国営 平城宮跡歴史公園は、
奈良県奈良市にある、平城宮跡を中心とした国営公園。
その広さ、国営公園の区域が約122ha、その他区域が約10ha。合計で約132haの超・広大な公園です。国営。
そして、平城宮とは、平城京の中心地であった区画。宮。
- 政治・儀式の場であった大極殿や朝堂院
- 天皇のすまいである内裏
- 役所の日常的業務を行う官衙や宴会を行う庭園など、都を治めるための官公庁
が集まってました。
で、それをベースに、現代に復原、跡として残しているのが「国営 平城宮跡歴史公園」。
国営です。奈良ですけど。この価値を感じていただきたい。
そして、当サイトとして激しく推したいのはこの平城宮こそ、『日本書紀』完成の地!つまり、当サイト的には日本神話完成の地なのであります。ココ、激しく重要。
今回は、古代ロマンを存分に堪能できる、国営 平城宮跡歴史公園の全貌を、日本神話からの切り口、眼差しをもとに、まとめてご紹介です。
平城宮跡歴史公園|日本神話完成の地!歴史と神話ロマンを存分に味わえる平城宮跡歴史公園の全貌をまとめてご紹介!
目次
平城宮跡歴史公園とは
まずは平城宮跡歴史公園の全体像を。
上から見ると、
斜めから見ると、
コチラ、平城宮の跡地を計画地とし、現在もなお整備中の公園。その広さ、甲子園球場の約30個分!めちゃくちゃデカい。
国営公園ですから。
言うと、
国が維持管理する都市公園。国土交通大臣が設置する国家事業。
平城宮跡歴史公園は、ロ号国営公園として、平成20年に閣議決定を経て設置された経緯あり。
国営公園
しつこいようですが、日本には、17箇所くらいあって、東京にある「昭和記念公園」とかもソレ。北は北海道の「国営滝野すずらん丘陵公園」から、南は沖縄の「国営沖縄記念公園」まで。そんな簡単にできるもんじゃない。
このスゴさ。価値。それが、奈良に。
なお、
平城宮跡歴史公園は、国土交通省 近畿地方整備局管轄(下図、赤枠)。一部奈良県管轄(下図、青枠)あり。
- 国営公園の区域・・・約122ha
- その他区域・・・約10ha
合計で約132ha!!
1ha=10,000㎡なんで、132ha=1,320,000㎡!!!
132万って、、、
市内中心部に、これだけの空間を贅沢に公園整備できるのは、他にコレといったウリのない奈良ならでは?(ちなみに私は橿原市民)
整備事業は引き続き進行中ながら、第一次大極殿や朱雀門などの建物が復原されたり、遺構の表示とか、フードとかイベントとかが展開され、1300年の歴史のロマンを感じさせる、奈良ならではの一大観光スポットとなっております。
平城宮は『日本書紀』が完成した地
そんな平城宮跡歴史公園ですが、当サイトとして激しく推したいのは、
ココこそ『日本書紀』完成の地!なんなら日本神話完成の地!
なのであります。
40年という、長距離マラソン的国家プロジェクトが、ついに、、ゴールテープ切って完走!
その瞬間、あのイメージ!!
、、、違うか、、
思い起こせば約40年前、ああ、あの頃は、都も飛鳥浄御原宮だったっけ、、、天武天皇が勅ってたよね、、、
天武天皇即位後10年。天皇が大極殿で編纂指令を下したあの頃、。
丙戌(17日)に、(天武)天皇、大極殿に御して、川嶋皇子・忍壁皇子・広瀬王・竹田王・桑田王・三野王・大錦下上毛野君 三千・小錦中忌部連 子首・小錦下阿曇連 稻敷・難波連 大形・大山上中臣連 大嶋・大山下平群臣 子首に詔して、帝紀及び上古の諸事を記し定めたまう。 (『日本書紀』天武10年3月条より)
大極殿に、川嶋皇子以下12名のメンバーを集め、「帝紀及び上古の諸事を記し定め」よと、、、
勅キタ━(゚∀゚)━!
みんな総立ち、咽び泣いてましたっけ。。
この時からですよ。それこそ、国家プロジェクトとして『日本書紀』編纂がスタート。
大陸の最先端理論や知識体系をフル活用。正しいこと、正しくないこと、伝えるべきこと、伝えるべきでないこと取捨選択、いろいろな、それこそ政治的な意図や思惑も働いての編纂作業。12人のチームメンバーが知恵を絞って日本の歴史を組み上げていく、、、
壮大、、
熱い情熱と知恵と叡智と涙と鼻水と、ありとあらゆる分泌物を注ぎ込んで編纂作業が進められていったと想像します。このへんは私個人的なロマンの世界。。
そして、、、
40年後、、、
藤原京、平城京へと都を移しながら、律令整備とか体制づくりとかムキムキになりながら、ようやく、養老4年(720年)に完成。
以前から、この一品舎人親王が、天皇の勅命により『日本紀』の編纂を行っていたが、ここに至って完成し、紀三十巻と系図一巻を撰上した。(『続日本紀』養老4年5月癸酉条より)
と。
ちなみに、、『続日本紀』では「日本紀」と伝えており「日本書紀」じゃない!?
でも、いいんです、多少書名が違っても。とにもかくにも、飛鳥時代、天武天皇の勅によってスタートした『日本書紀』編纂プロジェクトは、40年という年月を経て、奈良時代、平城京にてようやく完成した、
という流れなんですから。
やっとオワター!!?
こんな背景をもとに、現地をチェック。
平城宮跡歴史公園の歴史
ここからは、古代と現代をかいつまみながら、歴史・経緯的なところをチェック。
平城宮跡歴史公園的に、押さえておきたいのは、
- 大極殿が2つある理由
- 国営になった経緯
の2点。
1つ目。大極殿が2つある理由。
そもそもは、、、遡ること今から1400年ほど前、、
708 年 元明天皇により、藤原京で発せられた「平城遷都の詔」がきっかけ
「まさに平城の地は、四つの動物が河図に相応じ、三つ山が鎮めをなしているところである、亀甲や筮竹の占いにかなう。よってこの地に都を建てるべきである。(方今平城之地。四禽叶圖。三山作鎭。龜筮並從。宜建都邑。(『続日本紀』708年2月15日条)」
ということで、風水や易の思想に基づき場所が選定されてることが分かります。
710 年 藤原京から平城京へ遷都
以後74年間にわたって、平城京は国の中心として、政治、文化、外交、様々な基盤が確立されていきます。なお、この時の大極殿が、現在の「第一大極殿」。
そして、当サイト的イチオシ。
712年 『古事記』編纂・完成
720年 『日本書紀』編纂・完成
で、途中の聖武天皇代、
740年から745年まで、恭仁京(京都)→難波宮(大阪)→紫香楽宮(滋賀)と3回遷都。
コレ、反乱や疫病からの逃亡が主な理由とされてて。不安定な時代。東大寺の大仏もこの後に造られてます。
この遷都で、それまであった大極殿が解体、移築されました。しかし、、結局、遷都はうまくいかず、、、745年には再び、平城京を都として出戻り。
その際に、以前の大極殿があった東側に新しい大極殿を建設。これが現在の「第二大極殿」。大極殿が2つある理由がコレ。
そして、、
784 年 長岡京遷都により平城京の時代は幕を閉じる
まー色々ありました。変があったり、天然痘が流行したり、いくつかの乱があったり、東大寺造ったり、鑑真が来日したり、、、
いずれにしても、
古代国家として、本格的な基盤が形成・完成された場所。それが平城京であり、
当サイトとしては
平城京こそ、『日本書紀』『古事記』完成の地であり、
つまり、日本神話が完成した地。激しく重要なスポット
としてチェックいただきたい!
そして、、、
一気に時代は下り、近年のお話。
平城京カムバックの大きな転機は、やはり、
1889年 大極殿の基壇発見
ここから、、、
平城宮は再び歴史の表舞台へ。奈良的に。
1924年以降 奈良大極殿保存会による発掘調査
1959年以降 奈良国立文化財研究所による発掘調査
コレ、現在でも続行中。奈良的に。
そんな中で、
1922年 史跡指定
1952年 特別史跡指定(平城宮跡)
1998年 世界遺産登録(古都奈良の文化財)
その勢いよろしく
2010年には、平城京遷都1300年の節目到来。キテルよ、コレ。ビッグウェーブ奈良に。これは国を挙げて整備せなあかんと、いう事で、
その2年前、奈良県をはじめ文化庁も動いて
2008年(平成20年)、政府の閣議決定。国営公園化。
コレに基づき、
「古都奈良の歴史的・文化的景観の中で、平城宮跡の保存と活用を通じて、 “奈良時代を今に感じる”空間」としての整備事業開始。
そして、
2010年 平城遷都1300年祭
2018年 国営平城宮跡歴史公園としてオープン
奈良県民総立ち。夢にまで見た国営公園開園の瞬間でした。当時の報道資料がこちら→ http://www.pref.nara.jp/secure/185130/kaiensiryo.pdf
苦節1300年、ようやく平城宮が歴史の表舞台に。。。
平城宮跡歴史公園の現場
そんな平城宮跡歴史公園は、現在、国営公園として「ゾーン別整備」がされてます。
- エントランスの「拠点ゾーン」
- 大極殿等の復原が進む中心スポット「シンボルゾーン」
- ただの草原?いえいえ、創造力が試される「緑地ゾーン」
平城宮跡歴史公園は、コレら3つのゾーンをチェックしておけば整理はO K!
なんせ、特別史跡、世界遺産。
その名に恥じぬ、巨大な「遺跡博物館」としての機能を持ってます。
遺跡を守り、研究し、これを整備して国民的な利用に供するものとして提案された、遺跡の一つの存在形式(「特別史跡平城宮跡保存整備基本構想」による)。
なので以下、
ゾーン別にご紹介。
拠点ゾーン(朱雀門ひろば):国営平城宮跡歴史公園のエントランス
まずは、国営平城宮跡歴史公園のエントランスである「拠点ゾーン」からご紹介。
ここ、
歴史公園全体の中でも数少ない、奈良県公園区域。つまり、県が総力をあげてプロデュースした奈良的なる空間として、さらっとチェック。
▲国営平城宮跡歴史公園のエントランス「拠点ゾーン」から朱雀門を望む。ロマンの旅がココからはじまります。
拠点ゾーンのメインコンテンツは以下。
天平うまし館
飲食、交流棟として、レストラン、カフェ、交流スペースあり。遣唐使船解説コーナーから、復元遣唐使船へ乗船できます!
▲遣唐使船解説コーナー。映像がとても分かりやすいので是非チェック。
▲奈良が誇るキャラクターせんとくんと遣唐使船。こんなにシュールな絵が他にあるでしょうか!?
天平みつき館
▲観光案内、物販棟として、奈良県内の観光情報の他、県内の特産品や平城京ゆかりの物品を販売してます。
天平みはらし館
休憩、宮跡展望棟として、休憩・展望スペースやV Rシアターが設置。公園内のジョギング、サイクリング等の拠点として位置付けたい。オススメは、レンタサイクル。平城宮跡公園、とにかくめちゃくちゃ広いのでチャリがあると楽です。
天平つどい館
団体集合棟として団体で来園した方々用のスペースです。
ま、この辺りはさらっと。
続けてご紹介するのが、国営公園区域。県とは比べ物にならない、国家的スケール感を堪能あれ。
朱雀大路
平城京のメインストリートである朱雀大路を復原。かつての平城京を南北に貫くメインストリート。
道幅74m!
一説には、大路の両側に柳が植えられていたようで、往時の朱雀大路を復原・再現しております。
来訪者が「平城京跡へ来たな〜」と実感し、期待感を高められるよう工夫された設計。いや、まじで。平城京の姿を彷彿とさせる空間になっております。
平城宮いざない館
映像プログラムや模型により、平城京のかつての姿やそこで暮らす人々の営みについて体験的展示をするとともに、出土品の読み解き等を通じて、誘ってくれます。あの頃へ。。
朱雀門
平城宮の入口たる正門。南端に位置していたのが「朱雀門」。
コチラ、1998年(平成10年)に復原。間口約25m、高さ約20mの入母屋二重構造。来園者の誰もが楽しみながら古代国家の歴史・文化を体感し、体験的に学ぶことができるよう、空間スケールを活かした遺跡の表現!
公開時間は、 9:00~16:30(入場は16:00まで)。月曜日お休み。(月曜が祝日の場合はその翌日)、年末年始(12月29日~1月3日)も。
▲当時は、こんな感じで、イベントや使節団のレセプションなどが行われていたのでしょうか、、、
▲往時に思いを馳せることのできる景観形成。。。きっと『日本書紀』編纂チームもこういう風に見上げていたのだろう。
シンボルゾーン:大極殿等の復原が進む中心スポット
復原を行う建物等を中心に、歴史資産を活かした空間づくりが進むシンボルゾーン。まさに、往時の平城宮の様子を体感・体験するスポットであります。
朱雀門を通過すると、目の前には近鉄電車の線路が、、、
▲古代と現代の融合。このちぐはぐな感じも奈良ならでは。
中央区朝堂院(第一次)
奈良時代前期、役人の執務や式典などが行われてました。イメージ的には、現在の国会議事堂の機能が、大極殿+朝堂院だったわけで。まさに政治の中心、なかでもお役人回りの中心地がココ、朝堂院であります。
▲当時は、こんな感じで。役人の方々がお仕事をされてました。『日本書紀』編纂チームも絶対にいたはず!
▲おや?あそこにいるのは、川嶋皇子・忍壁皇子かい?なんて、ロマンを。。。
▲朝堂院が建っていたであろう場所に、私も立ってみた!!編纂メンバーも見ていたであろう景色!ロマンが広がる!!
▲とはいえ、、ただの原っぱ。。。だな
第一次大極殿院 南門
2021年現在で工事中。こちら、2019年から「南門」の復原工事が進んでいます。
この南門から先の四角い区画が「第一次大極殿院」。院ですから。院。
「大極殿」を含む南北約320m、東西約180mの区画。平城宮の中心的施設であり、天皇の即位や外国使節との謁見など国家の重要な儀式が行われた場所です。
2011年(平成23年)「第一次大極殿院建造物復原整備計画」が策定され、「築地回廊」、「南門」、「東西楼」、「内庭広場」を順次整備していくことが決定されてます。現在、南門から復原中。
第一次大極殿
大極殿は2010年(平成22年)に復原されました。政治の中心施設。天皇の即位儀礼や外国使節との謁見など国家の重要な儀式が行われた場所。
なお、、、
「第一次大極殿」とあるように、大極殿は2つ。第一次と第二次。
理由は、先ほどご紹介した歴史経緯から。
- 元明天皇、平城京遷都時の第一大極殿
- 聖武天皇、出戻り時以降の第二大極殿
聖武天皇代は不安定な時代。反乱や疫病が流行り、この地を離れて心機一転を意図し、740年から745年まで、恭仁京(京都)→難波宮(大阪)→紫香楽宮(滋賀)と3回も遷都。この遷都で、それまであった大極殿が解体、移築。
しかし、、結局、遷都はうまくいかず、、、745年には再び平城京を都として出戻り。その際に、以前の大極殿があった東側に新しい大極殿を建設。これが現在の「第二大極殿」。
第一次の時の内裏はそのままの場所で、その手前に、小規模で第二次大極殿が建設されてますね。
第二次大極殿跡
天平17年(745)から約40年間使われた大極殿跡。「第二次大極殿」の建物の基礎部分を復原した基壇や柱跡などがあります。
今ココ!
内裏
天皇が日常生活を送っていた場所。
大極殿や朝堂院は、瓦を葺いた中国風の建物だった一方、内裏の建物は屋根にヒノキの樹皮を葺いた檜皮葺きで、日本の伝統技術を用いて作られた建物だったようです。
推定宮内省
内裏東側の一画で見つかった建物群。天皇家のために仕事する宮内省関係の役所と推定されてます。門、築地塀、建物が復原されてます。
式部省、兵部省
式部省は、奈良時代の人事院。兵部省は防衛省です。
遺構展示館
発掘調査で見つかった遺構を、発見当時の状態で保存、展示してます。
東院庭園
平城宮跡歴史公園の南東部分、他の日本古代都城の宮殿地区には見られない、東の張出し部があります。これが「東院庭園」で「東宮」あるいは「東院」と呼ばれてました。宴会や儀式が催され、現在の迎賓館のような役割を果たしたようです。
緑地ゾーン:ただの草原?いえいえ、創造力が試されてます
平城宮跡歴史公園の3つ目の区画、緑地ゾーンをご紹介。
その名の通り、緑地、ですから。想像力が試されます草www
まずは、西側の緑地ゾーンから。
佐紀池付近
草ですよ、草。どこまでも。。
平城宮跡資料館
奈良文化財研究所による、これまでの発掘調査・研究の成果をもとに、土器や瓦、木簡をはじめ、建物模型や航空写真、発掘のジオラマ模型などで、平城宮を分かりやすく展示しています。ココ、必見。かなりいろいろ展示されててとても勉強になります。
そして、東の緑地ゾーン。
第二次朝堂院、朝集殿院
『日本書紀』編纂チームもこの荒漠たる景色を見ながら、日本という国を構想していたのだろう。。。
やっぱり、基本、草。
ということで、現場からは以上です。
まとめ
国営 平城宮跡歴史公園
奈良県奈良市にある、平城宮跡を中心とした国営公園。
その広さ、国営公園の区域が約122ha、その他区域が約10ha。合計で約132haの超・広大な公園です。国営。
そして、平城宮とは、平城京の中心地であった区画。宮。
- 政治・儀式の場であった大極殿や朝堂院
- 天皇のすまいである内裏
- 役所の日常的業務を行う官衙や宴会を行う庭園など、都を治めるための官公庁
が集まってました。
で、それをベースに、現代に復原、跡として残しているのが「国営 平城宮跡歴史公園」。
当サイトとして激しく推したいのはこの平城宮こそ、『日本書紀』完成の地!つまり、当サイト的には日本神話完成の地なのであります。ココ、激しく重要。
今回は、古代ロマンを存分に堪能できる、国営 平城宮跡歴史公園の全貌を、日本神話からの切り口、眼差しをもと是非チェックされてください。
住所 | 〒630-8012 奈良県奈良市二条大路南三丁目5番1号 |
連絡先 | 0742-36-8780 |
駐車場 | あり 有料 コチラで詳しくhttps://www.heijo-park.go.jp/infomation/parking/ |
アクセス方法 |
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イベント情報 |
年間を通じて、平城京の歴史や体験学習、奈良らしい地域のイベントを毎月実施しています。申込み制となっているものもありますので、イベント案内をチェックです。https://www.heijo-park.go.jp/event/ |
レンタル自転車 |
公園内は広いのでレンタル自転車の活用をオススメします。園内は高低差もないため、点在する建造物めぐりにはレンタサイクルが便利です。天平みはらし館でレンタサイクル受付。1日500円。電動もあり800円。月曜日定休。 |
パンフレットはコチラでhttps://www.heijo-park.go.jp/pamphlet/
日本神話編纂の現場!奈良にカマン!
本シリーズの目次はコチラ!
ついでに日本の建国神話もチェック!
参考文献:『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)
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