日本神話にちなむ伝承地をご紹介する激しく奥ゆかしい企画。
今回は、
狭名田の長田
をお届け。
コチラ、なんと、瓊瓊杵尊がはじめて水稲を作られた田であると伝えられてるミラクル田んぼ。日本最古の水田とされてます。
今回は、そんな神話の時代から継承された激しく奥ゆかしい田んぼ「狭名田の長田」を日本神話と合わせてご紹介します。
狭名田の長田|瓊瓊杵尊が初めて稲をつくった田んぼ!?日本最古の水田「狭名田の長田」を日本神話と合わせてご紹介!
狭名田の長田への道
狭名田の長田の場所は、鹿児島県霧島市霧島。
霧島町は、天孫降臨神話にまつわる伝承が受け継がれてます。霧島神宮と繋がりアリ。
狭名田の長田も、霧島神宮の斎田として管理されてます。
狭名田の長田へ続く道へは立札あり。
▲狭名田の長田へ向かった日は雨。神秘的な雰囲気が漂ってました!神聖な田んぼ訪問にうってつけの日。。。
▲少し進むと、、、田畑が広がる先に見えてきます。狭名田の長田!
▲ありました!狭名田の長田の跡看板!
ここは瓊瓊杵尊がはじめて水稲を作られた田であると云い伝えられています。そして御子彦火火出見尊がお産まれになったとき、此の田でとれた新米で甘酒を作り、飯を炊いて祝われたということです。水田としては日本最古のものだと言われております。
終戦前までは霧島神宮の神田でここでとれた新米で毎年の新嘗祭の行事は施行されていました。戦後、民有地になっていたが、現在は霧島神宮斎田として管理されています。(霧島市教育委員会)
とのことで、、
まさにミラクル田んぼ@霧島!!!
狭名田の長田
からの、、、
▲コチラが狭名田の長田!!!ココで、、瓊瓊杵尊がはじめて水稲を作られたなんて!!!スゴすぎる!
狭名田の長田は、瓊瓊杵尊がはじめて水稲を作られた田であると云い伝えられ、日本最古の水田であるといわれています。木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメ)、彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)をお生みになったときに狭名田と名付けたと云われます。
島津斉彬のころ、この地に田の神が建立されましたが、大正4年、村人たちによって「狭名田の跡」という石碑が建てられました。昭和4年、「霧島神宮の神田として永く保存されることになりましたが、21年の農地法によって一時は民有地になっていました。しかし、平成8年に神宮の神田として再び保存されるようになりました。狭名田の跡付近一帯を狭名田の長田といいます。神代の昔、ここにはじめて稲をまき彦火火出見尊がお生まれになった時、その新穀をとり祝ったともいわれています。また、母乳が足りなかったので、甘酒を作って育てられたとも云われています。
霧島市狭名田の長田伝説より。引用元:https://www.city-kirishima.jp/kirikan/kanko/bunka/sanada.html
どこまでも神秘的な場所です。。
まとめ
狭名田の長田
瓊瓊杵尊がはじめて水稲を作られた田であると伝えられてる田んぼ。日本最古の水田とされてます。
終戦前までは、霧島神宮の神田として、ここでとれた新米で新嘗祭が行われていたようです。戦後、民有地になっていたが、現在は霧島神宮斎田として管理されています。霧島神宮御参拝の時は必須のビジットポイントしてチェックされてください。
住所 | 鹿児島県霧島市霧島田口1327 |
駐車場 | あり |
トイレ | なし |
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