多彩で豊かな日本神話の世界へようこそ!
日本最古の書『古事記』をもとに、
最新の文献学的学術成果も取り入れながら、どこよりも分かりやすい解説をお届けします。
今回は、
『古事記』の神武東征神話を分かりやすく解説するシリーズ第4回目。
「八咫烏の先導と吉野巡幸」をお届けします。
『古事記』中巻|神武東征神話④ 八咫烏の先導と吉野巡幸
目次
『古事記』中巻|神武東征神話④ 八咫烏の先導と吉野巡幸の概要
『古事記』中巻の神武天皇代をもとにお届けします。前回の内容、これまでの経緯はコチラ↓を確認ください。
そのうえで、、
ポイント3つ
①環境変化発動中。東から西へ、背に日を負い始めると援護をいただける
熊野からの方向転換により、東から西へ、背に日を負って進軍するようになって生まれた劇的な環境変化。今回の神話でも継続中。で、今回も、高木大神により八咫烏が派遣され道案内をしてもらえるありがたさ、、コレ、前回も解説した通り、東征に高天原がコミットしてるって意味になるんで、超重要事項。
次!
②『古事記』の八咫烏は、熊野の荒ぶる神を避けて通過するための道案内役
前回、神武が高倉下から献上された神剣を持つと、熊野の神がみんな切り倒されたとのことでしたが、全部ではなかったらしく、、、まだまだ山の奥には荒ぶる神々がたくさんいて引き続きヤバい状態。そこで登場するのが八咫烏。これらヤバい荒ぶる神々を避けて通過するための「道案内役」として活躍する訳です。
ちなみに、、『日本書紀』では、道に迷ってどないにもならん状態で登場。神を避けるのではなく、単純に道に迷った神武一行を案内する役割になってるのが違うところだったりします。
次!
③熊野を越えてたどり着いたのは吉野。そこは「異俗の地」
八咫烏の導きにより荒ぶる神々を避けて熊野越えを果たした神武一行。たどり着いたのは、現在の奈良県吉野。ココ、『古事記』でも「異俗の地」として位置付けられていて、変な生き物たち、、もとい神たち。。天神の御子たる神武に恭順を示す、あるいはお出迎えに上がるという非常に空気読める皆さんであります。
まとめると
- 環境変化発動中。東から西へ、背に日を負い始めると援護をいただける
- 『古事記』の八咫烏は、熊野の荒ぶる神を避けて通過するための道案内役
- 熊野を越えてたどり着いたのは吉野。そこは「異俗の地」
の3点をしっかりチェック。
最後に、
当サイトとしては、是非、正史『日本書紀』と比較してチェックいただきたい!その方が、『古事記』の注力しているポイントがとっても分かりやすくなる。コチラ!
それでは本文をどうぞ!
『古事記』中巻|神武東征神話④ 八咫烏の先導と吉野巡幸の本文
古事記 : 国宝真福寺本 中巻 国立国会図書館デジタルライブラリより そしてまた、高木大神の命をもって覺し申し上げるには、「天神の御子よ、此より奧の方に入らないでください。荒ぶる神が非常に多くいます。今、天より八咫烏を遣わします。其の八咫烏が導きますので、その飛びゆく後に従って行くのがよいでしょう」と。
そこで、教え覚した通りに八咫烏の後ろに従って行くと、吉野河の河尻に到りなさった時、筌を掛けて魚を取る人がいた。天神の御子が「汝は誰か」と問うと「私は國神である。名は贄持之子と謂う」と答えた。これは阿陀の鵜飼の祖先である。そこから行くと、尾が生えている人が井戸から出できた。その井戸には光があった。「汝は誰か」と問うと、「私は国神で、名は井氷鹿と謂う」と答えた。これは吉野首等の祖先である。そこから山に入ると、また尾が生えている人に遇った。この人は、巖を押し分けて出できた。「汝は誰か」と問うと、「私は国神で、名は石押分之子と謂う。今、天神の御子がいらっしゃったと聞いたのでお迎えに参ったのです」と答えた。これは吉野の國巣の祖先である。
その地より蹈み穿ち越えて宇陀に来た。ゆえに、宇陀の穿という。
於是亦、高木大神之命以覺白之「天神御子、自此於奧方莫使入幸。荒神甚多。今、自天遣八咫烏、故其八咫烏引道、從其立後應幸行。」
故隨其教覺、從其八咫烏之後幸行者、到吉野河之河尻時、作筌有取魚人。爾天神御子、問「汝者誰也。」答曰「僕者國神、名謂贄持之子。」此者阿陀之鵜飼之祖。從其地幸行者、生尾人、自井出來、其井有光。爾問「汝誰也。」答曰「僕者國神、名謂井氷鹿。」此者吉野首等祖也。卽入其山之、亦遇生尾人、此人押分巖而出來。爾問「汝者誰也。」答曰「僕者國神、名謂石押分之子。今聞天神御子幸行、故參向耳。」此者吉野國巢之祖。自其地蹈穿越幸宇陀、故曰宇陀之穿也。(引用:『古事記』中巻 神武東征神話より)
※現代語訳について原文中の尊敬語は冗長になるため原義を損なわない範囲で通常の言葉に変換。また、口誦性の投影による接続語(爾、故、及、於是、など)の頻用も原義を損なわない範囲で簡略化。
『古事記』中巻|神武東征神話④ 八咫烏の先導と吉野巡幸の解説
八咫烏の先導と吉野巡幸、いかがでしたでしょうか?
高木大神から派遣された八咫烏に導かれて、、たどり着いたのは「異俗の地」吉野。皆さんオモロすぎてなんだそれ状態、、、、そんなロマンに思いを致しつつ。。。
以下詳細解説。
『古事記』中巻|神武東征神話④ 八咫烏の先導と吉野巡幸のまとめ
八咫烏の先導と吉野巡幸
八咫烏の先導による熊野越えと吉野巡幸いかがでしたでしょうか?
大きくは、
熊野から環境変化発動中。東から西へ、背に日を負い始めると援護をいただける、ってことで。今回も、高木大神により八咫烏が派遣され道案内をしてもらえるありがたさ、、コレ、前回も解説した通り、東征に高天原がコミットしてるって意味になるんで、長重要事項。
さらに、熊野を越えてたどり着いたのは吉野。そこは「異俗の地」。
天神の御子たる神武に恭順を示す、あるいはお出迎えに上がるという非常に空気読める皆さんであります。
こうして、危険な熊野を越えつつ、奈良盆地の南も支配下に置いて宇陀へ出てくる流れ、当サイトとしては『日本書紀』との違いも踏まえて是非チェックされてください。
本シリーズの目次はコチラ!
『日本書紀』版東征神話の解説はコチラ!
神話をもって旅に出よう!
神武東征神話のもう一つの楽しみ方、それが伝承地を巡る旅です。以下いくつかご紹介!
●熊野越えの途中、神武が休んだ場所!?
超絶ローカル伝承!奈良県吉野郡下北山村上桑原。熊野越えの途上、下北山村に立ち寄ったとの伝承あり。西村山の頂上で石に座って休憩したとかしなかったとか。。
●熊野についてのまとめ!
●神武天皇聖蹟菟田穿邑顕彰碑(熊野を越えてたどり着いた場所)
●熊野那智大社:先導の役目を終えた八咫烏は熊野の地へ戻り、現在は石に姿を変えて休んでいる??(社伝曰はく!)
●八咫烏神社:いやいや、八咫烏はコチラでお祀りしております
● 井光神社:井氷鹿さん、、国宝「海部氏系図」にある「倭宿祢命」の母に当たる人だった??
● 岩神神社:「石押分」が岩を押し分けて現れた地!?
こちらの記事もどうぞ。オススメ関連エントリー
どこよりも分かりやすい日本神話解説シリーズはコチラ!
日本神話編纂の現場!奈良にカマン!































→熊野村からさらに西へ、深く険しい熊野の山奥へ。。
ポイント5つ。
①高木大神だけになってるのは、八咫烏派遣という具体的に手を動かすシーンだから
ココでまたもや登場、高木大神!今回は、高木神のみ。
前回同様、これも国譲りや天孫降臨を踏まえてます。で、高木大神だけになってるのは、八咫烏を派遣するという具体的に手を動かすシーンだから。天照は象徴というか頂点なので直接的具体的介入は行わない、そういうのは2番手3番手がやることなんす。
そして!
②高木大神は、天照の直系子孫たる神武に対して謙譲のスタンス
高木大神が神武に直接語りかけるシーン。。きっと高天原から語りかけたんだろうが、テレパシー的にダイレクトコール??というロマンはさておき、、ポイントは、「白」という言葉が使われてること。コレ、謙譲語で「申し上げる」の意。高木大神が神武に申し上げた。覚し申し上げたと。
これ、なんでかというと、神武は天照の直系子孫だから。高木大神としてはへりくだった立ち位置からの発信になってること、チェック。
そしてそして!
③荒ぶる神が非常に多くいます、、って。まだいっぱいいるのねん!
「此より奧の方に入らないでください。荒ぶる神が非常に多くいます(原文:自此於奧方莫使入幸。荒神甚多。)」とのことで、、熊野村から奥には荒ぶる神がめっちゃいるらしい、、
前回、「(神武が)その横刀を受け取った時、その熊野の山の荒ぶる神は自ずから皆、切り倒された。」って言ってたやんけ。。。って、どうやら切り倒された神は神武の近くにいた熊どもだったらしく、、熊野の山に棲む他の荒ぶる神々、それは熊だけじゃなくて猪とか狼とか犬神とか、、それこそ「もののけ姫」の世界??
さらに!
④八咫烏=大きなカラス。元ネタは「金烏玉兎」の伝説から。
「天より八咫烏を遣わします(原文:自天遣八咫烏)」とあります。
「八咫烏」=大きなカラス。「咫」は約16cm。八咫で約1mほど。普段、その辺で見るカラスよりも大きめサイズ?というより、「八」は多いという意味なので、とにかく大きいカラスということが言いたい。。
で、
この、突然登場する「八咫烏」ですが、実は、元ネタがあって、それが「金烏玉兎」。中国古代の伝説。「金烏」は太陽の別名、「玉兎」は月の別名で、要は、日と月。転じて、歳月のことをいいます。太陽の中に3本足のカラス(金烏)が住み、月の中にウサギ(玉兎)がいるとされてました。
月のウサギは、日々慣れ親しんでますよね。実は「月のウサギ」は「太陽のカラス」とセットだったんです。
そもそも、「八咫烏」自体はこうした伝説がベースになっていて、その上で、天照大神が太陽神なので、太陽神の使者として八咫烏が飛来した、という設定なんです。実際に手を動かす=神武にテレパシーコールして派遣したのは高木大神ですが、、コレしっかりチェック。
さらにさらに!
⑤『古事記』の八咫烏は、熊野の荒ぶる神を避けて通過するための道案内役
「其の八咫烏が導きますので、その飛びゆく後に従って行くのがよいでしょう(原文:故其八咫烏引道、從其立後應幸行)」とあります。
荒ぶる神々がめっちゃいるんで、八咫烏派遣するんで後について行けってことは、ヤバい神々を避けて通過するための「道案内役」として位置付けられてます。
一方の、『日本書紀』では、道に迷ってどないにもならん状態で登場。神を避けるのではなく、単純に道に迷った神武一行を案内する役割になってるのが違うところだったりします。
次!
→八咫烏ありがとう、おかげで荒ぶる神に遭遇することなく熊野を通過できたよ
『古事記』版東征神話では、熊野を越えて吉野に至ったとしています。一方、『日本書紀』では、宇陀に到着し兄猾・弟猾兄弟を攻略してから吉野へ巡幸するとしています。
で、
「吉野河の河尻」は、吉野川の河口付近。と言っても、吉野川の下流のことで、現在の奈良県五條市付近か。あるいは吉野?
ココ、「異俗の地」として位置付けられていて、変な生き物たち、、もとい神たちが登場。天神の御子たる神武に恭順を示す、あるいはお出迎えに上がるという非常に空気読める皆さんであります。
吉野が登場してる意味としては、
目指す適地=奈良盆地の南に位置していることから、ココを先に支配下に置いたことを示すためと考えられます。そのまま大和に進軍してサクッと即位すりゃいいじゃん、というのはさておき、、
次!
→奈良県吉野の名産品である「鮎」は、吉野川の清流で育つ香りが良い「香魚」として知られ、特に「桜鮎」と呼ばれ珍重されてます。その起源譚!??
「筌」は、川の瀬などに仕掛けて魚を取る道具。
「私は國神である。名は贄持之子と謂う」と答えた。これは阿陀の鵜飼の祖先である(原文:「僕者國神、名謂贄持之子。」此者阿陀之鵜飼之祖。)」とあります。
「贄持之子」について。名義の「贄」は朝廷に貢上する山とか野とか河とか海の産物のことで、「持」は所有や管掌を意味と考えられ、要は、名産品の献上役といった意味合い。「阿陀の鵜飼の祖先」とあるので、献上してた「贄」も「鮎」だったんじゃないか説。
ちなみに、、鵜飼漁で獲れる魚には傷がつかず、鵜の食道で一瞬にして気絶させるために鮮度を保つことができるようで。。このため、鵜飼の鮎は献上品として殊のほか珍重され、特に、安土桃山時代以降は幕府および各地の大名によって鵜飼を保護していた歴史もあったりします。
さらにちなみに、、現在、奈良県五條市東部に、東阿田、西阿田、南阿田の地名が残ってます。
→尾が生えてるって、、、しかも井戸、光ってたらしい。。
この「尾が生えている人が井戸から出できた。その井戸には光があった(原文:生尾人、自井出來、其井有光)」は、身体的特徴をとおして「異俗の民」(ここでは国神)であることを伝えてる訳です。ま、最終的に神武が天下を取るわけで、未開の土俗民への眼差し、そのマウント感はどうしても出ちゃうよね、、、
ちなみに、『日本書紀』ではも「井戸の中から出てくる者がいた。その姿は光り尾がある」とあり、『日本書紀』では井戸が光ってるのではなく体が光ってる設定。。しかも井光さん、初めて会う神武に対して最初から自称「臣」使用で、東征神話的には、臣従する意を込めた表現として使用されており、尊貴な神武(天神子)の出現を歓迎し、わざわざ姿を現したという設定になってたりします。
「吉野首等の祖先(原文:吉野首等祖)」について、この時点では「首」姓ですが、天武12年には「連」姓を賜っておられ、出世されたようです。。
最後に、吉野からかなり離れますが、井氷鹿さんをお祭りする「井光神社」が川上村にあります。
● 井光神社:井氷鹿さん、、国宝「海部氏系図」にある「倭宿祢命」の母に当たる人だった??
次!
→次の方も尾があり、岩を押し分けて出現。。ガガーンと「石押分之子」。
「吉野の國巣の祖先である(原文:吉野國巢之祖)」とあります。「吉野の國巣」は、吉野郡吉野町国栖のこと。
ちなみに、、
「石押分」が岩を押し分けて現れたという伝説に由来、巨岩をご神体としてお祭りする「岩神神社」があります。
● 岩神神社:「石押分」が岩を押し分けて現れた地!?
ちなみに、、
吉野は天武天皇(大海人皇子)が下り挙兵した地でもあって、、
その際、この地の人々(国栖)が歌舞で慰めたとのことで、現在も「国栖奏」という伝統芸能が伝えられてます。県指定無形民俗文化財。
次!
自其地蹈穿越幸宇陀、故曰宇陀之穿也。
→踏み分け穿ち分け越えていく感じかい??ま、吉野から宇陀へは結構な山なんで。。。
「蹈」は、足で踏む、踏みつける意味。険しい山々の道なき道を踏み分けていくイメージが○。
「穿」は、穴をあける、突き抜ける意味。「雨垂れ石を穿つ」のように物理的に穴をあけること。道なき道を穴をあけるが如く突き抜けた。
そうして越えてきたのが宇陀。現在の奈良県宇陀市宇賀志のあたり。。
ということで、『古事記』版東征神話的に、ここで吉野を経由してようやく宇陀へ出てきた次第。