「式年遷宮」は、20年に1度の「神様のお引越し」として有名ですよね。
平成25年に62回目の遷宮が行われ、年間の参拝者数がなんと1400万人超え!日本の人口の1割以上が参拝した計算に。ま、いろいろ話題を集めましたが、意外にその全体像は理解されていないように思います。
そこで、概要と全体像をまとめてみたので以下ご紹介します。詳細は伊勢神宮の展示場にも掲示してあります。
伊勢神宮の式年遷宮|20年に1度の神様のお引越し♪遷宮の全体像と概要を分かりやすくまとめ!
目次
式年遷宮の概要と3つのステップ
「式年遷宮」自体は「神様のお引越し」。伊勢神宮だけでなく他の神社でも、形を変え、規模を変え行われています。
伊勢神宮では、20年に1度の「神様のお引越し」。
ココではもう少し詳細を。
- 「式年」とは「決められた年限」と言う意味。伊勢神宮の場合、20年を1つの年限=式年として定めているという事。
- 「遷宮」とは、古い社殿から新しい社殿にお遷りいただく事。神様なので「移る」も「遷る」という漢字を使います。
社殿を設ける敷地は、東西に二つ用意されていて、新社殿が完成すると、旧社殿からお引越し。これを20年を式年として行われるので「式年遷宮」と言う訳です。これ、社殿だけでなく、装束や神宝も造り改めます。
そして、その概要は、大きく3つのステップです。
- 材料集め
- 建立
- お引越し
材料を集めて、お宮を造って、お引越しする。とてもシンプルですよね。ただ、これは1年で終わる訳ではなく、実はお引越しの8年前から準備が開始されるとても息の長いお祭りなんです。細かい準備とか入れると10年くらい前から準備してる感じ。
ということで、以下詳細のステップをご紹介です。
1.材料集め
①山口祭(平成17年5月)
式年遷宮で用いる用材を切り出すにあたって、「山口神」をまつり山に踏み入るお許しをいただくお祭り。式年遷宮の幕開けとなる祭典で、平成17年5月2日午前8時に内宮、同日正午に外宮でそれぞれ執り行われました。
②御杣始祭(みそま はじめさい) 平成17年6月
御神体をお納めする御器である御樋代の用材となる御樋代木を伐採するお祭り。伐採には「三ツ尾伐り」という伝統技法が用いられます。今回の遷宮にあたっては、長野県木曽郡上松町の「御杣山」で執り行われました。
2.建立
③鎮地祭 平成20年4月
新しい神殿の造営にあたり、その「大宮地」に坐す神を鎮め、作業の無事を祈るお祭り。頭に清浄を表す「気綿鬘」を結った童女が奉仕。
④宇治橋渡始式 平成21年11月
五十鈴川にかかる長さ101.8mの純和風総木造の宇治橋も20年に1度架け替えられます。11月3日に、三代揃った「渡女」夫妻を先頭に渡始が執り行われました。
⑤上棟祭 平成24年3月
御正殿の棟木を揚げるお祭り。正殿の屋上から延ばした白い布網を、神職と造営庁職員が曳きます。小工の掛け声にあわせて棟木が打ち固められます。
⑥御白石持行事(おしらいし もち ぎょうじ) 平成25年8月
新しい社殿の敷地に旧神領民が宮川の川原で集めてきた白石を自らの手で敷き並べ奉献する行事。遷宮の年に執り行われ、全国より多くの特別神領民も参加します。
3.お引越し
⑦川原大祓(かわらおおはらい) 平成25年10月
遷御の前日、川原の祓所で神々の調度品である御装束神宝と共に遷御に奉仕する神職を祓い清める行事。
⑧遷御(せんぎょ) 平成25年10月
遷宮諸祭の中でも最も重要なお祭り。浄闇の中、御神体は「絹垣」に囲まれて新しい神殿へお遷りになります。
⑨奉幣(ほうへい) 平成25年10月
遷御の翌日、新宮の大御前に勅使(天皇のお使い)が幣帛を奉奠されるお祭り。古くは「一社奉幣」と称され、遷宮とともに重んじられてきました。
と、いうことで、
材料集めからお引越しまで約8年もの歳月がかかる一大プロジェクト、それが式年遷宮です。
式年遷宮を行う意味
冒頭でもお伝えした通り、伊勢神宮の場合、20年を1つの年限=式年として定めていて、その式年ごとに「遷宮」、つまり古い社殿から新しい社殿にお遷りいただいています。
大事なのは、それを行う理由ですよね。
それは、神嘗祭と関係します。
神嘗祭とは、五穀豊穣をお祝いする感謝祭の事。
伊勢神宮で行われる年間のお祭りのなかで一番重要なのが神嘗祭。
そもそもは、
一番大切な神嘗祭を、いつも清々しい環境で行うために、式年遷宮を行った
という事。ここ重要なところなのでしっかり押さえておきましょう。
農耕社会を作り上げた古代日本にとって、五穀豊饒を祝う事は特別な意味を持っていました。
日本神話でもそれは登場していて。2つ。
そもそもは、この日本(大八洲国)が「天神」という尊い神様の予祝からスタート。
天神が伊奘諾尊と伊奘冉尊にくだした「国生み」指令の中に、「豊葦原千五百秋瑞穂之地」という日本の美称が登場。
葦原には稲が生育。豊かな葦原=豊かな稲。「千五百」とは稲の収穫がめちゃめちゃたくさん、そんな秋。ウットリ(*´ェ`*)ポッww 秋=1年の収穫の時でもあるので、千五百とかけてめちゃめっちゃ長い間、年という意味も含みます。「瑞穂」はみずみずしい稲穂。
まとめると、豊かな葦の茂る原でめっちゃ大量に永遠に稲穂が収穫できるみずみずしくすばらしい地、の意味。
まースゴイ。これでもかってくらい予祝感満載。てんこ盛りです。
2つめ。神武東征神話から。
東征を成就させた神武天皇が国見をしたときに日本をして「秋津洲」の名前が起こります。これも、五穀豊饒の土地を予祝したものでした。
と、神話の時代から続くこの考え方や思想は引き継がれていて、宮中や伊勢神宮では今でも神嘗祭を行っているのです。最重要の神嘗祭、ぼろぼろの社殿で行う訳にはいきません。そこで式年で遷宮を行いながら清々しい環境を維持してきたという事ですね。そこに込められた豊かな日本への祈り。信仰。
ちなみに、
なぜ20年なのか?
多くの説があるそうです。
- 社殿の耐久性の観点から神宮の尊厳を守る適年である事
- 建築技術や神宝作製の技術伝承のために可能な年限である事
- 穀倉と関連し、稲の貯蔵年限が最長20年とする法令によるものである事
等々。いずれも理由として理に適っているように思います。
最後に、
こうした制度が生まれてきた背景を説明しておきます。
遷宮の制度自体は、天武天皇の企画で、続く持統天皇の御代、持統天皇4年(690年)に初めて行われました。戦国時代に120年ほど中断されたものの近世以降20年ごとに行われるようになってます。
式年遷宮が定められた700年前後の時代背景とは、
象徴的なのは、大宝元年(701年)に大宝律令が完成し、律令国家として天皇中心の中央集権国家が成立した事。
律とは、刑法、令とは行政法のこと。
そして、当サイトで扱っている『日本書紀』や『古事記』が編纂されたのもこのころ。日本の起源や成り立ちへの自覚が芽生え、律令編纂を通じて、固有の神祇制度が確立されてきた時代ですね。
式年遷宮の制度はこうした背景から生まれてきたと考えられます。その土台には、農耕文化の土壌と五穀豊饒をお祝いするお祭りがあったという事で。
いずれにしても、1300年以上の歴史と伝統をもつお祭り。
この重厚さや奥ゆかしさは世界でも例をみないオンリーワンなものだと思います。そして、遷宮を行う事で、神宮は今も新しく生き続けているとも言えます。
詳しくは伊勢神宮の休憩処で。動画も放映されています。
まとめ
伊勢神宮の式年遷宮
式年遷宮は、20年に1度、定められた式年に、新宮を建立して大御神にお遷りを願うもの。
遷宮の制度自体は、天武天皇の企画で、続く持統天皇のときに第一回が行われ、以後継続されて平成25年で62回目を迎えました。
式年遷宮を行う理由は、五穀豊穣をお祝いする感謝祭である「神嘗祭」と関係があります。伊勢神宮で行われる年間のお祭りのなかで、一番重要なのが神嘗祭であり、そもそもは、この一番大切な神嘗祭をいつも清々しい環境で行うために、式年遷宮を行ったという事。ここ是非チェックされてください。
社殿を新しくする事、奉納する神宝も新しくする事で、技術の伝承はもちろん、神宮は今も新しく生き続けていると言えます。
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