『古事記』中巻|神武東征神話⑥ 大和攻略と白檮原宮即位

 

多彩で豊かな日本神話にほんしんわの世界へようこそ!

日本最古の書『古事記』をもとに、
最新の文献学的学術成果も取り入れながら、どこよりも分かりやすい解説をお届けします。

今回は、

『古事記』の神武東征神話を分かりやすく解説するシリーズ第6回目。

大和攻略と白檮原宮即位」をお届けします。

 

『古事記』中巻|神武東征神話⑥ 大和攻略と白檮原宮即位

『古事記』中巻|神武東征神話⑥ 大和攻略と白檮原宮即位の概要

『古事記』中巻の神武天皇代をもとにお届けします。前回の内容、これまでの経緯はコチラ↓を確認ください。

そのうえで、、

ポイント3つ

①山から平野の境界が忍坂。ここで山の敵を殲滅!からの最終決戦へ!

今回の神話、最初の舞台は忍坂おさか。ココ、現在の奈良県桜井市忍阪付近。宇陀榛原から桜井方面へ、166号線を下っていったあたり。神話的位置付けとしては「山野と平地の境界」として。

これまでの流れを踏まえ、山の敵は山で決着をつける必要がある、ってことで、ここで饗宴を催し、残党をおびき寄せ、一網打尽にしてやろうとした次第。

そして、この忍坂おさかの殲滅作戦以後、いよいよ最終局面へ。一度は破れた登美毘古とみびことのリターンマッチ!

次!

②忘れちゃいけない敵討ち。歌に込められた復讐の情念

リターンマッチとは言いつつ、、『古事記』版東征神話では戦闘の詳細を伝えていません。。。なので、詳細は『日本書紀』版を参照しつつ、、

『日本書紀』神武紀

『古事記』版東征神話では、

代わりに「歌」を伝えるスタイル。全部で3首の歌で大事なのは、込められた復讐の情念。。

思い出して欲しい、兄の五瀬命が死んでしまったあの時のこと。。。

ここで、

これまでの理想追求型プロジェクトであった東征に、敵討ちという新たな目的が追加されたのだ。この想いを今こそ、、、、

次!

③ついに東征完結。東征=国覓ぎに16年は長かったが、それだけに意味があったはず

そんなこんなで色々あったけど、ついに「白檮原宮かしはらのみや」にて初代天皇として即位。ここに東征が完結します。

日向から出発し、豊国とよくにの宇沙、筑紫の岡田宮おかだのみやに1年、阿岐国あきのくに多祁理宮たけりのみやに7年、吉備の高嶋宮たかしまのみやに8年。て、この時点で少なくとも16年。そのあとの白肩津から紀国、熊野、大和攻略はどれくらいかかったかは分からんが、いずれにしても16年以上の年月をかけて成就した東征。幾多の試練とピンチを乗り越えてきたこれまでのプロセスに想いを致したい。。

なお、「東征」とは天下を治める適地を探す「国覓くにまぎ」であります。「国覓くにまぎ」の「ぎ」とは、凝視する感じで探すこと。勢いがスゴイ感じの凝視。

一つの側面として、

国覓ぎに要した期間が長ければ長いほど、一生懸命に探しまわったことになる訳で、その成果は保証付きということになる。それは、ひいては選ばれた地がいかに最適な場所であるかを裏打ちしているとも言えて。

妥協して数年では東征に箔がつかず、大和の適地、ベストフィット感も高まらないという側面もあって。だからこその16年。だからこその試練克服プロセス。この点もしっかりチェック。

まとめると

  1. 山から平野の境界が忍坂。ここで山の敵を殲滅!からの最終決戦へ!
  2. 忘れちゃいけない敵討ち。歌に込められた復讐の情念
  3. ついに東征完結。東征=国覓ぎに16年は長かったが、それだけに意味があったはず

以上3点をチェック。

最後に、

当サイトとしては、是非、正史『日本書紀』と比較してチェックいただきたい!その方が、『古事記』の注力しているポイントがとっても分かりやすくなる。コチラ!

『日本書紀』神武紀
『日本書紀』神武紀
『日本書紀』神武紀
『日本書紀』 巻第三(神武紀)

それでは本文をどうぞ!

 

『古事記』中巻|神武東征神話⑥ 大和攻略と白檮原宮即位の本文

古事記 : 国宝真福寺本 中巻 国立国会図書館デジタルライブラリより
古事記 : 国宝真福寺本 中巻 国立国会図書館デジタルライブラリより

 その地から行き、忍坂おさか大室おほむろいたった時、の生えた土雲八十建つちぐものやそたけるが、そのむろにいて待ちぶせしている。ゆえに、天神の御子の命令でもって、饗宴を八十建やそたけるに与え、八十建やそたけるに対して八十膳夫やそかしはてを設けて、その人(膳夫)それぞれにたちを持たせ、膳夫かしはてたちに教えて「歌を聞いたら、一時共もろともれ」と言った。

 そして、その土雲つちぐもを打とうとすることを知らせる歌に曰く、

 忍坂おさか大室屋おほむろやに ひとさはに り ひとさはに りとも 厳々みつみつし 久米くめの子が くぶつつい いしつついもち ちてしまむ 厳々みつみつし 久米の子等が 頭槌い 石槌いもち 今撃たばよろ
( 忍坂おさか大室屋おほむろやに人が大勢来て入っている。どんなに大勢が入っていても、いかめしく強い久米の子らがくぶつつで柄頭が石の大刀を持って、最後まで撃ち滅ぼしてやる。いかめしく強い久米の子らがくぶつつで柄頭が石の大刀を持って、今こそ撃ったらよいぞ )

 このように歌い、たちを拔いて一時もろともに打ち殺した。

 しかして後、登美毘古とみびことうとした時、歌ってはく、

 厳々みつみつし 久米の子等が 粟生あはふには 香韮かみら一本ひともと そねがもと そね芽繋めつなぎて ちてしまむ
( いかめしく強い久米の子らが、粟が生えているところに臭いの強いにらが一本生えていて、その韮の根と芽を繋いで引き抜くように、最後まで撃ち滅ぼしてしまおう。 )

 又、歌ひて曰はく、

 厳々し 久米の子等が 垣本かきもとに うゑ山椒はじかみ 口疼くちひひく われは忘れじ 撃ちてし止まむ
( いかめしく強い久米の子らが、垣根のところに植えた山椒はじかみを食べると口がいつまでもヒリヒリするように、いつまでも恨みを忘れない、最後まで撃ち滅ぼしてしまおう。 )

 又、歌ひて曰はく、

 神風かむかぜの 伊勢いせうみの 大石おひしに もとほろふ 細螺しただみの いもとほり 撃ちてし止まむ
( 風吹きすさぶ伊勢の海の大きな石に群れなして這いまわる巻貝のように這いずり回って最後まで撃ち滅ぼしてしまおう。  )

 また、兄師えし弟師おとしを撃つ時、御軍みいくさしまらく疲れていた。ここに、歌ひて曰く、

 たためて 伊那佐いなさの山の よも い目守まもらひ たたかへば われはやぬ しまとり 鵜養うかひとも 今けに
( 伊那佐いなさの山の木々の間を通って行きつつ見張りをしながら戦っていると私は腹が減った。鵜養らよ今すぐ助けに来ておくれ )

 ここに、邇藝速日命にぎはやひのみことが参上してやってきて、天神の御子に「天神の御子が天降あまくだっていらっしゃったと聞いたので、あとを追って参りくだたのです」と申し上げて、天津あまつしるしを献上してお仕えした。 邇藝速日命にぎはやひのみことが、登美毘古とみびこの妹・登美夜毘賣とみやびめめとってんだ子は宇摩志麻遲命うましまぢのみことである。これは、物部連もののべのむらじ穗積臣ほつみのおみ婇臣うねめのおみの祖先である。

 故に、このようにあらぶる神たちを言葉で説得して平定し、従わない人たちを退け払って、畝火うねび白檮原宮かしはらのみやにあってあめのしたを治めた。

 自其地幸行、到忍坂大室之時、生尾土雲訓云具毛八十建、在其室待伊那流。此三字以音。故爾、天神御子之命以、饗賜八十建、於是宛八十建、設八十膳夫、毎人佩刀、誨其膳夫等曰「聞歌之者、一時共斬。」故、明將打其土雲之歌曰、 「意佐加能 意富牟盧夜爾 比登佐波爾 岐伊理袁理 比登佐波爾 伊理袁理登母 美都美都斯 久米能古賀 久夫都都伊 伊斯都都伊母知 宇知弖斯夜麻牟 美都美都斯 久米能古良賀 久夫都都伊 伊斯都都伊母知 伊麻宇多婆余良斯 」 如此歌而、拔刀一時打殺也。

 然後、將擊登美毘古之時、歌曰、「 美都美都斯 久米能古良賀 阿波布爾波 賀美良比登母登 曾泥賀母登 曾泥米都那藝弖 宇知弖志夜麻牟 」又歌曰、「 美都美都斯 久米能古良賀 加岐母登爾 宇惠志波士加美 久知比比久 和禮波和須禮志 宇知弖斯夜麻牟 」又歌曰、「 加牟加是能 伊勢能宇美能 意斐志爾 波比母登富呂布 志多陀美能 伊波比母登富理 宇知弖志夜麻牟 」

 又擊兄師木・弟師木之時、御軍暫疲、爾歌曰、「 多多那米弖 伊那佐能夜麻能 許能麻用母 伊由岐麻毛良比 多多加閇婆 和禮波夜惠奴 志麻都登理 宇上加比賀登母 伊麻須氣爾許泥 」故爾、邇藝速日命參赴、白於天神御子「聞天神御子天降坐、故追參降來。」卽獻天津瑞以仕奉也。故、邇藝速日命、娶登美毘古之妹・登美夜毘賣生子、宇摩志麻遲命。此者物部連、穗積臣、婇臣祖也。

 故、如此言向平和荒夫琉神等夫琉二字以音、退撥不伏人等而、坐畝火之白檮原宮、治天下也。(引用:『古事記』中巻 神武東征神話より)※現代語訳について原文中の尊敬語は冗長になるため原義を損なわない範囲で通常の言葉に変換。また、口誦性の投影による接続語(爾、故、及、於是、など)の頻用も原義を損なわない範囲で簡略化。

 

『古事記』中巻|神武東征神話⑥ 大和攻略と白檮原宮即位の解説

大和攻略と白檮原宮即位、いかがでしたでしょうか?

大和の敵を次々と攻略し、ついに白檮原宮即位。あの時、高千穂宮で発議した「平安に治める」という建国ビジョンがついに、、、そんなロマンに想いを致しつつ、、

以下詳細解説。

 

大和攻略と白檮原宮即位
  • その地から行き、忍坂おさか大室おほむろいたった時、の生えた土雲八十建つちぐものやそたけるが、そのむろにいて待ちぶせしている。ゆえに、天神の御子の命令でもって、饗宴を八十建やそたけるに与え、八十建やそたけるに対して八十膳夫やそかしはてを設けて、その人(膳夫)それぞれにたちを持たせ、膳夫かしはてたちに教えて「歌を聞いたら、一時共もろともれ」と言った。
  • 自其地幸行、到忍坂大室之時、生尾土雲訓云具毛八十建、在其室待伊那流。此三字以音。故爾、天神御子之命以、饗賜八十建、於是宛八十建、設八十膳夫、毎人佩刀、誨其膳夫等曰「聞歌之者、一時共斬。」

→宇陀から西へ、忍坂へ至る。

先に言葉の解説を少し。

忍坂おさか」は、奈良県桜井市忍阪付近。宇陀榛原から桜井方面へ、166号線を下っていったあたり。

大室おほむろ」は、大きなむろ。室は、地面を掘った穴ぐら。

の生えた土雲八十建つちぐものやそたける(原文:生尾土雲訓云具毛八十建)」は、土着先住民の蔑称。脛が長いとか異形の表現として。「土雲」も土蜘蛛のことで、蜘蛛のように這うイメージ。「八十建」はたくさんいる強え奴ら。まとめると、尾の生えた土蜘蛛みたいに地を這う屈強な奴ら。

膳夫かしはて」は、食膳に奉仕する、給仕する人。柏の葉を食器にしてたことから「かしは」。

その上で、

ポイント3つ。

①「忍坂」は山野と平地の間に位置する場所。山の敵は山で決着をつける必要があった

忍坂の場所。コレめっちゃ重要。

宇陀榛原から桜井方面へ166号線を下っていくと、この忍坂より西は平野(大和平野・奈良盆地)になる訳で、その意味で、この忍坂は山野と平地のちょうど間に位置する場所として位置づけられます。

『古事記』版東征神話では伝えてないのですが、『日本書紀』版では、「国見丘」で打ち破り散り散りになった残党どもが多数いたことを伝えてます。山の敵は山で決着をつける。そのために、山と平野の境界である忍坂で饗宴を催し、残党を集めようとした訳です。

『日本書紀』神武紀

 

忍坂 神武東征 (16)

▲忍坂周辺、宇陀方面を望む。この辺りに巨大な室が、、、って、コレ神話ロマン。

そして!

忍坂おさか大室おほむろは敵の土雲八十建つちぐものやそたけるが待ち伏せしていた場所。コレ『古事記』独自

忍坂おさか大室おほむろいたった時、の生えた土雲八十建つちぐものやそたけるが、そのむろにいて待ちぶせしている(原文:到忍坂大室之時、生尾土雲訓云具毛八十建、在其室待伊那流。此三字以音。」とあります。

コレ、大室ってのが既にあって、敵の土雲八十建つちぐものやそたけるがその中で待ち伏せしてるってことで、実は『日本書紀』版東征神話とは全然違う設定になっとります。

『日本書紀』版では、神武の密命を受け、道臣命みちのおみのみことが東征軍たる「大来目部おおくめら」を率いて「忍坂邑おさかむらに大きなむろを造り、盛大に饗宴を催し、賊どもをおびき寄せて討ち取れ」作戦を展開。大きなむろを作ったのは道臣命みちのおみのみことたちだった訳で、敵をおびき寄せる用。つまり、大室は軍事戦略の一環として作った次第。

一方の『古事記』では、大室おほむろの中で蜘蛛のように這い回る土雲八十建つちぐものやそたけるっていうイメージであって、大室は土着先住民に対する侮蔑的文脈で使われてますね。。。

そしてそして!

③どんちゃん騒ぎの宴会を催し、給仕係に紛れ込んだ兵士たちが一気に襲いかかる作戦

饗宴を八十建やそたけるに与え、八十建やそたけるに対して八十膳夫やそかしはてを設けて、その人(膳夫)それぞれにたちを持たせ(原文:饗賜八十建、於是宛八十建、設八十膳夫、毎人佩刀)」とあります。

これ、つまり宴会を敵の八十建やそたけるどもに与え、八十建やそたけるども一人ひとりに膳夫かしはて=給仕係をつけて、飯を食らわせ酒に酔いしれさせる。その給仕係がみんな刀を持ってると、、、恐ろしいステルス作戦であります。

さらに、「「歌を聞いたら、一時共もろともれ」(原文:「聞歌之者、一時共斬。」)」とのことで、一気に襲いかかる合図まで決めておく周到さ。

土蜘蛛のように這うような動きをする敵どもに紛れて、給仕係に扮した兵士たち。。。どんちゃん騒ぎはますます大きくなり酒が注がれ酔いしれる。。それでもきっと、道臣命はじめ久米の兵士たちは密かに様子をうかがっていた。。時々目を合わせながら今か今かと、、、緊張感あふれる局面であります。

 

次!

  • そして、その土雲つちぐもを打とうとすることを知らせる歌に曰く、
  • 忍坂おさか大室屋おほむろやに ひとさはに り ひとさはに りとも 厳々みつみつし 久米くめの子が くぶつつい いしつついもち ちてしまむ 厳々みつみつし 久米の子等が 頭槌い 石槌いもち 今撃たばよろ
  • ( 忍坂おさか大室屋おほむろやに人が大勢来て入っている。どんなに大勢が入っていても、いかめしく強い久米の子らがくぶつつで柄頭が石の大刀を持って、最後まで撃ち滅ぼしてやる。いかめしく強い久米の子らがくぶつつで柄頭が石の大刀を持って、今こそ撃ったらよいぞ )
  • このように歌い、たちを拔いて一時もろともに打ち殺した。
  • 故、明將打其土雲之歌曰、「 意佐加能 意富牟盧夜爾 比登佐波爾 岐伊理袁理 比登佐波爾 伊理袁理登母 美都美都斯 久米能古賀 久夫都都伊 伊斯都都伊母知 宇知弖斯夜麻牟 美都美都斯 久米能古良賀 久夫都都伊 伊斯都都伊母知 伊麻宇多婆余良斯 」如此歌而、拔刀一時打殺也。

→久米の兵士らが合図をもとに抜刀、次々と八十建やそたけるどもを切り殺していく、、夜の闇、たき火に照らし出される血だらけの頭槌くぶつち剣。。。

先に言葉の解説を少し。

厳々みつみつ(原文:美都美都斯)」は、久米にかかる枕詞。いかめしく強い意。

頭槌くぶつつ(原文:久夫都都伊)」の「頭槌くぶつつ」は、柄頭がつち状に膨らんだ剣のこと。「い」は強調の助詞。

頭槌剣
▲文化遺産オンラインより「頭槌剣

石椎いしつつ(原文:伊斯都都)」は柄頭が石でできた剣(?)。「頭槌くぶつつ」が石でできていたんじゃないか説。

撃ちてし止まむ」撃ってこそ止めよう=撃たずには決して止めない、という強い決意を表現。

その上で、

ポイント1つ。

①天孫降臨がベースに??神代とのつながりが強く意識されてる

八十建やそたけるどもを撃破するこのシーンは、「天神の御子の命令でもって」、実行部隊として道臣命みちのおみのみことや久米(=東征軍)が動いたものと想定されます。そこで登場する「頭槌くぶつつの大刀」だったりする訳ですが、、、実はコレ、天孫降臨がベースになってるんです。

『古事記』の天孫降臨では以下を伝えてます。

爾に天津日子番能迩迩藝命あまつひこほのににぎのみことに仰せになり、あめ石位いはくらを離ち、天の八重雲やへたなぐもを押し分けて、威力のある道を何度も弁別して、天の浮橋うきはしに浮島にりゅうりゅとお立ちになって、竺紫つくし日向ひむか高千穗たかちほ久士布流多気くじふるたけ天降あもりなされた。ゆえに、爾に天忍日命あめのおしひのみこと天津久米命あまつくめのみこと二人ふたり、天の石靫いはゆきを取り負ひ、頭椎くぶつち大刀たちを取りはき、天の波士弓はじゆみを取り持ち、天の眞鹿兒矢まかこや手挾たばさみ御前みさきに立ちてつかへご先導を申し上げた。故、其の天忍日命(此は大伴連おほとものむらじ等の祖)。天津久米命(此は久米直くめのあたひ等の祖)。(引用:『古事記』上巻より)

ということで、

  • 迩迩藝命ににぎのみことを先導した天忍日命あめのおしひのみこと天津久米命あまつくめのみこと天忍日命あめのおしひのみことの子孫が道臣命みちのおみのみこと天津久米命あまつくめのみことの子孫が久米。
  • さらに、天忍日命あめのおしひのみこと天津久米命あまつくめのみことが身に付けていたのも「頭椎くぶつち大刀たち」。久米たちが身に付け八十建やそたけるどもを切り殺したのも「頭椎くぶつち大刀たち」。

てことで、大きく言うと、

天忍日命あめのおしひのみこと天津久米命あまつくめのみこと迩迩藝命ににぎのみことの降臨を先導したように、その子孫である「道臣命」と「久米」が神武の東征を先導して勝利をもたらす構造になってる。ってことで。

言い方を変えると、神代神話を歴史につなげる正当化をはかったということで、壮大な構想の中で仕掛けられてるってことチェック。ホントよくできてます、、、震えが止まらない。。

とは言いつつ、、

『古事記』版東征神話において、物語としてていをなしてるのはココまで。以下、歌が連続しそのまま即位へ流れ込む。。以後、『日本書紀』を踏まえてないと意味不明。解釈にあたってはまず『日本書紀』版東征神話をチェックされてください。

『日本書紀』神武紀
『日本書紀』神武紀

ちなみに、

忍坂の伝承地はコチラです!

●忍坂伝承地:巨大な室をつくり残党どもをおびき寄せべろべろにして斬ったと伝わる地

 

次!

  • しかして後、登美毘古とみびことうとした時、歌ってはく、
  • 厳々みつみつし 久米の子等が 粟生あはふには 香韮かみら一本ひともと そねがもと そね芽繋めつなぎて ちてしまむ
  • ( いかめしく強い久米の子らが、粟が生えているところに臭いの強いにらが一本生えていて、その韮の根と芽を繋いで引き抜くように、最後まで撃ち滅ぼしてしまおう。 )
  • 然後、將擊登美毘古之時、歌曰、「 美都美都斯 久米能古良賀 阿波布爾波 賀美良比登母登 曾泥賀母登 曾泥米都那藝弖 宇知弖志夜麻牟 」

→ここから3つ歌が続きますが、登美毘古とみびことの最終決戦関連の歌。

思い出してほしい、、白肩津しらかたのつでの戦いのことを。

登美毘古とみびこと戰った時、兄の五瀬命いつせのみことが手に登美毘古の痛矢串いたやぐしを負い、それがもとで死んでしまったあの時のことを。これにより、東征というビジョン追求型プロジェクトにあらたな目的「かたき討ち」が追加された訳で、、、

ここから続く歌3つの背景には、「かたき討ち」という激情が伴ってることを理解しつつ、、

粟生あはふには 香韮かみら一本ひともと」というのは、粟の畑にニラが一本生えてるってことで、そいつを探し出すのは大変や、、でも、それと同じくらい大変でもなんでも徹底的に探し出して敵=登美毘古とみびこを討ち果たしてやろうという話であります。

そねがもと そね芽繋めつなぎて」というのは、韮の根と芽を繋いで引き抜くように、てことで、韮まるごと、徹底的にという意味。

なので、粟の畑に韮が一本生えててくさにおいを出してるが、そいつを探し出すのはかなり大変やけど、大変でもなんでも、いかめしく強い久米の子らが韮をまるごと引き抜くように徹底的に撃ち滅ぼしてやるぞ、といった歌になります。

 

次!

  • 又、歌ひて曰はく、
  • 厳々し 久米の子等が 垣本かきもとに うゑ山椒はじかみ 口疼くちひひく われは忘れじ 撃ちてし止まむ
  • ( いかめしく強い久米の子らが、垣根のところに植えた山椒はじかみを食べると口がいつまでもヒリヒリするように、いつまでも恨みを忘れない、最後まで撃ち滅ぼしてしまおう。 )
  • 又歌曰、「 美都美都斯 久米能古良賀 加岐母登爾 宇惠志波士加美 久知比比久 和禮波和須禮志 宇知弖斯夜麻牟 」

登美毘古とみびことの最終決戦関連の歌その2。

山椒はじかみ」は、サンショウ・山椒の古名。実を食べるとヒリヒリがずっと残るようにワイはいつまでも恨みを忘れず敵=登美毘古とみびこを討ち果たしてやるぞ、と。執念と決意の歌であります。

 

次!

  • 又、歌ひて曰はく、
  • 神風かむかぜの 伊勢いせうみの 大石おひしに もとほろふ 細螺しただみの いもとほり 撃ちてし止まむ
  • ( 風吹きすさぶ伊勢の海の大きな石に群れなして這いまわる巻貝のように這いずり回って最後まで撃ち滅ぼしてしまおう。  )
  • 又歌曰、「 加牟加是能 伊勢能宇美能 意斐志爾 波比母登富呂布 志多陀美能 伊波比母登富理 宇知弖志夜麻牟 」

登美毘古とみびことの最終決戦関連の歌その3。

神風かむかぜ」は、「伊勢」にかかる枕詞。伊勢の風は猛烈に吹くので神を冠すると考えられます。

細螺しただみ」は、小型の巻貝。東征の軍隊=久米らが、這いまわる巻貝のように、大きな石=敵に群れなして這いずり回って撃ち滅ぼす様子を描いてます。

ということで、

以上3首の歌の背景にあるのは「かたき討ち」。いかに固い決意と執念で登美毘古とみびこを撃ち滅ぼそうとしてるのかが伝わってきます。コレ、しっかりチェック。

 

次!

  • また、兄師えし弟師おとしを撃つ時、御軍みいくさしまらく疲れていた。ここに、歌ひて曰く、
  • たためて 伊那佐いなさの山の よも い目守まもらひ たたかへば われはやぬ しまとり 鵜養うかひとも 今けに
  • ( 伊那佐いなさの山の木々の間を通って行きつつ見張りをしながら戦っていると私は腹が減った。鵜養らよ今すぐ助けに来ておくれ )
  • 又擊兄師木・弟師木之時、御軍暫疲、爾歌曰、「 多多那米弖 伊那佐能夜麻能 許能麻用母 伊由岐麻毛良比 多多加閇婆 和禮波夜惠奴 志麻都登理 宇上加比賀登母 伊麻須氣爾許泥 」

→大和の磐余付近の敵、兄師えし弟師おとしを撃つときの歌。

要は、それまで熊野を越え、宇陀を制圧し、ずっと戦い続けてきた訳で、平地に降りてきたときには疲労困憊の状態だったと。。

楯並たたなめて」は枕詞。ある言葉を導くために、その直前に置かれ、句調を整えたり、情緒的な 意味を添えたりする語。通常は五音で訳しません。で、楯を並べて射ることから、「伊那瑳いなさの山」の「い」と、「見守まもらひ」の「い」にかかります。技巧的な表現。

伊那瑳いなさの山」は、宇陀の南にある伊那佐山とされてます。

宇陀高倉山から眺めたときに判明した周囲敵だらけの状況。見慣れぬ土地。いつ襲ってくるかも分からない極限の緊張状態の中で、木々の間を見張りながら進む。。降りしきる雨、ずぶ濡れになりながら一歩一歩進んでいく兵士たち、、、ロマンだ。。そりゃお腹も空くよね。。

しまつ鳥」は、鵜にかかる枕詞。島にいる鳥の意味。「鵜飼うかい」とありますが、コレ、8月に吉野巡幸したときに出会った「苞苴担にへもつ」の子を阿太の養鵜部の始祖と伝えてました。「苞苴」は天皇に奉る「御饌みけ」のこと。

ということで、この歌は「慰労」が趣旨。さしものたけきもののふも、連戦連勝とはいえ疲弊した。そんな兵士たちに美味な鮎でも食べさせて慰労したいという意味なんです。

ちなみに、、

伊那佐山はコチラ!

●伊那佐山:兵士たちがお腹をかせた地!

 

次!

  • ここに、邇藝速日命にぎはやひのみことが参上してやってきて、天神の御子に「天神の御子が天降あまくだっていらっしゃったと聞いたので、あとを追って参りくだたのです」と申し上げて、天津あまつしるしを献上してお仕えした。
  • 邇藝速日命にぎはやひのみことが、登美毘古とみびこの妹・登美夜毘賣とみやびめめとってんだ子は宇摩志麻遲命うましまぢのみことである。これは、物部連もののべのむらじ穗積臣ほつみのおみ婇臣うねめのおみの祖先である。
  • 故爾、邇藝速日命參赴、白於天神御子「聞天神御子天降坐、故追參降來。」卽獻天津瑞以仕奉也。故、邇藝速日命、娶登美毘古之妹・登美夜毘賣生子、宇摩志麻遲命。此者物部連、穗積臣、婇臣祖也。

→歌のあとにいきなり登場、邇藝速日命。。。意味不明な感じが凄くて、、、

コチラ、実は『日本書紀』版東征神話を踏まえてないと理解できない内容でして。。

『日本書紀』神武紀

いくつかポイントがあって、、

邇藝速日命にぎはやひのみことは天神系の神。なので証明する証「天津あまつしるし」を持っている

これ、日本神話的設定の話で。実は、天神系の神様はそれを証明するモノを持ってる。本件、それを前提としたお話で。

分かりやすいのは『日本書紀』版東征神話。ここでは「お前の主君とする者が本当に天神あまつかみの子ならば、必ずそのしるしとなる物があるはずだ。それを見せてみよ」(原文:汝所爲君、是實天神之子者、必有表物。可相示之。)」とあり、しるしとなるモノ=「表物しるしもの」を伝えてます。で、実は、この「表物しるしもの」には天照直系の持つものと、フツーの天神の持つものと2種類があったりするんですが、、詳しくはコチラ↓で

『日本書紀』神武紀

で、

『古事記』では、しるしとなるモノを「天津あまつしるし」としてる訳で。ポイントは「瑞」という漢字。コレ、とっても重要な言葉で。語源としては、「王(玉)」と「耑(神職・並ぶ様子)」が合わさった形で、「祈りを込めた神聖な玉」「めでたいしるし」という意味が本来の成り立ち。この「神聖な玉」や「吉兆」というところから、例えば、「祥瑞しょうずい」=天が皇帝(天皇)の徳を称え、めでたい兆しとして事象や珍しいもの(例:白亀、鳳凰など)としてこの世界に示すと言った考え方があったりします。

『日本書紀』神武紀

その上で、

天津あまつしるしを献上してお仕えした(原文:獻天津瑞以仕奉也)」てことなんで、そもそもが尊い天神である邇藝速日命にぎはやひのみことが、自らの立場や格を証明する「天津あまつしるし」を神武に献上したってのはよっぽどのことなんす。

そして!

②『日本書紀』では、神武より先に大和に降臨し、登美毘古とみびこの妹・登美夜毘賣とみやびめめとって子供をもうけていた

本件、『古事記』版東征神話では一切語られてないんですが、、『日本書紀』版東征神話では、それこそ東征発議において、神武自ら

さて、一方で塩土老翁しおつちのおじ からはこんな話を聞いた。『東に、美しい土地があって、青く美しい山が四方を囲んでいる。そこに天磐船あまのいわふねに乗って飛びその地に降りた者がいる。』と。 私が思うに、かの地はきっと、王としての業績を広く大きくし、王の徳を天下のすみずみまで届けるのにふさわしい場所に違いない。そこが天地四方の中心だろう。そこに飛んで降りた者とは「饒速日にぎはやひ」という者ではないだろうか。私はそこへ行き都としたい。」

東征発議と旅立ち

と語ってます。

で、問題は、なんでこんな設定になってるか?ってことなんですが、、そもそも饒速日にぎはやひ」という神が神武以前に大和に降臨していたという設定、その意味は、

要は、大和やまとの土着の勢力に対して、天皇即位そくいや日本建国の正当性を、天神あまつかみとの関わりにおいても示すため。ってことなんです。

東征とうせいはある意味、九州勢力が大和やまと勢力を征伐する構図とも言えて。

大和やまと在住の皆さんからしたら、ある日突然、部外者がやってきました的な話になる訳で。当然、脊髄反射する方々もいらっしゃったと思いますし、素直にお迎えする気持ちになれない可能性がある。そこで、武力を背景とした東征とうせいという構図に加えて、もともといた天神あまつかみ大和やまとの皆さんが受け入れていた天神あまつかみ)の支持、恭順という構図も加えることで、即位そくいや建国の正当性を出そうとした、ってことなんす。

なので「邇藝速日命にぎはやひのみことが、登美毘古とみびこの妹・登美夜毘賣とみやびめめとってんだ子は宇摩志麻遲命うましまぢのみことである。」というのは、つまり、大和の皆さんが受けれていた天神の存在を打ち出すための伝承ってことなんすね。

そしてそして!

③単に邇藝速日命にぎはやひのみことが参上してやってきて天津あまつを献上しました、ってだけの話ではない。。はず。。

『古事記』版東征神話では、邇藝速日命にぎはやひのみことが参上してやってきて天津あまつを献上しました以上、終了なんですが、実は、『日本書紀』版東征神話では、結構いろいろあった訳です。詳しくは是非コチラ↓で

『日本書紀』神武紀

その上で、

邇藝速日命にぎはやひのみことが参上してやってきて、」とあるのだが、これは、自分の考えに固執する登美毘古とみびこを見限って殺した後の話だと考えられる訳です。

で、これもやはりポイントは、なんでそんな話になってるかという意味なんですが、それは、

単に武力で征伐しました、という形で完結するのではなく、交渉やもともといた天神あまつかみ邇藝速日命にぎはやひのみこと)の恭順があったからこそ、という形にすることで、大和やまと在住の皆さんのコンセンサスを取ろうとしてる訳ですね。

ある意味、外からやってきた部外者な訳で、大和の住民の皆さんが受け入れられる土壌づくりに邇藝速日命の恭順があるってことで、別の言い方をすると、そうした、人民の気持ちにも配慮した、非常に奥ゆかしい伏線をいれてる神話になってる訳ですね。ホントに良く練られてます。古代日本人の叡智、創意工夫が凄すぎ。。

 

次!

  • 故に、このようにあらぶる神たちを言葉で説得して平定し、従わない人たちを退け払って、畝火うねび白檮原宮かしはらのみやにあってあめのしたを治めた。
  • 故、如此言向平和荒夫琉神等夫琉二字以音、退撥不伏人等而、坐畝火之白檮原宮、治天下也。

→そして、ついに東征完結!

言向ことむけ平和やは」は、結構重要な言葉で、、

言向ことむけ」は、言葉を使って相手を説得する、従わせる意。「平和やはす」は、和平を向け平和な状態にすること、平定する意。合わせて、荒ぶる神や従わない者に対して言葉によって説得し従わせて平和な状態にすること。

あくまで、言葉で説得し和平を向け平定したと。そこには、協議のプロセスとコンセンサスがあると。。。あったっけ?

畝火うねび白檮原宮かしはらのみや」について。「畝火うねび」は、奈良県橿原市の畝傍山の麓に造営された宮のこと。「白檮」の読み方は「カシ」。「檮」の字は通常「トウ」と読みますが、白檮で「カシ」と読みます。

その上で、

思い出してほしい高千穂宮でのこと。「どの地にいたならば天下のまつりごとを平安に治められるだろうか。やはり東に行こうと思う。(原文:「坐何地者、平聞看天下之政。猶思東行。)」と構想した東征事業、

『古事記』 中巻

結果的に、

足掛け16年もの年月を費やして、ここに完結した訳です。長かった、、、幾多の試練を乗り越えて、今、ここに初代天皇として即位。「日本」という国が建国されました。

東征発議にある「平安に原文:平)」という言葉に込められた建国ビジョンは、現代に生きる私たちにとっても大切な言葉であり、私たちが受け継いでいくものなんだと思います。

●橿原神宮:橿原に造営した宮殿跡地に建立された神社!

 

 

 

『古事記』中巻|神武東征神話⑥ 大和攻略と白檮原宮即位のまとめ

大和攻略と白檮原宮即位

大和の敵を攻略し、ついに白檮原宮で即位する神話、いかがでしたでしょうか?

やはり、、『古事記』単体で解釈するのは相当ムズイと思います。東征を叙事的に伝えていたのが後半からは歌を歌ってそのままゴールインする感じで、、、登美毘古とみびこ邇藝速日命にぎはやひのみことのくだりも文脈が剝ぎ取られてるので入り込めない感がスゴイ、、、汗

なんども申し上げてしまいますが、『日本書紀』版東征神話を踏まえてチェックされていくのがいいと思います。

そのうえで、

『古事記』版神武東征神話も今回で最終回。

改めて、

日向から出発し、豊国とよくにの宇沙、筑紫の岡田宮おかだのみやに1年、阿岐国あきのくに多祁理宮たけりのみやに7年、吉備の高嶋宮たかしまのみやに8年。て、この時点で少なくとも16年。そのあとの白肩津から紀国、熊野、大和攻略はどれくらいかかったかは分からんが、いずれにしても16年以上の年月をかけて成就した東征。幾多の試練とピンチを乗り越えてきたこれまでのプロセスに想いを致したい。。

なお、「東征」とは天下を治める適地を探す「国覓くにまぎ」であります。「国覓くにまぎ」の「ぎ」とは、凝視する感じで探すこと。勢いがスゴイ感じの凝視。

一つの側面として、

国覓ぎに要した期間が長ければ長いほど、一生懸命に探しまわったことになる訳で、その成果は保証付きということになる。それは、ひいては選ばれた地がいかに最適な場所であるかを裏打ちしているとも言えて。

妥協して数年では東征に箔がつかず、大和の適地、ベストフィット感も高まらないという側面もあって。だからこその16年。だからこその試練克服プロセス。この点はしっかりチェック。

そして、

白檮原宮での即位と日本建国により、これ以降、ずーっと日本は一つの国として継続しています。世界最古の歴史を持つ国、それが日本。このことを、私たちはもっと大切にすべきですし、誇りとするべきだと思います。

また、

神武の事蹟から学ぶ事も大事だと思います。

  • 彼がどのように考え、決断したのか?どのように行動したのか?

それらを考える事で、神武は神話上の人物だけでなくもっと身近な存在として思えるはずです。

是非、彼の足跡をたどってみていただけるといいなと思います。

顕彰碑や伝承地を辿る旅を通じて、東征神話を追体験できます。し、その中でいろいろ感じていただけるはずです。

旅自体が素晴らしいだけでなく、行く先々で出会う地域の皆さんとも触れあうことで、忘れられない思い出ができるはず。また、旅の途上で、ご自身なりの神話解釈を組み立てていっていただければと思います。

本やネットで読むのと、実際に体験するのとでは、その意味合いも全然違ってきますよ。

と、いうことで、最後に、結論として、

神武東征神話を知る、追体験する事で、ご自身なりの神話的解釈をつくっていっていただければと思います。本シリーズが、そうしたことを考えるきっかけになれば、これほど嬉しい事はありません。

全6回に渡ってお届けしましたが、最終的な着地はまさにココで。一人ひとりが神話を知り、学び、検証し、自分なりの答えを持つようになっていただければと切に願っております。

 

本シリーズの目次はコチラ!

『古事記』神武東征神話の現代語訳

 

神話をもって旅に出よう!

神武東征神話じんむとうせいしんわのもう一つの楽しみ方、それが伝承地を巡る旅です。以下いくつかご紹介!

●忍坂伝承地:巨大な室をつくり残党どもをおびき寄せべろべろにして斬ったと伝わる地

 

●伊那佐山:兵士たちがお腹をかせた地!

 

●磐船神社:饒速日命にぎはやひのみことが天から降った時に乗ってた天磐船が御神体!

 

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日本神話研究の第一人者である佛教大学名誉教授の榎本先生の監修もいただいているので情報の確かさは保証付き!文献に即して忠実に読み解きます。
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参考文献:『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)他
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