旭山神社は広島県広島市西区にある神社。
JRと広電の西広島駅から徒歩10分くらいのところ、旭山の上に建ってます。
146段の階段を上っていった先、頂上付近は西区己斐の街並みを一望できるナイスなスポットでもあります。
今回は、そんな山の上にほっこりと建っている旭山神社をご紹介します。
旭山神社|必勝祈願が社名の由来!146段の石段を上った先、己斐の街を一望できる旭山頂上に建つ神社な件
目次
旭山神社への道
西広島から徒歩10分程の所。
▲こちら、広電の西広島駅。ステキな駅です♪
この辺りは「己斐」という地名で、その由来は1800年前くらいにさかのぼります。
神功皇后が熊襲征伐の途上、当時「松山」という名前で岬になっていた旭山に立ち寄ったところから。
ん?
岬?
そうなんです。この辺り、古代は一面海だったようで、山が岬のようになっていたという訳。
神武東征神話と関連が深い多家神社(府中町)のあたりも海だったようで、昔は広島市の奥深くまで海が入り込んでいたようなんですね。
で、船団を率いて立ち寄った際に、この地の県主が奉った「黒鯉」に神功皇后感動。
「おお!鯉!鯉!」と大喜び。
で、地名が「鯉」になったというお話。
その後、和同6年(713年)に好字二字化令によって「己斐」になったという次第。
以上、己斐歴史研究会の皆様より。
話を戻します。
南へ10分くらい歩くと、、、
▲見えてきました!旭山!見上げる感じの山!
旭山神社の創建経緯
応神天皇の時代、
先ほど触れた神功皇后「黒鯉」に大喜びの件にちなみ、この地の村長さんが、松山に宮を建てたいと申し出た事がきっかけ。
で、八幡宮を勧請して、産土神としてお祭りしたのが始まり。当初、「産土八幡宮」という社名だったようです。
その後、かなり時代が下って、弘治元年(1555年)毛利元就が陶晴賢と厳島で合戦したとき、出陣の道すがらこの社に立ち寄り、戦勝祈願をしたまさにその時!
東より旭日が昇り来るのをみて「縁起の良いことだ!」として、「旭山八幡宮」と称するようになったという経緯。
なんで、必勝祈願的な背景を持つ神社です。
旭山神社の境内
▲左側通行で、石段を登ります!
▲結構、急な石段です。。。この辺りですでに息切れしたorz
おー、ようやっとたどり着いた。。。?
って、
まだあるんかい!
ぜーはーぜーはー。。。
御祭神とご利益
ご祭神
- 神功皇后
- 応神天皇
と
- 市杵島姫命
- 田心姫命
- 湍津姫命
の宗像3女神。
御利益:必勝祈願
振り返ると、、、
景色サイコー!
これは多分、社名の由来も踏まえると、朝、日の出のタイミングで参拝するのが「〇」ですね。きっと美しい朝日が。。。
その他!
絵馬殿
▲見た目、少々残念な感じになってますが、実は江戸時代の社殿。拝殿があるところに建っていたそうです。広島原爆の際、爆風と熱戦を浴びましたが傾いただけで助かったそうです。
旭山稲荷神社
ということで、実際に石段を数えてみたところ、計146段!結構、急な感じの石段でありました。
まとめ
旭山神社
旭山神社は広島県広島市西区にある神社。
JRと広電の西広島駅から徒歩10分くらいのところ、旭山の上に建ってます。
主祭神は、、神功皇后・応神天皇・宗像3女神。
とくに、宗像三神は、厳島神社と同じで、この地方では厳島神社と対になっていた?という噂も。。。
146段の階段を上っていった先には西区己斐の街並みを一望できるナイスなスポットもあります。
西広島へお越しの際は是非立ち寄ってみてください。
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〒733-0814 広島県広島市西区己斐西町12−10
駐車場なし
トイレは、、、石階段の中ごろにあります。が、あまりキレイでは。。。
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地元の旭山神社の記事を発見しました!
令和2年の今年も初詣に行きました。
広島カープのエース大瀬良投手も参拝します。
紹介ありがとうございます。