神武東征神話を分かりやすく解説するシリーズ
目次
神武東征神話から、高倉山へ登った時のお話をお届けします。
宇賀志の在地豪族「兄猾(えうかし)」を誅殺、宇陀の東部地域を制圧した「彦火火出見(ひこほほでみ)」こと神武。
ここ宇賀志に、大和攻略の前進基地を確保します。そして、南の境界線にある吉野を制圧しました。外堀から埋めてる感じですね。
いろいろ面白い方々が登場したのは前回ご説明した通りです。
今回は、この後に続くお話の下準備として、お届けです。
題して「敵の布陣図」。
地図が頭に入ってないと、ちんぷんかんぷんなので、専用エントリで解説。今回も、『日本書紀』巻三「神武紀」をもとにお伝えします。
宇陀から磐余一帯の敵布陣図|高倉山に登ってみたら敵ばっかり!マジ腹が立ったからワシは寝る件|分かる!神武東征神話No.12
東征ルートと場所の確認
吉野を制圧した神武一行。
敵が少ない吉野経由でコソっと北上、サクッと橿原即位へ。。。
といったズルい手は用いません。
常に真っ向勝負。宇賀志へ戻り、敵が最もたくさんいる宇陀榛原経由で「中洲=世界の中心」へ進軍しようとします。。。
(↑これって、要は榛原の地がそれほど重要だったという意味でもあります。古代より、大和からみて東の境界に当たる地だったという背景あり。)
そこで、宇陀盆地から中洲(大和平野)を見渡せる「高倉山」へ登り、敵情を探る訳です。
すると、まあ、どこもかしこも敵だらけ、という状況が判明するのです。
地図で示すとこんな感じ。
中洲へ進む道が全て塞がれていることが分かりますよね。
東征神話で伝える中身
東征神話では具体的に、以下のように伝えています。
9月5日に、彦火火出見は菟田の高倉山の頂上に登り、その地域をはるかに望み見た。
すると、国見の丘の上に「八十梟(やそたける=敵)がいて、また、女坂(めさか) には「女軍(めいくさ=敵)」を、男坂(おさか) には「男軍(おいくさ=敵)」を配置し、墨坂には真っ赤に焃(おこ)っている炭を置いて士気を高めている(=敵)。女坂・男坂・墨坂の名が、これによって起こる。また「兄磯城(えしき)軍=敵」が磐余邑(いわれのむら)にあふれるほど多く集まっている。これら賊軍の陣を布くところは、どこも要害の地である。それ故に道路が遮断されて塞がり、どこにも通れるところが無い。
天皇はこれを憎悪し、この夜、自ら祈って寝た。
上記をもとに、推測される地名と関係を以下に整理します。
高倉山:神武東征軍
宇陀郡守道(もち)にある標高440mの山。高倉は山麓の地で、ここから宇陀榛原一帯、そして中洲を遠く望んだという事です。
国見の丘:八十梟
音羽山の南の経ヶ塚。大宇陀町と桜井市との間の山。東西に両地方を見下ろせます。
女坂(めさか):女軍(めいくさ)
女坂は、大宇陀町半阪あたりの坂。近くに小峠(海抜450m)があり、ここを越えると粟原(おおばら)忍坂(おっさか)を経て桜井に出ます。
女坂とは、傾斜のゆるい坂の事。女軍とは、力の弱い軍隊の事。
男坂(おさか):男軍(おいくさ)
男坂は、大宇陀町「上宮奥」あたりの坂。近くに大峠(海抜780m)があり、ここを越えると多武峰(とうのみね)を経て飛鳥に出ます。
男坂とは、傾斜の急な坂の事。男軍とは、力の強い軍隊の事。
墨坂:赤く熾った炭を置く
榛原町西峠の坂。大和と伊勢を結ぶ要路。
これら「男坂~国見丘~女坂~墨坂」をつなぐ一帯が、敵の包囲網なわけです。
宇陀から大和・伊勢へ通じる路が全て敵軍の支配下にある事が分かります。
磐余(いわれ):兄磯城軍
桜井市の中西部から橿原市東部にかけての古い地名。
大和の平野部から宇陀の山間部へはいる「喉仏(のどぼとけ)」的な位置にある山を磐余山と言います。
「彦火火出見(ひこほほでみ)」こと神武は、この状況にひどく腹を立てます。
なぜか?
敵が多い事に対してなのですが、もう少し掘り下げると、その憤りは、
例えば、宇賀志に入り、兄猾という敵をやっつけたはずなのに、まだまだいる敵に対しての怒りであったり。
例えば、天孫の私に対して、本来は「どうぞお通りください」と、ひれ伏すべきなのに、なんでひれふさないのだ?という憤りであったり。
例えば、山から目的地を遠く望んだ=希望と、それを阻害する近くの敵=現実、という対立のギャップがことさら「目立って」見えたことへの焦燥だったり、する訳です。
そして、寝ます。
とりあえず寝ます。
が、ちゃんと祈って寝る訳です。活路を夢のなかで見出せるようにという事で。
実際、その夢に「天神(あまつかみ)」が登場し、必勝の方法を教えてくれるわけです。良かった。。。
そこから先も話が長いので、次のエントリで詳しくお伝えします。
とにかく、まずは敵の位置関係を把握する事。
先に進もうにも、全て敵で埋め尽くされていた、という状況をつかんでいただければと思います。
まとめ
敵の布陣図
高倉山に登った神武の目の前には、要害の地を占拠するたくさんの敵でした。見渡す限り敵ばかり、といった表現がふさわしいと思います。
圧倒的な敵軍を前に、今までと同じ戦い方では勝ち目はありません。そこで祈って夢のなかで天神の導きを得ようとするわけです。
夢のお告げは、頭八咫烏の件いらい2回目。前回も道に迷って途方に暮れたところで天照が救援の手を差し伸べました。
今回も、それくらい、どないにもならんくらい大変な状況、という感じだったということが分かりますね。
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参考文献:『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)、他
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