『日本書紀』とは?編纂1300年の今だからこそ知りたい『日本書紀』を分かりやすく解説!

 

『日本書紀』とはどんな書物なのか?

2020年は『日本書紀』編纂1300年の 節目の年。

今だからこそ知っておきたい『日本書紀』について、どこよりも分かりやすく、ディープに解説します。

『日本書紀』の最大のポイントは、

神の時代から歴史の時代へつなげてる事。

コレ、『日本書紀』の超独特な世界観であり、唯一無二の独自性。

世界広しと言えど、こんな編纂方法を採用している歴史書はどこにもありません。

そしてコレこそが、
「世界最古の国」として我が国「日本」がもつ圧倒的な歴史と独自性を際立たせているのです。

今回は、そんな『日本書紀』について、どこよりも分かりやすく徹底的に解説していきます。

 

『日本書紀』とは?編纂1300年の今だから知りたい『日本書紀』を分かりやすく解説!

『日本書紀』とは?

『日本書紀』とは、日本の歴史書

日本に伝存する最古の歴史書であり「正史」。全30巻。養老4年(720年)に完成。

概要は以下の通り。

 書名  日本書紀
編纂年  720年
位置づけ  日本の正史
目的   国際的に国家成立・歴史の正当性を示す
内容  天地開闢~41代持統天皇
構成  全30巻
編者  川島皇子、忍壁皇子の2人の皇子を中心とする、12人の皇族・豪族・官吏

『日本書紀』の独自性であり、絶対に押さえておくべきポイントは3つ。

目的:国際的に、日本という国家の成立や歴史の正当性を示すことが目的。目線は外に向けられていて、そのなかで、日本としてのアイデンティティを確立し打ち出そうとしていたこと。この後、編纂背景で詳しくチェック。

内容:天地開闢から第41代の持統天皇までの歴史を掲載。って、サラッと書いてますが、天地開闢ですよ!つまり、世界の始まりから書き記してるってこと。ココ一番のポイント。世界の始まりから神世の時代、そしてそのまま歴史へつなげてるんです。この独特な編纂スタイルが『日本書紀』最大の特徴。詳細後ほど。

編者:川島皇子、忍壁皇子の2人の皇子を中心とする12人の皇族・豪族・官吏らによって編纂。つまり、チーム制で編纂されたってこと。これも非常に独特。みんなで議論して、取捨選択して編纂されていった経緯あり。こちらも詳細後ほど。

ということで、

まずは、目的、内容、編者の3つのポイントをしっかりチェック。

コレを押さえておけば間違いありません。

ちなみに、、、

『日本書紀』の編纂には約40年ほどの年月がかかっております。

同時期に編纂された『古事記』はたったの4か月。非常に対照的。

  • 最初の編纂指令は、天武10年(681年)。
  • 完成したのが、養老4年(720年)。

約40年、、、、

この間、宮都も、飛鳥浄御原宮あすかきよみはらのみやから藤原京、平城京へと移行。まさに古代日本が形づくられ、日本人としての自覚やアイデンティティが確立されていった時代で。その流れと軌を同じくしてる。この間、ずーっと編纂作業が進められてたんですね。この辺りもチェックです。

で、

『日本書紀』が完成した「720年」を根拠に、2020年が「編纂1300年記念の年」とされてます。

今だからこそ知っておきたい日本の原点。『日本書紀』を通じて古代日本人の叡智と情熱を知っていただければと。

いうことで、以下、先ほどの3つのポイントに沿って詳しくチェック。

『日本書紀』編纂の目的と背景

まずは、『日本書紀』編纂の目的と背景を理解。

国際的に、日本という国家の成立や歴史の正当性を示すことが目的、でした。

つまり、編纂にあたっての「目線」は国外に向いていて、外国相手に「日本」という国としてのアイデンティティや独自性、スゴさを打ち出そうとしていました。

冷静に考えてみると、途方もない「企て」ですよね。俺たちの国ってこんなにスゴイぜ、こんなにスゴイ歴史があるぜ、って、そんな自負とかプライドとか情熱とかが注ぎ込まれてる、、、フツーの発想ではございません。

なぜそんなことをしようとしたのか?

それが大事で、

そこには、背景として、国外と国内で起こった重要イベントがあるんです。

それが、

白村江はくすきのえの戦い(国外)」壬申じんしんの乱(国内)」

いずれも学校の歴史の時間とかに出てきたような、、、古代史における超重要なターニングポイント。

『日本書紀』編纂の遠因 白村江の戦い

まずは「白村江はくすきのえの戦い」からお届け。概要をかいつまんで。

白村江はくすきのえの戦い」は、天智2年(663年)に起こった朝鮮半島の白村江(現在の錦江河口付近)での戦争。

構図は、

日本・百済くだら遺民の連合軍 VS 唐・新羅連合軍

戦争なんで、それぞれの事情というものがありつつ、日本としては、当時、朝鮮半島での友好国であった百済が唐によって滅ぼされたことで、半島での影響力や足場を失う事への対抗として百済の遺民と連合軍を結成し戦った次第。

これ、見事に敗退。。。

負けたわけです。

この敗戦をきっかけに、日本として力をつけないと話にならんという機運が高まっていったわけです。だって唐が攻め込んできたらどうすんの?

実際、唐・新羅軍侵攻の脅威に対する防衛整備として、天智天皇3年(664年)には、防人さきもりや情報伝達用の「とぶひ」を対馬や壱岐、筑紫国などに配備。さらに、現在の福岡県太宰府市・大野城市・春日市には「水城」と呼ばれる城を築きます。相当な危機感ですよね。

これが遠因となって、国家体制の整備、からの歴史書編纂へつながっていくのです。

『日本書紀』編纂の契機 壬申の乱

白村江での敗戦から約10年。

次に発生したのが、国内の重要イベント「壬申の乱」(672年)。

コレ、「古代史最大の内乱」とされており、
要は「天智天皇没後の、皇位継承を巡る仁義なき戦い」。

構図は、

天智天皇の弟(大海人皇子おおあまのみこ) VS 天智天皇の息子(大友皇子おおとものみこ

まさに骨肉相食む仁義なき身内バトル。

しかも、勢力構造としては、

弟(大海人皇子おおあまのみこ)ー 地方豪族 VS 息子(大友皇子おおとものみこ)ー 中央豪族

といった感じで、地方VS中央といった様相を呈していました。

この「壬申の乱」に勝利した大海人皇子おおあまのみこが、天武天皇として即位。

これはつまり、中央豪族の力を弱め、地方豪族の力を高める結果を生んだ訳です。まさに下克上。

これを契機として、

天皇中心の中央集権国家づくりが本格的に開始されます。

だって、中央と地方の勢力構造がひっくり返った訳で、勝利した天武天皇としては絶大なパワーを手にした次第。

それは、「天皇」という称号を使用し始めたこと、自らの名前にも「天」をつけたことからもうかがえます。

天皇を中心としたムキムキマッチョ化計画のはじまりはじまり。

で、手がけたのは3つ。

律令整備と歴史書編纂、そして天皇即位礼構築。

この3つを柱として、ムキムキのジャパンビルディング。

構図としては

天皇即位礼構築
律令整備 歴史書編纂

といった感じで、

全体としては「天皇中心の国家体制づくり」をテーマに、

天皇即位や統治の正統性を示すための即位儀礼構築。そしてそれを支える根拠として、律令整備や歴史書編纂が進められたという訳です。

ちなみに、、、

天皇即位については令和の御代替わりでも話題になりました。この代替わり儀礼も、もとを正せばこの頃に構築された即位儀礼が元になってます。

●必読:御代替りとは?日本神話に根ざす御代替りの全貌を徹底解説!

●必読:践祚式とは?|祚を践む儀式!天皇の証明品「三種の神器」を継承し皇位に即く儀式

●必読:大嘗祭とは?天皇一代につき一度だけ斎行!日本神話に根ざす大嘗祭の全貌を徹底解説!

話を戻して、

天武天皇の時代は、国家体制づくりのスタート。これは、天武天皇から奥さんの持統天皇、そして以降の天皇に引き継がれていきます。

『飛鳥浄御原律令』(689年)施行、藤原京遷都(694年)、『大宝律令』(701年)施行、平城京遷都(710年)、『風土記』(全国の国情や古老の伝承などを記録して国に報告した地誌)編纂などなど。

ということで、

『日本書紀』編纂は、そういった背景、経緯のなかで進められた国家プロジェクトだった訳ですね。

目的はやはり、

国外向けにも国内向けにも主張できる「国家のアイデンティティ」を、「己の正当性」を、歴史書として理論づけ、根拠づけ構築すること。

『日本書紀』編纂の背景として、その目的とあわせて是非チェックされてください。

『日本書紀』編纂の裏事情

上記、国外・国内の2つの戦争や内乱を契機として、編纂に至った『日本書紀』ですが、実は、天武天皇として考えていた「もうひとつの裏事情」があったりします。

表向きの理由とは別に、裏側の事情としては結構切実な問題があったんです。

これについては『古事記』が詳細を伝えてます。

天武天皇による『古事記』編纂指令の部分を抜粋。

ここに(天武)天皇りたまひしく、『朕聞きたまへらく、諸家のもたる帝紀及び本辞、既に正実にたがい、多く虚僞を加ふ、といへり。今の時に当たりて、そのあやまりを改めずは、未だ幾年をも経ずして、そのむね滅びなむとす。これすなわち、邦家の経緯(国家組織の原理)、王化の鴻基こうき(王制政治の根本)なり。かれこれ、帝紀を撰録せんろくし、旧辞を討覈とうかく(訪ね調べ)して、いつわりを削りじつを定めて、後葉のちのよつたへむとおもふ』とのたまひき。

於是天皇詔之、朕聞、諸家之所賷、帝紀及本辭、既違正實、多加虚僞。當今之時、不改其失、未經幾年、其旨欲滅。斯乃、邦家之經緯、王化之鴻基焉。故惟、撰録帝紀、討覈舊辭、削僞定實、欲流後葉。 (『古事記』序文より)

と。

帝紀ていきとは、歴代の天皇あるいは皇室の系譜類をまとめたものとされます。歴史書の一つとして位置づけられてますが、古くに散逸して現在には伝わってません。

「本辞」は、神話や伝説や歌物語などを筆録したものとされ、同じく散逸し現在には伝わってません。

いずれにしても、天皇家の歴史や系譜をまとめた「帝紀」や、昔のことを記した「本辞」といった伝承本があり、実は、天皇家以外の豪族も持っていたようなんです。

で、、、問題は、

「諸家のもたる帝紀及び本辞、既に正実にたがい、多く虚僞を加ふ」ということで、

つまり、

天皇家以外の諸家、つまり各豪族に伝わっている「帝記」や「本辞」は、「既に正実にたがい、多く虚僞を加ふ」状態だった、という事。

要は、豪族の皆さんとしては、天皇家との関わりを記すことで自分の家が権威付けされるわけで、正当性、権威付けのために、あること無いことでっちあげてたんです。

天皇中心の中央集権国家づくりにあたって、
虚偽の多い伝承、勝手に天皇家との関わりを記す伝承はやはり、、駆逐対象くちくたいしょう であって、

そんな背景から、
かなりの危機感をもって編纂指令が出された模様。

「邦家の経緯、王化の鴻基こうきなり」=国家組織の原理、王制政治の根本である

と、非常に強い言葉で語っていますよね。え?むしろイラっとしてる?

ちなみに、、、

少し脱線しますが「歴史書の伝統」についても触れておきます。大事なので。

古く、歴史書の伝統は、
新しい王朝が、前の王朝のことを総括するかたちで編纂する

というもの。

中国には「革命」の概念があり、王朝交代が前提で発展した歴史書の伝統。

新王朝が自らの正当性を示すため、前王朝がやってたことを総括し歴史書として記す。

なんなら「アイツら、こんなに悪い政治しててんで。だから、自分らが正しい政治を行うために王朝を立てたんやで」って。

これは天命によるものだと。

そんな動機や契機から編纂されるのが歴史書だったわけです。

ところが、、、

日本では革命に匹敵するような王朝交代が起こらなかった。

だから、、、

誰も歴史書を編纂してこなったわけです。

これではいかんと、少なくとも、記録を残していかないと忘れちゃうよと、もっというと、いい加減な伝承がたくさんつくられちゃうよと、、、

ということで、先ほどの『古事記』が伝える裏事情につながっていくんです。

表向きの国家体制づくりや、国外向けの眼差しとは別に、足元の裏事情として駆逐すべきニセモノ伝承がたくさんあったってこと。チェックされてください。

『日本書紀』の編纂指令と完成

そんな背景からスタートした国家プロジェクトとしての『日本書紀』編纂事業。

ココでは、編纂はじめの指令と、完成を伝える所をご紹介。

『日本書紀』編纂経緯

まずは、編纂はじめの指令。

天武天皇即位後10年。天皇が大極殿で編纂指令。川嶋皇子はじめ12名のメンバーにちょく(絶対命令)を下します。

丙戌(17日)に、(天武)天皇、大極殿におわしまして、川嶋かわしま皇子・忍壁おさかべ皇子・広瀬ひろせ王・竹田王・桑田王・三野みの王・大錦下上毛野君だいきんげかみつけのきみ 三千みちぢ・小錦中忌部連いんべのむらじ 子首おびと・小錦下阿曇連あづみのむらじ 稻敷いなしき難波連なにわのむらじ 大形おおかた・大山上中臣連なかとみのむらじ 大嶋・大山下平群臣へぐりのおみ 子首おびとちょくして、帝紀及び上古の諸事もろもろのことを記し定めたまう。

丙戌、天皇御于大極殿以詔、川嶋皇子・忍壁皇子・廣瀬王・竹田王・桑田王・三野王・大錦下上毛野君三千・小錦中忌部連子首・小錦下阿曇連稻敷・難波連大形・大山上中臣連大嶋・大山下平群臣子首、令記、定帝紀、及上古諸事。 (『日本書紀』天武10年3月条より)

大極殿に、川嶋皇子以下12名のメンバーを集め、

「帝紀及び上古の諸事を記し定め」よと、、、

勅キタ━(゚∀゚)━!

冒頭の『日本書紀』の絶対抑えるべきポイントの3つ目、チーム制での編纂というのがココ。

川嶋かわしま皇子・忍壁おさかべ皇子・広瀬ひろせ王・竹田王・桑田王・三野みの王・大錦下上毛野君だいきんげかみつけのきみ 三千みちぢ・小錦中忌部連いんべのむらじ 子首おびと・小錦下阿曇連あづみのむらじ 稻敷いなしき難波連なにわのむらじ 大形おおかた・大山上中臣連なかとみのむらじ 大嶋・大山下平群臣へぐりのおみ 子首おびと

当時のスーパーエリートの皆さん。

目的は、対外的に主張できる日本という国の正当性やスゴさを示すこと。

なので、このために、当時のエリートの皆さんによって大陸の最先端理論や知識の体系をフル活用。

もちろん、正しいこと、正しくないこと、伝えるべきこと、伝えるべきでないこと、取捨選択、いろいろな、それこそ政治的な意図も働いての編纂作業。12人のチームメンバーが知恵を絞って日本の歴史を組み上げていく、、、

壮大

そして

途方もない、、、

熱い情熱と知恵と叡智と涙と、ありとあらゆるものを注ぎ込んで編纂作業が進められていったと想像します。このへんはロマンの世界やね。

そして、、、

40年後、、、

『日本書紀』成立の経緯

飛鳥時代、飛鳥浄御原宮でスタートした編纂事業は、その後、藤原京、平城京へと都を移しながら、律令整備とか体制づくりとかムキムキになりながら、ようやく、養老4年(720年)に完成。

ところが、、、

『日本書紀』にはその成立経緯を伝える記載が、、、ない!

なんてこった。。。

実は、成立経緯については、後に成立した『続日本紀』で伝えています。それがコチラ。

以前から、この一品舎人親王が、天皇の勅命により『日本紀』の編纂を行っていたが、ここに至って完成し、紀三十巻と系図一巻を撰上した。

先是一品舎人親王奉勅修日本紀 至是功成奏上 紀卅卷系圖一卷 (『続日本紀』養老4年5月癸酉条より)

と。

「卅」とは、三十(さんじゅう)の意味で、十が三つ横に並んだ形がもとになってます。オモロー

40年かけてようやく完成した『日本書紀』。。。ワナワナ

なのに、意外にアッサリ??

ポイントは、書名。

『続日本紀』では、「日本紀」と伝えており、「日本書紀」じゃないんです。

実はココから、後世において論争が巻き起こってしまうんです。後ほど紹介。

とにもかくにも、飛鳥時代、天武天皇の勅によってスタートした『日本書紀』編纂プロジェクトは、チーム制のもとで引き継がれ、40年という年月を経て奈良時代にようやく完成したという流れ。コレ、しっかりチェックです。

『日本書紀』の内容

ココからは、『日本書紀』の内容について解説していきます。

まずは、全30巻の概要を。ざーっと以下。

巻第一(神代上) 第一段:天地開闢と純男神
第二段:男女耦生八神
第三段:神世七代
第四段:国生み
第五段:神生み
第六段:誓約と子生み
第七段:勝ちさびと石窟幽居
第八段:八岐大蛇退治
第九段:天孫降臨
巻第二(神代下) 第十段:海幸・山幸
第十一段:四男神
巻第三(神武紀) 初代:神日本磐余彦天皇かむやまといはれびこのすめらみこと(神武天皇)
巻第四
  • 2代:神渟名川耳天皇かむぬなかはみみのすめらみこと(綏靖天皇)
  • 3代:磯城津彦玉手看天皇しきつひこたまてみのすめらみこと(安寧天皇)
  • 4代:大日本彦耜友天皇おほやまとひこすきとものすめらみこと(懿徳天皇)
  • 5代:観松彦香殖稲天皇みまつひこかえしねのすめらみこと(孝昭天皇)
  • 6代:日本足彦国押人天皇やまとたらしひこくにおしひとのすめらみこと(孝安天皇)
  • 7代:大日本根子彦太瓊天皇おほやまとねこひこふとにのすめらみこと(孝霊天皇)
  • 8代:大日本根子彦国牽天皇おほやまとねこひこくにくるのすめらみこと(孝元天皇)
  • 9代:稚日本根子彦大日日天皇わかやまとねこひこおほひひのすめらみこと(開化天皇)
巻第五 10代:御間城入彦五十塑殖天皇みまきいりびこいにゑのすめらみこと(崇神天皇)
巻第六 11代:活目入彦五十狭茅天皇いくめいりびこいさちのすめらみこと(垂仁天皇)
巻第七 12代:大足彦忍代別天皇おほたらしひこおしろわけのすめらみこと(景行天皇)
13代:稚足彦天皇わかたらしひこのすめらみこと(成務天皇)
巻第八 14代:足仲彦天皇たらしなかつひこのすめらみこと(仲哀天皇)
巻第九    気長足姫尊おきながたらしひめのみこと(神功皇后)
巻第十 15代:誉田天皇ほむだのすめらみこと(応神天皇)
巻第十一 16代:大鷦鷯天皇おほさざきのすめらみこと(仁徳天皇)
巻第十二 17代:去来穂別天皇いざほわけのすめらみこと(履中天皇)
18代:瑞歯別天皇みつはわけのすめらみこと(反正天皇)
巻第十三 19代:雄朝津間稚子宿禰天皇をあさづまわくごのすくねのすめらみこと(允恭天皇)
20代:穴穂天皇あなほのすめらみこと(安康天皇)
巻第十四 21代:大泊瀬幼武天皇おほはつせのわかたけるのすめらみこと(雄略天皇)
巻第十五 22代:白髪武広国押稚日本根子天皇しらかのたけひろくにおしわかやまとねこのすめらみこと(清寧天皇)
23代:弘計天皇をけのすめらみこと(顕宗天皇)
24代:億計天皇おけのすめらみこと(仁賢天皇)
巻第十六 25代:小泊瀬稚鷦鷯天皇おはつせのわかさざきのすめらみこと(武烈天皇)
巻第十七 26代:男大迹天皇おほどのすめらみこと(継体天皇)
巻第十八 27代:広国押武金日天皇ひろくにおしたけかなひのすめらみこと(安閑天皇)
28代:武小広国押盾天皇たけをひろくにおしたてのすめらみこと(宣化天皇)
巻第十九 29代:天国排開広庭天皇あめくにおしはらきひろにはのすめらみこと(欽明天皇)
巻第二十 30代:渟中倉太珠敷天皇ぬなくらのふとたましきのすめらみこと(敏達天皇)
巻第二十一 31代:橘豊日天皇たちばなのとよひのすめらみこと(用明天皇)
32代:泊瀬部天皇はつせべのすめらみこと(崇峻天皇)
巻第二十二 33代:豊御食炊屋姫天皇とよみけかしきやひめのすめらみこと(推古天皇)
巻第二十三 34代:長足日広額天皇おきながたらしひひぬかのすめらみこと(舒明天皇)
巻第二十四 35代:天豊財重日足姫天皇あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと(皇極天皇)
巻第二十五 36代:天万豊日天皇あめよろづとよひのすめらみこと(孝徳天皇)
巻第二十六 37代:天豊財重日足姫天皇あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと(斉明天皇)
巻第二十七 38代:天命開別天皇あめみことひらかすわけのすめらみこと(天智天皇)
巻第二十八 (39代:弘文天皇)
壬申の乱
巻第二十九 40代:天渟中原瀛真人天皇あまのぬなはらおきのまひとのすめらみことのしものまき(天武天皇)
巻第三十 41代:高天原広野姫天皇たかまのはらひろのひめのすめらみこと(持統天皇)

と。

尚、巻第三以降に登場する天皇の名には2つあって、

  • いみな:天皇が在世中の名。没後、その名を忌むので「いみな」
  • おくりな:没後に奉られる名

で、天皇の名はいみなまたは和風諡号であらわされています。

その特徴は、地名や動植物、体に関連する言葉などの単語の組み合わせからできてます。

で、

ココでしっかり押さえていただきたい『日本書紀』最大のポイント

それは、

神の時代から歴史の時代へつなげてる事。

巻第一は、天地開闢から始まり、巻第二と合わせて神世の時代を伝えます。

そしてその流れを承けての巻第三(神武紀)で、神の時代から人の時代へ、神話から歴史へ接続されていく。

壮大。。。

コレ、『日本書紀』独特の世界観であり、唯一無二の独自性であります。

世界広しと言えど、こんな編纂方法を採用している歴史書はどこにもありません。

そしてコレこそが、
「世界最古の国」として我が国「日本」がもつ圧倒的な歴史と独自性を際立たせているのです。

つまり、

「日本」という国、そして天皇は、神の時代から続いているスゴイ国、という事になる訳です。

確かに、対外的にも主張できる日本のアイデンティティを歴史書として構築しようぜ、とは言った。けどさ、、、

そこまでやる??

天地開闢から、神世の時代からつなげる???

とんでもない構想力であり、企てですよね。『日本書紀』の面白さ、その最大の魅力はまさにココ。

神話と歴史が繋がってる、その壮大な世界観であります。

これ、激しく重要なのでしっかりチェックされてください。

 

『日本書紀』で伝える日本神話の範囲、定義

『日本書紀』全30巻あるなかで、
「日本神話」として記載されているのが、

「巻一」と「巻二」。そして神武紀の「巻三」

神武紀の最後、神武天皇が橿原で初代天皇として即位した後は、
天皇の即位年を起点として、例えば「神武天皇◎年◎月◎日(日は十干十二支の組み合わせによる)」と表示されるようになります。

つまり、「歴史の記録」がこれにより始まるので、神武天皇の即位が「歴史」と「歴史以前」とを分かつ画期となる訳ですね。

なので、当サイトとしては、

神代紀 巻一、二 神話の時代
神武紀 巻三 神話と歴史の時代
橿原即位以後 歴史の時代

として区別。

ただ、大別すれば、神代~即位までとそれ以降とに二分し、便宜的にですが、前者を神話、後者を歴史と規定することにしています。

 

『日本書紀』巻第一

→「『日本書紀』巻第一(神代上)第一段 本伝

→「『日本書紀』巻第一(神代上)第一段 一書第1~6

→「『日本書紀』巻第一(神代上)第二段 本伝

→「『日本書紀』巻第一(神代上)第二段 一書第1,2

→「『日本書紀』巻第一(神代上)第三段 本伝

→「『日本書紀』巻第一(神代上)第三段 一書第1

→「『日本書紀』巻第一(神代上)第四段 本伝

→「『日本書紀』巻第一(神代上)第四段 一書第1

→「『日本書紀』巻第一(神代上)第四段 一書第2~10

→「『日本書紀』巻第一(神代上)第五段 本伝

→「」

 

→「『日本書紀』の「一書」とは?『日本書紀』本伝と一書の読み解き方法を徹底解説!

 

『日本書紀』巻第三(神武紀)

神武の生い立ち』 東征発議と旅立ち』 
東征順風・戦闘準備』『難波碕から白肩の津へ』『孔舎衛坂激戦』『長兄「五瀬命」の死』『熊野灘海難と兄の喪失』 
熊野荒坂で全軍昏倒』『頭八咫烏の導きと熊野越え』 
兄猾と弟猾』『吉野巡幸』『高倉山』『香具土採取と顕斎』『国見丘の戦いと忍坂掃討作戦』 『兄磯城討伐』『兄磯城討伐・磐余制圧②』『兄磯城討伐・磐余制圧③』 
金鵄飛来=祥瑞応見』『長髄彦最終決戦』 
中洲平定と事蹟伝承』『宮殿造営宣言』『十干・十二支を使った暦日』 
橿原宮即位と東征完結』『正妃蹈韛五十鈴媛命』『媛蹈韛五十鈴姫命の出自』『論功行賞と国見

 

まとめ

『日本書紀』は日本の歴史書。

日本に伝存する最古の正史で、全30巻。養老4年(720年)に完成。
舎人親王らの撰で、神代から持統天皇の時代までを扱います。

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参考文献:『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)他