宗像三女神(田心姫、湍津姫、市杵嶋姫)とは?天照大神が誓約儀式で生んだ神。日本神話をもとに宗像三女神を分かりやすく解説します
目次
『日本書紀』で伝える宗像三女神
第六段 現代語訳
〔本伝〕
そこで、天照大神が素戔嗚尊の十握剣(握は拳一つの幅。大剣)を索め取り、これを三段に打ち折り、天の真名井(神聖な井)に濯いで、噛みに噛んで(○然咀嚼 ここでは「佐我弥爾加武」と云う)砕き、吹き棄てた息吹によってできた細かな霧に(吹棄気噴之狭霧 ここでは「浮枳于都屢伊浮歧能佐擬理」と云う)生まれた神が、名を田心姫と言う。次に湍津姫、次に市杵嶋姫。合わせて三女である。
〔一書1〕
ある書はこう伝えている。日神は、もともと素戔嗚尊に勇猛で物を突き抜けてその上に出るような意のあることを知っていた。その天に昇り至るに及んで、思うようは、「弟の来たわけは、決して善意ではあるまい。必ずやわたしの天の原を奪うに違いない。」と。そこで大夫の武の装備をととのえ、身には十握剣・九握剣・八握剣を帯び、背に靫を負い、また臂には稜威の髙鞆を著け、手に弓と箭をつかみ、みずから迎え防禦した。この時素戔嗚尊が日神に告げて「私はもともと悪い心(国を奪い取る反逆心)などありません。ただ姉とお会いしたいと思い、ただそれだけで少しの間来たに過ぎないのです。」と言った。そこで日神は、素戔嗚尊と共に向き合って誓を立て「もし爾の心が明浄で、国を力づくで奪い取る意志がないのならば、汝の生む児は、必ず男のはずだ。」と言い、そう言い終わると、先に身に帯びている十握剣を食べて児を生んだ。名を瀛津島姫と言う。また九握剣を食べて児を生んだ。名を湍津姫と言う。また八握剣を食べて児を生んだ。名を田心姫という。合わせて三女神である。
気息の中に神を化生した。名を田心姫命という。これが中ほどの沖あい(中津宮)に居る神である。また瓊の尾(尻に当たる部分)をかんで断ち切り、口ちから吹き出した気息の中に神を化生した。名を湍津姫命という。これが浜辺(辺津宮)に居る神である。合わせて三女神である。
〔一書3〕
ある書はこう伝えている。日神は素戔嗚尊と天安河を隔てて向き合い、そこで誓約を立て「汝にもし姧賊之心(国を奪い取る邪悪な心)がないのであれば、汝の生む子は必ず男である。もし男を生めば、私は子として天原を治めさせる。」と明言した。さてそこで、日神が先にその帯びている十握剣を食べて児の瀛津嶋姫命を化生した。亦の名を市杵嶋姫命という。また九握剣を食べて児の湍津姫命を化生した。また八握剣を食べて児の田霧姫命を化生した。
それゆえに、日神はまさに素戔嗚尊にもともと赤心(潔白な心)があったことを知った。そこでその六男を引き取って日神の子とし、天原を治めさせた。同時に、日神の生んだ三女神は、葦原中国の宇佐嶋に降して居らせた。今、海の北の道中に在って、名を道主貴と言う。これは、筑紫の水沼君等の祭る神がこれである。「熯」は、「干」である。ここでは「備」と云う。
『古事記』で伝える宗像三女神
二神の誓約
ゆえに、爾に各天の安河を中に置いて誓約をする時に、天照大御神、先ず建速須佐之男命の帯びている十拳剣を乞ひ度して、三段に打ち折って、珠が揺れて音がさやかに鳴るばかりに天の真名井に振り滌いで、噛みに噛んで、吹き棄てた気吹の狹霧に成った神の御名は、多紀理毘売命。亦の御名は奧津島比売命という。次に市寸島比売命。亦の御名は狹依毘売命という。次に多岐都比売命。
~中略~
是に天照大御神、速須佐之男命に「是の、後に生れた五柱の男子は、物實は我が物に因って成った。ゆえに、自ら吾が子である。先に生れた三柱の女子は、物實は汝が物に因って成った。ゆえに、乃ち汝の子である。」と仰って、このように詔してお別けなさった。
ゆえに、其の先に生まれた神、多紀理毘売命は、胸形の奧津宮に坐す。次に市寸島比売命は、胸形の中津宮に坐す。次に田寸津比売命は、胸形の辺津宮に坐す。此の三柱の神は、胸形君等が奉斎する三前の大神である。
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