事勝國勝長狭(塩土老翁)とは?伊奘諾尊の子で皇孫のガイド役、とんでもない長命。日本神話をもとに事勝國勝長狭(塩土老翁)を分かりやすく解説します。
目次
『日本書紀』第九段 現代語訳
〔本伝〕
さて、高皇産霊尊は、真床追衾で皇孫の天津彦彦火瓊瓊杵尊を覆って降臨させた。皇孫は天磐座を押し離し、また天の八幾雲を押し分けて、威風堂々と良い道を選り分けて、日向の襲の高千穂峯に天降った。こういう次第で、そこから皇孫の出歩いた様子は、串日の二上の天浮橋から、浮島の平らなところ降り立ち、その痩せて不毛の国を丘伝いに良い国を求めて歩き、吾田の長屋の笠狭碕に辿り着いた、というものであった。
その地に一人の人がいて、自ら事勝國勝長狭と名乗った。皇孫が、「国があるかどうか。」と尋ねると、「ここに国があります。どうぞ御心のままにごゆっくりなさってください。」と答えた。そこで皇孫はそこに滞在した。
〔一書1〕
そこで、天津彦火瓊瓊杵尊は日向の串日高千穂峯に降り立ち、不毛の地を丘づたいに国を求めて通り、浮島のある平らな土地に立った。そして、國主の事勝國勝長狭を呼んで尋ねると、「ここに国があります。どうぞご自由に」と答えた。
〔一書4〕
高皇産霊尊は、真床覆衾を天津彦國光彦火瓊瓊杵尊に着せて、天磐戸を引き開けて、天の幾重もの雲を押し分けて降らせた。この時、大伴連の祖神である天忍日命が、来目部の祖神である天串津大来目を率い、背には天磐靫を背負い、腕には威力のある高鞆をつけ、手には天梔弓と天羽羽矢を取り、八目鳴鏑を取り揃え、また頭槌劒を帯びて、天孫の前に立って進み降り、日向の襲之高千穂の串日の二つの頂のある峯に辿り着き、浮島のある平らな土地に立ち、不毛の地を丘伝いに国を求めて通り、吾田の長屋の笠狭之御碕に辿り着いた。
すると、その地に一人の神がいた。名を事勝國勝長狭と言う。そこで天孫がその神に、「国があるか」と尋ねると、「あります」と答え、さらに、「お言葉のままに奉りましょう」と言った。そこで天孫はその地に留まり住んだ。その事勝國勝長狭は伊奘諾尊の子である。またの名は塩土老翁。
『日本書紀』第十段 現代語訳
〔本伝〕
すると、塩土老翁と出会った。老翁が、「どうしてこんなところで悩んでおるのか」と尋ねたので、その事情を答えると、老翁は、「悩むことはない。私があなたのために計らってあげよう」と言って、無目籠を作り、彦火火出見尊を籠の中に入れて海に沈めた。すると自然に美しい小浜に着いた。そこで籠を捨てて進むと、すぐに海神の宮に行き着いた。
〔一書1〕
そして海辺に行き、たたずんで嘆いていると、一人の老人がたちまちにして現れた。自ら塩土老翁と名乗り、「君は誰か。どうしてここで悩んでおるのか」と尋ねたので、彦火火出見尊は詳しくその事情を話した。老翁が袋の中の櫛を取り、地面に投げつけると、茂った竹林となった。そこでその竹を取って大目麁籠を作り、火火出見尊を籠の中に入れて海に投げ入れた。――あるいは、無目堅間で浮かぶ木舟を作り、細い縄で彦火火出見尊を結びつけて沈めたと言う。堅間と言うのは、今の竹の籠のことである。
〔一書3〕
そこで弟が浜辺に行ってうなだれ、悩み口籠っていると、川雁がいて、罠にかかって苦しんでいた。哀れに思い、罠を解いて放してやると、しばらくして塩土老翁が現れた。そして無目堅間の小舟を作り、火火出見尊を乗せて海の中へと押し出した。すると自然に沈み、たちまち良い潮路に出くわした。そこで流れのままに進むと、自然と海神の宮に辿り着いた。
(彦火火出見が)四十五歳になったとき、兄達や子供等に建国の決意を語った。
「昔、我が天神である高皇産霊尊・大日孁尊は、この豊葦原瑞穂の国のすべてを我が天祖である彦火瓊瓊杵尊に授けた。 そこで火瓊々杵尊は、天の関をひらき、雲の路をおしわけ、日臣命らの先ばらいを駆りたてながらこの国へ来たり至った。これは、遙か大昔のことであり、世界のはじめであって暗闇の状態であった。それゆえ諸事に暗く分からない事も多かったので、物事の道理を養い、西のはずれの地を治めることとした。 我が祖父と父は霊妙な神であって物事の道理に精通した聖であった。彼らは素晴らしい政により慶事を重ね、その徳を輝かせてきた。そして多くの歳月が経過した。 天祖が天から降ってからこのかた今日まで、179万2470有余年が過ぎたが、遠く遥かな地は、いまだ王の徳のもたらす恵みとその恩恵をうけていない。その結果、国には君が有り、村には長がいて、各自が支配地を分け、互いに領土を争う始末だ。 さて、一方で塩土老翁 からはこんな話を聞いた。『東に、美しい土地があって、青く美しい山が四方を囲んでいる。そこに天磐船に乗って飛びその地に降りた者がいる。』と。 私が思うに、かの地は豊葦原瑞穂の国の平定と統治の偉業を大きく広げ、王の徳を天下のすみずみまで届けるのにふさわしい場所に違いない。きっとそこが天地四方の中心だろう。そこに飛んで降りた者とは「饒速日」という者ではないだろうか。私はそこへ行き都としたい。」
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