「悠紀殿」「主基殿」とは、大嘗祭の中心的神殿。二つあわせて「大嘗宮」と呼ばれます。
大嘗祭では、
「悠紀殿」「主基殿」それぞれで、大嘗祭における中核的儀式「悠紀殿供饌の儀」「主基殿供饌の儀」が斎行されます。
いわば、大嘗祭のメインとなる舞台、それが「悠紀殿」「主基殿」であります。超重要。
今回は、「悠紀殿」「主基殿」の概要と、その起源、さらに、ココで斎行される「悠紀殿供饌の儀」「主基殿供饌の儀」についてもご紹介します。
- 日本神話研究の第一人者である榎本先生監修。確かな学術成果に基づく記事です
- 日本神話全体の流れや構造を解き明かしながら解説。他には無い分かりやすい記事です
- 現代語訳のほか原文も掲載。日本神話編纂当時の雰囲気を感じてもらえます
- 登場する神様や重要ワードへのリンク付き。より深く知りたい方にもオススメです
悠紀殿・主基殿とは?|大嘗宮の中心的神殿!「御親供・御直会の儀」が行われる悠紀殿・主基殿のヒミツを大公開!
目次
悠紀殿・主基殿とは?
「悠紀殿」「主基殿」とは、大嘗祭の中心的神殿。
二つあわせて「大嘗宮」と呼ばれます。
大嘗祭では、
中核的儀式である「悠紀殿供饌の儀」「主基殿供饌の儀」が、それぞれ「悠紀殿」「主基殿」で斎行されます。
「悠紀殿供饌の儀」「主基殿供饌の儀」とは、
新たに即位した天皇として、神饌を神(天照大神)にお供えし、自らもそれを食す(嘗める=味わう)という、「共食」の儀式。
これにより、皇祖神の霊徳を自身の身に受ける、まさに天照大神と繋がる厳かな儀式です。
神饌の中でも、特に重要なのが「お米」。
コレ、日本神話が背景の設定にあり、
要は、
神代、天孫降臨に際し天照大神から神聖な稲「斎庭の穂(聖なる田んぼで育った稲穂)」をもらって地上に降下した経緯あり。
天照大神が自ら育てていた神聖な稲が、地上にもたらされた訳です。で、歴代の皇孫、天皇は、なんなら日本は、これを継承しているという流れ。
必読:悠紀殿供饌の儀・主基殿供饌の儀|神に奉る・いただく( 薦・享)がセットの共食!天照大神と繋がる大嘗祭の中心儀式
そら特別ですよね。皇祖からいただいた稲ですから。
新天皇として即位したからには、ちゃんと受け継いでるよ、ってこと、示す必要もあるし。
ま、その話はともかく、
次に、
「悠紀殿」「主基殿」が実際どんな感じかをチェック。
コチラ。
「悠紀殿」「主基殿」2つの建物が、並んで建ってるんすね。
大嘗祭、現代では2日間の日程で斎行。
で、
内容はというと、、、実は、同じ内容だったりします。
具体的には、
神饌 行立 と 親供・直会
漢字、むつかしぃー
「神饌 行立」とは、神にお供えする神饌が「悠紀殿」「主基殿」に運ばれる事。正確には、神饌を神として、神饌自体が神殿に渡っていく、といった意味です。
「親供・直会」とは、神饌を神に奉る・いただく( 薦・享)が対になった儀式。新天皇と神との共食がポイント。
この2つをメインとして、
「悠紀殿供饌の儀」「主基殿供饌の儀」が行われる訳です。儀式の詳細は後ほど。
ということで、
まずは、
- 「悠紀殿」「主基殿」は、大嘗祭の中心的神殿で、二つあわせて「大嘗宮」と呼ばれる。
- 大嘗祭の中核的儀式である「悠紀殿供饌の儀」「主基殿供饌の儀」が、それぞれ「悠紀殿」「主基殿」で斎行される。
- 「悠紀殿供饌の儀」「主基殿供饌の儀」とは、新たに即位した天皇として、神饌を神(天照大神)にお供えし、自らもそれを食す(嘗める=味わう)という、「共食」の儀式。
- 神饌で大事なのはお米。これは日本神話に起源あり。
といった点をしっかりチェック。
ということで、次は、
なんで「悠紀殿」「主基殿」の2つがあるの?その意味は?
について、大嘗祭の起源に遡ってご紹介します。
悠紀殿・主基殿の起源
ココからは、時間を遡って、7世紀後半の飛鳥時代へタイムスリップ。
「悠紀殿」「主基殿」の2つがある理由、その経緯をご紹介していきます。
大嘗祭の原型が形作られたのは飛鳥時代、
具体的には、天武天皇の代。詳細はコチラで。
必読:飛鳥浄御原宮|日本神話編纂のふるさと!歴史書の編纂というビッグプロジェクトがスタートした超重要スポット
必読:御代替りとは?日本神話に根ざす御代替りの全貌を徹底解説!
正史『日本書紀』天武天皇条に、この時代につくられた原型としての大嘗祭を伝える箇所あり。
①天武天皇二年(673年)12月
大嘗に侍奉る中臣・忌部及び神官、播磨・丹波二国の郡司らに賜禄ふ。(『日本書紀』天武天皇二年・大嘗初見)
②同五年(676年)9月
神官奏して曰さく「新嘗の為に国郡を卜はしむ。斎忌は尾張国の山田郡、次は丹波国の訶沙郡、並に卜に食へり」とまうす。(十一月朔日、新嘗の事を以て、告朔せず)
と、
ポイントは、
- 大嘗と新嘗は区別はされてたっぽいけど、内容は(今と比べると)未分化だった
って事。
天武天皇二年(673年)は、天武天皇が飛鳥浄御原宮で即位した年。
なので、①の12月条では「大嘗」という言葉が使われてます。一方で、その3年後、同五年(676年)9月条では「新嘗」になってます。
また、大嘗でも2つの国が選ばれてるし、新嘗でも占いをして「斎忌」「次」を選んでます。このあたりは未分化な感じですよね。
で、
「悠紀殿」「主基殿」の2つがある理由、そのヒントは
「斎忌は尾張国の山田郡、次は丹波国の訶沙郡、並に卜に食へり」
てところ。
「斎忌は~、次は~」という内容で伝えてます。
- 「斎忌」・・・斎忌
- 「次」・・・主基
※「斎」とは、心身を清め、飲食などの行為をつつしんで神をまつる。いわう。いつく、意味。
※「忌」とは、この上なく清浄、いみきよめる意味。忌火などの例。
これってつまり、、、
メインとサブ
ってことだ。
、、、マジか、
マジです。原型は、そういう形だったってこと。
じゃあ、
なんでメインとサブみたいな形になってるのか?
というと、
要は、、、
稲ですから。
豊作のときもあれば、不作のときもある。なんなら異常気象とかで収穫できない場合だってありますよね。
そうした事態へのリスクヘッジとして、メインとサブという仕組みを用意してる、って事なんす。ココがポイント!
占いによってまずはメインとなる「斎忌」を定め、次に、万が一のための代替えとなる「次」を定める。古代の、原型としての考え方はそんな感じ。
ただ、、
多分、、、そんな直球、あんま良くないんじゃないすかね?ってことで、
天武天皇の次の代、持統天皇のときには、現代でも使われてる悠紀・主基になりました。
それは、当時の法律である「令(浄御原令)」として規定化されてます。
コチラ。
凡そ大嘗は、世毎に一年、国司(悠紀・主基両国)事行へ。以外は、年毎に所司(神祇官および祭りに預かる諸司)事行へ。(神祇令大嘗条)
ポイントは、
- 大嘗と新嘗を分離。大嘗は、天皇の代毎に一年とし、悠紀・主基両国の国司が神饌を奉る担当。それ以外の年は、神祇官等が担当。
ということで、
旦那の直球を、奥さんがやんわり修正したの巻
ということで、
最初から「悠紀殿」とか「主基殿」があった訳ではないってこと。
歴史のなかで徐々に儀礼として整備されていった経緯。で、現代に通ずる基本型が完成するのは平安時代のことでした。
「悠紀殿供饌の儀」と「主基殿供饌の儀」の概要
ということで、ここからは
「悠紀殿」「主基殿」で何が行われるのか?
についてご紹介。
それが、
詳細はコチラで。
必読:悠紀殿供饌の儀・主基殿供饌の儀|神に奉る・いただく( 薦・享)がセットの共食!天照大神と繋がる大嘗祭の中心儀式
今回は、概要をお届け。
まずは、再度、全体の流れ、建物の位置関係をチェック。
2日間の日程で行われる大嘗祭、の「大嘗宮の儀」
が、それぞれ斎行。
で、内容はというと、実は、同じで、
それが、
神饌 行立 と 親供・直会
でした。
「神饌 行立」とは、神にお供えする神饌が「悠紀殿」「主基殿」に運ばれる事。
「親供・直会」とは、神饌を神に奉る・いただく( 薦・享)が対になった儀式。新天皇と神との共食。
この2つをメインとして、
「悠紀殿供饌の儀」と「主基殿供饌の儀」が行われます。
次に、
全体のマップ。どこに何があるのか?をチェック。
全体観として分かり易い資料はコチラ。
現代の大嘗祭でも基本的には同じ建物をつくり祭祀を実施。
で、
「悠紀殿」「主基殿」の他、ポイントとなる建物がコチラ。
「膳屋」。つまり、台所のことです。
コレ、「悠紀殿」「主基殿」それぞれに、近くに用意されます。
先ほどご紹介した「神饌 行立」。
コレは、「悠紀殿」「主基殿」それぞれの「膳屋」で作られた料理(神饌)が、運ばれていくことを言う訳ですね。
ちなみに、、
その料理はこんな感じ。
他にも、
①脂燭 ②削木 ③ 竹杖 ④海老鰭槽(手水受け容器) ⑤多志良加(手水注ぎ土瓶) ⑥ 楊枝筥 ⑦御巾子筥 ⑧神食薦(菰の葉に木綿を編み込んだ、神饌を載せる敷物)⑨御食薦 ⑩枚手筥 ⑪箸筥 ⑫御飯筥 ⑬生魚筥 ⑭干魚筥 ⑮菓子筥 ⑯鮑汁漬 ⑰海藻汁漬 ⑱空盞(羹を盛る器) ⑲御羹八足机 ⑳御酒八足机 ㉑御粥八足机 ㉒御酒(御直会)八足机
※「筥」は葛筥(箱)のこと。この筥の中に、生魚類ならその切り身が檞葉細工の容器に四箇もられます。この容器は、柏の葉数枚を竹の糸で綴じた葉盤製。
と、、まースゴイ。
新天皇として初めて、皇祖天照大神と共食する訳ですから、失礼のないように、そんな心配り・おもてなし。
ポイントは⑫の「御飯筥」。要は、ご飯のはいった箱。そう、斎田で収穫された特別なお米を使ったご飯であります。
まだあるよ。
そして、いよいよ核心。「悠紀殿」「主基殿」の内部。
コチラ、これからご紹介する、「悠紀殿供饌の儀」と「主基殿供饌の儀」の原型がつくられた平安時代の復元図より。(貞観儀式、延喜式より)
ポイントは、
神座の向き
平安時代=京都に都があったので、伊勢神宮は南東の方向。なので、神座、つまり皇祖天照大神が降臨される場は、南東を向いています。
この、神座、御座で、メインイベントである「親供・直会の儀」が、つまり、新天皇と神との共食が行われる訳です。
「采女」と呼ばれる配膳係が、神座に進み御手水を供したり、神食薦・御食薦を敷いたり、神饌を伝え伝えで運びお供えします。役割分担徹底。
新天皇はというと、、、
最初、上記図中、下。外陣にまずあって、西南の座に着座。
神饌が運ばれてきたら、中(図中の上)へ入り、御座につかれます。
「采女」の皆さんによって神座へ神饌がお供えされたら、いよいよ「親供・直会の儀」の始まり。
天皇みずから箸をとって神饌を葉盤( 檞の葉の皿)に盛つて奉る(御親供)。そして、今度は、三度拍手し、称唯して(オーと声を出して)三箸食する(御直会)
これが、核心である「親供・直会の儀」。つまり、神饌を神に奉る・いただく( 薦・享)が対になった儀式。
非常に丁重丁寧な作法がある訳で。この直会は皇祖の霊徳を直会を通して自身の身に受けるためのものとされてます。まさに天照大神と繋がる瞬間です。
御直会が終わると、、、
神饌を撤却し、再び御手水し、行立退下。天皇はこのあと、廻立殿に還御する流れ。
これで「悠紀殿の儀」が終了。新天皇は、このあと、続けて「主基殿の儀」に臨み、同じ内容を行います。
非常に奥ゆかしい内容。まさに秘儀中の秘儀。ご先祖様との繋がりを大切にする日本の心を体現されてる訳ですね。
ということで、以上が大嘗祭の中核である「大嘗宮の儀」の内容でした。次は最後、この儀式にお供えされる特別な稲を育てる田んぼ(斎田)を決める儀式についても補足。
「悠紀国」と「主基国」を定める「斎田点定の儀」の概要
ココからはおまけ部分。
「悠紀田」と「主基田」を定める「斎田点定の儀」の概要について簡単にご紹介。
要は、
最終ゴールは、
「悠紀殿」「主基殿」で行われる「親供・直会の儀」で。
ここで、神(天照大神)にお供えする神饌が用意される。
その中で一番重要なのが、お米。
繰り返しになりますが、
天孫降臨に際し、天照大神から直々にいただいた神聖な稲「斎庭の穂(聖なる田んぼで育った稲穂)」であり、それが地上にもたらされ人民が活かされるようになった経緯なんで、
神(天照大神)との共食のメインは、やっぱりお米なんです。
さらに、
神饌としてお供えするお米でもある訳なので、特別な田んぼで育てないと、、ということで登場するのが「斎田」。
その斎田の名が「悠紀田」「主基田」、
その斎田のある地方が「悠紀国」「主基国」
と、
全て、大嘗祭の「悠紀殿」「主基殿」と連動した名称になってます。
で、
この「悠紀国」「主基国」を決めるために行われるのが「斎田点定の儀」という次第。
具体的には、
「波波迦の木」と「亀甲」を使った「亀卜」という占いによって、
「悠紀」「主基」という2つの場所(地方)を決めます。
この特別な占いも、神代に起源あり。
天石屋神話に由来する占い方法で。神が行っていた占い方法をもとに、現代の世でも占って決めるという、、、マジか事態であります。
こちらは豆知識として是非チェック。
まとめ
「悠紀殿」「主基殿」
大嘗祭の中心的神殿。二つあわせて「大嘗宮」と呼ばれます。
大嘗祭では、
「悠紀殿」「主基殿」それぞれで、大嘗祭における中核的儀式「悠紀殿供饌の儀」「主基殿供饌の儀」が斎行されます。
いわば、大嘗祭のメインとなる舞台、それが「悠紀殿」「主基殿」であります。
もともとは「斎忌」と「次」。
つまり、
メインとサブ
これは、稲の豊作・不作をヘッジする仕組みだったんです。それが、後代に「悠紀」「主基」の名前になった経緯あり。
そんな歴史と合わせて、是非チェックされてください。
参考文献
訓讀註釋儀式践祚大嘗祭儀(皇學館大学神道研究所編、思文閣出版)、日本古代即位儀礼史の研究(加茂正典、思文閣出版)、大嘗祭の研究(皇學館大学神道研究所編、皇學館大学出版部)、大禮と朝儀 付有職故実に関する講話(出雲路通次郎、臨川書店)、日本の祭祀(祭祀学会編、星野輝興先生遺著刊行会)、平安朝儀式書成立史の研究(所功、国書刊行会)、復刻版 卽位禮と大嘗祭(三浦周行、神社新報社)、律令制祭祀論考(菊地康明編、塙書房)、古代祭祀の史的研究(岡田精司、塙書房)、古代伝承と宮廷祭祀(松前健、塙書房)、続大嘗祭の研究(皇學館大学神道研究所編、皇學館大学出版部)、古事記研究(大嘗祭の構造)(西郷信綱、未来社)、記紀神話と王権の祭り(水林彪、岩波書店)
佛教大学名誉教授 日本神話協会理事長 榎本福寿
埼玉県生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程国語学国文学(S53)。佛教大学助教授(S58)。中華人民共和国西安外国語学院(現西安外国語大学)文教専家(H1)。佛教大学教授(H6)。中華人民共和国北京大学高級訪問学者(H13)。東京大学大学院総合文化研究科私学研修員(H21)。主な書籍に『古代神話の文献学 神代を中心とした記紀の成りたち及び相関を読む』がある。『日本書紀』『古事記』を中心に上代文学における文献学的研究成果多数。
コチラも是非!御代替わり関連の記事
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