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「橿原神宮」は奈良県橿原市にある神宮。
ココ、初代天皇の「神武天皇」が即位した「日本のはじまりの地」として、是非チェックしておきたいスポット。
畝傍山を背後にもつ広大な敷地と荘厳な建物は、すこーんと突き抜ける解放感と荘厳さがあって、まさに「日本がはじまった場所がもつパワー」を感じられます。
参拝には早朝が激しくおススメ。
荘厳な雰囲気に神聖さが追加されて、とても奥ゆかしい空間が広がっています。
今回は、日本神話的背景を含めて橿原神宮の魅力をまとめてご紹介します。

橿原神宮|初代神武天皇が即位した「日本建国」の地!おごそかな空気漂うパワースポットで東征神話に思いを馳せる至福を是非。
橿原神宮の概要
橿原神宮の概要はコチラ。
社名 | 橿原神宮(旧:橿原宮) |
住所 | 奈良県橿原市久米町934 |
創建年 | 皇紀元年(辛酉の年の春、正月1日) 社殿造営は、明治23年4月2日 |
御祭神 | 初代天皇の「神武天皇」、皇后の「五十鈴媛命」 |
社殿 | 本殿・内拝殿・外拝殿、神楽殿、土間殿、勅使館・斎館、祈祷殿、貴賓館、橿原神宮会館、神武天皇陵、畝傍山、長山稲荷社、深田池、遊苑、等 |
祭典 | 1月:新春初神楽祈祷(1日~7日) 2月:紀元祭(11日) 4月:神武天皇祭(3日) 6月:御田植祭(上旬)、夏越大祓(30日) 9月:献燈祭(9日) 10月:秋季大祭(3日)、菊花展(中旬~11月23日) 11月:新嘗祭(23日) 12月:歳末大祓(31日) |
見どころ |
|
アクセス | 近鉄「橿原神宮前駅」から徒歩10分ほど |
開門時間 | 日の出から日没の間。季節によって時間変動 |
駐車場 | あり。有料。普通車1日500円。約800台 |
電話番号 | 0744-22-3271 |
HP等 | http://www.kashiharajingu.or.jp/ |
地図
特にポイントは、
日本建国の地としての歴史、荘厳さ、スケール感
これは当社ならではの鉄板コンテンツ。とにかく境内が広い!デカい!荘厳!
その背景には、神武東征神話がある訳で。壮大でアツい日本の建国神話。後半でたっぷりご紹介!
ということで、まずは橿原神宮の現場をご紹介!
橿原神宮の場所
奈良県橿原市。
最寄りの駅は、近鉄「橿原神宮前」駅。京都から直通特急で1時間以内。大阪からも大和八木乗り換えで1時間ちょっと!
なんてアクセスが良いんだ!意外に近い橿原神宮です。
駅の中央改札口を出て、徒歩10分くらい。駅からまっすぐ一本道なので迷うことはありませぬ。

お車利用の場合はそのまま現地へ。鳥居右手に駐車場がありますので利用されてください。
橿原神宮の創建経緯
社伝曰はく、
神武天皇は天孫降臨の地「日向」を発して大和に入られ国内を統一して畝傍山の東南橿原の地に皇居を営み即位の礼をとりおこない日本建国の基礎を築かれた。明治の時代になり、橿原の宮跡に橿原神宮創建の請願が民間有志から起り、明治天皇はこれをご嘉納になり明治23年4月2日ご鎮座になった。 (神社説明文より)
とのことで、
ポイント2つ。
- 当神宮の理解には、「神武東征神話」が必須。東征神話とは「日本建国神話」です。
- 明治に入るまでは「宮跡」だったのが、政府の国家神道政策もあって大いに盛り上がり、「神宮」として立派な社殿を持つようになった。明治23年(1980年)のこと。
東征神話については後ほど解説。
橿原神宮の境内
橿原神宮の境内は、神苑と呼ばれ、50万平方メートルもの広大さ。
神苑(神宮境内)

境内地は50万平方メートルからなり、表参道北側の森林植物園その他緑苑は紀元2600年当時全国から奉献された樹木約8万本が植栽され延べ120万人の勤労奉仕隊によって造成された。 (橿原神宮説明文より)
との事で、
特に、「紀元2600年」の箇所がポイント。昭和15年「神武天皇即位2600年記念」であります。
参考:神武天皇聖蹟調査(昭和15年)による「聖蹟顕彰碑」まとめ(マニア限定)
国を挙げて盛大にお祝いされた空気の中で、全国から動員された120万人もの「勤労奉仕隊」によって造成された経緯。要チェック。
確かに、めっちゃ広大な敷地が広がっていて。
背後にある畝傍山とあわせて、空間のつくりに迷いが無く、突き抜けてる感じ。日本建国のスケール感と非常にマッチ。
参拝にあたっては「神武東征神話」をチェックです。日本の建国神話すね。後ほど解説。
第一鳥居から南神門

▲参拝には早朝が激しくおススメ。荘厳な雰囲気に神聖さが追加されて、とても奥ゆかしい空間が広がっています。

▲第一鳥居の先、第二鳥居までのビュー。美しい表参道が続きます。早朝ゆえのカラスさんがいらっしゃいますが難なくスルー。
神橋の先に第二鳥居。神橋を渡った先は御神域です。


▲カッコいいー!つき抜ける感じがステキですね!堂々たる第二鳥居であります。

▲こちら手水舎。手口を清めてから進みます。この反対側に南神門があり、その奥が本殿です。

▲コチラ「南神門」。中心部分への入口。この先、広大な神域の奥に「外拝殿」が見えます。

▲南神門をくぐったさき。広大な空間が。 それにしても朝の空気は気持ち良いです。建国の地が持つパワーなのでしょうか、とても神聖さを感じます。
外拝殿

外拝殿は、両脇に長い廻廊を連ねた「入母屋造り」の構造。昭和14年完成。当時の神社建築の粋を集めた社殿で、たしかに、美しい線形を描いてます。
創建に際し、明治天皇の思召により本殿として京都御所の神嘉殿の献進があり現在本殿は重要文化財となっている。昭和15年紀元2600年記念事業として宮城整備拡張事業が行われ 幣殿 内拝殿 外拝殿 廻廊その他附属建物が新たに造営され現在に至った。(神社説明文より)
本殿は京都の「御所」からはるばる移築されたという事。そして、現在のような整備された数々の社殿を持つようになったのは、やはり昭和15年の「紀元2600年」が関係。ココ要チェック。
▲外拝殿の回廊。とてもキレイな廻廊です。内拝殿へ向かう左右にこうした回廊が続いてます。
内拝殿の先に「幣殿」があってその先に「本殿」が。神武様はかなり遠いところにいらっしゃいます。。。京都御所から移築した「本殿」は見れません。。。
外拝殿から内拝殿を見るとこんな感じ☟。入れるのは外拝殿まで。
内拝殿とご祭神・ご利益

ご祭神
- 初代天皇の「神武天皇」
- 皇后の「五十鈴媛命」
夫婦で祭られてるという事ですね。
※但し、ここでお祭りされている「皇后の五十鈴媛命」は神武天皇の後妻。日本神話的に最初の奥さんは九州出身の「吾平津媛」であります。
詳しい経緯はコチラで!→「正妃蹈韛五十鈴媛命|現妻さしおき新たに正妃をお迎えす。いや、コレには深~い理由(ワケ)があって、、、の件|分かる!神武東征神話 No.22」
ご利益:開運厄除、出世開運、勝運祈願
建国神話である「東征神話」が根拠。開運・勝負系の超絶パワーをゲットしましょう。
その他の社殿もご紹介。
神楽殿と土間殿

▲こちらが神楽殿。平成8年に再建。現在は祈祷とか結婚式用に使われてます。
もとは、明治23年に京都御所から移築された「神嘉殿」。移築当初はこちらが拝殿だったらしく、昭和6年に現在の位置に移されたとの事。気品漂う感じが良いですね。

▲コチラが土間殿。紀元祭などのときには、こちらで舞などが奉納されます。
と、いうことで、
橿原神宮のハード面をご紹介してきましたが、重要なのはソフト。つまり、神武東征神話の理解です。ココ、当サイトとして激しく推させていただきます。
橿原神宮ご参拝に必須!神武東征神話をチェック
東征神話の概要
東征の物語自体は、『日本書紀』巻三「神武紀」、『古事記』中巻にそれぞれ記載されています。
のちの「神武天皇」である「彦火火出見」誕生の経緯から始まり、日向を出発して橿原で即位するまでを描く壮大な建国神話。日本最古の「神話英雄譚」であります。
ドラマチックな展開と、練りに練られたツボが満載。こんなオモシロい神話は、世界を見渡してもなかなかありません。マジで。
神武東征は良く分からないという話を聞きますが、そんなことはありません!
「旅立→試練→凱旋」という、世界の神話が共通して持つ「構造」があるので、この枠組みで読み解けばとても簡単。
詳しくはこちら↓をご確認いただくとして、
ここではかいつまんでご説明。要は、
主人公 | 彦火火出見(のちの神武天皇) |
目指したもの | 葦原中國の中心地=中洲(大和平野)→最終的に橿原が選ばれます |
何故目指したか? | 大業をひらき広め、天下を統治するため |
どこから出発したか? | 日向(宮崎) 西から東を目指したので「東征」 |
どのような経路? | 日向 →筑紫 →広島 →岡山 →東大阪 →和歌山 →紀伊半島をぐるっと一周 →新宮 →吉野 →宇陀 →橿原 |
所要年月 | 約6年 |
と、こんな感じです。
特に、目的・目標の部分をご理解いただければ十分。
あしかけ6年以上の歳月を経て、様々な苦難を克服し日本という国を建国した、というお話。
旅立ちから岡山までは順風満帆。支援者の登場、入念な準備。「建国」という夢と野心にあふれていました。ところが、大和の地に入り「長随彦」という最大の敵に蹴散らされて以降、苦難の連続。兄の全てを失い、道に迷い、気力喪失昏倒し、、、しかしあきらめずに、勝利する方法を思考し、臣下の協力と天照大神の助力を得ながら進軍。最終的に、一度戦って敗れた最大のライバルを撃破します。
その上で、橿原の地に宮殿を建設し初代「天皇」として即位する訳です。
まさに「旅立→試練→凱旋」の構造でドラマ性たっぷり。
参拝されるときは、是非チェックしておいてください⇒「神武東征を丸ごと解説!ルートと地図でたどる日本最古の英雄譚。シリーズ形式で分かりやすくまとめ!」
さて、
それにしても、なんでこの場所が選ばれたんでしょうか?
それはそれで気になります。
橿原の地が選ばれた理由
『日本書紀』の神武紀によると、
出発地である日向にて、東征発議にあたって「中州」の地を説明しているシーンがあります。
「其の土地は必ず大業を恢弘し、天下に光宅 するに足るはずだ。きっとそこが六合の中心 ではなかろうか。」
「彼地必當足以恢弘大業・光宅天下、蓋六合之中心乎。」 『日本書紀』神武紀より
※「六合」とは、東西南北+天地の6つの領域を指し「世界全体」と言う意味。
もう少し砕いて訳出すると
「そこはきっと、天皇の仕事(大業)を広げて大きくし、その「徳」が遠くまで届くのにふさわしい土地だろう。きっとここが世界の中心ではないだろうか。」
となります。
目指す「中州」は「天皇として天下を統治し、その徳を広めていく場所」として選ばれたという事。
背景には、
神武よりはるか昔、「天から天磐船に乗って(地上に)飛び降った者がいた」という設定あり。この「天から飛び降った者」とは「饒速日命」で、天孫降臨に先だって大和に降り立っていた天神です。
神武はこのことを「塩土老翁」から聞き、饒速日命が降り立った地こそ国の天下統一にふさわしい場所として位置づけたという事です。そして、そこは、青山に囲まれた天下統治にふさわしい地だと。それが「橿原」だったという訳です。
まとめると、
- 天皇として天下を統治し、その徳を広めていく場所であること。
- 天孫降臨に先だって天神「饒速日命」が降り立った地(大和)こそ国の天下統一にふさわしい場所であること。
- 青山に囲まれた天下統治にふさわしい地、安住の地であること。
以上の要件を満たす場所として、橿原が選ばれたという事。
橿原神宮には、東征神話の壮大な背景と、このような選ばれた理由があることを是非チェックされてください。
即位の「跡地」としてあった橿原が、明治の時代から神宮化し、京都御所から社殿の移築もし、昭和に入って周辺の附属施設を構え、、、ムキムキになって今日に至ります。
やや時代や政治や宗教の影響を受けすぎてる感じもしますが、それでも、ここが「日本のはじまりの地」である事は間違いない訳で。
この点において、橿原神宮は強烈なパワーを持つスポットと言えますし、訪れるべき場所なのだと思います。
逆に、こうした背景をもって参拝しないと、ただの「無駄にデカい神社」になってしまいますのでご注意を。汗
神武天皇の橿原即位から「時間の流れ」が刻まれていく
補足として、コチラもチェック。
日本最古の正史である『日本書紀』は、神武天皇が東征を開始した「甲寅」年を「紀年のはじめ」とし、ここから年月日を「干支」によって表示しています。
そして、即位年を「元年」として以下天皇の事蹟を伝える記述法が始まります。
つまり、 これ以前の「神代」から「歴史の時代」へ、神武天皇が日本の歴史を大きく転換したと言えるのです。
即位した元年正月1日(新暦2月11日)を「紀元節」と定め、今日でもこれを引き継いで「建国の日」としている訳で、日本建国並びに日本の歴史が始まった地としてもチェックされてください。
東征神話からの展開~聖蹟顕彰碑~
と、どこまでもアツく奥ゆかしい神武東征神話の概要をつかんでいただけたところで、きっと読者の皆さんは、「それってホントにあったの?」「実際どこよ?」的な興味と好奇心が湧いてこられたはず!
ご安心ください。それら、「多分ココ的なところ」を集めたスポットがあるのです。
それが、顕彰碑とか伝承碑の皆さん。
日本建国神話の舞台ですから、超パワースポットであります。その地その地が選ばれたのは理由があるからで、それらの謎とかを神話ロマンと合わせて探っていこう、という、これまた激しく奥ゆかしい取組み。
必読:神武天皇聖蹟調査(昭和15年)による「聖蹟顕彰碑」まとめ(マニア限定)
神武東征神話は旅や観光にもつながっていく壮大な可能性を持っているわけですね。神話を持って旅をし、現地の風景や人との出会い、そこから生まれる新たな神話解釈。こんなにドキドキする企画はございません!是非チェックされてください。

▲歩き回って、東征神話に想いを馳せすぎて疲れたらこちらをご利用くださいませ。
神武天皇陵
こちら、神武東征神話で伝える神武天皇を葬ったとされる場所です。
「(皇紀)76年(紀元前585年)春3月11日、神武天皇は橿原宮で崩御された。時に御年百二十七であった。翌年秋9月12日に、畝傍山東北陵に葬った(七十有六年春三月甲午朔甲辰、天皇崩于橿原宮、時年一百廿七歲。明年秋九月乙卯朔丙寅、葬畝傍山東北陵)」とあります。

▲神武天皇陵の入口は、外拝殿から右手へ、ずーっと歩いていき一度外に出て左手にあります。

▲主に杉の並木道を歩いていくと、、、見えてきました。初代天皇である神武天皇の陵墓であります。

ひろびろとした空間、すっきりと無駄のないシンプルな作りに美しさを感じます。

甲午朔の甲辰、神武天皇は橿原宮で崩御。『日本書紀』では、この時、御年127歳であったと伝えます。翌年秋に、畝傍山東北陵に葬りまつりました。神代から人代へ、大きな転換点に神武の功績があったといえるのではないでしょうか。
その他周辺施設
あとは、周辺施設をご紹介。 こちら、表参道から左へ。
深田池

散歩コースとして良いのではないでしょうか?春は桜もキレイだそうなので。
橿原神宮周辺のホテルに宿泊されるときは、是非早起きして朝の心地よい神聖な空気の何で散歩やジョグがよさそうです。

長山稲荷社

なんでも、古くから当地長山の御主神として祭られている神様だとか。厄除開運・五穀豊穣・商売繁盛の霊験あらたかな神社だそうです。
なんか、、、もともといた地主の神様だったのが橿原神宮パワーに押しやられた感??位置づけは「橿原神宮末社」なので、橿原グループの子会社といった位置づけでしょうか。不謹慎ですか。申し訳ございません。


ご祭神
- 宇迦能御魂神
- 豊宇気神
- 大宮能売神
ご利益
それぞれ厄除け、豊穣、繁盛の対応。
自分の鳥居を建ててほしい場合は、一基50万円でござる。2~3名の共同奉賛も可。名前が入ります。商売上手でございます。
ポスター

イイっすね!
2016年は神武天皇が亡くなってから2600年の節目の年でした。
毎年「春季大祭」として4月3日に「神武天皇祭」が行われ、命日のお祭りをしているのですが、いつも以上に大々的にお祭りを開催。
私さるたひこも見に行ってきました!
⇒「神武天皇二千六百年大祭|参拝レポ|神武崩御2600年目の節目にあたる奉祝大祭は紀元祭以上におごそかな雰囲気があった件」
ま、いろいろありますが、何が行われているのかを知るのはそれはそれで大切ですよね。
まとめ
橿原神宮
奈良県橿原市にある「橿原神宮」は「日本のはじまり」の地。御祭神である初代天皇の「神武天皇」とその「東征神話」は鉄板チェックです。
橿原神宮は、
天皇としての仕事を行ない、その徳を広めていくための最適な地として選ばれた経緯アリ。社殿としての発展は明治以降のお話。
畝傍山を背後にもつ広大な敷地は、まさに「日本がはじまった場所がもつパワー」を感じられる所です。背景や経緯を踏まえて参拝されると良いと思います。
そして、是非、神武東征神話をめぐる旅に出かけてみてください。超おススメであります!
おまけ。
冬の早朝のビュー。空気が澄んでいてとても気持ちよかったです。神職さんたちが朝のお掃除をされていて、毎日境内の砂利を金属熊手で綺麗にされてるのです。

▲こちら分かりますかね?砂利がギザギザになってるの。ステキ。足を踏むのがもったいない。。。でも、朝のお散歩コースとして超おススメです。
[map addr=”奈良県橿原市久米町934″]
社名 | 橿原神宮(旧:橿原宮) |
住所 | 奈良県橿原市久米町934 |
創建年 | 皇紀元年(辛酉の年の春、正月1日) 社殿造営は、明治23年4月2日 |
御祭神 | 初代天皇の「神武天皇」、皇后の「五十鈴媛命」 |
社殿 | 本殿・内拝殿・外拝殿、神楽殿、土間殿、勅使館・斎館、祈祷殿、貴賓館、橿原神宮会館、神武天皇陵、畝傍山、長山稲荷社、深田池、遊苑、等 |
祭典 | 1月:新春初神楽祈祷(1日~7日) 2月:紀元祭(11日) 4月:神武天皇祭(3日) 6月:御田植祭(上旬)、夏越大祓(30日) 9月:献燈祭(9日) 10月:秋季大祭(3日)、菊花展(中旬~11月23日) 11月:新嘗祭(23日) 12月:歳末大祓(31日) |
見どころ |
|
アクセス | 近鉄「橿原神宮前駅」から徒歩10分ほど |
開門時間 | 日の出から日没の間。季節によって時間変動 |
駐車場 | あり。有料。普通車1日500円。約800台 |
電話番号 | 0744-22-3271 |
HP等 | http://www.kashiharajingu.or.jp/ |
コチラもご参考に。
尚、
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