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神武東征神話を分かりやすく解説するシリーズ
今回は8回目。熊野荒坂で全軍昏倒した神話をお届けします。
さて、
熊野灘で暴風雨に遭遇し、兄の2人を亡くした「彦火火出見」こと神武。
さらに進んで「荒坂の津」に到ります。
陸路を進もうとすると突然、熊野の神が現れ、「毒気」を吐いて襲いかかります。
この毒気の威力はすさまじく、彦火火出見はじめ東征軍の将兵はみな意識不明の重体に陥ります。
この危機を救ったのは天照大神。「武甕雷神」を通じて東征一行の救援に当たらせます。
- なぜ唐突に熊野の神が現れ意識不明の重体に陥るのか?
- なぜ天照が武甕雷神を通じて彦火火出見の救援にあたらせるのか?
これらの「謎」を探ることで、「荒坂での全軍昏倒」の意味を考えます。
今回も『日本書紀』巻三「神武紀」をもとにお伝えします。ちなみに、前回の内容、これまでの経緯はコチラ↓をご確認ください。
熊野荒坂で全軍昏倒|神の毒気にヤラレて意識不明の重体に!?天照による危機救援は「葦原中國平定」再現の意味があった件
東征ルートと場所の確認
熊野灘で海難に遭ってから「さらに進んで熊野の荒坂の津に到った」と伝えます。
東征の旅は、この「荒坂の津」から陸路を行くことになります。
この荒坂の津は、本文をそのまま解釈すれば現在の三重県熊野市の「大泊」。
根拠は、
- 海難に遭ってから「さらに進んだ」と記述されている事、
- 大泊から熊野街道(42号線)に入るとすぐに「急坂」が続く事
からです。

東征一行は、大泊に着岸、ここから42号線を通じて陸路を行き、309号線に入ってさらに北上、北山村で169号線と合流、吉野に到って370号線→166号線で菟田野(宇賀志)、さらに北上して榛原(宇陀)に出るルートを辿りました。
東征神話の物語の中で、この「荒坂津」は「海路から陸路への転換点」として位置づけられます。
その転換の場において、熊野の神が現れ東征一行に毒気を吹きかける訳です。
突然すぎる。。。(;゚д゚)
猛毒にヤラレた彦火火出見はじめ将兵たちは危篤状態に陥りますが、天照大神が救援の手をさしのべます。
「武甕雷神」を通じ、神代・葦原中國平定時に使用された「韴霊剣」を使い、ようやく覚醒。危機脱出、という訳です。
こうした設定を踏まえると、
- 陸路転換の地で、
- 葦原中國平定の神話にちなむ神様とアイテムが使用され、
- 危篤状態だった神武が復活する、
という物語だという事であり、その設定には重要な意味が込められていることが分かります。
語訳:熊野荒坂で全軍昏倒
「彦火火出見」は、たった独りで皇子の「手研耳尊[1]」 と軍を率いてさらに進み、熊野の「荒坂の津[2]」に到った。そこで「丹敷戸畔[3]」という者に誅罰を加えた。
この時、熊野の神[4]が毒気を吐き、この毒気により将兵はみな正気を失い、気力を奮い起こすことができなくなってしまった。
丁度そのころ、熊野の「高倉下[5]」 という者がいて、その者がこのような夢をみた。
(夢のなかで)「天照大神」は「武甕雷神」に伝えた。
『葦原中國はなお騒然として、うめき苦しむ声が聞こえてくる。武甕雷神よ、お前がまた[6]かの国へ行き征伐してくるがいい』。すると武甕雷神は答えて、『私が直接行かなくても、私が国を平定した剣[7]を下せば、国はおのずと平安をとりもどすでしょう。』と申し上げたところ、天照大神は、『よろしい。ではそうするがいい。』と承諾した。
そこで武甕雷神は、さっそく高倉下に伝えた。『私の「韴靈」という剣を、今、お前の倉に置こう。これを取って天孫に献じるがよい。』。高倉下は「畏まりました」と申し上げた。
そこで目が覚めた。
明くる朝、高倉下は夢に見た教えに従って「倉」をあけてみると、夢の通り天から落ちてきた剣があって、倉の底の板に逆さまに突き立っていた。
高倉下はさっそくこの剣を取って、彦火火出見に奉った。
その時、彦火火出見は横になっていたが、たちまちに意識を取り戻し、
「私はどうしてこんなに長く寝ていたのか。」と言った。続いて毒気にあたっていた兵士たちもみな意識を取り戻し、目を覚まして起き上がった。
注釈
[1]彦火火出見の息子。日向国(ひむかのくに)吾田邑(あたのむら)の吾平津姫(あひらつひめ)を娶って生んだ長子。
[2]諸説ありますが、地理的な関係上、熊野市大泊町の辺りと考えられます。ここから熊野街道の急坂が続き、国道399号、169号を通って吉野宇陀に出ます。
[3] 女性の地方首領。女賊。地方にはこのような女性の族長が跋扈しており、東征軍に帰順しない事があったため誅伐を加えたという事です。前段での「名草戸畔 (なぐさとべ)」の他、大和では新城戸畔(にいきとべ)が登場し、同様に討ち果たします。
[4]熊野の遭難は、熊野の神の仕業。日本武尊(やまとたけるのみこと)が、胆吹山(いぶきやま)の神を討ちに行って、神の逆襲にあって遭難するという類例がある
[5]屋根の高い倉を持つ在地豪族。武甕雷神が剣をこの倉の屋根からおとし、それを高倉下が天皇に献じる
[6] 神代において葦原中國平定の際に、地上に降り立ったことを踏まえています。
[7] 「韴霊剣(ふつみたまのつるぎ)」で、葦原中國平定のときに使用された神剣。危篤状態に陥った東征一行を覚醒させる力を持つ。
原文
天皇獨與皇子手硏耳命、帥軍而進、至熊野荒坂津 亦名丹敷浦、因誅丹敷戸畔者。
時、神吐毒氣、人物咸瘁、由是、皇軍不能復振。
時彼處有人、號曰熊野高倉下、忽夜夢、
天照大神謂武甕雷神曰「夫葦原中國猶聞喧擾之響焉。聞喧擾之響焉。宜汝更往而征之。」武甕雷神對曰「雖予不行、而下予平國之劒、則國將自平矣。」天照大神曰「諾。」時武甕雷神、登謂高倉下曰「予劒號曰韴靈。今當置汝庫裏。宜取而獻之天孫。」高倉下曰「唯々」而寤之。
明旦、依夢中教、開庫視之、果有落劒倒立於庫底板、卽取以進之。
于時、天皇適寐。忽然而寤之曰「予何長眠若此乎。」尋而中毒士卒、悉復醒起。
『日本書紀』巻三 神武紀より
まとめ
熊野荒坂で全軍昏倒
上記物語をまとめるとポイントは以下の通り。
- 陸路転換の地で起こった物語である事。
- 葦原中國平定の神話にちなむ神様とアイテムが使用されている事。
- 危篤状態だった神武が復活する物語である事。
これらの要素を踏まえると、東征神話においてこの地のエピソードは非常に重要な意味を持っている事がわかります。
一言で言うと、「葦原中國平定の再現」。
陸路を進み、世界の中心である「中洲」を目指す彦火火出見に、神代の神話と同じような設定を重ねることで、東征の正当性や権威付けを行っているのです。非常によく練られた物語ですよね。
そして、危篤状態の神武が「韴霊剣」で覚醒するのは、非常にドラマチックです。大げさにいえば、「神武は一度死に、復活した」という感じでしょうか。
西洋ではキリストの復活が伝えられていますが、まさにそれと同じか、もしくはそれ以上の意味があると思います。
この復活劇と神剣をゲットしたことにより、東征を果たし橿原即位・建国する訳ですし、それによって私たちの平穏無事な生活が守られているという事だからです。
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本記事監修:(一社)日本神話協会理事長、佛教大学名誉教授 榎本福寿氏
参考文献:『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)、他
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