住吉大社の創建経緯を、日本神話をもとに探ります。
神社の起源を日本神話に求める事で、一般的に知られている神社のイメージとは違った側面が見えてきますよ♪
今回は「住吉大社」。全国に2000社以上もある住吉神社系列の総本社。下関と博多の住吉神社とともに「日本三大住吉」の一社です。
住吉大社の創建経緯|「海の底に沈き、潮の中に潜き、潮の上に浮き、濯ぎたまふ」by日本書紀
住吉大社の創建経緯
住吉大社の全体像はコチラで是非。ココでは創建経緯について深くお届けします。
創建経緯は以下の通り。
第十四代仲哀天皇の妃である神功皇后の新羅遠征(三韓遠征)と深い関わりを持っております。神功皇后は、住吉大神のお力をいただき、たちまち強大な新羅を平定せられ、無事ご帰還を果たされます。この凱旋の途中、住吉大神のお告げによって、この住吉の地に祀られることになりました。(神社説明文より)
とのことで。
神功皇后の新羅遠征が創建の経緯。
仲哀8年(200年前後)、仲哀天皇は熊襲討伐のため、嫁の神功皇后とともに筑紫へ遠征。
で、橿日宮に居るとき、神が皇后を通じて新羅征討の神託を下すのですが、仲哀天皇は信用せず神託シカト、、、で、熊襲討伐を強行した結果、あっけなく敗走、神罰を受けて死んで(崩御して)しまう事態に、、、((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
この事件をきっかけとして歴史の表舞台に燦然と登場するのが、
奥さんの神功皇后
さっそく神事をRe:斎行&神意をヒアリング。マジ、ちゃんと聞きますから教えてくださいと。
で、この神事により明らかになるのが、、、先に神託を下した神々のこと。そう実は複数形。
神事の中で、神託を下した神々が「伊勢の五十鈴宮の神」をはじめ、次々に名告りでて、最後に、「日向国の橘小門の水底に居る所の、水葉も稚に出で居る神、名は表筒男、中筒男、底筒男の神である」と明らかにするのです。
実はオレだった、実はアタシだった、、、的な神様カミングアウトの巻。
しかも、天照大神はじめ、いろんなスゲー神様が出てきたで、、、で、それらスゲー神様たちのなかに、住吉三神がいたってことです。
で、
これらの神が「一体の神」として、改めて皇后に新羅征討を勧め、また皇后の懐妊している子(後の応神天皇)がその国を獲ると教示する次第。。。スゲー展開。。。
まー聞いてしまった以上、やらねばと、
いうことで、この後、神功皇后は実際に三韓征討へ出発。スゴ…
でも、神の教示や助力を得て、新羅国を服属させ、無事帰還を果たす訳です。有名な「三韓討伐」。(このとき、神功皇后は、お腹に後の応神天皇を身ごもっておりました)
スゲーな神!
言うとおりにやったらできちゃった。
神功皇后が八幡信仰の中心的な神様になっていくキッカケがコレでもあって。ほんと、モーレツな戦う女性です。お腹に赤ちゃんがいたんすよね。。。
ちなみに、、、
この神については、伝承によって異同があったりします。『古事記』は天照大神と住吉三神、さらに『日本書紀』でも継体天皇6年12月に伝える伝では、住吉大神だけを挙げたりしています。
で、
大事なのは、この「三韓討伐」という戦果以上に、以下のような神の教示を伝えてること。
神功皇后の新羅征討にあたって、「従った神は、表筒男・中筒男・底筒男の三神であった(従軍神、表筒男・中筒男・底筒男三神)」と伝え、征討に発つ直前に、神みずから
和魂は王の身の命を守り、荒魂は先鋒として軍船を導くだろう(和魂服王身而守寿命、荒魂為先鋒而導師船)
と教誨。
それをうけて皇后は、
こうして荒魂を招きよせ軍の先鋒とし、和魂を請じて船のお守りとされた。 ( 既而則撝荒魂、爲軍先鋒、請和魂、爲王船鎭。)
と伝えます。
で、大事なのがココ。この伝承、まさに住吉三神の神格そのもの。
要は、
航海の安全を守り、導く神としての地位を、神功皇后伝承によって確立した
って事。これ激しくチェック。
そして、本エントリのテーマである、住吉大社の創建経緯につながるのがコチラ。
神功皇后が新羅から帰還の途中、天照大神と共に住吉三神が再び託宣を下します。
この託宣で、三神は、
吾が和魂をば大津の渟中倉の長峡に居さしむ. べし。便ち因りて往来ふ船を看さむ (『日本書紀』神功摂政一年2月条)
と告げ、この教示によって鎮座するという流れ。
「往来ふ船を看さむ」とあるように、海上交通・航海安全の守護神としての神格が現出。
そして、これにより鎮座した地が、今の住吉大社(延喜神名式に記載する摂津国住吉郡住吉坐神社)、という訳です。
このことから、航海の神として崇拝を集め、遣唐使も住吉津から出航する際には必ずこの神に安全を祈願するようになったといいます。
尚、「住吉津(古代の国際交易の玄関港)」という地名は、この住吉大神をここに鎮座する事にちなんでいたりします。
まとめ
住吉大社の創建経緯
神功皇后の新羅遠征が創建の経緯。
神功皇后が新羅(古代朝鮮半島にあって日本と敵対した国)討伐に出兵した折に、天照大神と共に皇后に神託を下し、それによって力を得た神功皇后が勝利・凱旋を果たしたところから。
帰還時に、三神は、
吾が和魂をば大津の渟中倉の長峡に居さしむ. べし。便ち因りて往来ふ船を看さむ (『日本書紀』神功摂政一年2月条)
と告げ、この教示によって鎮座するという流れ。
「往来ふ船を看さむ」とあるように、海上交通・航海安全の守護神としての神格が現出。
そして、これにより鎮座した地が、今の住吉大社(延喜神名式に記載する摂津国住吉郡住吉坐神社)、という訳です。
こうした経緯より、航海の神として崇拝を集め、遣唐使も住吉津から出航する際には必ずこの神に安全を祈願するようになりました。
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