石上神宮は、奈良県天理市布留町にある神社。
石上神宮の御祭神は「剣」。全部で三種の神剣を祭ってます。中でも、主祭神である「布都御魂大神」は日本の建国神話「神武東征神話」で登場する神剣「韴霊」に宿る霊威とされてます。
今回は、建国神話はじめ日本神話に登場する様々な剣をお祭りする石上神宮をご紹介します。
石上神宮|神剣韴霊ふつのみたまを祭る!建国神話と深い関わりを持つ石上神宮の見どころをまとめてご紹介!
目次
石上神宮に関連する日本神話
まずは当サイトならでは、石上神宮に関連する日本神話をご紹介。
石上神宮の御祭神は「剣」。全て三種の神剣を祭ってます。中でも、主祭神である「布都御魂大神」は日本の建国神話「神武東征神話」で登場する神剣「韴霊」に宿る霊威とされてます。
今回は、その神剣「韴霊」を伝えるシーンを解説付きでお届け。
正史『日本書紀』巻三(神武紀)より以下。経緯としては、熊野荒坂津から、陸路にて大和へ向かう神武一行でしたが、突然登場する熊野の神の毒気により全軍昏倒、、絶体絶命の危機に陥ります。
この時、神が毒気を吐き、この毒気により将兵はみな病み倒れてしまった。このため、軍は奮い立つことができなくなってしまった。
丁度そのころ、その地に熊野の「高倉下」 という名の者がいた。その夜、夢を見た。
(夢のなかで)「天照大神」は「武甕雷神」に伝えた。『いったい葦原中國は、まだ騒然として、うめき苦しむ声が聞こえてくる。武甕雷神よ、お前がまたかの国へ行き、征伐しなさい。』。すると武甕雷神は答えて、『私が行かずとも、私が国を平定した剣を下せば、国はおのずと平安をとりもどすでしょう。』と申し上げたところ、天照大神は、『よろしい。』と承諾した。そこで武甕雷神は、さっそく高倉下に伝えた。『私の剣は「韴靈」という。今、これをお前の倉に置こう。これを取って天孫に献じるがよい。』。高倉下は「承知しました」と申し上げた。
そこで夢から醒めた。
その明け方、高倉下は夢に見た教えに従って「倉」をあけてみると、果たして天から落ちてきた剣が、倉の底板に逆さまに突き立っていた。
高倉下はさっそくこの剣を取って、彦火火出見に奉った。その時、彦火火出見は眠り臥していたが、たちまちに意識を取り戻し、「私はどうしてこんなに長く眠っていたのか。」と言った。続いて、毒気にあたっていた兵士たちもみな意識を取り戻し、目を覚まして起き上がった。 (『日本書紀』巻三 神武紀より抜粋)
ということで。
「武甕雷神は、さっそく高倉下に伝えた。『私の剣は「韴靈」という。今、これをお前の倉に置こう。これを取って天孫に献じるがよい。』」と伝える「韴霊」、その神剣に宿る霊威が、石上神宮の主祭神「布都御魂大神」とされてます。
この「韴霊剣」、葦原中國平定のときに使用された神剣なんで、その効果効能は超絶!!!危篤状態に陥った東征一行を覚醒させ、絶体絶命の危機を脱する訳です。
ポイントはやはり、葦原中國平定のときに使用された神剣てことで、日本の建国神話ですから、まさにピッタリのアイテム。以後、神武天皇はこの神剣を携えて賊を破り建国を果たす訳で、言い方を変えると、「韴霊」無くして建国無し!ってくらいの勢いで重要な剣なんです。
その他、詳しい解説はコチラで。
石上神宮への道
そんな超絶ソード「韴霊」の霊威「布都御魂大神」を祭る石上神宮は、奈良県天理市にあります。
〒632-0014 奈良県天理市布留町384
布留山をはじめとする山と平地の間、斜面となるところに鎮座されております。
▲石上神宮は、奈良市から磯城郡まで伸びる県道51号線沿いにあります。
▲広い駐車場完備。第二駐車場が境内に一番近くて便利なので是非ご利用されてください。
石上神宮の創建経緯
石上神宮は、日本最古の神社の一つ。物部氏の総氏神として崇敬を集めていた歴史あり。
物部氏といえば、、、神武東征神話でも登場。神話上は、物部氏の祖は「饒速日命」!
葦原中国平定&東征建国に使用された神剣といい、武門の棟梁たる物部氏の総氏神として位置づけられていたといい、、石上神宮は武に関連する神社なんですね。
第10代崇神天皇7年、それまで「韴霊剣」は宮中でお祀りされていましたが、石上布留の高庭に祀られます。これが創始。
もともと、石上神宮には本殿がなく、拝殿後方の禁足地を御本地とし、その中央に主祭神が埋斎され、諸神は拝殿に配祀されてました。
古く、「石上神宮」「石上振神宮」「石上坐布都御魂神社」等と記され、「石上社」「布留社」とも呼ばれていたそうです。
平安時代後期、白河天皇より崇敬厚く、宮中の神嘉殿を寄進されました。これが現在の拝殿(国宝)になってます。
戦国時代に至り、織田尾張勢の乱入により社殿は破却され神領も没収され、、、その後、衰微の道をたどります。。
転機は明治時代。明治4年、官幣大社に列し、明治16年には神宮号の復称が許可されます。石上神宮という名称はココから。
さらに、明治7年、菅政友大宮司により禁足地が発掘され、御神体が出御!!大正2年には、本殿が造営されました。
なお、禁足地は「布留社」と刻まれた剣先状の石瑞垣で囲まれています。
石上神宮の境内
ココからは、石上神宮の境内の様子をご紹介。
▲社号標を通り過ぎると、古代の雰囲気を感じる参道が続きます。
▲最初の鳥居。佇まいがどっしりしていて格式を感じるます。。
▲境内は縦に長く、山辺の道が通ってます。まずは本殿を目指しましょう。
石上神宮の御祭神
ご祭神
- 布都御魂大神
- 布留御魂大神
- 布都斯魂大神
健康長寿・病気平癒・除災招福・百事成就の守護神として信仰されてきました。
拝殿後方の禁足地。もともと石上神宮は本殿がなく、この禁足地を御本地として、主祭神が埋斎され、諸神は拝殿に配祀されていたそうです。
〒632-0014 奈良県天理市布留町384
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