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神武東征神話を分かりやすく解説するシリーズ
今回は11回目。吉野巡幸をめぐる神話をお届けします。
宇賀志の在地豪族「兄猾(えうかし)・弟猾(おとうかし)」を制圧した「彦火火出見(ひこほほでみ)」こと神武。
ここ宇賀志に、大和攻略の前進基地を確保します。
このまま世界の中心である中洲(=橿原)へ進軍したいところですが、中洲へ通じる道は多くの敵が占拠。宇陀の中央部も敵の手中にある訳で、容易に進めません。
そこで、大和の「南の境界」であった「吉野」へ向かいます。
そこは敵の勢力の及ばない「異俗の地」で、やすやすと支配下に置く事ができた、というお話。
「異俗」とは、人間とは別の変な生き物(一応、人)たちのこと。井戸の中から出てくる人や尾のある人など、オモシロすぎる方々が登場します。
- 吉野巡幸は何を伝えているのか?
この「謎」を探ることで、「吉野巡幸」が伝える意味を考えます。
今回も『日本書紀』巻三「神武紀」をもとにお伝えします。ちなみに、前回の内容、これまでの経緯はコチラ↓をご確認ください。
東征ルートと場所の確認
宇賀志の「兄猾」を誅し、この地を制圧した東征一行。
宇賀志含む宇陀一帯は、橿原(=中洲)から見て東の境界線にあたる地域です。
東の境界には敵軍が多く容易に進軍できないため、まずは南の境界を制圧しようという訳。
それが吉野です。
地図で示すとこんな感じ。赤〇が敵勢力です。
橿原から見ると、確かに「吉野」は南の境界線らしき場所ですよね。
元はと言えば、西の大阪湾から攻め込んで撃破されて紀伊半島を迂回したわけで。
イメージとしては、西は固めてある雰囲気もあったのでしょう。橿原を中心に、あとは東と南と北。
今回は、まず、その南を固めるお話という訳です。
吉野巡幸|先は敵ばっかりなので、まずは南の境界を固めようと思い立った件
吉野巡幸 語訳
その後、「彦火火出見(ひこほほでみ)」は吉野の地を視察しようとして、菟田の穿(うがち)の邑から、自ら軽装の兵を従えて巡幸した。
吉野に到着すると、井戸の中から出てくる者がいた。体は光り、尾[1]がある。
彦火火出見は、「お前は何者だ」と問うた。
臣 (私)は国神で、名を「井光(いひか)」という者だ。
と言う。これは吉野の首部の始祖である。
さらに少し進むと、岩を押し分けて出てくる者がいた。
彦火火出見が「お前は何者か。」と問うと、その者は、
臣(私)[2]は磐排別(いわおしわく)の子だ。
と言った。
これは吉野の国楳(くず) [3]らの始祖である。
川に沿って西に行くと、また、「梁(やな)」を設けて魚を取る者がいる。
彦火火出見が問うと、答えて、
臣(私)は「苞苴担(にえもつ)」の子だ。
と言う。
これが阿太(あだ)の養鸕(うかい) [4]らの始祖である。
注釈
[1]異俗の民の身体上の特徴を表現したもの。東征神話後半に出てくる「土蜘蛛」と同じ。
[2]臣従する意を込めた表現。尊貴な天皇(天神の子)の出現を歓迎してわざわざ姿を現したという設定。
[3]応神天皇十九年十月条に、「国梄の献酒、歌、その直後に口を叩いて仰ぎ笑う」といった独特の所作を伝えています。
[4]吉野川の鮎は著名で、鵜飼が行われていました。万葉集 柿本人麻呂歌(三十八)に『吉野川の神も大御食(おおみけ)に仕奉ると上つ瀬に鵜川を立ち』とあります。
原文
是後、天皇欲省吉野之地、乃從菟田穿邑、親率輕兵巡幸焉。至吉野時、有人出自井中、光而有尾。天皇問之曰「汝何人。」對曰「臣是國神、名爲井光。」此則吉野首部始祖也。更少進、亦有尾而披磐石而出者。天皇問之曰「汝何人。」對曰「臣是磐排別之子。」此則吉野國樔部始祖也。及緣水西行、亦有作梁取魚者。天皇問之、對曰「臣是苞苴擔之子。」此則阿太養鸕部始祖也。
『日本書紀』巻三 神武紀より
まとめ
吉野巡幸
もう、とにかく、「異俗」の皆さんのキャラが立ちまくってます。。。
井戸の中から出てきたと思えば、体中が光ってて、尻尾があるとか。岩を押し分けて出てきたりとか、魚を取ってたりとか。。。
ま、魚を取るのはいいとして、なぜ井戸?なぜ光る?あと尻尾って??岩って???
神話の時代における、異なる風俗をもつ人々の表現。
なんか、めっちゃ上から目線さく裂。。。汗
そもそも、異俗の皆さん、彦火火出見に初めて会うのに既に自称「臣」。
初めての人に対して、自らを「臣下」として名乗ってるわけで。大丈夫なんでしょうか。
それだけ、彦火火出見は尊い雰囲気を醸し出してたという事かと。
ま、それはそれで置いといて、
重要なのは、吉野に限って「省(せい)」「巡幸(じゅんこう)」という表現を使ってること。
「省」も「巡幸」も中国古代の天子の行為を表す言葉。
「省」は、天子が臣下に諸侯を慰問させる礼を表すほか、天子自ら統治下の四方を視察する行為のこと。
そして「省」と一体的な関連にあるのが「巡幸」。
「巡幸」とは、こちらも中国古代における天子の正式行事で、天子が行く地域が支配下にあることを確認するために行います。数年に1回行っていました。
いずれにしても、「支配地の視察や確認」といった意味を持つ言葉が、吉野に限って使われているという事です。
これがとても大事ですね。
吉野一帯は敵の勢力が手薄で、まずは橿原から見て南の境界にあたる場所を確保するために、「支配地の視察や確認」を行った。
「支配地の視察や確認」ので、この地域はすでに彦火火出見のものである、という事です。
このようにして読むと、着々と布石をうち、周辺から固めていくように作られていることが分かりますね。神武東征神話、やっぱりよく練られた神話だと思います。
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本記事監修:(一社)日本神話協会理事長、佛教大学名誉教授 榎本福寿氏
参考文献:『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)、他
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