『日本書紀』と『古事記』の違いについて、分かりやすく解説します。
どちらも所謂「歴史書」なんですが、国の歴史書=『日本書紀』、天皇家の私的な歴史書=『古事記』、という感じで位置づけが異なります。
今回は、『日本書紀』と『古事記』の違いにスポットを当てて、分かりやすくご紹介します。で、そこから、なぜ「日本神話.com」を立ち上げたのか経緯の説明もできればと思います。
『日本書紀』と『古事記』の違いに見る「日本神話」の豊かさとか奥ゆかしさとか
目次
『日本書紀』と『古事記』
まずは、ココから。
良く言われている事なので、さらっと確認。
項目 | 日本書紀 | 古事記 |
編纂 | 720年 | 712年 |
位置づけ | 日本の正史 | 天皇家の私的な歴史書 |
目的 | 国際的に国家成立・歴史の正当性を示す | 国内向けに天皇家の歴史と正当性を示す |
内容 | 天地開闢~41代持統天皇 | 天地開闢~33代推古天皇 |
構成 | 全30巻 | 全3巻(上巻・中巻・下巻) |
編者 | 川島皇子、忍壁皇子の2人の皇子を 中心とする 12人の皇族・豪族・官吏 |
天武天皇の勅命を受けて 稗田阿礼の誦習する帝紀と旧辞を 太安万侶が撰録 |
分かりやすく。
- 『日本書紀』の「紀」は、歴史書という意味。
- 『古事記』の「記」は、日記・伝承記録という意味。
紀と記、糸遍と言遍の違いですが、全然意味あいが違うわけです。
ここから、ポイントである「位置づけ」を確認。
紀である『日本書紀』は国の歴史書。国家が編纂するオフィシャルヒストリー。一方、記である『古事記』は天皇家の私的な歴史書、というか日記・伝承記録、といったニュアンス。この位置づけの違いはしっかりチェックされてください。
ところで、『日本書紀』、『古事記』の両書に、「日本神話」として記載されている箇所があります。
それが、
- 『日本書紀』は、最初の「巻1」と「巻2」。神武紀が「巻3」で続きます。
- 『古事記』は、最初の「上巻」。同様に神武紀が「中巻」の前半に続きます。
要は、
『日本書紀』は全30巻あるなかで、最初の3巻が日本神話部分。『古事記』は全3巻あるなかで、1巻目と2巻目の最初の部分が日本神話部分、という訳。
「日本神話.com」ではこの範囲を「日本神話」として定義。つまり、「天地開闢~神武天皇として橿原即位するまで」。天皇の御代以降は神話ではなく「人代」、歴史として認識しております。なので扱いません。
記紀神話における最大の違いは「編集方法」
最初の方で結構語ってしまった感がありますが、ココからが本題。
『日本書紀』と『古事記』、その最大の違いは「編集(編纂)方法」にあります。
『日本書紀』は、様々な「異伝」が存在。物語が「複数」存在する訳です。1つのエピソードなのに他の言い伝え(=異伝)を載せてる。この異伝、「一書に曰く~」とありますので「一書(いっしょ)」と呼ぶ事にします。
●参考→「『日本書紀』の「一書」とは?『日本書紀』本伝と一書の読み解き方法を徹底解説!」
これに対して『古事記』は、本伝のみ。つまり、物語は一本の流れだけです。
これは、
- 『日本書紀』は「本伝を中心に、こんな言い伝えもある、あんな言い伝えもある」という伝え方。つまり「相対的」。
- 『古事記』は「これが歴史です(他にはありません)」という伝え方。つまり「絶対的」。
とも言えます。
結果的に、
- 『日本書紀』は「分かりにくい」。
- 『古事記』は「(比較的)分かりやすい」。
という事態を引き起こしてる。
確かに『日本書紀』は分かりにくい。『古事記』の方が圧倒的に流通しているのは、『日本書紀』からみると物語が一本で分かりやすく、要所要所で非常にドラマチックに膨らませてあるから。あとは、編纂年の影響で「古事記編纂1300年記念」が先に行われた事もあるでしょうか。
とは言え、
『日本書紀』は日本の「正史」ですから!
書紀をクリアせずに、このグローバル社会で己のアイデンティティは確立できないぞ!というのが本サイトの隠れたメッセージです。
『日本書紀』は世界に例を見ない編纂方法
さて、
そもそも『日本書紀』の「こんな言い伝えもある、あんな言い伝えもある」という編纂方法は、「国の歴史書」としては極めて異例です。そんな歴史書は他にありません。
だって、「歴史は一つでしょ?」と誰もが思うし。
「歴史的事実は一つ」。これ現代の常識。特に国の歴史書では絶対的な常識。
でも神話の時代はそうではありません。相対的で、いろんな言い伝えがあって、物語としてとても豊かで奥深い。事実かどうかではなく、日本が持つ文化的な豊かさをアピールする事に主眼が置かれているように思います。
だからこそ、『日本書紀』をもとに「神話の世界」を読み解く事は、とても謎めいていて、想像性にあふれ、奥深いのです。入っていくのは大変だけどね。
●必読→ 『日本書紀』とは?神話から歴史へつなげる唯一無二の編纂スタイル!『日本書紀』を分かりやすく解説!
実際の構成を見て見ましょう。
〇『日本書紀』と『古事記』の構成比較
おもしれー。
『日本書紀』の第五段なんて異伝(一書)が11個もある訳です。で、それぞれがそれぞれの物語を主張されてらっしゃる。
一方、『古事記』は物語が一本。「コレで!」という感じ。
なんでなんでしょうね?
一つ言えるのは、
「その方が、スゴク見えるから」
という事。つまり、冒頭、紀記比較表の「目的」のところに繋がります。
日本としての「国家成立してる感」を世界へ向けて発信するために、「ウチラこんだけ豊かな神話があるんですけど( ゚Д゚)ナニカ? 」的な形式を採る必要があった、という事で。それはそれ、当時の事情があったという事で理解しましょう。
ただ、当サイトとしてはこの編纂方式を
「物語の豊かさ=文化の豊かさ」
として捉えたいと思う次第。だって、歴史書で「アレもコレもある」なんて言ってる所どこにもないですから。
それは、
「日本の独自性であり価値観・世界観」だというコト。
相対的。ハッキリしない。とも言えますが、、、
「絶対的なもの」が好まれる世の中ですし社会になってます。でも、だから発生してしまう問題もあるのではないでしょうか?絶対化するという事は、別の側面からすると、他を否定するということであり、認めないという事。そうすると「衝突」が生まれますよね。
多様であり相対的であること、「あれもあっていい、これもあっていい」ということは、そこに「受容の精神」があるってコト。
「日本神話」の核心は、まさにココで。自然の全てに神様を見出す精神性とリンクして、とてもオープンで奥ゆかしいのです。この「考え方」や「あり方」は学びたい所ですよね。
という事で、
当サイトでお伝えしていきたいのは上記内容が全てです。「神話の読み解き」も、細かい箇所をほどいていきますが、大きなところでは「日本神話が持つ豊かさとか奥ゆかしさとか」をお伝えしたい。だって今だからこそ必要な気がするので。それを政治性とか宗教性とか一切排除したところで伝えていきたい訳です。神様を信じるという「信仰」はありますけどね。畏敬の念と感謝も含めて。
こんなスタンスですが、今後もどうぞよろしくお願い申しあげます。ご友人の方々への拡散のご協力もどうぞよろしくお願いします。
まとめ
『日本書紀』と『古事記』
「日本神話」とは、『日本書紀』と『古事記』の最初の「巻」に記載されている物語。天地開闢から神々の行為を通じて、世界の起源を明らかにします。
『日本書紀』と『古事記』の最大の違いは「編纂方法」。『日本書紀』は本伝+異伝複数で、多様で相対的。『古事記』は物語一本で、絶対的。
『日本書紀』の編纂方法、そして神話の時代を語る方法とスタンスに、日本神話が持つ「豊かさとか奥ゆかしさ」が表れています。今だからこそ、学びたい考え方であり、あり方だと思います。
コチラ必読。どこよりも分かりやすい「日本神話の読み解きシリーズ」!
他にも!
日本神話編纂の現場!奈良にカマン!
熟れた柿を食べるように、うまい考え。しみじみ己の心が豊かになるのを感じます。
刺激的な内容をありがとう。日本書紀読解の続編を楽しみにきじを読み返しています。
十神島根之堅洲国は島根県の安来市だったんですね。