「鶴羽根神社」は、広島県広島市にある神社。
鎌倉時代の初め頃に創建された神社で、もとは、八幡宮として位置づけられてましたが、現在は結婚式場を併設し神前結婚をプロデュースする神様に変貌を遂げております。
敷地内は、二葉山を背後に小奇麗な感じにまとまった良い感じの雰囲気。
今回は、広島駅北口から徒歩10分ほどのところにある縁結び&結婚式推しな神社をご紹介します。
鶴羽根神社|縁結びと結婚プロデュースで人気を集める恋愛系神社ながら「広島東部の総氏神」で「広島の鬼門鎮守」としても位置付けられてる守護系の神社です。
目次
鶴羽根神社の場所
鶴羽根神社の場所は、広島県広島市東区二葉の里2丁目。広島駅北口から徒歩10分ほどのところ。
▲こちら、すぐ近くにある饒津神社から歩いてきたビュー。奥右手が広島駅北口です。
「饒津神社」についてはコチラで⇒「饒津神社|藩祖「浅野家の皆さん」がご祭神!「広島の町が物が豊かな水の都となるように」と願い創建された神社」
このあたり、「二葉の里 歴史の散歩道」として、散歩道コースが整備されております。
東区には本市唯一の国宝である不動院金堂をはじめ、数多くの文化遺産が今も残っています。その中で、牛田新町~矢賀駅までの間に点在する、由緒ある神社・仏閣・史跡などを結んだコースが「二葉の里歴史の散歩道」です。
広島市東区役所HPより
とのことで、そういうことであります。
お時間があれば是非。
▲コチラが鶴羽根神社の入口です!
鶴羽根神社の創建経緯
当社は、建久年間(1190~1191年)に、源三位頼政公(安芸國加茂群西條郷領主)の室「菖蒲ノ前」が芸州知行せられる折の御遺言によって、元久年間(1204~1206六年)に社殿を建立し、御祭神を観請したことが始まりと伝えられています。
その際に、修理料として椎木山(現 二葉山)を寄進された為に、往時は椎木八幡宮と称されていました。
爾来、鎌倉~室町~戦国~江戸の世、兵乱等によって興亡を繰返しつつも、文政5年(1822年)頃の記録に依る当時は、広島城から東側・・・八丁堀以東全ての氏神とされていたと記されています。また、門守二神を奉斎、広島城隅・・・東北之鎮としていた安永4年(1775)と記されています。
天保4年(1834年)2月隣地の明星院鎮國堂より出火、社殿等悉く類焼し、同年4月には仮社殿を建立、御遷座致しましたが、藩主より同社域に饒津神社造営を仰せ出され、同6年4月現在地へ所替えとなり(古くは、現饒津神社一の鳥居と二の鳥居の間-西側へ御鎮座していました)浅野家からの造営資金寄付と氏子中の勧請によって、安政3年(1856年)に再建全て成就致しました。
明治元年(1868年)朝令の神仏混淆御引分にもとづき、藩主浅野12代 長勲公の撰名により、神社背裏の山形が、鶴の羽根を広げた姿に似ている事から、社名を鶴羽根八幡宮と改め、同5年に鶴羽根神社へと改称、同時に、広島東部総氏神へ列せられ、同40年には神饌弊帛料供進社に指定されました。
昭和20年(1846年)の原爆投下の大惨事により、社殿一切は倒壊しましたが焼失を免れ、宮司を先導に氏子諸氏の熱意と努力を以って規模を縮し乍も一早く余燼の中から再建されました。 (神社説明文より
とのことで。
背景理解として、八幡信仰があります。
八幡信仰とは、鎌倉時代前後から広まった信仰で、「八幡神」を信仰し、源氏や平氏など全国の武家から「武運の神(弓矢八幡)」として崇敬を集めました。その中心地は宇佐神宮。
「八幡神」とは、「応神天皇(誉田別命)」を主神として、「比売神」や応神天皇の母である「神功皇后」を合わせて「八幡三神」として祀ります。が、神社によっては「比売神」や「神功皇后」の代わりに「仲哀天皇」や、「武内宿禰」「玉依姫命」を祀ってたりします。
その中で、鶴羽根神社は、応神天皇(子)、神功皇后(母)、仲哀天皇(父)の家族パターン。
ちなみに、広島は神功皇后にゆかりのある土地で、西区にもちなむ神社があったりします。⇒「旭山神社|必勝祈願が社名の由来!146段の石段を上った先、己斐の街を一望できる旭山頂上に建つ秀麗な神社だった件」
話を戻して、八幡信仰。そんな背景から、
安芸国の加茂郡の領主だった武家の「源頼政」、その奥さんであった「菖蒲ノ前」の遺言により創建され、当初は「椎の木八幡宮」として呼ばれていた訳です。
ご祭神の家族パターンはきっと、菖蒲さんの意向が働いていたんじゃないかと思えて。菖蒲さんの旦那である頼政は、源平の争いに敗れ自害。旦那が敗れたことで菖蒲さんは安芸国まで落ち延びたという言い伝えがあったりします。家族みんなで幸せになることを夢見ていたに違いないのであります。
ま、それはそれとして、
江戸時代には、「安芸の國の鬼門鎮守の御社」として、また「広島東部の総氏神さま」として定められるようになります。尚、現在の地に遷座したのも江戸時代。
現在の社名に改められたのは、明治に入ってから。神社裏の山の形が「鶴の羽根を広げた姿」に似ている事から「鶴羽根八幡宮」と改められ、更に「鶴羽根神社」へと改称。
戦時は社殿等は倒壊したものの焼失は免れ、戦後再建。現在は、縁結びや結婚式プロデュースに注力されてるという経緯であります。ポジショニングとして現代の恋愛系ご利益の高まりとマッチしていい感じです。
鶴羽根神社の敷地内は、二葉山を背後に小奇麗な感じにまとまった良い感じの雰囲気。石ノ太鼓橋からのビュー。キレイですよねー。
橋の左右にはちょっとした日本庭園のような空間が広がってます。
▲結婚式プロデュースですから、こうした庭園を背景に結婚カップルが記念写真を撮られるのでしょう。環境整備もぬかりございません。
▲戦時の被ばくや空襲やらから難をまぬがれた石鳥居。広がりのある空間づくりが印象的です。
その奥に、拝殿と本殿があります。
鶴羽根神社のご祭神と御利益
八幡三柱の神
- 品蛇和気命(応神天皇)・・・(子)第15代天皇
- 息長帯比売命(神功皇后)・・・(母)第14代皇后
- 帯中津日子命(仲哀天皇)・・・(父)第14代天皇
ご利益:国家鎮護・武運長久・厄除・安産・育児など
特に、応神天皇に関わるものとしては、家内安全・交通安全・厄除・開運・安産・合格・開拓・航海・漁業守護など。神功皇后に関わるものとしては、縁結・子授・安産・家内安全・商売繁盛・厄除・長寿・合格・芸事上達など。
創建経緯から、当初、当社の中心的ご祭神としてお祭りされていたのはこちらの神様ですね。
妹背二柱の神
- 伊耶那伎命・・・夫
- 伊耶那美命・・・婦
ご利益: 国家安泰・子孫繁栄・五穀豊穣・家内安全・厄除・土木建設関係守護・商売繁盛・病気平癒・合格等
すぐ右横でお守りなどを販売されてます。そのなかでも神社での結婚式が案内されてます。
さらに、境内の右手奥には、、、
結婚式場完備! 「二葉」さんです。⇒http://futaba-tsuruhane.com/
“伊耶那岐”“伊耶那美”の神々と御神徳と、世に初めて婚儀を行われた、妹背(夫婦)二柱の御神威の下に、鶴羽根神社及び二葉では、市内でいち早く御婚礼を執り行い、多くの方々の幸せを願い続けて参りました。四季の自然麗しい二葉の杜での御婚礼をご案内申し上げます。 (神社説明文より
とのことで、結構素敵な結婚式場であります。
広島で結婚される際は是非ご検討くださいませ。
その他!
椎の木稲荷神社
ご祭神:地主大明神、椎木稲荷大明神、八十????大明神
ご利益:五穀豊穣・商売繁盛
その創建は遠く不詳ですが、もと「朝櫻神社」と称していた境内社と、その土地古来の神さまであります「地主大神」さまを併せ祀り、昭和初期の大惨事である原爆投下からの復興・再建時より、鶴羽根神社の古社名をいただき、「椎の木稲荷神社」と改称し今の世に至っております。
(現 二葉山は、古くには「椎ノ木山」と称されており、当社への修理料として寄進、社領地でした。) (神社説明文より
七福神めぐり:弁財天
弁財天は、琵琶を抱えたやさしく美しい唯一の女性神で、河の神、水の神として崇拝され、後に梵天の妃になったとされています。水のようにどんな器にも入る素直さと、岩をも通す強い意志を示され、知恵・諸芸能上達・財福の徳がある神様です。 (神社説明文より
ということで、
「鶴羽根皇大神様は平和な人世の出発を祝福する結婚式をはじめ、安産祈願・初宮詣・七五三詣・厄年厄祓等の人生儀礼、家内安全・交通安全・商売繁盛・病気平癒・合格祈願祭等、万般のことに亘って大変な御加護があり」とのことで、なかなか目立たない感じではありますが、是非チェックいただきたい神社であります。
まとめ
鶴羽根神社
広島県広島市にある神社で鎌倉時代の初め頃に創建。
もとは、八幡宮として位置づけられてましたが、現在は結婚式場を併設し神前結婚をプロデュースする神様に変貌を遂げております。
敷地内は、二葉山を背後に小奇麗な感じにまとまった良い感じの雰囲気。
広島駅北口から徒歩10分ほどのところにある縁結び&結婚式推しな神社です。是非チェックされてください。
住所:広島県広島市東区二葉の里2丁目5番11号
駐車場あり
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