廃校、、、宇賀志小学校。神話を巡る旅の途中に縮む地域社会の現実を見た件

神武東征神話にちなむスポットを巡る旅の途中。

地方が持ついろいろな現実も目の当たりにする訳です。

今回は、こちらの投稿↓でご紹介した顕彰碑への道中で見つけた廃校小学校。。。

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場所は、奈良県菟田野宇賀志。

ちょっと入らせていただきまして、いろいろ感じたところをご報告。

 

廃校、、、宇賀志小学校。神話を巡る旅の途中に縮む地域社会の現実を見た件

菟田野 宇賀志 (8)

▲菟田野町立 宇賀志小学校

 

菟田野 宇賀志 (3)

▲閉校記念タイムカプセル。ちょうど、2016年1月9日までとあったので、今年1月にみんなで開けにきたのでしょうか。2005年11月に閉校。。。

どうやら、市町村合併が関係しているようです。

2006年1月1日 に、兎田野町は大宇陀町・榛原町・室生村と合併して宇陀市に統合されました。同日、菟田野町も廃止。これにあわせて、合併後の2006年4月に宇太小学校、宇賀志小学校、下芳野小学校を統合し宇陀市立菟田野小学校が開校したようです。その結果廃校になったという事かと。

 

菟田野 宇賀志 (7)

▲校庭。使われなくなって、草が生えてます。。。昔は子供たちが走り回っていたはずで。

 

菟田野 宇賀志 (4)

▲ありましたよね。って、今でもあるか。二宮金次郎(尊徳)。懐かしい。。。

 

菟田野 宇賀志 (5)

▲子供たちがいなくなってからも、ずっと勉強中です。

 

菟田野 宇賀志 (9)

▲窓から教室をのぞく。椅子の数が2つとか、、、最後は本当に1クラス数人だったと思われます。

 

 

菟田野 宇賀志 (11)

▲校庭すみっこにぽつんと置いてある椅子。

 

菟田野 宇賀志 (12) 菟田野 宇賀志 (13)

▲子どもがたくさんいるころ、きっとここに座って、、、

 

校舎の教室数を外から数えてみると、ざっと20近くある訳です。小学校6学年なので、最盛期には1学年2クラスくらいあったのではないでしょうか。写真右奥の建物が多分もともとあった校舎。そこに、左側の白い鉄筋校舎が追加されたのだと思います。

2005年に閉校、つまり、2000年ごろから既に地域社会が縮小していたということですよね。それは子供の数に端的に現れるわけで。。。

このへん一帯は、地域存続の瀬戸際なのかなと。。。そういえば、人の気配が感じられない里でした。。。

人がいなくなる→その地域にあった伝統や風習がなくなる→次の世代への伝承ができなくなる、サイクルであり、なんとも言えない気持ちというか、危機感を覚えます。神話の力を使ってなんとかできないか?そんなことを考えさせられました。

穿邑顕彰碑 (18)

 

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こんにちは、さるたひこです!読んでいただきありがとうございます。「日本神話をこよなく愛するナビゲーター」として日本神話関連情報、題して「日本神話がおもしろい!」を発信していきます。どうぞよろしくお願いします。ちなみに、ネーミングは、天孫降臨の折、瓊瓊杵尊を道案内した国津神「猿田彦命」にあやからせていただいてます。ただ、神様の名前をそのまま使うのは畏れ多いので「さるたびこ」の「び」を「ひ」に変えております。