神武東征神話をもとに「東征ルート」を辿り、書紀文献とあわせて検証するシリーズ
本企画は、
シリーズでお伝えしている神武東征神話、その物語をもとに、
神話からリアルへ、各地の伝承地を巡って「実際のところどうなのよ?」的なところを検証する、極めて奥ゆかしくマニアックな内容であります。
●まとめはコチラ→ 神武天皇聖蹟顕彰碑・伝承碑まとめ|実際に行ってみて、確かめてみたところを全部まとめてみた!(マニア限定)
今回は、
奈良県にある「神武天皇聖跡狭井河之上顕彰碑」。
コチラ、『古事記』が元になっている顕彰碑。
東征を果たし、天皇として即位した「神倭伊波礼毘古命」が妻問いしたアレ♡なスポット。
妻問いしたのは、大物主神の娘「伊須気余理比売」。
実は、三輪山(美和)の神のパワーが背景にあるモノスゴイお姫様。しかも超絶美人だったとか。。。
狭井河のほとりに住んでいたようで、このお方を目がけて神武天皇が妻問いした次第。
今回は、そんな神武天皇がゾッコンになり妻問いしたアレ♡なスポットを顕彰する「神武天皇聖跡狭井河之上顕彰碑」をご紹介します。
神武天皇聖跡狭井河之上顕彰碑|伊須気余理比売命の家だったところ!?神武天皇が妻問いしたアレなスポット
目次
神武天皇聖跡狭井河之上顕彰碑にまつわる神話的背景
まずは、「神武天皇聖跡狭井河之上顕彰碑」にまつわる日本神話的背景、てか、すでに歴史の時代に入ってるので歴史的背景を。
歴史といっても、かなり神がかってます。。
伝えるのは『古事記』中巻。以下、先に姫の背景を紹介し、そのあとで妻問いの現場をご紹介。
まずは、姫様から。
東征を成就し、天皇として即位した「神倭伊波礼毘古命」。直後に、嫁探しを始めます。
ちなみに、「神倭伊波礼毘古命」には日向で結婚された「阿比良比売」がいて、二人の子供もいたのですが、、、
即位された訳ですから!ニューワイフカモン!
ということで、
臣下の大久米命から紹介されたのが、「伊須気余理比売」という次第。
比売多多良伊須気余理比売
このお方、とても謎の多い方で。。。
『古事記』では
- 父:美和之大物主(大物主神)
- 母:三嶋湟咋(みぞくひ)の娘 勢夜陀多良比売
ということで、大物主神の娘とされてます。三輪山(美和)の神のパワーが背景にあるモノスゴイお姫様。
ちなみに、
『日本書紀』巻第一(神代上)では、「姫蹈韛五十鈴姫命」、『日本書紀』巻第三「神武紀」では「媛蹈韛五十鈴媛命」として登場します。
●参考→ 正妃蹈韛五十鈴媛命|現妻さしおき新たに正妃をお迎えす。いや、コレには深~い理由(ワケ)があって、、、の件
ポイントは、
異類婚により生まれた、特別な娘さんであること。
コレ、丹塗矢伝承と呼ばれる異類婚のお話。
かいつまんで、
比売多多良伊須気余理比売のお母さんである、勢夜陀多良比売は絶世の美女として知られていました。
三輪山(美和)の神である大物主神は、丹塗り矢(赤い矢)に姿を変え、勢夜陀多良比売が大便をするところを狙って川の上流から流れていき、勢夜陀多良比売の陰部(ホト)を突きます。
驚いた勢夜陀多良比売が矢を取って部屋に戻ると、矢は美男子へ変化。
そのまま結婚し、これによって生まれた娘が「富登多多良伊須須岐比売」。
でも、後に、「富登多多良伊須須岐比売」は「ホト」という名を嫌って「比売多多良伊須気余理比売」(ヒメタタライスケヨリヒメ)に改名。
ということで、
これが比売多多良伊須気余理比売にまつわる丹塗り矢(赤い矢)伝承。
位置づけ、ポイントとしては、
地元の超絶神威をもつ大物主を父にもつ娘という関係と、異類婚という形での誕生を通して、比売多多良伊須気余理比売のスゴさ、神武天皇の妃となるに相応しいお方であることを示す。
ってことで。
そうは言っても、神武天皇の妃ですから。どこぞの馬の骨とも分からぬ娘様と結婚なんてできる訳ない!
ちなみに、比売多多良伊須気余理比売も相当な美人だったそうです。。。
そんなお姫様が住んでらっしゃったところが、ココ「狭井河之上」という次第。
で、神武天皇が妻問いに来るわけです。
それがコチラ。
伊須気余理比賣の家は、狹井河のほとりにあった。
天皇は伊須気余理比賣の許へ行幸し、一宿を御寢なされた。
その後、伊須気余理比が、橿原宮へ入內されたときに天皇が詠まれた大御歌は、
「葦原の 醜しき小屋に 菅畳 いや清敷きて わが二人寝し」
於是其伊須氣余理比賣命之家在狹井河之上。天皇幸行其伊須氣余理比賣之許、一宿御寢坐也。後其伊須氣余理比賣、參入宮內之時、天皇御歌曰、「阿斯波良能 志祁志岐袁夜邇 須賀多多美 伊夜佐夜斯岐弖 和賀布多理泥斯」。(『古事記』中巻より一部抜粋)
これにより、日子八井命、神八井耳命、神沼河耳命の三子が生まれます。ちなみに、神沼河耳命が第二代天皇である「綏靖天皇」とされてます。
ということで、
かなりのラブなスポット、それが、「神武天皇聖跡狭井河之上顕彰碑」であります。
神武天皇聖跡狭井河之上顕彰碑への道
「神武天皇聖跡狭井河之上顕彰碑」の神がかった歴史的背景をチェックしたところで、ココからは実際のリアルな現場をご紹介。
場所は、奈良県桜井市茅原。
「神武天皇聖跡狭井河之上顕彰碑」への道はコチラ。
「三輪参道入口」交差点を大神神社方面へ入っていき、踏切を渡ってすぐ左。小道を行って、標識が出てきたら右へ。突き当りです。
▲「三輪参道入口」交差点。大鳥居があるので分かりやすい!大神神社方面へ入っていきます。
▲JRの踏切あり。渡ってすぐのところに左へ入っていく小道があります。細いけど。。。
▲小道を進むと、歴史街道の標識がありますので、コレを右へ。
▲大丈夫??と思う雰囲気ですが、どんどん進みましょう。
▲見えてきました!!「神武天皇聖跡狭井河之上顕彰碑」であります!
おおう、、、民家のほとりなのね、、、
住居と畑?に挟まれてほっそりと、ひっそりと建ってます。。
神武天皇聖跡狭井河之上顕彰碑
ココが伊須気余理比売の家!
ココで神武天皇が伊須気余理比売を妻問い♡!!!
LOVE。LOVEですよ。
ちなみに、、、
伊須気余理比売が、橿原宮へ入內されたときに天皇が詠まれた大御歌が「葦原の 醜しき小屋に 菅畳 いや清敷きて わが二人寝し」でしたが、、
「葦原の 醜しき小屋に」とあり、、
狭井河のほとりということで、まわりいちめん葦の原だった?? そして、醜しき小屋ということで、かなり汚い?小屋だったみたいです。。。
石碑の裏には、
「神武天皇 伊須気余理比売命ノ御家アリシ狭井河ノ上ニ行幸アラセラレタリ聖跡ハ此ノ地付近ナリト推セラル」
とのことで。
と、いうことで参りましょう。
恒例の。。。
勝手に認定結果
委員会の皆様には大変恐縮ではございますが、
こちら、
と、させていただきます。
御査収の程何卒よろしくお願い申しあげます。
まとめ
「神武天皇聖跡狭井河之上顕彰碑」
『古事記』が元になっている顕彰碑。
東征を果たし、天皇として即位した「神倭伊波礼毘古命」が妻問いしたアレ♡なスポット。
妻問いしたのは、大物主神の娘「伊須気余理比売」で、このお方、実は、三輪山(美和)の神のパワーが背景にあるモノスゴイお姫様。しかも超絶美人だったとか。。。
狭井河のほとりに住んでいたようで、このお方を目がけて神武天皇が妻問いした次第。
場所は、奈良県桜井市、住宅と畑の間にひっそりと建ってます。
「神倭伊波礼毘古命」と「伊須気余理比売」のラブなスポットとして是非チェックされてください。
神武天皇聖跡狭井河之上顕彰碑
住所 |
〒633-0073 奈良県桜井市茅原 大神神社、狭井神社近く |
営業時間 | 無し |
駐車場 | 無し。一台くらい駐車できるスペースはあり |
トイレ | なし |
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参考文献:『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)
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