多彩で豊かな日本神話の世界へようこそ!
正史『日本書紀』をもとに、
最新の文献学的学術成果も取り入れながら、どこよりも分かりやすい解説をお届けします。
今回は、
神武東征神話を分かりやすく解説するシリーズ11回目。
テーマは、
吉野巡幸
菟田県の首領である「兄猾」「弟猾」ブラザーズを攻略した神武一行は「吉野」へ向かいます。
吉野は敵勢力の及ばない「異俗の地」。「異俗」とは、人間とは別の変な生き物たち(一応、人)のこと。井戸の中から出てくる人や尾のある人など、オモシロすぎる方々が登場。
吉野巡幸は何を伝えているのか?
そんなロマンを探ることで、「吉野巡幸」が伝える意味を考えます。
今回も、概要で全体像をつかみ、ポイント把握してから本文へ。最後に、解説をお届けしてまとめ。
現代の私たちにも多くの学びをもらえる内容。日本神話から学ぶ。日本の神髄がここにあります。それでは行ってみましょう!
- 日本神話研究の第一人者である榎本先生監修。確かな学術成果に基づく記事です
- 日本神話全体の流れや構造を解き明かしながら解説。他には無い分かりやすい記事です
- 現代語訳のほか原文も掲載。日本神話編纂当時の雰囲気を感じてもらえます
- 登場する神様や重要ワードへのリンク付き。より深く知りたい方にもオススメです
神武紀|吉野巡幸|先は敵ばっかりなので、まずは南の境界を固めようと思い立った件|分かる!神武東征神話No.11
目次
神武紀|吉野巡幸の概要
今回も『日本書紀』巻三「神武紀」をもとにお届け。前回の内容、これまでの経緯はコチラ↓をご確認ください。
菟田県の首領である「兄猾」「弟猾」ブラザーズを攻略した神武一行。
このまま世界の中心である「中洲(大和平野・奈良盆地)」へ進軍したいところですが、通じる道や山は敵が占拠しているため容易に進めません。そこで一旦、「中洲」の「南の境界」であった「吉野」へ向かいます。
そこは敵勢力の及ばない「異俗の地」で、やすやすと支配下に置く事ができた、というお話。「異俗」とは、人間とは別の変な生き物たち(一応、人)。かなり上から目線ですが、、、井戸の中から出てくる人や尾のある人など、オモシロすぎる方々が登場!
東征ルートと場所の確認
地図で示すとこんな感じ。
菟田県(宇陀)は、「中洲」から見て「東の境界」にあたる地域。ここを拠点とし、吉野に偵察にでたり、高倉山に敵状視察に出たりします。いわば、「中洲」侵攻前の準備基地、兵站基地的な位置づけ。
で、菟田から先は敵軍が多く、容易に進軍できないため、まずは「南の境界」を制圧しようという訳。それが吉野。
「中洲」から見ると、確かに「吉野」は南の境界らしき場所ですよね。
元はと言えば、西の大阪湾から攻め込んで撃破されて紀伊半島を迂回したわけで。イメージとしては、西は固めてある雰囲気もあったのでしょう。「中洲」を中心に、あとは東と南と北。
今回は、まず、その南を固めるお話です。
神武紀|吉野巡幸 現代語訳と原文
その後、彦火火出見は吉野の地を視察しようとして、菟田の穿邑から、自ら軽装の兵を従えて巡幸した。
吉野に到着すると、井戸の中から出てくる者がいた。その姿は光り尾がある。彦火火出見は、「お前は何者か」と問うた。答えて「私めは国神で、名を井光と申します」と言う。これは吉野首らの始祖である。
さらに少し進むと、また尾のある者が岩を押し分けて出てきた。彦火火出見が「お前は何者か」と問うと、その者は、「私めは磐排別の子です」と言った。これは吉野国楳らの始祖である。
川に沿って西に行くと、また、梁を設けて魚を取っている者がいた。彦火火出見が問うと、答えて「私めは苞苴担の子です」と言う。これが阿太の養鸕らの始祖である。
是後、天皇欲省吉野之地、乃從菟田穿邑、親率輕兵巡幸焉。至吉野時、有人出自井中、光而有尾。天皇問之曰「汝何人。」對曰「臣是國神、名爲井光。」此則吉野首部始祖也。更少進、亦有尾而披磐石而出者。天皇問之曰「汝何人。」對曰「臣是磐排別之子。」此則吉野國樔部始祖也。及緣水西行、亦有作梁取魚者。天皇問之、對曰「臣是苞苴擔之子。」此則阿太養鸕部始祖也。 (『日本書紀』巻三 神武紀より抜粋) ※原文中の「天皇」という言葉は、即位前であるため、生前の名前であり東征の権威付けを狙った名前「彦火火出見」に変換。
神武紀|吉野巡幸 解説
もう、とにかく、「異俗」の皆さんのキャラが立ちまくってます。。。そんなロマンに想いを致しながら、、、
以下詳細解説。
- その後、彦火火出見は吉野の地を視察しようとして、菟田の穿邑から、自ら軽装の兵を従えて巡幸した。
- 是後、天皇欲省吉野之地、乃從菟田穿邑、親率輕兵巡幸焉。
→「中洲」から見ると「吉野」は南の境界。
菟田県(宇陀)を攻略したものの、ここから先は敵軍が多く簡単には進軍できないため、まずは南を攻略しておこうと。
重要なのは、吉野に限って「省」「巡幸」という表現を使ってること。原文「天皇欲省吉野之地」「親率輕兵巡幸」。
「省」も「巡幸」も中国古代の天子の行為を表す言葉。
「省」は、天子自ら統治下の隅々まで視察すること。『易』観卦の象伝に「先王以て方を省み、民を観て教へを設く」とあり。
そして「省」と一体的な関連にあるのが「巡幸」。「巡幸」とは、中国古代における天子の正式行事で、天子が行く地域が支配下にあることを確認するために行います。数年に1回行ってました。
いずれも、「支配地の視察や確認」といった意味を持つ言葉で、これが吉野に限って使われてるってこと。コレ、めちゃ重要。
吉野一帯は敵の勢力が手薄で、まずは「中洲」から見て南の境界にあたる場所を確保するため「支配地の視察や確認」を行った。言い方を変えると、「省」「巡幸」=「支配地の視察や確認」なので、この地域はすでに彦火火出見のものである、という事です。
こうして読むと、着々と布石をうち、「中洲」周辺から固めていってることが分かりますね。神武東征神話、やっぱりよく練られた神話だと思います。
次!
- 吉野に到着すると、井戸の中から出てくる者がいた。その姿は光り尾がある。彦火火出見は、「お前は何者か」と問うた。答えて「私めは国神で、名を井光と申します」と言う。これは吉野首らの始祖である。
- 至吉野時、有人出自井中、光而有尾。天皇問之曰「汝何人。」對曰「臣是國神、名爲井光。」此則吉野首部始祖也。
→神話の時代における、異なる風俗をもつ人々、、、
「井戸の中から出てくる者がいた。その姿は光り尾がある」とありますが、コレ、異俗の民の身体的特徴を表現したもの。東征神話後半に出てくる「土蜘蛛」と同じ。光りながら井戸からにょーんって。。。
しかも井光さん、初めて会う神武に対して最初から自称「臣」。大丈夫なんでしょうか。
って、コレも東征神話的には、臣従する意を込めた表現として使用。尊貴な神武(天神子)の出現を歓迎し、わざわざ姿を現したという設定になってます。
「吉野首部始祖」について。『古事記』では「吉野首等祖」とあることから、ココで使われてる「部」は「等」の意味として。「吉野首ら」。
ちなみに、、吉野の皆さん、この時点では「首」姓ですが、天武12年には「連」姓を賜っておられます。出世したなー。
また、『新撰姓氏録』には「吉野連は加弥比加尼の後なり」とあり、今回登場した「井光」さんがコレにあたると。さらに「水光姫」となづけ「水光神」として吉野連が祭っていると伝えてます。「井光」さん、実は女神だった??
現在、奈良県吉野郡川上村に「井光」の地名が残ってます。
次!
- さらに少し進むと、また尾のある者が岩を押し分けて出てきた。彦火火出見が「お前は何者か」と問うと、その者は、「私めは磐排別の子です」と言った。これは吉野国楳らの始祖である。
- 更少進、亦有尾而披磐石而出者。天皇問之曰「汝何人。」對曰「臣是磐排別之子。」此則吉野國樔部始祖也。
→次の方も尾があり、岩を押し分けて出現。。ガガーンと「磐排別」。
このお方も、最初から臣従。自称「臣」。
『新撰姓氏録』では「国梄、石穂押別神より出るなり。神武天皇~略~詔して国梄の名を賜ふ」とあり。また、『古事記』では応神天皇19年10月条に、「国梄の献酒、歌、その直後に口を叩いて仰ぎ笑う」といった独特の所作を伝えています。
現在、奈良県吉野町に「国梄」の地名が残ってます。
次!
- 川に沿って西に行くと、また、梁を設けて魚を取っている者がいた。彦火火出見が問うと、答えて「私めは苞苴担の子です」と言う。これが阿太の養鸕らの始祖である。
- 及緣水西行、亦有作梁取魚者。天皇問之、對曰「臣是苞苴擔之子。」此則阿太養鸕部始祖也。
→ここでいう川は吉野川。「梁」とは魚をとる仕掛けの事。
吉野川の鮎は著名で、古く鵜飼が行われてました。万葉集 柿本人麻呂歌(三十八)に『吉野川の神も大御食に仕奉ると上つ瀬に鵜川を立ち』とあります。
「にへ」は神や朝廷に献上する食料のこと。「苞苴担」は、その食料、ここでは獲った魚(鮎)を献上する者の意味。
現在、奈良県五條市東部に、東阿田、西阿田、南阿田の地名が残ってます。
まとめ
吉野巡幸
菟田県(宇陀)を攻略し、まずは南を攻略しておこうと吉野へ。
重要なのは「省」「巡幸」という漢字。「支配地の視察や確認」といった意味を持つ言葉が、吉野に限って使われてます。
「支配地の視察や確認」なので、この地域はすでに彦火火出見のものである、ってこと。着々と布石をうち、周辺から固めていく作戦ですね。神武東征神話、やっぱりよく練られた神話だと思います。
神話を持って旅に出よう!
神武東征神話のもう一つの楽しみ方、それが伝承地を巡る旅です。以下いくつかご紹介!
●井氷鹿の井戸 ※「井氷鹿」は「井光」の『古事記』名
●井光神社
●国梄
●東阿田
続きはこちらで!やっぱり東から西へ攻め込みたい!
神武東征神話のまとめ、目次はコチラ!
佛教大学名誉教授 日本神話協会理事長 榎本福寿
埼玉県生まれ(S23)。京都大学大学院文学研究科博士課程国語学国文学(S53)。佛教大学助教授(S58)。中華人民共和国西安外国語学院(現西安外国語大学)文教専家(H1)。佛教大学教授(H6)。中華人民共和国北京大学高級訪問学者(H13)。東京大学大学院総合文化研究科私学研修員(H21)。主な書籍に『古代神話の文献学 神代を中心とした記紀の成りたち及び相関を読む』がある。『日本書紀』『古事記』を中心に上代文学における文献学的研究成果多数。
参考文献:『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)
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