った。大己貴神はさっそく取り上げ掌中に置いてもてあそんでいると、飛び上がって頬を噛んだ。そこでその小男の形状を怪しんで、使いを遣わして天神に申しあげた。その時、高皇産霊尊はその報告を聞き、それで「私の産んだ児は全部で千五百座いる。その中の一児は最悪で、教え育てようにも従わない。私の指の間から漏れ墜ちたのが、きっとそのものだ。可愛がって養育すれば良い。」と云った。少彦名命がこれである。「顕」は、ここでは「于都斯」と云う。「蹈鞴」は、ここでは「多多羅」と云う。「幸魂」は、ここでは「佐枳弥多摩」と云う。「奇魂」は、ここでは「俱斯美侘磨」と云う。「鷦鷯」は、ここでは「裟裟岐」と云う。
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