神武東征神話をもとに「東征ルート」を辿り、書紀文献とあわせて検証するシリーズ
目次
シリーズでお伝えしている神武東征神話。
本企画は、神話からリアルへ、物語をもとに各地の伝承地を巡って「実際のところどうなのよ?」的なところを検証する、極めて奥ゆかしくマニアックな内容であります。
今回は、和歌山「男水門」。
ここは、神武こと「彦火火出見」の長兄「五瀬命」が雄叫びをあげ、(古事記的には)亡くなった地。書紀的には、同じ和歌山市内にある竈山で亡くなります。
私、さるたひこが訪れた日はちょうど雨。まるであの頃と同じような、悲しみに満ちた冷たい雨が降っていました。
なんて。
でも、しとしと降る雨に濡れながら神話ロマンを全身で感じることができましたよ!
今回は、そんな「神武東征神話的雄叫びスポット」をご紹介です。
神武天皇聖蹟男水門顕彰碑|神武の長兄「五瀬命」が傷の痛みと悔しさのあまり雄叫びをあげた地で、あの頃と同じように雨に濡れてみた件
神武天皇聖蹟男水門顕彰碑が建つ場所
顕彰碑が建つ場所は、和歌山県和歌山市にある水門吹上神社境内。
「神武天皇 聖蹟 顕彰碑」のマニアックな詳細はコチラ↓でご確認いただくとして、
神社は南海電鉄和歌山市駅より徒歩8分ほど。すぐ近くに紀の川が流れてます。
▲参拝した日はちょうど雨。この地の持つ悲しみとか痛みとかとマッチして極めてイイ感じでした。
▲こちらが水門吹上神社。もともと2社だったものを合祀して1つの社殿内でお祭りをしています。
詳しくはこちらで。
こちらの社殿の反対側に例の石碑が建っとります。
それがコレだ!!!
おおおおおおおおおおおおお!!!
って、石碑欠けてないないかい??
コレは、先の大戦の被害を受けたからとの事。流石でございます。。。
裏側見てみましょ。
神武天皇血沼海ヨリ廻リテ紀國ノ男水門二至リ給ヘリ時ニ皇兄五瀬命賤奴ガ手ヲ負ヒテヤ死ナント宣ヒ男建シテ薨ジ給ヒシニ因リ男水門ノ名ヲ得タリ聖蹟ハ此ノ地附近ナリト傳ヘラル
コレ、古事記記載の内容。日本書紀はちょっと違ってます。ま、このへんは追々当サイトでもご紹介していきます。
男水門にまつわる神話的背景
この地は、一言で言うと、彦火火出見の長兄が雄叫びをした地。そして古事記的には亡くなった地。
なぜ雄叫びしたのか?
それは、この前の段、大阪の孔舎衛坂の激戦で受けた傷が甚だしく悪化したから。そして自分の死を悟ったから。
雄叫びをあげ、敵に復讐もできずに死ぬ無念を口にしたという訳。
神武東征神話におけるこの地の位置づけはこちらで!
痛すぎたんでしょう。。。
雄叫びをあげるくらいなので。
その悔しさたるや、、、筆舌に尽くしがたく。。。
このあと、書紀的には同じ和歌山市は竈山に到ったところでついに薨じられ、そのまま葬られます。
竈山についてはコチラ。
ここでの「長兄の死」は、単に「お兄さんが傷を受けて死んでしまった」だけではありません。このときの神武の無念は深く、以後、東征の目的に「かたき討ち」が追加されることになるということで、和歌山の地はその意味で非常に重要な位置づけになっているのです。
と、
まあ、敗戦直後の挫折感とか傷の痛みとか悔しさとか、そして(古事記的には)死とか。結構ネガティブな感情に満ちた地だという事ですね。コレ神話ロマン。この地で全身で感じていただければと思います。
と、いうことで参りましょう。
恒例の。。。
勝手に認定結果
委員会の皆様には大変恐縮ではございますが、
こちら、
と、させていただきます。
御査収の程何卒よろしくお願い申しあげます。
まとめ
神武天皇聖蹟男水門顕彰碑
ここは、神武こと「彦火火出見」の長兄「五瀬命」が雄叫びをあげ(古事記的には)亡くなった地。
訪れた日はちょうど雨で、まるであの頃と同じような、悲しみに満ちた冷たい雨が降っていました。敗戦直後の挫折感とか傷の痛みとか悔しさとか、そして(古事記的には)死とか。結構ネガティブな感情に満ちた地なので、そんなところも踏まえて訪れてみると良いと思います。
神武天皇聖蹟男水門顕彰碑
住所 | 和歌山市小野町2-1 [map addr=”和歌山市小野町2-1″] 南海電鉄和歌山市駅より徒歩8分、水門吹上神社境内。 |
営業時間 | 無し |
駐車場 | 無し |
トイレ | 無し |
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