本エントリ、詳細はコチラをご確認いただくとして。
実は、後日談がありまして、、、
私さるたひこ、本気で山で迷ったんすよ。
生駒山で。
まだ、そのショックから立ち直れない自分がいますが、、、
まさか、生駒山でガチ迷いするとは思わなかった。。。
多分、「山の上にある!」という思い込みだけで突っ込んでいってしまったのが原因。
みなさん是非ご注意を。自戒と注意喚起含め、その一部始終をご報告です。
迷った一部始終
まず、生駒山で迷った経緯を図示するとこんな感じ。
迷いまくった経路はこんな感じ。
山道をひたすらまっすぐ登っちまった訳ですよ。
①登山道入口
もう、この時点でテンション上がりまくってるわけです。
おいマジか!ホントに顕彰碑って書いてあるよ!スゲーよ!的な。
で、どんどんいく訳です。
絶対見つけてやるからな!どこだどこだ!的な。
最初のターニングポイントは②の標識。
私、見事にスル―。見た記憶はあるのに、矢印は左へ向いていたのに。
スル―。
山の上だ!とにかく登れ!見つけてやるぜ!的な。
で、
登り続ける訳です。
登る登る。
どんどん登る。
?
なんだこれ?
秘境???
このあたりで、なんかおかしいザワザワした感じが芽生えてきた訳です。
でも、もっとだ!山の上だ!的な。それしか見えてない。
で、
③の標識。
おかしい訳ですよ。
イノラムキ古墳?なんだそれ?
それにしても、顕彰碑の標識が無くなってるぞ??
ま、いつもの山道でありがちな、途中で標識無くなるパターンね。と勝手に自己解釈。
さらにどんどん登った訳ですよ。
この辺りからもう、おかしいおかしいのオンパレード。おかしい祭りですよ。
他の資料では標高280mって書いてあったような、、、
携帯で標高を確認してみると、380m???
おかしくね?
自分、標高が高すぎ?
てか、もう道あれへんやん。。。
実は、私さるたひこ、今回の探索に母と一緒に行った訳ですよ。70近い母を。
で、母もまた、私に引っ張られてありえへん所まで連れてこられてしまったわけです。
ため息。
「ここ、違うんじゃない?」
という母の疲れた声。さらに
「さっき下の方で顕彰碑の標識があったけど・・・」
orz
まじか、、、も、申じ訳ござびばぜん。。。
引き返します。私が悪かったです。勝手にガンガン来てしまって、、、涙
ということで引き返したわけです。
で、③までもどって、さらに途中のなんだか怪しい脇道へ入ったわけですよ。
だって、山道に人工的に階段が作られてたから、、、
もしかするとこっちかなって。。。
で、登って行ったら、、、
あら、素敵な所。
見晴らし最高だねー
なんて。
違うでしょ。顕彰碑でしょ!
次いこ、次。
ここでもないのか、、、じゃどこだ?
どこなんだー!!!???
ということで、戻ってきた②の標識。
よく見ると、、、
あー!
書いてあるし。コッチって。
orz
残念にも程がある。
ため息。。。
で、ようやく向かった先に、
ありました!
神様仏様顕彰碑様、、、
誠に、誠に申し訳ございませんでした。
特に、母。
ごめんなさい。。。
帰り道、、、
でも気づきがいっぱいありましたよ。
ホントに大事なのはこっち。
まず、こちらのエントリで、孔舎衛坂敗戦の理由を説明しました。
敗戦の理由、一言で言うと「情報不足と驕りにあった」と。
「情報不足」の件は、それはそれでいいとして、「驕りがあった」件について。
私、違うと思ったんですよ。
驕りじゃない。
驕りではなく、ホントに見えてなかったんだと思う訳です。
世界の中心地、中洲はこの生駒山の向こう。すぐそこまでのところまできた。
宮崎を出発して3年以上の月日を経て、準備に準備を重ねてようやっとここまできた。
もうすぐそこだ、と。
さあ、登れ。この山の向こうが約束の地だ、と。
そんなとき、陥りがちなのが「他のものが見えなくなること」。
より正確に言うと、「見えてる、見てるつもりが、実は見えてなかった」という事。
みなさん経験ないですか?
もう少しで達成できそうなとき、もう少しで今まで積み重ねてきたことが花開こうとしているとき、あと少しで、、、という瞬間。
集中しすぎて?
想い入れが強くなりすぎて?
もしかすると、もう少しで達成するという見込みが、ほんの少し、気の緩みを生んでしまった?
そんな感覚、経験。
きっと神武も同じ状態だったんじゃないかと思ったのです。
だからこそ、思いがけず現れた敵、長髄彦軍を前に敗戦を喫してしまった。
敵が見えていなかったんだと思います。
敵ではなく、山の向こうの建国のビジョンを見ていたという事。
そりゃ負けますよ。
きっと大混乱に陥ったんだと思います。
だからこそ、五瀬命(いつせのみこと)が矢傷を負ってしまう。
五瀬命は東征軍本陣に近くのところにいたはずです。
だって、大将級だから。
その大将級の将軍が矢傷を負うということは、相当近くまで攻め込まれていたという事も解釈可能なはず。
ということはやはり、大混乱。
ま、神武の流石なところは、そんな中でも「神策」を巡らせて、即撤退を決断した所でもありますが。
いずれにしても、そんな状況の中、
- 自分が見えていると思っていたものが見えていなかった
- その結果、長兄が負傷し、戦士たちがバタバタとやられていくありさま
を目の当たりにして、神武は心中穏やかではなかったはずです。
もしかすると、自責の念に駆られていたかもしれない。
自分のせいで、自分が見えていなかったせいで。。。的な。
だからこそ、撤退した後、草香津に到って雄叫びをあげたのではないかと。
一般的には、戦士たちを鼓舞するためと解釈されていますが、実は、その雄叫びには、自責の念を込めた深い悲しみを含んだ雄叫びだったのではないかと思った訳です。
そう考えると、神武東征神話の中でも、このシーンは神武が初めて感情を揺さぶられ、その想いのたけをぶちまけた「(極めて)人間的な神武を表現した」という形で解釈もできるはずです。
ぐっと、神武が身近に感じられませんか?
神話なのに、決して万能ではない。万能ではないけれど、決断は早く行動力がある神武。そして人間的。
そんなことを感じさせてもらった「生駒山ガチ迷い」でした。
まとめ
孔舎衛坂激戦地を探してたらガチ迷った件
山登りは気を付けよう。特に標識は必ずチェックするようにしよう。そのためにも、下を向いて登るのではなく、上を向いて登るようにしよう。万が一のときの水・食糧の携帯も忘れずに。
孔舎衛坂激戦・敗戦の理由は「情報不足」に加え、「見えてると思ってたものが見えてなかった」から。自分の責任で兄が負傷し臣下たちが死んでいく姿はきっと厳しいものだったはず。その自責の念から雄叫びへ繋がると解釈すれば、人間味あふれる神武の姿が見えてきます。
みなさんの解釈はどうでしょうか?是非教えてください。ご意見・コメントお待ちしております。
今から2680年以上前の出来事なので、当時 今生えてる木は無く全く違うロケーションだったと思いますよ?