文献学とは?『日本書紀』『古事記』を読み解く上で必須の「文献学アプローチ」を必要以上に熱く語ります

文献学

 

『日本書紀』『古事記』を読み解く上で欠かせない「文献学アプローチ」について熱めに語ります。

日本神話研究には様々なアプローチ方法があります。

それこそ、

文献学、歴史学、伝承学、神話学、国語学、言語学、比較文学、考古学、民俗学、民族学、人類学、宗教学、、、等々

それぞれの研究には、それぞれの方法や考え方があり、『日本書紀』『古事記』、そして日本神話も、それに応じてさまざまな解釈がある。

で、当サイトとして採用しているのが「文献学」。コレ、言葉の歴史や背景をふまえ、文献に即して実証的に解釈を積み上げていく研究方法

今回は、そもそも論である「文献学とは何か?」から解説し、当サイトの立ち位置をまるっとお伝えしていきます。

 

文献学とは?『日本書紀』『古事記』を読み解く上で欠かせない「文献学アプローチ」を必要以上に熱く語ろう

日本神話の様々な研究方法

まずは、日本神話研究にどんなアプローチ方法があるのか概要を。

と、今、さらっと「日本神話研究」と言いましたが、そもそも「日本神話」を神話研究の対象として専門的に見る学問って結構少なかったりします。「日本神話」という物語の定義、その範囲も共通認識されてないことが背景にあって。例えば、『日本書紀』では、巻第一と第二、通称「神代紀」と呼ばれる部分を日本神話とするのか、それとも、東征神話を伝える巻第三までを含むのか。『古事記』でも上巻までなのか、どうなのか、、

で、日本神話研究におけるアプローチ方法としては、文献学、歴史学、伝承学、神話学、国語学、言語学、比較文学、考古学、民俗学、民族学、人類学、宗教学、、、等々

ほんといろいろあって。

コレ、「日本神話」を一つの山に例えてみれば分かりやすいです。

日本神話山、、、

山に登るにはいくつかのルート、登山道がありますよね。それぞれのルートからは、それぞれ違った景色、風景が見える訳で、山(日本神話)の見え方もそれぞれに違ってくる訳です。

アプローチ方法が変われば見え方が変わる、つまり、解釈も変わってくる、ということで。

例えば、

歴史学からすると、、、皇室や国家の起源、その歴史的変遷の他、天皇と氏族の関係、あるいは伊勢神宮や出雲大社等の起源および関連する伝承などなど、あくまで「歴史の事実の究明」を主な課題とします。日本神話とは?というより歴史的にどうだったか?という話。

神話学からすると、、、伊奘諾尊は天神の性格をもち、天に関連の深い神、とか。民俗学では、天神の神話は、原始的な狩猟採集民と、父権的な遊牧民との文化に属す、、、といった解説になる。

と、まーいろいろある。同じ山を見ながらも、登り方が変わると別のものに見えるということですね。

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日本神話研究における文献学アプローチ

いろいろある日本神話研究。

ですが! 中でも、イチオシの研究方法が「文献学」であります。

コレ、

とにもかくにも「実証的であること」を大事にする学問。

文献としての成り立ちや、そもそもの構造を、
あくまで文献に即して解き明かしていこう、というアプローチ方法。

辞書には「文献の原典批判・解釈・成立史・出典研究を行う学問」(広辞苑)といった定義がありつつも、、、とはいえ、「文献学」という言葉自体が広い領域を指すので、用例の分析方法や処理における技術的方法については、よく分からなかったりします。

そんな中で、

あえて分かりやすく言うと、

日本神話を伝える『日本書紀』や『古事記』を、
その文献の原典や出典からさかのぼって解釈していこうとするアプローチ。

文献としての成り立ちや、そもそもの構造を
あくまで文献に即して解き明かしていくアプローチ、という感じでしょうか。

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「文献学」の歴史・経緯と定義

文献学は、歴史的には、西欧で研究が進められていた「言語学」からスタートした経緯があります。

代表的なところで、

亀井孝氏の『言語文化くさぐさ』(亀井孝論文集5。昭和六十一年八月。吉川弘文館)所収の二篇(4頁)より。

文献学とは、もとよりphilologyに対する日本語である。もっと厳密にいえば、おそらくこの訳語はもとドイツ(語)のPhilologieに対して芳賀矢一あたりがあたえた名であるとおもわれる。

ということで、

西欧の「philology」(言語学)をもとに、おそらくですが、芳賀矢一氏が名前を与えた学問、それが「文献学」という訳。

言葉の学問からスタートした文献学。

亀井氏はさらに以下のように述べています。

言語の歴史(の研究)は、(中略)ある所与の現実の言語全体のその展開を追求することをもってそれ自体その使命とするものというべきである。これをうらから――つまり、否定のことばで――いいかえれば、具体の個別の言語の歴史をおいて言語の歴史はありえない。このような一定のすでにそれ自体において歴史としての言語、これにたいするそのあなたざまな記述は、なかんずく言語学をおのれに奉仕せしめるところの、もし“なになに学”といいたいならば、むしろ文献解釈学、すなわち文献学である。
出典:亀井孝氏の『言語文化くさぐさ』(亀井孝論文集5。昭和六十一年八月。吉川弘文館)所収の二篇3頁より)

ということで、

この「ある所与の現実の言語全体のその展開を追求することをもってそれ自体その使命とするもの」というのが、本来の「言葉の学問」であり、「言語の歴史(の研究)」なんです。

そして、

一番重要なところをチェック。

同じく亀井氏の「口語の慣用の徴証につきその発掘と評価」と題する論考から以下。

言語史は いやおうなしに 文献学で あると いう ことをもういちど わたくしなりに 強調しておくことは その意味で いたずらでは ない。なによりも 重要なのは 徴証ちょうしょうである。徴証の その おもみに くらべれば“解釈”なんど いうものは ふいてとぶような ものでしかない。あからさまに 実証主義の たちばを おもてに立てて いうかぎり、しかるべき 徴証さえ えられれば 解釈なんか むこうから かたりかけてくる かたちで おのずから ついてしまう。徴証の 伯楽で あってこそ ひとは言語史家で ありうる。(60頁)

※「徴証」とは、裏付けや根拠なる証(あかし)。なにごとか証明する事実のこと。
※「伯楽」とは、馬のよしあしをよく見分ける人。また、農家を巡回して牛馬を治療する人。転じて、人物を見抜く眼力のある人。

と。

スゴイですよね。

宝石のような言葉、そして、とても重い。。。

つまり、

  • 文献学で重要なのは徴証ちょうしょうである。
  • 徴証、つまり実証的であること、裏付けや根拠となるあかしが重要であり、
  • 徴証が得られれば、解釈は向こうから語りかけてくるかたちで自然とできてしまう

と。

言葉に忠実に、言葉が持っている歴史や背景を踏まえて
根拠なく解釈するのではなく、実証的に解釈を積み上げていく方法。

それが文献学、ということであります。

 

文献学者が最も大切にする徴証(証拠)。

それを発掘することで文献の表現やその成りたちを解明しようとしている訳です。

近年の「文献学」を代表するところでは榎本福寿氏の『古代神話の文献学』(平成三十年三月。塙書房)。1000ページ以上にわたる膨大な研究成果がまとめられています。

他には、例えば、小野田光雄氏の『古事記・釈日本紀・風土記の文献学的研究』(平成八年二月。続群書類従完成会)とか。神田秀夫氏『古事記の構造』(昭和三十四年五月。明治書院)とかでしょうか。ただ、これらは、語法研究と文体研究という二つの潮流に分かれるもので、文献学そのものには当たらないのが実際のところだったりします。

 

なぜ文献学なのか?

ここでは、なぜそんなに文献学推しなのか、

その理由を簡単にご説明。

一言で言うと、

実証的だから。

根拠無く解釈を展開するわけではないからです。

分かりやすい例を2つ。

例えば、有名な八岐大蛇の神話。

コレ、島根県に流れる斐伊川の氾濫がモデルになっている、という説があったりします。

ぱっと聞くと、それっぽいなーと感じるのですが、

さて、その根拠は?

となると、とたんに怪しくなる。。。実際、冷静に、、怪しくないですか?気持ちは分かるんだけど、、

学術の世界では、研究成果は根拠を持ってはじめて意味を持つ、価値があるというのが基本。

根拠無く、似てるから、とか、それっぽいから、とか言った理由で、大蛇と川の氾濫を結びつけるのは御法度、という訳です。

2つめ。

伊奘諾尊、伊奘冉尊による国生み神話。

コレ、東南アジアの少数民族に伝える兄妹神話、近親相姦伝承が原型という説があります。

同じ形式を持っている、また、古代の民族移動(黒潮にのって日本へ)の痕跡といった根拠でそれっぽく展開される説なのですが、

同じく、さて、その根拠は?

となると、実証しようがない現実に直面します。たまたま同じ型をもっている(可能性がある)伝承を、似ているからといって結びつけてしまうのはどうなのでしょうか?

と、

学術世界でもそういった「それっぽい説」というのが、そこかしこで語られている現実もあったりして、なかなかな状況です。

そういった中で、

実証的に解釈を積み上げていく方法が「文献学」ということで、やっぱ大事なんじゃないかと。

繰り返しになりますが、

言葉に忠実に、言葉が持っている歴史や背景を踏まえて

根拠なく解釈するのではなく、実証的に解釈を積み上げていく方法。

それが文献学であって。

日本神話.comでは、

この実証主義的なアプローチ方法による研究成果をもとに、日本神話解釈をお伝えしてしている次第です。

 

まとめ

日本神話研究には様々なアプローチ方法があります。

文献学、歴史学、伝承学、神話学、国語学、言語学、比較文学、考古学、民俗学、民族学、人類学、宗教学、、、等々

それぞれの研究アプローチには、それぞれの方法や考え方があり、日本神話もそれに応じてさまざまな解釈、研究が進められています。

日本神話.comでは、主に「文献学」をもとにした情報をお伝えしています。

文献学の最大の特徴は「実証的」であること。その支えが「徴証ちょうしょう」。

言葉に忠実に、言葉が持っている歴史や背景を踏まえて、根拠なく解釈するのではなく、実証的に解釈を積み上げていく方法。

それが文献学。

具体的に言うと、日本神話を伝える『日本書紀』や『古事記』を、その文献の原典や出典からさかのぼって解釈していこうとするアプローチ。文献としての成り立ちや、そもそもの構造をあくまで文献に即して解き明かしていくアプローチ。

これからも、この実証的であることを大切に、分かりやすい解釈をめざし、あくまで誠実にその成果をお届けしていきます。

 

文献学的日本神話解釈論!こちらでシリーズ化してまとめてます!是非チェックされてください!

『日本書紀』第一段
古事記 天地開闢
日本書紀 現代語訳
『古事記』現代語訳
天地開闢
国生み神話

日本神話とは?多彩で豊かな神々の世界「日本神話」を分かりやすく解説!

本記事監修:(一社)日本神話協会理事長、佛教大学名誉教授 榎本福寿氏
参考文献:『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)、他



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日本神話研究の第一人者である佛教大学名誉教授の榎本先生の監修もいただいているので情報の確かさは保証付き!文献に即して忠実に読み解きます。
豊かで多彩な日本神話の世界へ。是非一度、足を踏み入れてみてください。
参考文献:『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)他
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