神武東征神話をもとに「東征ルート」を辿り、書紀文献とあわせて検証するシリーズ
本企画は、
シリーズでお伝えしている神武東征神話、その物語をもとに、
神話からリアルへ、各地の伝承地を巡って「実際のところどうなのよ?」的なところを検証する、極めて奥ゆかしくマニアックな内容であります。
今回は、
大分県にある「一柱騰宮跡」。
コチラ、日向を出発した神武天皇一行が、宇佐を治めていた「菟狭津彦」「菟狭津媛」から大歓迎を受けた場所。
「菟狭津彦」「菟狭津媛」からしたら、「天神子」の神武がいらっしゃるということで、ヤバいよと、一族郎党いや、国を挙げてお迎えせねばと、ということで、
神武一行を饗応するためにわざわざ建てた宴会場
それが「一柱騰宮」であります。
今回は、そんな地元の皆さんに大歓迎されて嬉しかったスポット「一柱騰宮跡」をご紹介します。
一柱騰宮跡|神武一行の饗応用に建設!一本の柱で支える特殊構造の殿舎!?を現地レポ!
一柱騰宮跡にまつわる神話的背景
まずは、「一柱騰宮」にまつわる日本神話的背景を。
『日本書紀』巻三(神武紀)から。日向の地を出発した神武一行。
さらに進み、筑紫の国の菟狭 に到る。(菟狭は地名である。ここでは宇佐「うさ」という) この時、菟狭の国造の祖先がいた。名を「菟狭津彦」「菟狭津媛」という。その者達は、菟狭川のほとりに一柱騰宮を建て、彦火火出見に饗宴を奉りおもてなしをした。そこで彦火火出見は詔をくだし、従臣の「天種子命」に「菟狭津媛」を妻として下された。(「天種子命」は中臣氏の遠祖である。)
行至筑紫國菟狹。菟狹者地名也、此云宇佐。時有菟狹國造祖、號曰菟狹津彥・菟狹津媛、乃於菟狹川上、造一柱騰宮而奉饗焉。一柱騰宮、此云阿斯毗苔徒鞅餓離能宮。是時、勅以菟狹津媛、賜妻之於侍臣天種子命。天種子命、是中臣氏之遠祖也。 (『日本書紀』巻三(神武紀)より一部抜粋)
と、いうことで、
ココ、宇佐の地で大きな歓待を受ける訳です。
「国造」とは、古代の地方小国家の君主の称号で、その祖先である、「菟狭津彦」「菟狭津媛」がいたと。
すこし補足解説すると、、
「菟狭津彦」「菟狭津媛」
コレ、実は「彦姫制」と呼ばれる古代の共同統治者のことで、「ヒコ」は政治、「ヒメ」は祭祀を、それぞれ司ります。
話が飛びますが、邪馬台国の卑弥呼も似たところで。『魏志倭人伝』では、邪馬台国では女性の卑弥呼が王に共立されて呪術的(祭祀的)支配を行い、男弟が卑弥呼を補佐して政治を執行していたと伝えてます。
話を戻して、
「菟狭川のほとりに一柱騰宮を建て、彦火火出見に饗宴を奉りおもてなしをした。」とあり、この「一柱騰宮」は、一時の饗応用に建てた特殊な構造の殿舎。一本の柱で支えられていたから「一柱」。
コレ、つまり
神武一行を饗応するためにわざわざ建てた宴会場
ってことで、、、国神レベルからすると、「天神子」の神武がいらっしゃるということで、ヤバいよと、一族郎党いや、国を挙げてお迎えせねばと、、、
このあたりの「おもてなし事情」はこちらで詳しく。
要は、
神の時代のおもてなし方は「惜しみなく」というのがポイントで。当然、宇佐のヒコヒメもコレに倣ってのおもてなしだったと。。。海の幸、山の幸を数えきれないほど沢山の机の上に並べて饗応。建物を一棟、建てちゃったのもソレが理由。
そのうえで、、
神武が、ヒメ(菟狹津媛)を近従の臣である天種子命の嫁として与えます。。、この天種子命、実は、天岩戸神事に活躍した「天児屋根命」と同じ中臣氏の遠祖なんです。
ココでは、
祭祀を司る女性首長を、祭祀の氏族である中臣氏に与えるという神武的な「はからい」という意味があるのですが、、
見ようによっては嬉しくなって気分良くした神武が、シングルだった臣下に嫁をあてがった、、とも言えて、、うーむ、流石というか太っ腹というか、、ある意味、神対応。
一柱騰宮跡への道
「一柱騰宮」の日本神話的背景をチェックしたところで、ココからは実際のリアルな現場をご紹介。
場所は、大分県宇佐市にある宇佐神宮の境内。
宇佐神宮と言えば、、
全国に約44,000社ある八幡宮の総本社。石清水八幡宮・筥崎宮とともに日本三大八幡宮の一つであります。ものスゴイ神社。神話の時代の重要イベントがあった場所として相応しいスポットであります。
「一柱騰宮跡」は、宇佐神宮の神宮庁の近く。
宇佐神宮内には、神武天皇聖跡兎狭顕彰碑もあるので合わせてチェックされてください。コチラ、北参道鳥居の近くにひっそりと建っております。
▲宇佐神宮の手水舎から、西参道鳥居へ向かう道。この先に「一柱騰宮跡」があります。
▲見えてきました!宇佐弥勒寺跡と同じ場所にあります。
宴会場キタ――(゚∀゚)――!!
一柱騰宮跡
おおおおおおおおおおお、、「聖跡」!ここに一本柱の巨大な宴会場が建っとったんかい!!!スゲー!!!
って周囲を見ると・・・!!!
草www!!!
草っwwwww!!!
うーむ、、、
「菟狭津彦」「菟狭津媛」が神武一行を饗宴接待した場所としては、、、確かに広々とした空間ではある。。。。が、、
この辺りに数えきれないご馳走が並んでいた。、、??
説明板には、、「一柱騰宮跡は寄藻川に架かる呉橋の南側の高台と伝えられ、この一帯は騰隈とよばれています」とありますが。。。そうですか。
ちなみに、、、
「菟狭川のほとりに一柱騰宮を建て、」とある、「菟狭川」がコチラ!!??
うん、見えない!
こちら、現在は「寄藻川」という、かなり藻推しの川名になっております。。。
と、、いうことで、現場からは以上です。
まとめ
「一柱騰宮跡」
日向を出発した神武天皇一行が、宇佐を治めていた「菟狭津彦」「菟狭津媛」から大歓迎を受けた場所。地元の皆さんが一族郎党いや、国を挙げてお迎えせねばと、ということで、神武一行を饗応するためにわざわざ建てた宴会場、それが「一柱騰宮跡」です。
気分を良くした神武は、歓待した「菟狭津媛」を近従の臣である天種子命の嫁にするという太っ腹対応。って、東征中だから、「菟狭津媛」をそのまま連れていっちゃったの???
と、数々の神対応を連発した曰くつきのスポットとして是非チェックです。
一柱騰宮跡
住所 |
大分県宇佐市南宇佐2859 宇佐神宮境内、手水舎から西参道鳥居へ。左側にあります。 |
駐車場 | 宇佐神宮の駐車場有 |
トイレ | あり |
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参考文献:『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)
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