どこまでもアツく奥ゆかしい日本建国神話である「神武東征神話」。でも、「それってホントにあったの?」「ウソでしょ!?」「実際どこよ?」的な興味と疑問にお答えするシリーズ。
なんと、嬉しいことに西日本を中心に「多分ココ的なところ」を集めたスポットがあるのです!
それが、顕彰碑とか伝承碑の皆さんm9( ゚Д゚) ドーン!
日本建国神話の舞台ですから、超パワースポットであります。その地その地が選ばれたのは理由があるからで、それらの謎とかを神話ロマンと合わせて探っていこうという、これまた激しく奥ゆかしい取組みが本シリーズであります!
今回は、「神武天皇御腰掛岩」。神武天皇が東征の際に、埃宮に居住された際、きっと腰かけなさったであろう岩のこと。
広島県安芸郡府中町の府中中学校近くにあります。
まじりっけなしの民間伝承。私、さるたひこも腰掛けたくなって行ってみた件、ご報告です。
神武天皇御腰掛岩|松崎八幡宮跡にある腰掛岩は、座ろうと思っても柵に囲われていて腰掛けられなかった件
目次
神武天皇御腰掛岩の場所
広島県安芸郡府中町の府中中学校近く。
私、さるたひこは、神武東征神話を追いかけてきました。そして、とうとう広島まで来ましたが( ゚Д゚)ナニカ?
基本は文献に基づく伝承地を辿るのですが、その道すがら、民間伝承とも言うべきスポットがあるものです。今回の「御腰掛岩」もその一つ。なんと、かの神武天皇が腰掛けられたというあまりにも尊い腰掛け岩。
尚、多家神社、埃宮顕彰碑を訪れた際には、是非ともお立ち寄りいただきたいスポットであります。
問題の腰掛岩、まずは府中中学校を目指しましょう。その近くに、松崎八幡宮跡地があります。岩はその敷地内!
▲坂道のみちすがら。この左側の森です。
▲こちらが松崎八幡宮跡地の看板。
▲めっちゃ急な階段!!!この上に松崎八幡宮跡が!いや、腰掛岩が!
神武天皇御腰掛岩の場所
階段を上がると、ちょっとした広場になっております。
▲広場、、、がらーんとして、特に何もない感じが「切なさ」を否が応でもアゲてくれます。
この広場の奥、、、
おーーーーーーーーーーーーーーーー!!!
腰掛岩!
こ、ここに御腰を、、、
腰掛けたい・・・
って、
柵に囲われて無理でした。。。涙
以上!
ちなみに、こちらが八幡宮跡地。
京都石清水八幡宮の別宮として平安末~鎌倉初めの創建と伝えられていました。当時は、玉勝院・神前坊・神力院・法寿坊・行專坊の五つの末寺を抱える神仏混合の神社だったそうです。江戸時代には府中村南部の氏神として境内の「たけい社」をめぐって北部氏神の総社との争いが絶えませんでした。多家神社の本家本元を争う言ったもん勝ちの争いです。ですが、明治7年(1874)多家神社に合祀されました。
以上!
まとめ
神武天皇御腰掛岩
神武天皇が東征の際に、埃宮に居住された際、きっと腰かけなさったであろう岩のこと。
広島県安芸郡府中町の府中中学校近くにあります。
まじりっけなしの民間伝承。
腰掛岩もさることながら、江戸時代に多家神社を争った当事者である松崎八幡宮はココにあったのか!という方が注目度は高いかもしれません。
いずれにしても、多家神社、埃宮顕彰碑を訪れた際には是非ともお立ち寄りいただきたいスポットであります。
神武天皇御腰掛岩
[map addr=”広島県安芸郡府中町宮の町5丁目3-1″]駐車場なし
トイレなし
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