藤原宮跡は、奈良県橿原市にある、藤原宮の跡地。
今でこそ、なーんも無い、ただのデカい草原って感じで、寂寞に胸が熱くなるのですが、
とんでもない!
実はココ、
「日本」という国の土台が創られた場所であり、日本初の本格的な宮城都市として建設された、激しくゴイスーなスポット。
当サイト的には、
日本神話編纂の現場として、激しくオススメさせていただきたい場所であります。神話ファンなら鉄板のビジットスポット。
今回は、橿原市が誇る最高の神話ロマン発生地帯「藤原宮跡」の全貌を、周辺施設や跡地と合わせて全部まとめてご紹介します。
藤原宮跡|藤原京の中心施設、藤原宮の跡地!周辺施設や跡地も含めて藤原宮跡の全貌まとめ!
目次
藤原宮跡とは
ここでは、サラッと概要を。
今から遡ること、約1300年前。
大和三山に囲まれたココ、橿原の地に、日本初の本格的な宮城都市「藤原京」が建設されました。
経緯としては、
天武元年(672年)壬申の乱。
この内乱に勝利した天武天皇が、律令制度にもとづく中央集権的国家づくりを開始。
それまで、なんなら飛鳥のど田舎で、住宅兼用の飛鳥浄御原宮(宮都レベル)で政治を行なってましたが、、、
必読→ 飛鳥浄御原宮|日本神話編纂のふるさと!歴史書の編纂というビッグプロジェクトがスタートした超重要スポット
田舎あかん!
と。
オレ既に全国区!
と、一念発起。
日本のみならず、世界を見据えた国家づくりはじめちゃいます。その一環で、ニューシティ造ろうぜ、中国の長安並みの、マジなやつ。
要はそんな経緯で、天武天皇によって計画され、持統8年(694年)、ダンナの遺志を受けついだ持統天皇の代に完成した次第。
コレは革命です。
今まで村レベルだったのが、都市レベルまで一気に次元上昇。
推定されている説(大藤原京説)によれば、
藤原京は東西5.3km、南北4.8~5.3kmという規模。
とにかくデカい。
- 京内の人口は、推定2~3万人。コレまた当時としては異常。
- 「大路」や「小路」と呼ばれた大小の道路により、整然とした街区に区画され、宮の近くには、貴族や高官たちの屋敷が建ちならび、
- 左京と右京には国の大寺である「大官大寺」と「本薬師寺」が建てられて、、、
と、まースゴイ。
で、
その中央、中心にあったのが、今回ご紹介する「藤原宮」という訳です。
「藤原宮」は、東西南北約1km四方の宮。
この中に、
- 大極殿や朝堂院といった国をあげての儀式や政治を行う施設
- 天皇の住まいである内裏
などがあり、要は、
現在の、国会議事堂や霞ヶ関の官庁街、さらには皇居とかを、みんなまとめてドン。
ほんと、スゴイ宮だった訳です。
当サイトとしては、
この藤原宮こそ、日本神話編纂の現場。
激しくオススメしたいスポットであります。
飛鳥浄御原宮にて発令された日本書紀・古事記編纂事業。それは、都を遷してココ、藤原宮で本格的に進められていきます。
編纂チームが日夜、議論し、創意工夫し、つくり上げた日本神話。
日本の凄さをどう世界に発信していくか、悩み、思考し、組み上げた超絶すんごい神話世界。
当然、橿原の地で天皇として即位した橿原宮は、それこそ藤原宮がモデルとなっていたはずで。
その原風景がここ、藤原宮跡にあるのだ!
●必読→ 『日本書紀』と『古事記』の違いに見る「日本神話」の豊かさとか奥ゆかしさとか
●必読→ 橿原宮即位と東征完結|歴史はココから始まる。橿原宮で即位し世界最古の国「日本」をつくった件
ちなみに、
藤原京が都としてあったのは、平城京遷都までの16年間。
この短命な感じ、そしてその後の衰退荒廃のストーリーもまた、寂寥をもって心を揺さぶる訳です。後ほど、歌とあわせてご紹介。
藤原宮跡の現場
ここからは、藤原宮跡の現場をリアルにご紹介。
藤原宮は、一辺約1km四方の四角形。
現在のマップにプロットしてみると、ざっくりこんな感じ。
藤原宮のメインは以下3つ
- 高御座が据えられ、即位の大礼や国家的儀式が行われた「大極殿院」
- 天皇が早朝に政務をみる朝政や、臣下参列のもと国儀の大礼が行われた「朝堂院」
- 天皇の住まいである「内裏」
以下、
順に現地の様子をご紹介。藤原宮の正面入口、朝集殿院からスタート。
朝集殿院跡 周辺
藤原宮の正面玄関となる場所。
少し先には、朝堂院南門の列柱が。そのずっと奥には耳成山が見えます。ココ、すでにロマン発生地帯。
朝堂院南門
朝堂院南門は、昭和13年と14年の発掘調査により、礎石を据えた痕跡である「栗石」が14か所発見されたことにより確認されました。
南門の規模は、正面24.6m、側面10.2m。
結構デカい。
こちらの列柱、
実は、実際に南門があった場所よりも北20mの場所に再現設置されているもの。
イメージ力、問われてますぞ。見えるよね?南門。想像して!
朝堂院を北上。ここを日本神話編纂メンバーも歩いていたに違いない。。。サイコーだ!このロマン感♡
何もないからこそ、ロマンは自由に、どこまでも広がります。 それがないとただの草w
大極殿院閣門跡
「大極殿院閣門」は、大極殿院と朝堂院を区切る門。
基壇最下段の石材が部分的に発見され確認。規模は不確定ながら、正面約30m、側面15m。先ほどの、朝堂院南門と同規模と想定されてます。
ここらで、周りを見渡す。
、、、うん、なんもないねwww草
後ろを振り返ると。
彼方に朝堂院列柱。果てしない、、、
ごらん、あれが天香久山だよ。あの山は、神代には天にあって岩戸神事が行われたんだ。
そして、あれが畝傍山だよ。かの地で、神武天皇が初代天皇として即位し、日本建国を果たしたんだ。
ここは藤原京の中心。ロマンの超過密地帯なんだ。
大極殿跡
重要な政治や儀式の際に、天皇の出御する建物。
建物の柱間は正面45m、側面20m、基壇を含めた高さは25mを超えていたとのこと。巨大。しかも、礎石の上に赤く塗った柱を建て、屋根を瓦で葺くという日本では、最初の中国風の宮殿建築でした。
現在は、基壇の跡だけが残り、「大宮土壇」と呼ばれています。ちなみに、この土壇こそが、昭和1年に日本古文化研究所が発掘調査したもので、藤原宮解明のきっかけになった場所なんです。
鴨神社跡
大極殿跡は、ちょっとした小山になっており、中には鴨神社跡があります。
と、
ココ大極殿跡から、藤原京の栄華を称えた歌をご紹介。
作者不詳ながら「御井の歌」として知られた歌。『万葉集』より。
やすみしし 我ご大君 高照らす 日の皇子 荒栲の 藤井が原に 大御門 始めたまひて 埴安の 堤の上に あり立たし 見したまへば 大和の 青香具山は 日の経の 大御門に 春山と 茂みさび立てり 畝傍の この瑞山は 日の緯の 大御門に 瑞山と 山さびいます 耳成の 青菅山は 背面の 大御門に よろしなへ 神さび立てり 名ぐはし 吉野の山は かげともの 大御門ゆ 雲居にぞ 遠くありける 高知るや 天の御蔭 天知るや 日の御蔭の 水こそば とこしへにあらめ 御井のま清水 (万葉集 52番歌)
訳文: あまねく天下を支配されてらっしゃるわが大君、天高く照らしてらっしゃる日の神の御子なる天皇、その天皇が藤井が原に素晴らしい宮殿を造営され、埴安の池の堤に立ってご覧になると、大和の青々とした香具山は、東面の御門として春山らしく茂っている。畝傍の瑞々しい山は、西面の御門として端山らしくどっしりとしている。耳成の青菅茂る山は、北面の御門として神々しい。名も妙なる吉野の山は、南面の御門のはるか向こう雲の彼方に連なっている。このよき山々に守られた高くそびえる大宮殿、天高くそびえる大宮殿の水こそは、永遠に尽きることなくあれ。この御井の真清水は。
白鳳文化が花開いた藤原京。「御井の歌」はその栄華を称えた歌。
一帯に広がる美しい藤原京は、大和三山が取り囲む。東は香具山、西は畝傍山、北は耳成山、そして南は吉野の山。それらが、都を守る「門」として囲んでいると歌ってます。
そして、
都を存続させる要である井戸の存在。
藤原京を、豊富で清冽な井泉に恵まれた宮都として賛美。井戸があれば、都も天皇も永遠に続いていくだろうと。なんて麗しい。。。
飛鳥浄御原宮から藤原京への遷都は、それまでの「宮都」といった規模感から、本格的な城壁を持つ「宮城」スケールへの大転換でした。
また、
ハード面だけでなく、ソフト、具体的には、律令制度や歴史書の編纂等、日本の仕組み作りの点からも大きな変革が行われた時代でもあります。
本歌は、そうしたなかで育まれていった「日本(日本人)」としての自覚や自負といった意識の拡大を映し出してるんです。
やすみしし 我ご大君 高照らす 日の皇子 荒栲の 藤井が原に 大御門 始めたまひて、、、
確かに、すごいマインドだ!
大極殿正面より遥か遠望。この景色を持統天皇は見ていたはずで。故郷である飛鳥。左に天香具山、右に畝傍山。後ろに耳成山。まさに「青く美しい山が四方を囲んでいる(神武東征神話の東征発議より)」をビシビシ感じます。
この地こそ、
豊葦原瑞穂の国の平定と統治の偉業を大きく広げ、王の徳を天下のすみずみまで届けるのにふさわしい場所。ココこそが、「中州(世界の中心)」なんです。
神武東征神話と合わせてチェックすると深みがマシマシです。是非。
内裏跡
天皇の住まいであった内裏。現在、メインは「醍醐池」となってます。
ポイントは、
鴨!
平城京遷都により、藤原京は荒廃の一途を辿るのですが、その栄枯盛衰を、鴨君足人が香具山歌として歌っています。
天降りつく 天の香具山 霞立つ 春に至れば 松風に 池波立ちて 桜花 木の暗茂に 沖辺には 鴨妻呼ばひ 辺つ辺に あぢ群騒きももしきの 大宮人の 退り出て 遊ぶ船には 楫棹も なくて寂しも 漕ぐ人なしに
訳文: 天から降ってきたという天の香具山では、霞の立つ春になると、松を渡る風に、埴安の池に波が立ち、桜の花が木陰いっぱいに咲き乱れ、池の沖では鴨がつがいを求め、岸辺ではあじ鴨の群れが騒がしく、宮仕えの人々が宮殿から退出していつも遊んでいた船には、櫂も棹もなく、物寂しく静まりかえっている。船を漕ぐ人もいないままに。
天香具山は、春になれば桜が美しく、池にはたくさんの鴨がいて、大宮人が遊覧に興じていたのに、、、今では、その船も漕ぐ人もいなくて寂しく静まりかえっている、、、と。
かつての賑わいや栄華が嘘のように、見るかげもない有りさまをさらす藤原京。。。奈良の平城京へ遷都後の荒廃を歌う内容。鴨と合わせてチェック。現地で巡り合えたらラッキー鴨!
宮城門(東面中門)
周囲を、「大垣」と呼ばれる掘立柱塀によって区画されていた藤原京。
さらに、
東西南北の各辺に、「宮城門」が3つずつ設置されてました。
宮城門は、
基礎に石を用いる礎石型の建物。
規模は、間口25.2m、奥行10.1m!デカいぞ
藤原宮の東の辺、その中央にあたる場所。
平成23年の発掘調査で、宮城12門(4辺×3門)の一つである東面の中門と、コレに取り付く東面の大垣が発見されました。
東面中門では、礎石の据付穴が6基。巨大な組積も2個見つかってます。
現在は、
こうした発掘調査成果をもとに、推定も含めて柱の位置を表示してます。
西面大垣南門跡
西面大垣南門跡は、
藤原宮 西面の大垣にあった3つの門のうち、一番南にあった門の跡地。
大垣は太い柱を一列に並べたもので、間を、板か壁で塞いだ構造と考えられています。
西南隅
西南隅は、藤原宮の西南の隅っこ。
昭和56年に発掘調査。大垣、内濠、外濠などの宮の外周を囲む施設が見つかってます。
内濠の幅は1.8m、外濠は10mとかなり広いつくりですね。
90度、L字型の盛り土が、隅っこ感をコレでもかと演出してくれます。
で、コチラが外濠の跡。
藤原宮跡の片隅でロマンを叫ぶ
藤原京朱雀大路跡
藤原京朱雀大路は、藤原京の左京・右京を分けるメインストリート。
ここから、約200m北には、藤原宮の正面玄関である、南面中門である「朱雀門」があり。
道の東西両側には、溝が掘られており、
昭和51年の発掘調査により、道路の路面幅は約19m、東西両方の側溝は約4mという、かなりデカい大路になっていたことが判してます。
ここから北を望むと、、、
真正面に耳成山。もう、なんか、そのために造ったでしょって感じ満載です。
藤原宮跡をより深く知るための施設
ここからは、藤原宮跡をよりディープに知るための施設を2つご紹介。
藤原京資料室
藤原宮跡の左上、北西の角に隣接。見どころは、藤原京の全景を示した縮尺1000分の1の模型。巨大なジオラマ!
必読→ 藤原京資料室|藤原京の巨大なジオラマ!リアルな藤原京を堪能できる橿原屈指のおススメスポット!
住所 | 〒634-0073 奈良県橿原市縄手町178-1 |
開室時間 | 9時~17時(最終入室16時30分) |
休室日 | 毎週土曜日(祝祭日の場合その翌日)、年末年始(12/27~1/4) |
入室料 | 無料 |
駐車場 | あり |
奈良文化財研究所 藤原宮跡資料室
藤原宮の全貌のほか、学術的出土品などが復元展示されてます。入館料、駐車料、いずれも無料です。
必読→ 藤原宮跡資料室|藤原宮と藤原京の発掘成果を公開中!今なお続けられている発掘調査のマジな研究拠点
住所 | 〒634-0025 奈良県橿原市木之本町94−1 |
電話番号 | 0744-24-1122 |
駐車場 | あり。無料。 |
開館時間 | 9:00~16:30 |
休館日 | 年末年始および展示替え期間中 |
藤原宮跡周辺の神話ロマンスポット
藤原宮跡周辺の神話ロマンスポットも併せてご紹介。
関連する日本神話についてはコチラで。
なんと言っても、建国神話のゴール地点、それが藤原京のあった橿原なんだもん。
橿原神宮
必読→ 橿原神宮|日本建国の地!初代「神武天皇」が即位した地「橿原神宮」を徹底解説!
天香久山
必読→ 【保存版】天香久山|あもりつく天香具山。天香久山の歴史、歌、神社、散策コースなど総まとめ!
四季折々の花
藤原宮跡では、季節ごとに美しい花が植えられ、菜の花やコスモス、キバナコスモス、ハスなど色とりどりの花を楽しむことができます。
ちなみに、平成23年6月には、藤原宮跡からの大和三山の稜線の眺めが、「重要眺望景観」に指定。絶好の眺望スポットとして、古代ロマンと合わせてチェックされてください。
オススメは、春と秋。醍醐池周辺は、桜並木になってますので、めっちゃキレイ。秋は秋でコスモス畑が広がります。
まとめ
藤原宮跡
奈良県橿原市にある、藤原宮の跡地。
「日本」という国の土台が創られた場所であり、日本初の本格的な宮城都市として建設された、激しくゴイスーなスポット。
当サイト的には、
日本神話編纂の現場として、激しくオススメさせていただきたい場所。
神話ファンなら鉄板のビジットスポットであります。
橿原市が誇る最高の神話ロマン発生地帯「藤原宮跡」。周辺施設や跡地と合わせてチェックされてください。
藤原宮跡へのアクセス
藤原宮跡への車でのアクセス
藤原宮跡へ行くのは、車が一番。
南阪奈道路→大和高田バイパスから国道165号へ。バイパス降りてから5分ちょっとで宮跡駐車場に到着。
藤原宮跡への電車&バスでのアクセス
電車&バスの場合は、近鉄大阪線「大和八木駅」利用。コミュニティバスで4つ目「橿原市藤原京資料室前」で下車。約20分ほどです。
藤原宮跡への徒歩でのアクセス
徒歩でも行けます。
最寄りは、JR桜井線「畝傍駅」、近鉄大阪線「耳成駅」、近鉄橿原線「畝傍御陵前駅」。
オススメは、
近鉄橿原線「橿原神宮前駅」下車→藤原宮跡→天香久山→近鉄大阪線「耳成駅」といった一日散策ルート。
この記事を読まれたアナタ!絶対コレを読んでお帰りください!必読です!
そして、当然、コチラに行かれてください!
さらに!
是非!
コメントを残す