埼玉県川越市といえば、「蔵の街」として埼玉が誇る一大観光スポット。
「埼玉って何があるんですか?」
良く聞かれます。
その時は、胸を張って「川越があります!」と叫びましょう。
そんな川越のシンボルが「時の鐘」。
今や川越のランドマークとして、ココを訪れずして川越は語れないほどの存在になってマス。
ただの昔の時計台やん、、、
というのは置いといて、本エントリではこの「時の鐘」の歴史を無駄に深堀りしてみたいと思います。
時の鐘|川越のシンボル!?川越のランドマークにもなったとウワサの「時の鐘」は江戸時代からずっと時を知らせてた件
まず、時の鐘のポイントを。
- 江戸時代初期、当時の川越藩主「酒井さん」によって創建された。
- 現在建っているのは4代目。
- 木造3層のやぐらで、高さは約16m。
- 鐘は、6時、12時、15時、18時の一日4回鳴る。
- その響きの良い音色は、環境省の「残したい“日本の音風景100選”」に認定された(平成 8年)
いや、もうコレだけで十分です。
これを語れれば、「時の鐘」を語ってOK。
「時の鐘」を語れるということは、川越を語れるという事と同義であります。
ようこそ川越へ。
さて、そんな「時の鐘」。
当サイトならではの、無駄に深堀りを以下、お届けします。
さかのぼる事、江戸時代。
寛永4~11年、つまり、1627年~1634年ごろ。
関ヶ原の戦いが1600年なので、徳川の平和な時代になって30年くらいしたときに建てられた訳ですね。
平和ボケして、時間を忘れないように、時の鐘を建てようと?
当時の川越藩主だった酒井忠勝(さかいただかつ)が創建。
そのころの川越の地図が残っておりまして。。。
▲確かに、「鐘堂」って書いてあるやん!
▲歌に詠まれたりもして。。。
しかしながら、江戸時代のあいだに3回も火事で焼失。その度に再建されてきました。
で、明治に入って、
明治26年。再び川越大火で焼失。多いな火事、川越。
で、明治27年に再建。それが現在の時の鐘という訳。なので4代目。
ちなみに、
大正元年(1912年)の写真では、現在の「時の鐘」とは異なる点が。
なんと、横棒が無く、壁に小窓も無い!
どうでもいいですか?
で、昭和に入り、昭和16年時点での写真では、
ガラス窓がつけられていたことが分かります。
ところが、昭和27年にはガラス窓がなくなり、鴨居だけが残る形に。
どうでもいいですか?
そして、最後。昭和33年には念願の「市の指定文化財」入りを果たしました。
で、昭和35年に大修理。現在と同じ形になりました。
こちら、昭和52年当時の写真。
と、いろいろな曲折を経て、それでも今でも「時の鐘」として残り続け、川越のシンボルへと上り詰めたという次第。
いやー、頑張ったね。時の鐘。
環境省の指定、つまり、国の指定をもらったわけで、これほどフィーチャーされているのは過去無かったでしょう。おめでとう時の鐘。引き続き、その素晴らしい音色を聴かせつづけてください。
って、今、工事中やん!
まとめ
時の鐘
ポイントは以下5点。
- 江戸時代初期、当時の川越藩主「酒井さん」によって創建された。
- 現在建っているのは4代目。
- 木造3層のやぐらで、高さは約16m。
- 鐘は、6時、12時、15時、18時の一日4回鳴る。
- その響きの良い音色は、環境省の「残したい“日本の音風景100選”」に認定された(平成 8年)
コレだけで十分。
これを語れれば、「時の鐘」を語って良し!
「時の鐘」を語れるということは、川越を語れるのと同じ事。大いに語りましょう。川越を!
時の鐘
最寄駅は、西武新宿線「本川越駅」、東武上本線「川越市駅」。バスが出てるのでそちらを是非。
[map addr=”埼玉県川越市幸町15-7″]※現在、時の鐘は耐震化工事を行っており、
・定刻の「鐘つき」
・夜間ライトアップ
が停止中。
平成28年4月下旬から平成28年10月頃まで「鐘」も見れなくなります。ご注意を。
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