五十猛神とは?木種を播き植えことごとく青山に成した神。日本神話をもとに五十猛神を分かりやすく解説します。
〔一書4〕
ある書はこうつたえている。素戔鳴尊の所業が暴虐極まりなかった。それゆえ、諸神は千座置戸(罪過を贖う莫大な賠償品)を素戔鳴尊に科して、遂に天上から追放した(第七段 [本伝]の抄録)。
この時、素戔鳴尊は子の五十猛神をひき連れて新羅国に降り到って、その曽尸茂梨という所に居住した。そこで声高に言葉を発して「この地は、私は居たいとは思わない。」と言い、遂に埴土で舟を作り、これに乗って海を東に渡り、出雲国の簸の川の上に所在する鳥上の峯に到った。まさにこの時、そこには人を呑み込む大蛇がいた。素戔鳴尊はそこで、天蠅斫之剣でその大蛇を斬った。その際、蛇の尾を斬ったところで、刃が欠けた。すぐに裂いてよく見ると、尾の中に一振りの神剣があった。素戔鳴尊は「これは、私が自分一人だけで使用してはならないものだ。」と言い、そこで、五世の孫に当たる天之葺根神を遣わして天に献上した。これが、今にいう草薙剣である。
当初、五十猛神が素戔鳴尊に伴って天降った時に、多く木の種を持って下った。しかし韓地(新羅)にはそれを一切植えることなく、全て東渡の際に持ち帰り、遂に筑紫から始め大八洲国の国内すべてのところに播き植え、ことごとく青山に成した。このはたらき、功績により、五十猛命を有功之神と称するのである。すなわち紀伊國に鎮座する大神(和歌山市伊太祈曾の伊太祁曾神社)がこれである。
〔一書5〕
ある書はこうつたえている。素戔鳴尊が「韓の郷(地方)に所在する嶋には金銀がある。もし私の児(第八段[本伝]に「生児大己貴神」と伝える)の支配する国に浮く宝(船)がなければ、それは良くない(金銀のある嶋に渡れない)と言い、そこで鬚・髯を抜いて播いた。すると、それがたちまち杉に成った。また胸の毛を抜いて播くと、これが檜に成った。尻の毛は柀に成り、眉の毛が櫲樟に成った。そうして、あとでその用途を定めた。そこで「杉および櫲樟は、二つの樹とも浮く宝(船)にすべきだ。檜は、瑞宮(宮殿)の用材とすべきだ。柀は、顕見蒼生(現にこの世に生きる民草。人民)の奧津棄戸(墓所)に臥す具(棺)とすべきだ。さて食用にすべき八十木種(数多くの果実の種)は、どれも播いて生かすことができた。」と称えた。
この時、素戔鳴尊の子(児とは違う)は名を五十猛命と言い、その妹は大屋津姫命であり、次が枛津姫命である。みなこの三柱の神も、木の種を広く播いた。そこで紀伊国に渡し奉ったのである。そうした後、素戔鳴尊は熊成峰に居住し、遂に根国に入ったのである。「棄戸」は、ここでは「須多杯」と云う。「柀」は、ここでは「磨紀」という。
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