論功行賞と国見|エピローグ!論功行賞を行い、国見をして五穀豊饒の国「秋津洲(あきづしま)」を望み見た件|分かる!神武東征神話 No.26

神武東征神話を分かりやすく解説するシリーズ

前回、橿原宮で即位したお話をもって東征神話は一旦終了となりましたが、

今回は、エピローグとして、その後の歴史をお届けします。

『日本書紀』巻三 神武紀の最後。論功行賞ろんこうこうしょう国見くにみ、そして神武天皇崩御。これをもって巻三は全て終了し、巻四以降の歴史が続いていきます。

 

論功行賞と国見|エピローグ!論功行賞を行い、国見をして五穀豊饒の国「秋津洲」を望み見た件

前回の内容はこちら。

橿原宮即位と東征完結|歴史はココから始まる。橿原宮で即位し世界最古の国「日本」をつくった件|分かる!神武東征神話 No.25

2016.04.12

念願の東征を成就させ橿原宮で即位。天皇すめらみこととして統治に乗り出した神武天皇。

その際、直近の課題として、論功行賞ろんこうこうしょうがありました。

功績のあった者に対して賞を与える事、報いる事。本文、「いさおしを定めたまものを行う。」とあります。

これ、報いる対象が2つあって。

  • 東征に功績のあった臣下
  • 神助を賜った天神あまつかみ

人と神、という事ですね。

で、それぞれ、

  • 臣下対しては、土地や住宅や官職を与え報いる。
  • 天神に対しては、祭祀をもって報いる。

といった内容。詳細は以下。

功績のあった臣下の皆さんへの報酬。

  • 将軍「道臣命みちのおみのみこと」や大来目おおくめ(東征軍の兵士達)には宅地を賜い、近くに居住させて寵愛する。

特に、道臣命みちのおみのみことは、全ての戦闘に携わり、熊野から大和入りの道案内、兄猾えうかし誅殺、丹生川上祭祀で斎主をつとめたこと、忍坂おさかでの残党掃討等、功績甚大であります。

大来目は、歌舞のある軍歌(久米歌くめうた)を持つ軍隊。部族みたいな感じでもあります。

官職に任じた者としては、

  • 椎根津彦しいねつひこ(旧名:珍彦うづひこ)→倭国造やまとのくにのみやつこ
  • 弟猾 →猛田県主たけたのあがたぬし
  • 弟磯城 →磯城県主しきのあがたぬし

さらに、からすにも!

  • 頭八咫烏やたがらす→恩賞

など、恩顧の臣下に手厚く報いております。大事やね。

国造、県主についてはコチラで詳しく。

国造と県主|行政区画の明確化と治める長の任命は神武即位以降の重要課題「版図拡大」における一つの到達点だった件

2016.05.11

 

そしてもっと大事なのはコチラ。

  • 神助しんじょを賜った皇祖の天神への祭祀。

神助しんじょとは、東征の途中、いろいろ助けていただいた事。

詳しくはこちら。

熊野荒坂で全軍昏倒|神の毒気にヤラレて意識不明の重体に!?天照による危機救援は「葦原中國平定」再現の意味があった件|分かる!神武東征神話No.8

2016.01.25

頭八咫烏の導きと熊野越え|山で迷って進退窮まる!?天照による2度目の救援は「天孫降臨」の再現だった件|分かる!神武東征神話No.9

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香具土採取と顕斎|天神降臨!守護パワーゲットによりスーパーサイヤ人状態になって敵を撃破しようとした件|分かる!神武東征神話No.13

2016.02.12

天神あまつかみそのものではありませんが、こちらも天の支援ということで。

金鵄飛来=祥瑞応見|「瑞(みつ)」は王の聖徳に天が応えて示す「しるし」。古代にはそれなりのもんげー制度があった件|分かる!神武東征神話 No.18

2016.03.28

いや、ホント、お世話になってばかりで。。。

 

で、その内容は、

天神あまつかみ郊祀こうしし、ちて大孝たいこうもうすべし。

という、郊祀こうし=郊外で天を祭る儀礼」による「大孝たいこう(最大の孝行)」の実践。

具体的には、

靈畤まつりのにわ鳥見山とみのやまに立てて天神あまつかみを祭る

というもの。

靈畤まつりのにわとは、斎場のこと。鳥見山に、お祭りする祭壇のようなものを立てた訳です。

古代、天を祭るには円丘を、地を祭るには方丘を築く形式でした。

天神あまつかみをお祭りするわけで、極めて重要な祭祀。なので、発想を広げると、鳥見山全体を祭祀の地として位置づけ、そこに祭壇を建てて祭ったといった解釈のほうがいいと思います。

話を戻します。

実際、天神あまつかみの助けなしには東征は成就できなかった訳で。

そのおん」に対する「こう」としてお祭りしたということ。

これは一方で、「即位した天皇のありかたそのもの」を物語っているのです。

現在の天皇が、宮中で祭祀を行っている根拠はココにあって、、、

何度も申し上げますが、超重要事項。

そして、神話から続く歴史と伝統を今に引き継いでいる日本ってスゴイ。ホント。奥ゆかしさハンパないです。

 

さて、論功行賞ろんこうこうしょうの後、天皇としての統治について、その成果を巡幸じゅんこうによって確認しています。

コレ、いわゆる「国見くにみ」というもので、神武天皇の統治31年目に、この一連の行事を伝えています。詳しくは最後でお伝えします。

 

それでは本文を見ていきましょう。

 

神武東征神話現代語訳

神武天皇

二年春二月二日[1]、神武天皇は論功行賞ろんこうこうしょうを行われた。

道臣命には、宅地を与え築坂邑つきさかのむら[2]に居所を与えられて、ことに寵愛された。また大来目おおくめには、畝傍山うねびやまより西の川辺の地に居所を与えられた。今、来目邑くめむら[3]というのは、これがその由縁である。そして、珍彦うづひこ倭国造やまとのくにのみやつことされた。また弟猾えうかしに猛田邑たけたのむら[4]を与えられた。それで猛田県主たけたのあがたぬしとされた。これは菟田主水部うだのもひとりらの遠祖である。弟磯城おとしき、名は黒速くろはや磯城県主しきのあがたぬし[5]とされた。また剣根つるぎねという者[6]葛城国造かずらきのくにのみやつことされた。また、頭八腿烏やたからすも恩賞にあずかった。その子孫は葛野主殿県主部かずののとのもりのあがたぬしら[7]である。

四年春月の二十二日[8]みことのりして仰せられた。

我が皇祖の御霊みたまが天からくだりご覧になって、我が身を照らし助けてくださった。今、すでに諸々の賊を平定し、天下は何事もなく統治されている。そこで天神あまつかみを郊祀まつって、大孝たいこうの志を申しあげよう。

そこで、斎場を鳥見山とみのやま[9]の中に設けて、その地を名付けて上小野うえつおの榛原はりはら下小野したつおの榛原はりはら[10]といい、もって皇祖である天神を祭られた。

 

三十一年夏四月一日[11]に、天皇すめらみことは国中を巡幸じゅんこうされた。その時、腋上わきがみ嗛間丘ほほまのおかに登って、国の状況を眺めめぐらせ、

ああ、なんと美しい国を得たことよ。内木綿うつゆうの本当に狭い国ではあるが、あたかも蜻蛉あきづが交尾している形のようでもある。

と仰せられた。これによって初めて「秋津洲あきづしま」という名が生じたのである。

昔、伊弉諾尊いざなきのみことがこの国を名付けて、

日本やまと浦安うらやすの国、細戈くわしほこ千足ちだる国、磯輪上しわかみ秀真国ほつまくに

日本やまとは、心が穏やかに平安で、国生みのときに使われた瓊矛ぬほこのように細く美しいほこ(呪具)が充分にあり、たくさんの石で囲んだ高い祭壇を持つ国。政治的にも文化的にも最もすぐれた国である。

と仰せられた。また大己貴大神おおなむちのおおかみは名付けて、「玉牆たまかきの内つ国(美しい青垣に囲まれた大和の国)」と言われた。饒速日命にぎはやひのみことは、天磐船あまのいわふねに乗って虚空おおぞらを飛翔して、この国を見おろして天降あまくだったので、名付けて、「虚空見そらみ日本やまとの国[13]」と言われた。

 

四十二年春正月の三日[14]に、皇子の神淳名川耳尊かむぬなかわみみのみことを立てて皇太子とされた。

 

七十六年春三月十一日[15]天皇すめらみことは橿原宮で崩御された。時に御年百二十七であった。翌年秋九月十二日[16]に、畝傍山東北陵うしとらのみささぎに葬りまつった。

 

注釈

[1] 甲辰(こうしん)の朔(つきたち)にして乙巳(いっし)

[2] 橿原市鳥屋町辺り。畝傍山の南方。

[3] 橿原市久米町辺り。畝傍山の西に高取川がありますがその東岸あたり。

[4] 宇陀郡菟田野町辺り。

[5] 三輪山西部桜井町辺り。

[6] 赤銅八十梟帥を誅滅した功績者のことと推定。

[7] 「葛野(かずの)」は、京都府葛野郡(京都市北区の一部、右京区・西京区含む)と愛宕郡(京都市左京区・東山区・北区を含む)の地域。「主殿」は「殿守(とのもり)」のことで、宮中の清掃・燭火・薪炭などを司る。

[8]壬戌(じんしゅつ)朔(つきたち)の甲申(こうしん)

[9] 桜井市外山(とび)の鳥見山。

[10] 宇陀郡榛原ではありません。そのような名前を付けたという事。

[11]乙酉(いつゆう)朔(つきたち)

[13] 「空から見て天降ったぞ、この大和の国に」という意味。この古伝承をもとに「空見つ大和」という枕詞が形成された。

[14] 壬子朔の甲寅

[15]甲午(こうご)朔(つきたち)の甲辰(こうしん)に

[16] 乙卯(いつばう)朔(つきたち)の丙寅(へいいん)

 

原文

二年春二月甲辰朔乙巳、天皇定功行賞。賜道臣命宅地、居于築坂邑、以寵異之。亦使大來目居于畝傍山以西川邊之地、今號來目邑、此其緣也。以珍彥爲倭國造。又給弟猾猛田邑、因爲猛田縣主、是菟田主水部遠祖也。弟磯城、名黑速、爲磯城縣主。復以劒根者、爲葛城國造。又、頭八咫烏亦入賞例、其苗裔卽葛野主殿縣主部是也。

四年春二月壬戌朔甲申、詔曰「我皇祖之靈也、自天降鑒、光助朕躬。今諸虜已平、海內無事。可以郊祀天神、用申大孝者也。」乃立靈畤於鳥見山中、其地號曰上小野榛原・下小野榛原。用祭皇祖天神焉。

卅有一年夏四月乙酉朔、皇輿巡幸。因登腋上嗛間丘而廻望國狀曰「姸哉乎、國之獲矣。雖內木錦之眞迮國、猶如蜻蛉之臀呫焉。」由是、始有秋津洲之號也。昔、伊弉諾尊目此國曰「日本者浦安國、細戈千足國、磯輪上秀眞國。」復、大己貴大神目之曰「玉牆內國。」及至饒速日命乘天磐船而翔行太虛也、睨是鄕而降之、故因目之曰「虛空見日本國矣。」

卌有二年春正月壬子朔甲寅、立皇子神渟名川耳尊、爲皇太子。

七十有六年春三月甲午朔甲辰、天皇崩于橿原宮、時年一百廿七歲。明年秋九月乙卯朔丙寅、葬畝傍山東北陵。

『日本書紀』巻三 神武紀より

 

まとめ

論功行賞と国見

天神あまつかみ祭祀について、再度まとめておきます。

やはり超重要事項なので。

位置づけは、東征途上で賜った神助しんじょ、つまり「恩」に対する「孝」として報いたということ。

その意義は2つ。

  • 郊祀こうし」をもって天神を祭り、この祭りを「大孝たいこうの実践」とする事により、天神あまつかみの子(=天子に相当)として自らを位置づけた。
  • 天皇の「天神あまつかみの子」という位置づけが、「郊祀こうし」による「大孝たいこうの実践」に由来するところに、日本の天皇的存在の際立つ特質があること。

この2点は是非チェックしておきましょう。

 

次に、国見くにみについて解説しておきます。

これは、天皇として統治した成果を巡幸じゅんこうによって確認した訳です。即位後31年目の巡幸。

平和な時代が30年続き、正しい政治が行われ、人々も国も豊かになっていたはずです。また、正しきを養うという御心をひろめてきたことで、人々の文化的レベルも上がりました。

もののけ姫的な表現で言うと、

訳の分からない「もののけ」たちは消え、人の住む村が増えてきた。その村には、ごはんをつくる煙があちこちから立ちのぼっている、、、

的な感じ。

 

例えば、

万葉集が収載する、舒明天皇の「望国くにみ」の歌に

大和やまとには 郡山むらやまあれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見くにみをすれば 国原くにはらは けぶり立つ立つ 海原うなはらは かまめ立つ立つ うまし国そ 蜻蛉島あきづしま 大和の国は(2番)

大和には多くの山があるけれど とりわけ立派な天の香具山 その頂に登って大和の国を見渡せば 土地からはご飯を炊く煙がたくさん立っているよ 池には水鳥たちがたくさん飛び交っているよ ほんとうに美しい国だ この蜻蛉島あきづしま大和の国は

とあるように、国見する地は豊饒ほうじょうな世界が広がっています。

これは、

実際そうだったというより、むしろ、そうあってほしい、あるいは、そうなるという願望を込めた予祝よしゅくの儀礼的意味が強いのですが、、、

神武天皇も「国状くにのさま」をはるかに望みみて

妍哉あなにや、国をつること。内木綿うつゆふ真迮国まさきくにいへどなほ蜻蛉あきづ臀呫となめせるがごともあるかも。

と言い、これにより「秋津洲あきづしま」の名が生じたと伝えています。

トンボが交尾してつながり飛ぶ五穀豊饒の国を「秋津洲あきづしま」の名が象徴的に表現しているわけですね。

天皇の統治するめでたい世のあり方をここに込めているのです。

 

東征を終え、建国を果たした神武。

天神への大孝を実践し、理想的な政治を行うことで、人々は平安に暮らし、少しずつ豊かになっていく国。そんな様子をはるかに望み見つつ、胸中様々な想いが去来していたことでしょう。

彼が抱いていた夢はそのまま引き継がれ現在も「日本国」として存在しています。

私たちが今いる国は、神武の目指した国のあり方に近づけているのでしょうか?

神武東征神話、そして神武天皇は、現在の私たちの国のあり方を問うているように思います。

 

本シリーズの目次はコチラ!

神武東征神話を丸ごと解説!ルートと地図でたどる日本最古の英雄譚。シリーズ形式で分かりやすくまとめ!

2016.01.13

 

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こんにちは、さるたひこです!読んでいただきありがとうございます。「日本神話をこよなく愛するナビゲーター」として日本神話関連情報、題して「日本神話がおもしろい!」を発信していきます。どうぞよろしくお願いします。ちなみに、ネーミングは、天孫降臨の折、瓊瓊杵尊を道案内した国津神「猿田彦命」にあやからせていただいてます。ただ、神様の名前をそのまま使うのは畏れ多いので「さるたびこ」の「び」を「ひ」に変えております。